9 / 13
9話 五十肩(肩関節周囲炎)
しおりを挟む
午前の診療が一段落した頃、バックヤードで白井先生とお茶をすすっていた。
「この前、赤木先生が患者さんに”魔法みたい”って言われてたんですよね」
「へー」
「膝の痛みが皮内鍼貼っただけで無くなって、ちょっと憧れました」
「なるほどね。まずは、自分でやってみるのが一番だよ」
「自分にですか?」
「自分自身にやってみて、実感できたら他の人に試して見て、治療に取り入れていくんだよ」
「……今のところ痛くなくて」
「周りに3人も実験相手がいるじゃないか」
白井先生はふっと笑って湯呑を置いた。
「やっていればできるようになるさ。まずは手を動かすんだ」
そんな会話をしていると、扉が開く音がした。
「白井先生、新患さんみたいです」
「よし、ベッドに案内して」
患者は五十代後半の男性。ベッドに案内し、しばらくしてから白井先生と共に患者のいるブースに入る。
「失礼しますね」
カーテンを開けると、スーツのジャケットを片腕だけ脱ぎかけたまま、ぎこちなく肩を押さえていた。
「遅くてすまないね。肩が上がらなくて……」
白井が一歩前に出て、静かに尋ねる。
「痛みはありますか?」
「ええ、何もしなければ平気なんですけど、最初よりは痛みも減ったんだけど、まだ痛くて。動きも悪い……」
男性は左肩の前面を押さえている。
「整形外科には行かれました?」
「通ってます。もう一か月くらい。リハビリもしてるんですけど、あまり良くならなくて。知り合いに鍼灸がいいって勧められて来てみました」
「なるほど。では、どれくらい動くか、ちょっと見せてください」
白井の指示に従い、患者は慎重に左腕を持ち上げる。肩の高さにも届かず、途中で顔をしかめて止まった。
「そこまでですね。押して痛む場所、ここですか?」
白井が肩の前部をそっと押すと、患者が軽く呻いた。
「はい、そこが特に……」
「わかりました。では、まずうつ伏せになって下さい。ゆっくりで大丈夫です」
男性がうつ伏せになると背中の状態を確認する。
「中川先生、どう思う?」
「仰向けか座位で治療するのかと思っていました」
以前勤めていた接骨院では五十肩の患者が来ると仰向けか座位で治療していた。
「あとで仰向けでも治療するよ。治療の仕方は人それぞれだからね。例えば赤木先生なら初めに皮内鍼を肩周りに使うと思うよ」
「なるほど」
「患者さんをよく見ることが大切だ。これだけでも色々わかるよね」
五十肩になって1ヶ月。痛みが減った慢性期の患者だ。視覚的な所見は正直わからない。固まっていると――
「例えば……」
白井先生が続ける。
「頸が前に出てストレートネックっぽい。頸周りの緊張が強い。背中まで緊張が続いている。腰は大丈夫そうだ。肩甲骨が外転して張り付いている。肩甲間部の張りが強いとかだね」
「それって五十肩の所見なんですか?」
「別に五十肩に限定していないよ。今現在の患者さんを見てどう思うか、何を考えるかが重要なんだ。疾患名に惑わされちゃダメだよ」
うつ伏せの治療を行った後、仰向けになってもらい治療を行う。
治療後、再び腕を上げさせると、患者の動きが明らかに変わっていた。
「おお……さっきよりずっと上がる。なんだか不思議ですね」
「来た時より、ずいぶん良くなりましたね」
「ありがとうございます」
「この状態を保つためにも、ご自宅でもしっかり動かしてくださいね。痛みが完全に引くまでは、毎日こまめに。あと、冷やさないように気をつけてください。よく温めて、血流を良くするのが大事です」
「わかりました。次はいつ来れば良いですか?」
「三日以内に来てもらえるとベストです」
「じゃあ、明後日のこの時間にお願いします」
夜、居酒屋。
白井先生の隣でビールを飲みつつ。
「あの五十肩の患者さん、すごく動くようになってましたね」
「本人の努力も必要だけど、痛みさえ取れれば人間の身体は意外と素直に動いてくれるもんだよ」
「簡単そうに言いますけど……」
白井は笑った。
「でもね、肩の動きが悪くなる理由はひとつじゃない。腱板がやられてるとか、関節包が硬くなってるとか、筋肉の緊張とか、原因はいろいろある。背骨だって関係してくる。局所だけ見ていると、見落としてしまうよ」
「……まだまだ自分じゃ出来る気がしないです」
「慣れもあるし、経験も必要。でも、どこを見るべきなのか、どう考えるべきなのかは伝えているから、ちゃんと出来るようになるよ」
「頑張ります」
「この前、赤木先生が患者さんに”魔法みたい”って言われてたんですよね」
「へー」
「膝の痛みが皮内鍼貼っただけで無くなって、ちょっと憧れました」
「なるほどね。まずは、自分でやってみるのが一番だよ」
「自分にですか?」
「自分自身にやってみて、実感できたら他の人に試して見て、治療に取り入れていくんだよ」
「……今のところ痛くなくて」
「周りに3人も実験相手がいるじゃないか」
白井先生はふっと笑って湯呑を置いた。
「やっていればできるようになるさ。まずは手を動かすんだ」
そんな会話をしていると、扉が開く音がした。
「白井先生、新患さんみたいです」
「よし、ベッドに案内して」
患者は五十代後半の男性。ベッドに案内し、しばらくしてから白井先生と共に患者のいるブースに入る。
「失礼しますね」
カーテンを開けると、スーツのジャケットを片腕だけ脱ぎかけたまま、ぎこちなく肩を押さえていた。
「遅くてすまないね。肩が上がらなくて……」
白井が一歩前に出て、静かに尋ねる。
「痛みはありますか?」
「ええ、何もしなければ平気なんですけど、最初よりは痛みも減ったんだけど、まだ痛くて。動きも悪い……」
男性は左肩の前面を押さえている。
「整形外科には行かれました?」
「通ってます。もう一か月くらい。リハビリもしてるんですけど、あまり良くならなくて。知り合いに鍼灸がいいって勧められて来てみました」
「なるほど。では、どれくらい動くか、ちょっと見せてください」
白井の指示に従い、患者は慎重に左腕を持ち上げる。肩の高さにも届かず、途中で顔をしかめて止まった。
「そこまでですね。押して痛む場所、ここですか?」
白井が肩の前部をそっと押すと、患者が軽く呻いた。
「はい、そこが特に……」
「わかりました。では、まずうつ伏せになって下さい。ゆっくりで大丈夫です」
男性がうつ伏せになると背中の状態を確認する。
「中川先生、どう思う?」
「仰向けか座位で治療するのかと思っていました」
以前勤めていた接骨院では五十肩の患者が来ると仰向けか座位で治療していた。
「あとで仰向けでも治療するよ。治療の仕方は人それぞれだからね。例えば赤木先生なら初めに皮内鍼を肩周りに使うと思うよ」
「なるほど」
「患者さんをよく見ることが大切だ。これだけでも色々わかるよね」
五十肩になって1ヶ月。痛みが減った慢性期の患者だ。視覚的な所見は正直わからない。固まっていると――
「例えば……」
白井先生が続ける。
「頸が前に出てストレートネックっぽい。頸周りの緊張が強い。背中まで緊張が続いている。腰は大丈夫そうだ。肩甲骨が外転して張り付いている。肩甲間部の張りが強いとかだね」
「それって五十肩の所見なんですか?」
「別に五十肩に限定していないよ。今現在の患者さんを見てどう思うか、何を考えるかが重要なんだ。疾患名に惑わされちゃダメだよ」
うつ伏せの治療を行った後、仰向けになってもらい治療を行う。
治療後、再び腕を上げさせると、患者の動きが明らかに変わっていた。
「おお……さっきよりずっと上がる。なんだか不思議ですね」
「来た時より、ずいぶん良くなりましたね」
「ありがとうございます」
「この状態を保つためにも、ご自宅でもしっかり動かしてくださいね。痛みが完全に引くまでは、毎日こまめに。あと、冷やさないように気をつけてください。よく温めて、血流を良くするのが大事です」
「わかりました。次はいつ来れば良いですか?」
「三日以内に来てもらえるとベストです」
「じゃあ、明後日のこの時間にお願いします」
夜、居酒屋。
白井先生の隣でビールを飲みつつ。
「あの五十肩の患者さん、すごく動くようになってましたね」
「本人の努力も必要だけど、痛みさえ取れれば人間の身体は意外と素直に動いてくれるもんだよ」
「簡単そうに言いますけど……」
白井は笑った。
「でもね、肩の動きが悪くなる理由はひとつじゃない。腱板がやられてるとか、関節包が硬くなってるとか、筋肉の緊張とか、原因はいろいろある。背骨だって関係してくる。局所だけ見ていると、見落としてしまうよ」
「……まだまだ自分じゃ出来る気がしないです」
「慣れもあるし、経験も必要。でも、どこを見るべきなのか、どう考えるべきなのかは伝えているから、ちゃんと出来るようになるよ」
「頑張ります」
0
あなたにおすすめの小説
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
淡色に揺れる
かなめ
恋愛
とある高校の女子生徒たちが繰り広げる、甘く透き通った、百合色の物語です。
ほのぼのとしていて甘酸っぱい、まるで少年漫画のような純粋な恋色をお楽しみいただけます。
★登場人物
白川蓮(しらかわ れん)
太陽みたいに眩しくて天真爛漫な高校2年生。短い髪と小柄な体格から、遠くから見れば少年と見間違われることもしばしば。ちょっと天然で、恋愛に関してはキス未満の付き合いをした元カレが一人いるほど純潔。女子硬式テニス部に所属している。
水沢詩弦(みずさわ しづる)
クールビューティーでやや気が強く、部活の後輩達からちょっぴり恐れられている高校3年生。その美しく整った顔と華奢な体格により男子たちからの人気は高い。本人は控えめな胸を気にしているらしいが、そこもまた良し。蓮と同じく女子テニス部に所属している。
宮坂彩里(みやさか あやり)
明るくて男女後輩みんなから好かれるムードメーカーの高校3年生。詩弦とは系統の違うキューティー美女でスタイルは抜群。もちろん男子からの支持は熱い。女子テニス部に所属しており、詩弦とはジュニア時代からダブルスのペアを組んでいるが、2人は犬猿の仲である。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
灰かぶりの姉
吉野 那生
恋愛
父の死後、母が連れてきたのは優しそうな男性と可愛い女の子だった。
「今日からあなたのお父さんと妹だよ」
そう言われたあの日から…。
* * *
『ソツのない彼氏とスキのない彼女』のスピンオフ。
国枝 那月×野口 航平の過去編です。
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる