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第七章
秩序を司る神霊-09
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気配が消え、クアンタはすぐに家宅へと戻っていく。
リンナの眠っていた筈の寝室へと入り、彼女の可愛らしい、涎を僅かに垂らして敷かれた掛け布団をから身体を半分出して眠る彼女を確認。
一息つきながら――彼女は刃を振るう。
横薙ぎで振り込まれた刃が、その動きを止めた。
何か、揺らめく影のようなものが、クアンタの振るう刀の刃を受け止めている事は分かる。
だが、それは手で受け止めているわけではない。
指二本。
指を二本使い、刃を挟むようにして、クアンタの力を全て受け止める、男か女かも見分けがつかぬ、年端も行かぬ子供のような人物が、クアンタを見据える。
「いつ、気付いていたのかな?」
「たった今だ。虚力の気配を感じた。……貴様まさか、お師匠の虚力を」
「残念だけれどね。もう少し斬鬼が、貴女達を引き付けてくれていたら」
「お前も五災刃か」
「うん。ボクの名前は【暗鬼】……でも、どれだけ長く、覚えていられるかな?」
その端正な顔立ちと、顔にかかる程に伸ばされた白い髪の毛を揺らめかせながら、身長百三十センチ程度の幼子が、闇に消えた。
「クアンタ、お前とリンナさんは無事か?」
「先ほどの斬鬼と同じ、五災刃という組織の一人と相対した。名前は――」
家へと上がり、問うてきたサーニスへ、リンナを襲おうとしていたが叶わなかった子の名を言おうとして。
そこで口が止まる。
「……クアンタ?」
「名は……名は」
「ド忘れか? お前らしくない」
「おかしい、これはおかしいぞ」
風貌や声がどの様なものか、言ってしまえばどう言った会話をしたかまで鮮明に報告が出来ると言うのに、名だけが浮かばない。
頭の中で【斬鬼】という名を反芻させ、何度も考え込む内に、何か頭の中で閃く様にして、ようやく「暗鬼だ」と名を思い出した。
「そう、暗鬼という子供だったが、気を付けろサーニス」
「何に?」
「恐らく暗鬼は、短期記憶を欠落・忘却させる能力を持つ」
既に子――暗鬼はいない。
だが故に、クアンタは今、サーニスへと警告を促す。
――次に会った時に、如何な記憶を欠落させられるか分からぬのならば、一秒でも早い記憶の確保をと考えた彼女の思考は、決して誤りでは無いから。
**
カルファス領首都・リウルーラに設置された皇国軍第四駐屯基地に所属する、アウドラ・ファートゥムという男がいる。
男は齢四十を超えるが、しかしかつてはイルメール・ヴ・ラ・レアルタ第一皇女に訓練を直接受けた事もある、この道二十年以上の人材で、ゴルタナを使用した模擬戦経験は、一部例外を除き全勝という人物だ。
そのイルメール仕込みの隆々たる筋肉と合わせ、寡黙な当人の性格故に毎日行われる早朝訓練、皇国軍内で行われる訓練等、この二十年以上一日とて欠かさず行う事で生みだされる力強さは、これまでカルファス領に出現した災いを何体も屠ってきた実力を有する。
「……アウドラ・ファートゥム……だな」
そんな彼が、鎧とバスタードソード、そしてゴルタナを有して街に存在する裏路地を歩き、災いに警戒していた時。
身長二メートルはあるアウドラより二十センチほど低い、それでも大柄の男が、声をかけてきたのだ。
白いコートを着込んだ人物、まぶたは重く眠そうな表情をし、その肩程まで伸びる髪の毛は、男性にしては長めだと、彼は観察する。
「何だ、私の事を知っているのか」
「有名人だよ、アンタ……バケモノ揃いの皇族に……唯一、勝てるかもしれない奴……ってね」
身体は大柄だが、喋りは随分と小声だ。
しかし聞き捨てならない言葉があったから、首を振って否定を放つ。
「バケモノ揃いの皇族とは失礼だぞ。もっと敬意を表しなさい」
「アァ……そういうのは、オレ苦手なんだよ……事実だけ、口にしたい。敬意とか、畏敬とか、気が重い、って奴」
「……分かった、確かにそうした敬意等は個々人が抱くべき尊敬の念だ、若者に押し付けるものではない。だが、何用だね。私は民衆に名を覚えられるような者でもないが」
「命令でね……皇族を殺さなきゃいけないんだ……でもそれには、お前らが邪魔だ」
彼から放たれた突然の殺気に、懐からゴルタナを取り出すと共に「ゴルタナ起動!」と叫びながら、展開する。
皇国軍制式配備型は全身を覆う銀色の装甲、それに加えて動きを軽量化させる設計となっており、防御面と機動性の両立を図った最新鋭型となる。
故に防御性能は旧型の方が高いが、アウドラは機動性が発揮できるこちらが気に入っていた。
――その筈なのに。
「身体が……重い……ッ!」
「ゴルタナ、展開解除した方が良いよ……ゆっくりじっくり、殺されることがお望みなら、そのままにしてろ……」
バスタードソードを構え、それを振るう事も難しい程に感じる重量が、アウドラの全身を襲う。
この重さはゴルタナに与えられたモノではないか、そう仮定した彼はゴルタナの展開を解除した瞬間、身軽になった体にホッとしながら、目の前に迫ろうとする青年に向けてバスタードソードを振るう。
――振るった剣が、あまりの重量故に地面へと落ち、彩として埋められたレンガを砕いたが。
「な……!?」
「抵抗すんな……気が重くなるだろ?」
ギョロリと向けられた瞳があまりにも人間離れした冷たさを持っていて、思わず呼吸する事も忘れていたアウドラ。
彼は剣がダメならば素手で相対するしかないと、腰を引き、ステップを踏み、拳を構えた。
「抵抗すんなって、言ってんのに……」
「反乱を企てるものに、決して私は屈しない! 屈してしまえば、それは秩序を乱す事になる! この数年で、レアルタ皇国は安定を確保しつつある、この世界を守り続ける事が、皇国軍人としての私が成すべき」
「あぁ、そういうの、いいから」
構えていた右腕が、まるで自分の物ではなくなったかのように、重くなる。
ご、と言葉にしつつ、地面へと落ちた自分の右腕に引っ張られる形で、今姿勢を崩したアウドラに向け、男は彼が放棄したバスタードソードを乱雑に持ち、今構える。
「最後、発言権だけ与えるよ。……アンタは、叫んで民衆を呼び寄せる様な愚行もしなかった。そんな奴を、キライにはなれない……」
「……貴様、名は?」
「豪鬼――オレはこの名前、キライなんだけどね」
振り込まれた刃によって。
アウドラ・ファートゥムの生涯は、終わりを告げた。
**
アルハット領にはスラム街と呼ばれる、アルハット領及びアルハット領を統治するシドニア領政府の管理が行き届かない、貧困者の集まる集落がある。
既に年老いて働く事も出来ない者、若者でも何か障害があって身体の自由が利かない者、様々いるが、しかし政府の用意する福祉案を受け入れる事が出来ず、自らがそうした道へと進んだ者達の街と言っても過言ではない。
「きったない街ぃ……アタシら災いだって、もうちっと美意識あんだけどなぁ……人間ってホント、わかんない」
木造建築の建物が乱立するそのスラム街を高台から見据える、一人の少女が、近くに植えられた木を根から引き抜き、持ち上げ、抱え、力を込めた瞬間――それは炎となった。
木が燃えたわけではない。ただ、木という存在そのものが炎となったのだ。
その炎を高台からスラム街に向けて放り投げた彼女は、数分の時間もかけずに燃え移っていき、次々と民家が燃焼していく様を、ただ高笑いしながら見据えていた。
「キャハハハハッ! 人が燃えてる、めっちゃくちゃ燃えてるッ! うわ、肉の焼き焦げる音も匂いも伝わってくる、マジヤバイっ! くっさいっ、きっつ!」
腹を抱え、そうした地獄絵図を見据える少女は――今、倒壊した家宅に巻き込まれ、泣き叫ぶ小さな子供が死んでいく姿。
その光景を見据えて、急に真顔となった彼女は、白いコートを翻し、スラム街から離れていく。
「小さい子が死ぬのはヤだなぁ……次からはもっと、悪戯の方法考えよ」
――このスラム街全土を覆った炎によって、死者は三百六十人。
しかし彼女……【餓鬼】にとって、それはあくまで悪戯に過ぎぬという。
リンナの眠っていた筈の寝室へと入り、彼女の可愛らしい、涎を僅かに垂らして敷かれた掛け布団をから身体を半分出して眠る彼女を確認。
一息つきながら――彼女は刃を振るう。
横薙ぎで振り込まれた刃が、その動きを止めた。
何か、揺らめく影のようなものが、クアンタの振るう刀の刃を受け止めている事は分かる。
だが、それは手で受け止めているわけではない。
指二本。
指を二本使い、刃を挟むようにして、クアンタの力を全て受け止める、男か女かも見分けがつかぬ、年端も行かぬ子供のような人物が、クアンタを見据える。
「いつ、気付いていたのかな?」
「たった今だ。虚力の気配を感じた。……貴様まさか、お師匠の虚力を」
「残念だけれどね。もう少し斬鬼が、貴女達を引き付けてくれていたら」
「お前も五災刃か」
「うん。ボクの名前は【暗鬼】……でも、どれだけ長く、覚えていられるかな?」
その端正な顔立ちと、顔にかかる程に伸ばされた白い髪の毛を揺らめかせながら、身長百三十センチ程度の幼子が、闇に消えた。
「クアンタ、お前とリンナさんは無事か?」
「先ほどの斬鬼と同じ、五災刃という組織の一人と相対した。名前は――」
家へと上がり、問うてきたサーニスへ、リンナを襲おうとしていたが叶わなかった子の名を言おうとして。
そこで口が止まる。
「……クアンタ?」
「名は……名は」
「ド忘れか? お前らしくない」
「おかしい、これはおかしいぞ」
風貌や声がどの様なものか、言ってしまえばどう言った会話をしたかまで鮮明に報告が出来ると言うのに、名だけが浮かばない。
頭の中で【斬鬼】という名を反芻させ、何度も考え込む内に、何か頭の中で閃く様にして、ようやく「暗鬼だ」と名を思い出した。
「そう、暗鬼という子供だったが、気を付けろサーニス」
「何に?」
「恐らく暗鬼は、短期記憶を欠落・忘却させる能力を持つ」
既に子――暗鬼はいない。
だが故に、クアンタは今、サーニスへと警告を促す。
――次に会った時に、如何な記憶を欠落させられるか分からぬのならば、一秒でも早い記憶の確保をと考えた彼女の思考は、決して誤りでは無いから。
**
カルファス領首都・リウルーラに設置された皇国軍第四駐屯基地に所属する、アウドラ・ファートゥムという男がいる。
男は齢四十を超えるが、しかしかつてはイルメール・ヴ・ラ・レアルタ第一皇女に訓練を直接受けた事もある、この道二十年以上の人材で、ゴルタナを使用した模擬戦経験は、一部例外を除き全勝という人物だ。
そのイルメール仕込みの隆々たる筋肉と合わせ、寡黙な当人の性格故に毎日行われる早朝訓練、皇国軍内で行われる訓練等、この二十年以上一日とて欠かさず行う事で生みだされる力強さは、これまでカルファス領に出現した災いを何体も屠ってきた実力を有する。
「……アウドラ・ファートゥム……だな」
そんな彼が、鎧とバスタードソード、そしてゴルタナを有して街に存在する裏路地を歩き、災いに警戒していた時。
身長二メートルはあるアウドラより二十センチほど低い、それでも大柄の男が、声をかけてきたのだ。
白いコートを着込んだ人物、まぶたは重く眠そうな表情をし、その肩程まで伸びる髪の毛は、男性にしては長めだと、彼は観察する。
「何だ、私の事を知っているのか」
「有名人だよ、アンタ……バケモノ揃いの皇族に……唯一、勝てるかもしれない奴……ってね」
身体は大柄だが、喋りは随分と小声だ。
しかし聞き捨てならない言葉があったから、首を振って否定を放つ。
「バケモノ揃いの皇族とは失礼だぞ。もっと敬意を表しなさい」
「アァ……そういうのは、オレ苦手なんだよ……事実だけ、口にしたい。敬意とか、畏敬とか、気が重い、って奴」
「……分かった、確かにそうした敬意等は個々人が抱くべき尊敬の念だ、若者に押し付けるものではない。だが、何用だね。私は民衆に名を覚えられるような者でもないが」
「命令でね……皇族を殺さなきゃいけないんだ……でもそれには、お前らが邪魔だ」
彼から放たれた突然の殺気に、懐からゴルタナを取り出すと共に「ゴルタナ起動!」と叫びながら、展開する。
皇国軍制式配備型は全身を覆う銀色の装甲、それに加えて動きを軽量化させる設計となっており、防御面と機動性の両立を図った最新鋭型となる。
故に防御性能は旧型の方が高いが、アウドラは機動性が発揮できるこちらが気に入っていた。
――その筈なのに。
「身体が……重い……ッ!」
「ゴルタナ、展開解除した方が良いよ……ゆっくりじっくり、殺されることがお望みなら、そのままにしてろ……」
バスタードソードを構え、それを振るう事も難しい程に感じる重量が、アウドラの全身を襲う。
この重さはゴルタナに与えられたモノではないか、そう仮定した彼はゴルタナの展開を解除した瞬間、身軽になった体にホッとしながら、目の前に迫ろうとする青年に向けてバスタードソードを振るう。
――振るった剣が、あまりの重量故に地面へと落ち、彩として埋められたレンガを砕いたが。
「な……!?」
「抵抗すんな……気が重くなるだろ?」
ギョロリと向けられた瞳があまりにも人間離れした冷たさを持っていて、思わず呼吸する事も忘れていたアウドラ。
彼は剣がダメならば素手で相対するしかないと、腰を引き、ステップを踏み、拳を構えた。
「抵抗すんなって、言ってんのに……」
「反乱を企てるものに、決して私は屈しない! 屈してしまえば、それは秩序を乱す事になる! この数年で、レアルタ皇国は安定を確保しつつある、この世界を守り続ける事が、皇国軍人としての私が成すべき」
「あぁ、そういうの、いいから」
構えていた右腕が、まるで自分の物ではなくなったかのように、重くなる。
ご、と言葉にしつつ、地面へと落ちた自分の右腕に引っ張られる形で、今姿勢を崩したアウドラに向け、男は彼が放棄したバスタードソードを乱雑に持ち、今構える。
「最後、発言権だけ与えるよ。……アンタは、叫んで民衆を呼び寄せる様な愚行もしなかった。そんな奴を、キライにはなれない……」
「……貴様、名は?」
「豪鬼――オレはこの名前、キライなんだけどね」
振り込まれた刃によって。
アウドラ・ファートゥムの生涯は、終わりを告げた。
**
アルハット領にはスラム街と呼ばれる、アルハット領及びアルハット領を統治するシドニア領政府の管理が行き届かない、貧困者の集まる集落がある。
既に年老いて働く事も出来ない者、若者でも何か障害があって身体の自由が利かない者、様々いるが、しかし政府の用意する福祉案を受け入れる事が出来ず、自らがそうした道へと進んだ者達の街と言っても過言ではない。
「きったない街ぃ……アタシら災いだって、もうちっと美意識あんだけどなぁ……人間ってホント、わかんない」
木造建築の建物が乱立するそのスラム街を高台から見据える、一人の少女が、近くに植えられた木を根から引き抜き、持ち上げ、抱え、力を込めた瞬間――それは炎となった。
木が燃えたわけではない。ただ、木という存在そのものが炎となったのだ。
その炎を高台からスラム街に向けて放り投げた彼女は、数分の時間もかけずに燃え移っていき、次々と民家が燃焼していく様を、ただ高笑いしながら見据えていた。
「キャハハハハッ! 人が燃えてる、めっちゃくちゃ燃えてるッ! うわ、肉の焼き焦げる音も匂いも伝わってくる、マジヤバイっ! くっさいっ、きっつ!」
腹を抱え、そうした地獄絵図を見据える少女は――今、倒壊した家宅に巻き込まれ、泣き叫ぶ小さな子供が死んでいく姿。
その光景を見据えて、急に真顔となった彼女は、白いコートを翻し、スラム街から離れていく。
「小さい子が死ぬのはヤだなぁ……次からはもっと、悪戯の方法考えよ」
――このスラム街全土を覆った炎によって、死者は三百六十人。
しかし彼女……【餓鬼】にとって、それはあくまで悪戯に過ぎぬという。
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