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学園都市編
125話 閉鎖されたダンジョン
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思わぬ場所で思わぬ人物と出くわしてしまったヒビキは、緊張から急な腹痛に苛まれていた。
緊張感や、恐怖心や、不安や、戸惑いを悟られてしまえば剣士である青年に不信の念を抱かれてしまう。
表情に出すことの出来ない状況の中で、何とか平然を保とうと試みる。
しかし、右腕はしっかりと腹部に巻き付いているため、平然を保っていたとしても腹痛をおこしていることは一目瞭然である。
アヤネがヒビキの異変に気づいた。
「お腹が痛いの?」
ヒビキの顔を覗き込んで問いかけと共に伸ばした手をヒビキの腹部に押し付ける。
「変なものでも食べちゃった?」
視線を落とすとヒビキの腹部を確認するようにして、勢いよく撫で回す。
腹痛に苛まれてもなお、平然を保とうとしていたヒビキが激しく動揺する。
何の躊躇もする事無く腹部を撫で回しているけれども、アヤネにとってヒビキは数日前に出会ったばかりの学園の編入生である。
男だと言うことを忘れているのだろうか。
アヤネにとっては先輩であるはずなのに、まるで年下に対する扱いである。
頼りのない人物だと思われているのだろうかと、ヒビキの中で疑問が浮かぶ。
頼りのない人物と思われているのであれば悲しい。
しかし、国王暗殺を企む人物がすぐ側にいる状況の中で肩を落としている場合ではない。
すぐに冷静さを取り戻したヒビキは小さなため息を吐き出した。
表情を引き締めて気持ちを切り替える。
「随分と積極的だね」
少しでもアヤネに警戒心をもって貰うために、意地の悪い笑みを浮かべてみる。
人懐っこくて誰に対しても積極的に声をかけるのはアヤネの良いところではあるけれど、人と会話をする時の距離が近すぎる。
腹部は依然として痛いままではあるけれども、アヤネの予想外の行動のおかげで沈んでいた気持ちに変化があらわれた。
ほんの少しではあるものの緊張が和らいだ。
「積極的?」
ぽつりと声を漏らしたアヤネは、やはり無意識のうちにヒビキに近づいていたようで、ぽかーんとした表情を浮かべている。
ゆっくりとアヤネの視線がヒビキの腹部に移動した。
しっかりと右手はヒビキの腹部に押し付けられている。
左手はヒビキの腰へ。随分とヒビキとの距離が近く感じる。
確かにヒビキの言う通り傍から見れば積極的に見えるかもしれない。
ヒビキが至近距離にいる事に気づいたアヤネは、わなわなと震えだす。
「別に下心があってお腹を触ったんじゃないんだからね!」
顔を真っ赤にしてヒビキの腹部から勢い良く手を引くと、激しく動揺したまま後退を始めた。
あんぐりと口を開いたまま後退するアヤネは途中、足を絡ませたて姿勢を崩す。
大きく後ろへ仰け反った。
手足をじたばたと動かしてみるものの、アヤネは姿勢を立て直すことが出来ずに崩れ落ちる。
アヤネの反応は予想していたよりも遥かに大きく、尻を地面に打ち付けた痛みから今にも泣き出しそうになっている。
「ごめん。ほんの少しからかうつもりが怪我はしてない? 大丈夫?」
唇を噛みしめて、わなわなと身体を震わせているアヤネの元へ歩み寄る。
ヒビキは、その場にしゃがみこむんで片ひざをつくとアヤネに向かって手を差しのべた。
膨れっ面を浮かべているアヤネは、怒りに任せて手加減をすることなくヒビキの腕を鷲掴みにする。
力のこもった指先はヒビキの腕に食い込んでいる。
盛大に転んだため恥ずかしかったのだろう。
アヤネの顔は真っ赤に染まっていた。
ヒビキに支えられるような形で、その場に立ち上がったアヤネは機嫌が悪い。
「ヒビキ君の馬鹿、嫌い!」
不機嫌さを隠すこと無く声を荒らげる。
学園生活を送るにあたって、アヤネに付きまとわれていては国王暗殺を企む人物と対峙するのに身動きをとりづらい。
いずれは、アヤネに嫌われるような行動を取らなければならないだろうと考えていた。
しかし、それは今ではない。
国王暗殺を企むシエルと、その仲間達がすぐ近くにいる状況の中でアヤネと喧嘩をしている場合ではない。
実力のある者だけが身に付ける事を許された、学校指定の黒い制服。スカートは小石と砂で汚れてしまっている。
「ごめん」
アヤネを怒らせてしまったと深く反省。真っ青な顔をして、その場に腰を下ろしたヒビキは項垂れる。
「本当に、ごめん」
誠意をもって謝れば許してくれるだろうか。
なんて事を考えているヒビキに、慌てた様子のアヤネが声をかける。
「待って待って、土下座はしなくていいから」
深々と頭を下げたヒビキの額は今にも地面に押し付けられそうになっている。
驚いたように、あんぐりと口を開いたアヤネがヒビキの肩に手を添えた。
アヤネが一際大きな声を出したため、先頭を行く剣士の青年が疑問を抱いた様子。
その場に足を止めると背後を振り向いた。
相変わらず表情に感情の表れることの無い青年ではあるものの、小さなため息を吐き出したところを見ると呆れられているのだろうと予想はつく。
「少しずつ声が遠退いていくと思っていれば、一体何をしているのですか? 地面に這いつくばっていたいのであれば手伝いましょうか?」
淡々とした口調だった。
地べたに腰を下ろしているヒビキを見つめて声をかけた青年の手には、しっかりと剣が握りしめられている。
その先端をヒビキに向け構えているところからすると冗談を言っているようには思えない。
「やめてよ。冗談? 無表情が怖いんだけど」
険悪となった雰囲気の中、真っ青な顔をしたアヤネがヒビキに身を寄せる。
つい数秒前までヒビキに対して抱いていた怒りは、すっかりと消えてしまったようだ。
今ではヒビキを守るようにして身を寄せているアヤネは、青年に向かって杖の先端を向けている。
緊張からか、それとも恐怖心からかアヤネの表情は強張っている。
涙ぐむアヤネを視界に入れて心配をしたヒビキが問いかける。
「大丈夫か?」
ヒビキが思わず声をかけてしまうほど、アヤネが握りしめている杖の先端は大きく左右に揺れ動く。
「はい。仲間内で揉め事を起こさないでね」
魔術師の女性が小さなため息を吐き出した。
剣を構えている青年と、杖を片手に立ち尽くしているアヤネの間に移動する。
「どうして土下座することになったのか分からないけれど、彼女も許してくれているようだし先に進みましょう」
ヒビキの元まで移動した魔術師の女性は地面に膝をつき、そっと手を差しのべた。
「砂利道だから、お姉さんの膝が汚れてしまうよ。小石が食い込んでしまって膝が痛いよね? 俺のために、ごめんなさい」
随分とおっとりとした口調だった。
猫を被った状態となったヒビキの態度にアヤネはあんぐりと口を開く。
「うぇ」
素っ頓狂な声を上げる。
「ヒビキ君、突然コロッと口調を変えるのはやめてくれない? 普段は、なんの感情もこもっていない淡々とした口調で話をするのにビックリした」
アヤネの前では感情豊かな性格を演じていたと思っていたけれども、知らず知らずのうちに素が出てしまっていたようだ。
小刻みに肩を揺らして笑う魔術師の女性がヒビキやアヤネに向かって手招きをした。
「そろそろ足を進めないと、彼が襲いかかってきそうよ。先へ進みましょう」
剣を構えたまま佇む青年を指差して、小声でヒビキやアヤネに状況を説明する。
魔術師の女性が間に入ってくれたお陰で、剣士の青年と争うことにならずに済んだ。
ヒビキが腰を上げたことにより、剣の構えを解いた青年は身を翻す。
東の森に向かって足を進める。
「ゴブリン討伐のクエストを受けているのであれば、早々にクエストを完了しちゃいましょう。東の森に長居は出来ないわよ」
魔術師の女性がヒビキの背中を押す。
「彼のペースを乱しちゃ駄目よ」
剣を扱う青年を指差すと小声で呟いた。
「有り難う、お姉さん」
おっとりとした口調で呟いたヒビキが笑顔を浮かべる。
アヤネはあんぐりと口を開き間抜け面を浮かべたものの、すぐに表情を引き締めて東の森に足を踏み入れる。
既に東の森へ足を踏み入れている剣士の青年がゴブリンの討伐を行っている。
「魔力が枯渇してる今、無理は禁物だからね。くれぐれも今朝のように先走らないように」
伝えたいことだけを口にして、ヒビキからの返事を待つことなくアヤネは右足を軸に身を翻す。
出来るだけアヤネの側にいなければ、いざという時に身を守ることが出来ないと考えたヒビキがアヤネの後を追うために走り出す。
森の出入口付近に現れるゴブリンのレベルは低い。
此方から攻撃を仕掛けなければ戦いになることもなく、横を通りすぎるだけなら武器を手に取らなくとも通過することは出来る。
しかし、アヤネはゴブリンに攻撃を仕掛けるために杖を掲げた。
「燃やしつくせ!」
攻撃的な言葉を浴びせる。
頭上に現れた炎は一つ一つが握りこぶしほどの大きさがある。
アヤネが杖を振り下ろすと同時に炎はゴブリンに向かって一直線。
四方八方を取り囲み、向かい来る炎攻撃に気づいたゴブリンが慌てふためく。
棍棒を手放して逃げ惑うゴブリンに直撃した。
強力な攻撃魔法を受けたゴブリンが砂となって消える。
「複数を同時攻撃。しかも、一撃で倒してしまうのか」
感心している場合ではなかった。
アヤネの炎魔法の対象となっているのはゴブリンだけではない。
炎の塊から逃れるようにしてヒビキが駆け回る。
しかし、このまま逃げ回っていても埒があかないと考えたヒビキが背負っていた剣を引き抜いた。
走る勢いをそのままに強く地面を蹴りつける。
空中で身体を半回転。
真っ逆さまになったヒビキが体をひねる。
アヤネの放った炎に剣の側面を打ち付けると、呑気にヒビキを見上げていたゴブリン目掛けて軌道を変える。
炎の塊はゴブリンに向かって一直線。攻撃を受けたゴブリンが空中に弾き飛んだ。
どうやら、魔術師の女性が魔術師の男性の元へとたどり着いたようだ。彼らは狩りを行うつもりはないようで、話に花を咲かせている。
剣士の青年も既にゴブリン退治のクエストを終えて、洞窟に向かって一直線に足を進めていた。
立て続けにヒビキが炎を弾いたため、攻撃を受けたゴブリンが奇妙な声をあげる。次々と空中へ弾き飛ばされていく。
ゴブリンの上げた奇妙な声に対して疑問を抱いた魔術師の青年や女性、剣士の青年が背後を振り向いた。
彼らが振り向く頃には既にヒビキは地面に着地をする瞬間であり、炎の塊を受け空中に弾き飛ばされていたゴブリンが一斉に砂となって消えていく。
状況を飲み込むことの出来なかった魔術師の青年が表情を変えること無く首を傾げる素振りを見せる。
「何が起こったんだ?」
ぽつりと呟いた。
アヤネの放った炎を借りる形でゴブリン討伐のクエストをこなしたヒビキは剣を鞘に戻すと、のんびりとした足取りで歩きだす。
「視線を移したときには既に終わっていたわね」
魔術師の女性が苦笑する。
「目を離したのは数秒間です。たった数秒間で剣士である彼がゴブリンを複数、同時に倒すことは出来るものですか? 魔術師であるならまだしも。それに彼はFランクですよね?」
剣士である青年の疑問は最もである。
「確かにFランクと言っていたな。まぁ、行動を共にしている間に手の内を見ることは出来るだろうが、それにしたってゴブリンが四方八方にふっ飛び砂となって消えていくなんて人間業ではないだろうな」
魔術師の青年が呟いた。
草木の生い茂る森を突き進むと、やがて隣街へ続く洞窟が姿を現す。
魔術と職人の力によって高さや幅を大きく広げられた洞窟内。広く長い洞窟の出入口付近は真っ昼間という事もあり、多くの冒険者で賑わっていた。
「雷鳴! 轟け」
掛け声と共に幼い子供が杖を掲げる。
しかし、掛け声とは裏腹に雷鳴は発動することなく、迫り来るドワーフから逃げるようにして子供が駆け出した。
「稲妻!」
逃げ惑う少年を見かねた両親が杖を掲げて呟いた。
魔法により洞窟内には雲が発生する。稲光と共に放電。まともに攻撃を受けたドワーフが砂となって消えていく。
他の冒険者がいる間は彼らがドワーフの相手をしてくれるだろう。
彼らの間を抜けるようにして洞窟の奥へ向かって足を進めるヒビキは先を行く青年の後に続く。
洞窟の奥へ足を進めるうちに少しずつドワーフの数が増える。
しかし、此方から攻撃を仕掛けなければ襲いかかってくる事はない。
奥へ奥へと足を進めていれば、やがて先頭を行く剣士の青年をドワーフが囲みだす。
魔術師の青年が杖を掲げ呪文を唱えると光魔術が発動する。剣士である青年を守るようにして防壁が現れた。
アヤネが杖を掲げて呪文を唱え出す。
「ヒビキ君、行くわよ」
ヒビキに向かって手招きをすると同時に頭上に無数の炎が出現する。
「燃やしつくせ!」
大声と共に攻撃的な言葉を吐き出すと、アヤネの言葉に従うようにして炎が洞窟内を駆け回る。
佇んでいても周囲にいる仲間がドワーフを倒してくれる状況の中でヒビキは剣を手にすることもなく、のんびりとした足取りで洞窟内を進んでいた。
「少年! あなたも戦いなさいよ」
魔術師の女性が悲鳴にも似た声をあげる。
「接近戦は苦手なんだ」
魔術を扱うはずのドワーフが接近戦を魔術師の男性に持ちかけた。
呪文を唱えている時間も与えられずに、次から次へと振り下ろされた杖を避ける魔術師の男性が声を荒らげる。
「覚悟はしていましたが、やはり数が多いですね」
足元に出現した黒い魔法陣。拘束魔法が形成する前に剣士である青年が魔法陣の上から飛び退いた。
何故かヒビキに対してはスルーを決め込んでいるドワーフ達。
集団で襲いかかるどころか、ヒビキが剣を引き抜くと奇妙な声を上げながら逃げ惑うしまつ。
ひらりとローブの裾が目くれ上がり、互いに向き合ったまま足を進めよとしたドワーフ同士がぶつかり合う。尻餅をつきあたふたとするドワーフが何やら呪文を唱え出す。
小刻みに震える身体を寄せあって杖を高々と掲げた。
ドワーフの頭上に現れた黒い魔法陣は、やがて黒い巨大な渦へと変化する。
以前同じような光景を目にしたことのあるヒビキがアヤネの手をとり渦から離れるようにして後ずさる。
続けて洞窟内が真っ赤に染まると流れ出す警告音。
それは、まさしく魔界にあるドワーフの搭で耳にしたものだった。
緊張感や、恐怖心や、不安や、戸惑いを悟られてしまえば剣士である青年に不信の念を抱かれてしまう。
表情に出すことの出来ない状況の中で、何とか平然を保とうと試みる。
しかし、右腕はしっかりと腹部に巻き付いているため、平然を保っていたとしても腹痛をおこしていることは一目瞭然である。
アヤネがヒビキの異変に気づいた。
「お腹が痛いの?」
ヒビキの顔を覗き込んで問いかけと共に伸ばした手をヒビキの腹部に押し付ける。
「変なものでも食べちゃった?」
視線を落とすとヒビキの腹部を確認するようにして、勢いよく撫で回す。
腹痛に苛まれてもなお、平然を保とうとしていたヒビキが激しく動揺する。
何の躊躇もする事無く腹部を撫で回しているけれども、アヤネにとってヒビキは数日前に出会ったばかりの学園の編入生である。
男だと言うことを忘れているのだろうか。
アヤネにとっては先輩であるはずなのに、まるで年下に対する扱いである。
頼りのない人物だと思われているのだろうかと、ヒビキの中で疑問が浮かぶ。
頼りのない人物と思われているのであれば悲しい。
しかし、国王暗殺を企む人物がすぐ側にいる状況の中で肩を落としている場合ではない。
すぐに冷静さを取り戻したヒビキは小さなため息を吐き出した。
表情を引き締めて気持ちを切り替える。
「随分と積極的だね」
少しでもアヤネに警戒心をもって貰うために、意地の悪い笑みを浮かべてみる。
人懐っこくて誰に対しても積極的に声をかけるのはアヤネの良いところではあるけれど、人と会話をする時の距離が近すぎる。
腹部は依然として痛いままではあるけれども、アヤネの予想外の行動のおかげで沈んでいた気持ちに変化があらわれた。
ほんの少しではあるものの緊張が和らいだ。
「積極的?」
ぽつりと声を漏らしたアヤネは、やはり無意識のうちにヒビキに近づいていたようで、ぽかーんとした表情を浮かべている。
ゆっくりとアヤネの視線がヒビキの腹部に移動した。
しっかりと右手はヒビキの腹部に押し付けられている。
左手はヒビキの腰へ。随分とヒビキとの距離が近く感じる。
確かにヒビキの言う通り傍から見れば積極的に見えるかもしれない。
ヒビキが至近距離にいる事に気づいたアヤネは、わなわなと震えだす。
「別に下心があってお腹を触ったんじゃないんだからね!」
顔を真っ赤にしてヒビキの腹部から勢い良く手を引くと、激しく動揺したまま後退を始めた。
あんぐりと口を開いたまま後退するアヤネは途中、足を絡ませたて姿勢を崩す。
大きく後ろへ仰け反った。
手足をじたばたと動かしてみるものの、アヤネは姿勢を立て直すことが出来ずに崩れ落ちる。
アヤネの反応は予想していたよりも遥かに大きく、尻を地面に打ち付けた痛みから今にも泣き出しそうになっている。
「ごめん。ほんの少しからかうつもりが怪我はしてない? 大丈夫?」
唇を噛みしめて、わなわなと身体を震わせているアヤネの元へ歩み寄る。
ヒビキは、その場にしゃがみこむんで片ひざをつくとアヤネに向かって手を差しのべた。
膨れっ面を浮かべているアヤネは、怒りに任せて手加減をすることなくヒビキの腕を鷲掴みにする。
力のこもった指先はヒビキの腕に食い込んでいる。
盛大に転んだため恥ずかしかったのだろう。
アヤネの顔は真っ赤に染まっていた。
ヒビキに支えられるような形で、その場に立ち上がったアヤネは機嫌が悪い。
「ヒビキ君の馬鹿、嫌い!」
不機嫌さを隠すこと無く声を荒らげる。
学園生活を送るにあたって、アヤネに付きまとわれていては国王暗殺を企む人物と対峙するのに身動きをとりづらい。
いずれは、アヤネに嫌われるような行動を取らなければならないだろうと考えていた。
しかし、それは今ではない。
国王暗殺を企むシエルと、その仲間達がすぐ近くにいる状況の中でアヤネと喧嘩をしている場合ではない。
実力のある者だけが身に付ける事を許された、学校指定の黒い制服。スカートは小石と砂で汚れてしまっている。
「ごめん」
アヤネを怒らせてしまったと深く反省。真っ青な顔をして、その場に腰を下ろしたヒビキは項垂れる。
「本当に、ごめん」
誠意をもって謝れば許してくれるだろうか。
なんて事を考えているヒビキに、慌てた様子のアヤネが声をかける。
「待って待って、土下座はしなくていいから」
深々と頭を下げたヒビキの額は今にも地面に押し付けられそうになっている。
驚いたように、あんぐりと口を開いたアヤネがヒビキの肩に手を添えた。
アヤネが一際大きな声を出したため、先頭を行く剣士の青年が疑問を抱いた様子。
その場に足を止めると背後を振り向いた。
相変わらず表情に感情の表れることの無い青年ではあるものの、小さなため息を吐き出したところを見ると呆れられているのだろうと予想はつく。
「少しずつ声が遠退いていくと思っていれば、一体何をしているのですか? 地面に這いつくばっていたいのであれば手伝いましょうか?」
淡々とした口調だった。
地べたに腰を下ろしているヒビキを見つめて声をかけた青年の手には、しっかりと剣が握りしめられている。
その先端をヒビキに向け構えているところからすると冗談を言っているようには思えない。
「やめてよ。冗談? 無表情が怖いんだけど」
険悪となった雰囲気の中、真っ青な顔をしたアヤネがヒビキに身を寄せる。
つい数秒前までヒビキに対して抱いていた怒りは、すっかりと消えてしまったようだ。
今ではヒビキを守るようにして身を寄せているアヤネは、青年に向かって杖の先端を向けている。
緊張からか、それとも恐怖心からかアヤネの表情は強張っている。
涙ぐむアヤネを視界に入れて心配をしたヒビキが問いかける。
「大丈夫か?」
ヒビキが思わず声をかけてしまうほど、アヤネが握りしめている杖の先端は大きく左右に揺れ動く。
「はい。仲間内で揉め事を起こさないでね」
魔術師の女性が小さなため息を吐き出した。
剣を構えている青年と、杖を片手に立ち尽くしているアヤネの間に移動する。
「どうして土下座することになったのか分からないけれど、彼女も許してくれているようだし先に進みましょう」
ヒビキの元まで移動した魔術師の女性は地面に膝をつき、そっと手を差しのべた。
「砂利道だから、お姉さんの膝が汚れてしまうよ。小石が食い込んでしまって膝が痛いよね? 俺のために、ごめんなさい」
随分とおっとりとした口調だった。
猫を被った状態となったヒビキの態度にアヤネはあんぐりと口を開く。
「うぇ」
素っ頓狂な声を上げる。
「ヒビキ君、突然コロッと口調を変えるのはやめてくれない? 普段は、なんの感情もこもっていない淡々とした口調で話をするのにビックリした」
アヤネの前では感情豊かな性格を演じていたと思っていたけれども、知らず知らずのうちに素が出てしまっていたようだ。
小刻みに肩を揺らして笑う魔術師の女性がヒビキやアヤネに向かって手招きをした。
「そろそろ足を進めないと、彼が襲いかかってきそうよ。先へ進みましょう」
剣を構えたまま佇む青年を指差して、小声でヒビキやアヤネに状況を説明する。
魔術師の女性が間に入ってくれたお陰で、剣士の青年と争うことにならずに済んだ。
ヒビキが腰を上げたことにより、剣の構えを解いた青年は身を翻す。
東の森に向かって足を進める。
「ゴブリン討伐のクエストを受けているのであれば、早々にクエストを完了しちゃいましょう。東の森に長居は出来ないわよ」
魔術師の女性がヒビキの背中を押す。
「彼のペースを乱しちゃ駄目よ」
剣を扱う青年を指差すと小声で呟いた。
「有り難う、お姉さん」
おっとりとした口調で呟いたヒビキが笑顔を浮かべる。
アヤネはあんぐりと口を開き間抜け面を浮かべたものの、すぐに表情を引き締めて東の森に足を踏み入れる。
既に東の森へ足を踏み入れている剣士の青年がゴブリンの討伐を行っている。
「魔力が枯渇してる今、無理は禁物だからね。くれぐれも今朝のように先走らないように」
伝えたいことだけを口にして、ヒビキからの返事を待つことなくアヤネは右足を軸に身を翻す。
出来るだけアヤネの側にいなければ、いざという時に身を守ることが出来ないと考えたヒビキがアヤネの後を追うために走り出す。
森の出入口付近に現れるゴブリンのレベルは低い。
此方から攻撃を仕掛けなければ戦いになることもなく、横を通りすぎるだけなら武器を手に取らなくとも通過することは出来る。
しかし、アヤネはゴブリンに攻撃を仕掛けるために杖を掲げた。
「燃やしつくせ!」
攻撃的な言葉を浴びせる。
頭上に現れた炎は一つ一つが握りこぶしほどの大きさがある。
アヤネが杖を振り下ろすと同時に炎はゴブリンに向かって一直線。
四方八方を取り囲み、向かい来る炎攻撃に気づいたゴブリンが慌てふためく。
棍棒を手放して逃げ惑うゴブリンに直撃した。
強力な攻撃魔法を受けたゴブリンが砂となって消える。
「複数を同時攻撃。しかも、一撃で倒してしまうのか」
感心している場合ではなかった。
アヤネの炎魔法の対象となっているのはゴブリンだけではない。
炎の塊から逃れるようにしてヒビキが駆け回る。
しかし、このまま逃げ回っていても埒があかないと考えたヒビキが背負っていた剣を引き抜いた。
走る勢いをそのままに強く地面を蹴りつける。
空中で身体を半回転。
真っ逆さまになったヒビキが体をひねる。
アヤネの放った炎に剣の側面を打ち付けると、呑気にヒビキを見上げていたゴブリン目掛けて軌道を変える。
炎の塊はゴブリンに向かって一直線。攻撃を受けたゴブリンが空中に弾き飛んだ。
どうやら、魔術師の女性が魔術師の男性の元へとたどり着いたようだ。彼らは狩りを行うつもりはないようで、話に花を咲かせている。
剣士の青年も既にゴブリン退治のクエストを終えて、洞窟に向かって一直線に足を進めていた。
立て続けにヒビキが炎を弾いたため、攻撃を受けたゴブリンが奇妙な声をあげる。次々と空中へ弾き飛ばされていく。
ゴブリンの上げた奇妙な声に対して疑問を抱いた魔術師の青年や女性、剣士の青年が背後を振り向いた。
彼らが振り向く頃には既にヒビキは地面に着地をする瞬間であり、炎の塊を受け空中に弾き飛ばされていたゴブリンが一斉に砂となって消えていく。
状況を飲み込むことの出来なかった魔術師の青年が表情を変えること無く首を傾げる素振りを見せる。
「何が起こったんだ?」
ぽつりと呟いた。
アヤネの放った炎を借りる形でゴブリン討伐のクエストをこなしたヒビキは剣を鞘に戻すと、のんびりとした足取りで歩きだす。
「視線を移したときには既に終わっていたわね」
魔術師の女性が苦笑する。
「目を離したのは数秒間です。たった数秒間で剣士である彼がゴブリンを複数、同時に倒すことは出来るものですか? 魔術師であるならまだしも。それに彼はFランクですよね?」
剣士である青年の疑問は最もである。
「確かにFランクと言っていたな。まぁ、行動を共にしている間に手の内を見ることは出来るだろうが、それにしたってゴブリンが四方八方にふっ飛び砂となって消えていくなんて人間業ではないだろうな」
魔術師の青年が呟いた。
草木の生い茂る森を突き進むと、やがて隣街へ続く洞窟が姿を現す。
魔術と職人の力によって高さや幅を大きく広げられた洞窟内。広く長い洞窟の出入口付近は真っ昼間という事もあり、多くの冒険者で賑わっていた。
「雷鳴! 轟け」
掛け声と共に幼い子供が杖を掲げる。
しかし、掛け声とは裏腹に雷鳴は発動することなく、迫り来るドワーフから逃げるようにして子供が駆け出した。
「稲妻!」
逃げ惑う少年を見かねた両親が杖を掲げて呟いた。
魔法により洞窟内には雲が発生する。稲光と共に放電。まともに攻撃を受けたドワーフが砂となって消えていく。
他の冒険者がいる間は彼らがドワーフの相手をしてくれるだろう。
彼らの間を抜けるようにして洞窟の奥へ向かって足を進めるヒビキは先を行く青年の後に続く。
洞窟の奥へ足を進めるうちに少しずつドワーフの数が増える。
しかし、此方から攻撃を仕掛けなければ襲いかかってくる事はない。
奥へ奥へと足を進めていれば、やがて先頭を行く剣士の青年をドワーフが囲みだす。
魔術師の青年が杖を掲げ呪文を唱えると光魔術が発動する。剣士である青年を守るようにして防壁が現れた。
アヤネが杖を掲げて呪文を唱え出す。
「ヒビキ君、行くわよ」
ヒビキに向かって手招きをすると同時に頭上に無数の炎が出現する。
「燃やしつくせ!」
大声と共に攻撃的な言葉を吐き出すと、アヤネの言葉に従うようにして炎が洞窟内を駆け回る。
佇んでいても周囲にいる仲間がドワーフを倒してくれる状況の中でヒビキは剣を手にすることもなく、のんびりとした足取りで洞窟内を進んでいた。
「少年! あなたも戦いなさいよ」
魔術師の女性が悲鳴にも似た声をあげる。
「接近戦は苦手なんだ」
魔術を扱うはずのドワーフが接近戦を魔術師の男性に持ちかけた。
呪文を唱えている時間も与えられずに、次から次へと振り下ろされた杖を避ける魔術師の男性が声を荒らげる。
「覚悟はしていましたが、やはり数が多いですね」
足元に出現した黒い魔法陣。拘束魔法が形成する前に剣士である青年が魔法陣の上から飛び退いた。
何故かヒビキに対してはスルーを決め込んでいるドワーフ達。
集団で襲いかかるどころか、ヒビキが剣を引き抜くと奇妙な声を上げながら逃げ惑うしまつ。
ひらりとローブの裾が目くれ上がり、互いに向き合ったまま足を進めよとしたドワーフ同士がぶつかり合う。尻餅をつきあたふたとするドワーフが何やら呪文を唱え出す。
小刻みに震える身体を寄せあって杖を高々と掲げた。
ドワーフの頭上に現れた黒い魔法陣は、やがて黒い巨大な渦へと変化する。
以前同じような光景を目にしたことのあるヒビキがアヤネの手をとり渦から離れるようにして後ずさる。
続けて洞窟内が真っ赤に染まると流れ出す警告音。
それは、まさしく魔界にあるドワーフの搭で耳にしたものだった。
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