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第十四章
夢-01
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――彼女は猛々しかった。
パンパンに膨れて盛り上がる筋肉と、その身体から繰り出されるありとあらゆる攻撃に、少年は初めて、死という概念を正しく認識したのだろう。
当時九歳だった少年……サーニスは、当時十五歳のイルメール・ヴ・ラ・レアルタを殺せと命令を請け負い、挑んだ愚か者だった。
否、彼が愚か者だったのではない。その仕事を請け負った義父が愚かであったのだ。
彼は捨て子であった。
アメリア領にあるリュート山脈の奥地、イルメール領の境に近いリュスタという集落だ。この集落は未だに開発の進んでいないリュート山脈帯を転々と渡り歩く事で、アメリア領による管理社会から逃れていた。
故に真っ当な働き口がある訳もない。
そんな彼ら彼女らがその日の食事を得る為の方法は、多岐に渡る。
サーニスや、彼の家族が担っていた仕事は主に公権力の殺害であり、仕事の数こそ少ないが、成功させれば大金を得る事が出来るという事もあり、サーニスはその為に教育されていた。
彼は優秀であった。
剣技の腕もそうだが、判断能力と反射神経、そして相手の実力を即座に見極め、相手に通用する戦術を思案する事が出来る識別力も高かったと言っても良い。
彼を育てた父はサーニスを天才と過信し、この子ならばイルメールという過去最強の皇帝候補と呼ばれる彼女をも殺しきれると踏んだ事で、そうした依頼をサーニスにと請けてしまったのだ。
結果として、サーニスは殺されかけた。
自分の学んだ全ての技術を投じて、ありとあらゆる方法で殺しにかかったにも関わらず、イルメールはほぼ無傷だった。
一番彼が驚いたのは数トンに及ぶ重量の鉄材を落として潰したと思ったら地面と鉄材の間から難無く身体を出して「怖っわ! いきなり落としてくんな!」と言いながらヒョイと持ち上げ、サーニスへと投げ返してきた時。
バケモノだとしか思えない。
この少女は……否、この筋肉に塗れた顔立ちだけ整ったバケモノは、人の皮を被った何かなのだと恐怖し、サーニスは請け負った仕事の事など忘れ、ただ彼女から殺されぬようにだけ立ち回った。
そうしなければ、恐らくサーニスは死んでいただろうし、実際に何度も何度も死にかけた。
足が折れて走れなくなっても歩いて逃げた、武器を持てぬように腕を折られても頭突きで反撃して隙を生み出し逃げた、最終的に歩く事が出来なくなっても、膝を我武者羅に動かして逃げようとする意志だけは見せた。
死ぬ事が怖かったのだ。
自分は確かに誰かを殺す事を仕事として請け負ってしまったけれど、自分が死にたいわけではないのだ、と。
拾ってくれた父へ報いる為に今まで生きて来ただけだ、と。
そう願って、今まで生きて来た筈なのに――どうしてこうなってしまうのだ、と。
だから生き残るために逃げようと足掻いた。
そうしていると――イルメールは逃げようとするサーニスを乱雑に捕まえ、それでも必死に逃れようとする彼へ尋ねたのだ。
「オメェ、いくつだ?」
「い……いく、つ……?」
既に何度かイルメールに殴られてしまっている為、口にできた内出血によって喋る事も辛い中、サーニスは問い直す。
「諦めがワリィ所、嫌いじゃねェ。どうだ、ちょっくら鍛えてみっか?」
「きたえ……る……?」
「そうそう。もうオレより強ぇ奴がどこにもいなくてな。退屈してたんだ」
「殺……殺さな……殺さないで……くれる……?」
「むしろこのまま逃げようってんなら殺す。逃げねェってンなら鍛えて強くしてやって、その上で殺す。でも後者なら今は生き延びる事が出来るし、オメェがオレより強くなりゃ、死ななくて済むぜ?」
今、生き延びる事が出来る。そうした申し出が嬉しかった。
だからサーニスは、その申し出を受けて、彼女の下で鍛え直された。
イルメールによる教育は、普段の彼女からは想像が付かない程に理知的だった。
筋肉というのは適切なトレーニングと適切な食事、そして適切な生活習慣によって成り立つものであり、そうした生活にしなければならないとして、サーニスは十分な衣食住が与えられた結果、着実に成長を重ねていたし、イルメールと対等に渡り合うまでの技能を会得もした。
彼女の妹である、アメリア・ヴ・ル・レアルタや、弟であるシドニア・ヴ・レ・レアルタと出会ったのは、その一年後の事である。
イルメールはサーニスをアメリアの許嫁としてあてがおうとしていたが、彼はその申し出を受ける事は無かった。
サーニスは、既に一年も会っていない父の言葉を思い出したのだ。
『人生とは修行そのものである』という言葉。
殺し屋として、常在戦場の心得として説かれた言葉ではあるが、しかし彼の生はそれまでも、そしてこれからも戦いの中にあるのだろうと考えていたからこそ、アメリアという政治家になろうとする少女との婚姻等、考える事すらおこがましいと、そう考えた。
むしろ彼を変えたのは、シドニアとの出会いだっただろう。
彼とサーニスが当時十歳だった頃、二人は共に過ごしていた。
サーニスはイルメールが見込んだ武人候補として。
シドニアは彼女の弟としての英才教育という形で。
そんな中でサーニスと共に過ごしていたシドニアは、サーニスの才能を目の当たりにし、目を輝かせて、彼へ声をかけた。
「サーニス、君は殺される為に鍛えられるなんて、どうでもいい人生を歩むべき人材じゃない。そしてあのアメリアと婚姻を結ぶような、詰まらない男にもなるべきじゃない」
「……?」
何を言っているのか、最初はサーニスに理解できなかったけれど、彼は鼻息を荒くしながら、サーニスの手を握り、野望を語ったのだ。
「君にはイルメールを超える事の出来る才能があるんだ! その才能は決して無駄にするべきじゃないっ!」
「才能……?」
「そう! 才能は嘘をつかない、決して凡人には超える事の出来ない力があって――その力は、正しく使われる事で初めて、誰かの役に立つことが出来るんだ!」
「……でも、自分には、戦う事しか、出来ないし……戦いで、誰が幸せになるっていうんですか……?」
「少なくとも、ボクを幸せにすることはできる!
ボクには、才能がない。姉上達や、妹のアルハットを超える事が出来ない。
でも君という力が共にあれば、イルメールを倒す事が出来る。
君という力が共にあれば、カルファスなんて得体のしれない存在を退ける事が出来る。
君という力が共にあれば、アメリアとだって対等に交渉する事が出来る。
君という力が共にあれば、アルハットを混沌に満ちた政界から守る事が出来る。
ボクは君のかけがえのない才能が欲しい!
ううん、そうした才能が無下にされる事無く、全てが許される世界が、才能を遺憾なく引き出す事の出来る世界が欲しいんだ!
だから――ボクと共に、ボクの隣で、戦い続けて欲しい!」
そんな彼の熱意を受けて、サーニスはただ困惑していただけであった。
才能が無下にされる事無く、全てが許されてる世界。
才能を遺憾なく引き出す事の出来る世界。
それを想像できなかったのだ。
――けれど、シドニアの目は、真っすぐだった。
サーニスを利用しようと考える者の目ではなく、サーニスの才能を無くすには惜しい、サーニスの力が傍にあって欲しいと願う、子供の目ではあったけれど、それがどこか、嬉しかった。
サーニスは、そうして認めてくれた、存在を認識してくれたシドニアに、一生ついていこうと思えたのだ。
――彼と共に在れば、きっと何だってできるんだと。
その時彼は、間違いなく【夢】を見た。
パンパンに膨れて盛り上がる筋肉と、その身体から繰り出されるありとあらゆる攻撃に、少年は初めて、死という概念を正しく認識したのだろう。
当時九歳だった少年……サーニスは、当時十五歳のイルメール・ヴ・ラ・レアルタを殺せと命令を請け負い、挑んだ愚か者だった。
否、彼が愚か者だったのではない。その仕事を請け負った義父が愚かであったのだ。
彼は捨て子であった。
アメリア領にあるリュート山脈の奥地、イルメール領の境に近いリュスタという集落だ。この集落は未だに開発の進んでいないリュート山脈帯を転々と渡り歩く事で、アメリア領による管理社会から逃れていた。
故に真っ当な働き口がある訳もない。
そんな彼ら彼女らがその日の食事を得る為の方法は、多岐に渡る。
サーニスや、彼の家族が担っていた仕事は主に公権力の殺害であり、仕事の数こそ少ないが、成功させれば大金を得る事が出来るという事もあり、サーニスはその為に教育されていた。
彼は優秀であった。
剣技の腕もそうだが、判断能力と反射神経、そして相手の実力を即座に見極め、相手に通用する戦術を思案する事が出来る識別力も高かったと言っても良い。
彼を育てた父はサーニスを天才と過信し、この子ならばイルメールという過去最強の皇帝候補と呼ばれる彼女をも殺しきれると踏んだ事で、そうした依頼をサーニスにと請けてしまったのだ。
結果として、サーニスは殺されかけた。
自分の学んだ全ての技術を投じて、ありとあらゆる方法で殺しにかかったにも関わらず、イルメールはほぼ無傷だった。
一番彼が驚いたのは数トンに及ぶ重量の鉄材を落として潰したと思ったら地面と鉄材の間から難無く身体を出して「怖っわ! いきなり落としてくんな!」と言いながらヒョイと持ち上げ、サーニスへと投げ返してきた時。
バケモノだとしか思えない。
この少女は……否、この筋肉に塗れた顔立ちだけ整ったバケモノは、人の皮を被った何かなのだと恐怖し、サーニスは請け負った仕事の事など忘れ、ただ彼女から殺されぬようにだけ立ち回った。
そうしなければ、恐らくサーニスは死んでいただろうし、実際に何度も何度も死にかけた。
足が折れて走れなくなっても歩いて逃げた、武器を持てぬように腕を折られても頭突きで反撃して隙を生み出し逃げた、最終的に歩く事が出来なくなっても、膝を我武者羅に動かして逃げようとする意志だけは見せた。
死ぬ事が怖かったのだ。
自分は確かに誰かを殺す事を仕事として請け負ってしまったけれど、自分が死にたいわけではないのだ、と。
拾ってくれた父へ報いる為に今まで生きて来ただけだ、と。
そう願って、今まで生きて来た筈なのに――どうしてこうなってしまうのだ、と。
だから生き残るために逃げようと足掻いた。
そうしていると――イルメールは逃げようとするサーニスを乱雑に捕まえ、それでも必死に逃れようとする彼へ尋ねたのだ。
「オメェ、いくつだ?」
「い……いく、つ……?」
既に何度かイルメールに殴られてしまっている為、口にできた内出血によって喋る事も辛い中、サーニスは問い直す。
「諦めがワリィ所、嫌いじゃねェ。どうだ、ちょっくら鍛えてみっか?」
「きたえ……る……?」
「そうそう。もうオレより強ぇ奴がどこにもいなくてな。退屈してたんだ」
「殺……殺さな……殺さないで……くれる……?」
「むしろこのまま逃げようってんなら殺す。逃げねェってンなら鍛えて強くしてやって、その上で殺す。でも後者なら今は生き延びる事が出来るし、オメェがオレより強くなりゃ、死ななくて済むぜ?」
今、生き延びる事が出来る。そうした申し出が嬉しかった。
だからサーニスは、その申し出を受けて、彼女の下で鍛え直された。
イルメールによる教育は、普段の彼女からは想像が付かない程に理知的だった。
筋肉というのは適切なトレーニングと適切な食事、そして適切な生活習慣によって成り立つものであり、そうした生活にしなければならないとして、サーニスは十分な衣食住が与えられた結果、着実に成長を重ねていたし、イルメールと対等に渡り合うまでの技能を会得もした。
彼女の妹である、アメリア・ヴ・ル・レアルタや、弟であるシドニア・ヴ・レ・レアルタと出会ったのは、その一年後の事である。
イルメールはサーニスをアメリアの許嫁としてあてがおうとしていたが、彼はその申し出を受ける事は無かった。
サーニスは、既に一年も会っていない父の言葉を思い出したのだ。
『人生とは修行そのものである』という言葉。
殺し屋として、常在戦場の心得として説かれた言葉ではあるが、しかし彼の生はそれまでも、そしてこれからも戦いの中にあるのだろうと考えていたからこそ、アメリアという政治家になろうとする少女との婚姻等、考える事すらおこがましいと、そう考えた。
むしろ彼を変えたのは、シドニアとの出会いだっただろう。
彼とサーニスが当時十歳だった頃、二人は共に過ごしていた。
サーニスはイルメールが見込んだ武人候補として。
シドニアは彼女の弟としての英才教育という形で。
そんな中でサーニスと共に過ごしていたシドニアは、サーニスの才能を目の当たりにし、目を輝かせて、彼へ声をかけた。
「サーニス、君は殺される為に鍛えられるなんて、どうでもいい人生を歩むべき人材じゃない。そしてあのアメリアと婚姻を結ぶような、詰まらない男にもなるべきじゃない」
「……?」
何を言っているのか、最初はサーニスに理解できなかったけれど、彼は鼻息を荒くしながら、サーニスの手を握り、野望を語ったのだ。
「君にはイルメールを超える事の出来る才能があるんだ! その才能は決して無駄にするべきじゃないっ!」
「才能……?」
「そう! 才能は嘘をつかない、決して凡人には超える事の出来ない力があって――その力は、正しく使われる事で初めて、誰かの役に立つことが出来るんだ!」
「……でも、自分には、戦う事しか、出来ないし……戦いで、誰が幸せになるっていうんですか……?」
「少なくとも、ボクを幸せにすることはできる!
ボクには、才能がない。姉上達や、妹のアルハットを超える事が出来ない。
でも君という力が共にあれば、イルメールを倒す事が出来る。
君という力が共にあれば、カルファスなんて得体のしれない存在を退ける事が出来る。
君という力が共にあれば、アメリアとだって対等に交渉する事が出来る。
君という力が共にあれば、アルハットを混沌に満ちた政界から守る事が出来る。
ボクは君のかけがえのない才能が欲しい!
ううん、そうした才能が無下にされる事無く、全てが許される世界が、才能を遺憾なく引き出す事の出来る世界が欲しいんだ!
だから――ボクと共に、ボクの隣で、戦い続けて欲しい!」
そんな彼の熱意を受けて、サーニスはただ困惑していただけであった。
才能が無下にされる事無く、全てが許されてる世界。
才能を遺憾なく引き出す事の出来る世界。
それを想像できなかったのだ。
――けれど、シドニアの目は、真っすぐだった。
サーニスを利用しようと考える者の目ではなく、サーニスの才能を無くすには惜しい、サーニスの力が傍にあって欲しいと願う、子供の目ではあったけれど、それがどこか、嬉しかった。
サーニスは、そうして認めてくれた、存在を認識してくれたシドニアに、一生ついていこうと思えたのだ。
――彼と共に在れば、きっと何だってできるんだと。
その時彼は、間違いなく【夢】を見た。
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