鍼灸師のいるところ

夏木ユキ

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8話 魔法?

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 朝一番の患者がいなかったため、黒崎先生と赤木先生とお茶を飲んでいた。

「前から思ってたんだけど、なんで治療を見に来ないの?」

「隙間から見学はしてます」

「早く稼げるようにならないといけないんだから、遠慮しないで」

「でも、女性の患者さんだとちょっと行きにくくて……」

「ダメなときはちゃんと言うから、基本的には近くで見なさいね」

「わかりました」

「私や白井くんの時も、ちゃんと来なさいよー」

「了解です」

 そこへ電話が鳴り、近くにいた黒崎先生が対応する。

「はい。はい。今からでも大丈夫ですよ。では、10分後に——」

 受話器を置く。

「10分後に新患くるわよー」

 10分後、高齢の男性が来院した。70代前半くらいだろうか。

「今日は、どこが一番つらいですか?」

「膝が痛くてね」

「ほかには?」

「まあ、腰とか肩とか……言い出したらキリがないよ」

「一番気になるのは、膝の痛みですね」

「そうなんだよ。膝が痛いと、何をするにもつらくて」

「わかりました。健康診断は受けてますか?」

「受けてるよ。いつも血圧とコレステロールを指摘される」

「お薬は飲まれてますか?」

「5種類くらいかな。医者にもらって、ずっと飲んでる」

「お薬の名前、覚えてますか?」

「いや、それは覚えてないな」

「では、次回はお薬手帳を忘れずに持ってきてくださいね」

「ん?ああ」

 治療する前から次の話をされても困るのでは? 一旦、バックヤードに戻る。

「5種類も薬飲んでるのね」

「多いですか?」

「ひどい人だと、13種類くらい飲んでることもあるけどね」

「薬だけでお腹いっぱいになりそうですね」

「いくつも病院通ってると、どんどん増えていくのよ。患者側が『減らしたい』って意思表示しないと、“じゃあまた来月ね”で終わっちゃうパターンね」

「でも薬のことって、立場的に口出ししちゃダメですよね?」

「もちろん。でも、アドバイスはできるわよ」

「うーん……」

「患者さんを診るってことは、健康に対する責任があるの。見て見ぬふりは治療家失格よ」

 赤木先生の手元を見ると、以前俺に貼ってくれた鍼のシールがあった。

「皮内鍼を使うんですね」

「膝の痛みに便利なのよ」

 患者のいるブースに戻ると、ベッドに腰かけて待っていた。

「お待たせしました。では、膝の痛いところに爪を立てて教えてください」

「ちょっと待ってね」

 患者が立ち上がり、軽く膝を曲げる。

「ここだよ、ここ」

 膝の内側に爪で痕をつける。

「わかりました。少しそのままで立っていてくださいね」

 赤木先生が、爪痕の部分に皮内鍼を貼る。

「ここはどうですか?」

 膝の周りを押しながら圧痛を確認し、順に鍼を貼っていく。

「押されたところ、全部痛い」

「もう大丈夫ですよ。さっき痛かった動きをしてみてください」

 患者が訝しげな表情で膝を曲げる。

「おお、痛くない……魔法みたいだ」

「ふふっ。では、体の方も診せてくださいね」

「どうすればいい?」

「下着だけになって、うつ伏せでお待ちください」

 一度ブースを出る。

「どうやって治したんですか?」

「見た通りよ」

「なんで皮内鍼で治るんですか?」

「どうしてだと思う?」

「いや、だから聞いてるんですけど」

「じゃあ、ヒントをあげる。治ってないわよ」

「?」

「このあと何をするかも、ちゃんと見ておきなさいね」

「??」

「少しは自分の頭で考えなさい」

「今日はありがとうございました」

「次に来るときは、お薬手帳を忘れずにね」

「いつ来ればいい?」

「2~3日以内に来てください」

「じゃあ、明後日の同じ時間に予約してもらっていいかな?」

「わかりました。では、明後日お待ちしてます」

 患者が帰り、予約表に記入する。

「最後は患者さんのほうから、次の予約の話をしてくれましたね」

「ちゃんと次に繋げられるようにしないと。来てくれないと治せないからね」

「でも、治療費って高いし……なんか気が引けて」

「まあ、病院と比べたら高いわよね」

「高くても1,000円くらいですもんね」

「でもね、医者が治せないものも多いのよ。“エビデンスが”とか“科学的に正しい”とか言っても、全員を治せるわけじゃないからね。だからこそ、いろんな治療法があって、治療院やリラクゼーションが乱立してるのよ」

 確かに、都内の駅前には必ずと言っていいほどリラクゼーション店があり、接骨院の隣にまた接骨院があることも多い。

「エビデンスがあるのは大事。でも、それ以外を全部否定するのは、ちょっと思考停止だと思うの。実際、臨床現場では治らない人もいるし、仮に“限りなく100%に近い効果がある”って言っても、100%じゃないから。だから医者も医療従事者も、臨床の現場で試行錯誤してる。そういう余地があるからこそ、いろんな手法があるし、それがこの仕事の面白いところでもあるのよ」

「僕は、楽しいと思う余裕がなかったです」

「生涯の仕事なんだから、楽しめなきゃやってられないわよ」

「薬については、これからどうするんですか?」

「もう少し信頼関係を築いてから、ね」

 夜。居酒屋にて。

 隣に座る黒崎先生に、ふと聞いてみた。

「赤木先生って、見て覚えろ系ですよね」

「なんでそう思うのー?」

「皮内鍼で痛みが消えた理由を聞いても教えてくれなくて。“自分で考えなさい”って」

「だってさ、赤木ちゃん——」

「貼っただけで治るわけじゃないの。痛みが消えるだけよ。だから全身の治療が必要なの」

 赤木先生は、酔うと普段と違って饒舌になる。

「怪我をしたり、痛みがあるとね。歩き方とか、体重のかけ方、重心が変わるの。すると正常な範囲から外れた体の使い方になって、他の関節にまで影響が出てくるのよ。関節に問題が起きれば、その周囲の筋肉も緊張したり、逆に使わなくなって萎縮したり……そのへんもちゃんと考えて治療しなきゃダメなの」

「……だってさー」

「普段もそれくらい丁寧に教えてくれればいいのに」

「自分の頭で考えるのが大事なのよー」

「教えてもらっても、すぐ忘れるでしょ?」
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