鍼灸師のいるところ

夏木ユキ

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10話 腰痛

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 とある日のお昼休憩。
 赤木先生と黒崎先生と3人でご飯を食べ終え、のんびりしていると——

「ここに来てもう1ヶ月だけど、そろそろ治療できそう?」

 急に赤木先生にそう聞かれて、ドキッとする。

「特に教わった記憶はないんですけど……」

 しどろもどろに答えると、

「こんなに資料も揃ってて、目の前で患者さんが治っていくのを見てきたのに。1ヶ月過ぎて何もできないなんてこと、ないでしょ?」

「……はい」

「じゃあ、ちょうどここに腰が痛い黒崎先生がいるから、治療してあげなさい」

「え?赤木ちゃんが治してくれるんじゃないの?」

「アンタが連れてきたんだから、実験台になりなさいな」

「えー……」

 不安そうな黒崎先生の顔に、こちらも不安を覚えながら、治療を任されることになった。

 一通りの準備を済ませ、黒崎先生をベッドに案内する。

「いいわよー」

 呼ばれてカーテンを開けると、下着姿の黒崎先生がうつ伏せになっていた。

 さて、どうすればいいんだ……?
 患者を前にすると、何をすればいいのか頭が真っ白になる。

「えーと……」

「腰が痛いの」

「はい……」

 とりあえず鍼を持つ。

「腰のどこが痛いかもわからないのに、もう鍼を持つの?」

 すかさず赤木先生に指摘され、慌てて鍼を置く。

「すみません……」

 えーと、まずは痛い場所の確認を……

「では——」

 ぴと

「ひゃっ、急に触らないでよ。まずは一声かけてから!」

「すみません……」

 頭が真っ白すぎて、気配りが全部抜け落ちている。

「降参する?」

「……っ」

「とりあえず深呼吸しなさい」

「なんでですか?」

「いいから」

 言われるまま、深呼吸してみると——少しだけ落ち着いてきた。

「まずは何するの?」

「えーと……」

「私たちが治療するとき、最初に何してた?」

「問診してました」

「そう。でもまずは、タオルでもかけてあげたら?」

 確かに寒そうだ。

「すみません」

「さむい~」

「患者さんがどんな状態で待ってるかわからなくても、相手を思いやる気持ちがあれば、裸で放置はまずいってわかるはずよね」

「はい……」

「じゃあ次は問診ね」

 落ち着いて見ると、当然のことすらできていなかった自分が恥ずかしくなる。

「今日はどうされましたか?」

「腰がつらくて」

「では、腰が痛くなった状況を教えてください」

「車から降りようとしたら、グキッとやっちゃって」

「いつからですか?」

「一昨日かしらね」

「腰のどこが痛いですか?」

「左の上の方が痛いの」

「なるほど。他に気になることはありますか?」

「とりあえず腰だけね」

「わかりました」

 腰を見ると、左側の筋緊張が強い。

「あらあら、今日は特に辛そうね」

「痛くて寝られなかったのよ」

「じゃあ、ちゃちゃっと治してあげなさい」

「はい」

 ぶすっ

「ぎゃっ!」

「ちょっと、いきなり鍼を打つ人がどこにいるのよ!」

「すみません!」

【居酒屋】

「もう、散々だったわ」

「すみません……」

「これが本当の患者さんだったら、もう来ないわね」

 改めて言われると、何もできなかった無力感に襲われる。

「でも、練習でよかったわよ」

「実際の患者を目の前にすると、もっと緊張するからな。みんな最初はそんなもんだから大丈夫だよ」

 飲み会から合流した白井先生に、思わず聞いてみた。

「みなさんも、最初はそうでした?」

「私たちは学生のうちに散々練習したし、ロールプレイングもたくさんやってたからね」

「先輩の治療を見て、2週間くらいでもう実際の患者さんに入ってたわね~」

「1ヶ月見てたんだから、もう少しできると思ってたわ」

 励まされたと思った瞬間に突き放されたような気がした。

「まあ、現状を確認できたならよかったんじゃないか?」

「今回の反省を活かして、次は恥ずかしい思いをしないようにしなさいな。今後は“自分ならどうするか”を考えながら治療を見ることね。ぼーっとしてる暇はないって、やっと気づけたなら上出来よ」

「実際の患者に入るのは、まずは知り合いの治療を満足にできるようになってからだな」

 この3人の先輩たちとの差を改めて実感した1日だった。
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