魔法少女の異世界刀匠生活

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第十五章

母親-08

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 ダクダクと汗を流しながら、イルメールはその場から動かず、ただ愚母であったモノへの警戒をしている。

  彼女が災いであれば、確かに豪剣によって潰されただけでは殺せぬかもしれないが、イルメールは脇差とはいえ刀を持っている。それでトドメを刺すべきであろうと指摘しようとしたワネットに、イルメールが声を上げた。


「ワネット! 全員を連れてこっから逃げろッ!」

「何故」

!! だから逃げろッつってんだよ!!」


 イルメールが声を荒げた瞬間、彼女の言葉を事実だとワネットへ思い知らせるように、潰された黒い影が一閃、横薙ぎに伸びた。

  イルメールが慌てる様にその場から跳び、油断していたワネットに覆いかぶさると、僅かに回避が間に合わなかった左腕が――斬り飛ばされた。

  その筋肉によって膨張する二の腕が、綺麗な切断面を残して、スッパリと。


「イ――イルメール様ッ!!」

「アィ……ッぅ……!!」


 ワネットが慌てて彼女の前に立ち、その身を庇おうとするも、イルメールはダクダクと流れる血を止める事無く立ち上がり、ワネットの給仕服の襟を右手で無理矢理掴むと、彼女を施設の扉へと放り投げた。


「い、イルメール様、ダメです! その怪我では戦いなど……!!」

「ウルセェッ!! 命令だ、さっさと全員回収して逃げろッ!!」


 少しずつ、先ほどの女性としての身体へと再生していく愚母の姿を見据えつつ、イルメールは豪剣を構える事も無く、ただ右腕しか無い状態で、駆け出した。

  防衛として襲い掛かる、愚母の周囲にまとわれる影の攻撃を丁寧に一つずつ避けながら、イルメールは愚母の懐にまで潜り込むと、その左足を強く突き出し、愚母の形へと戻ろうとするソレに蹴り付けた。

  僅かに、姿勢を崩した愚母、だがそれは時間稼ぎでしかないと分かっているイルメールが、ワネットへ「とっとと行けッ!」とだけ叫び、続けてまだ形がしっかりと作られていない顔面に向けて跳び膝蹴りを見舞いつつ、空中で身体を回転させ、その脳天と思われる位置へ右足の踵落としを叩き込む。


  ――その間、彼女の切断された左腕から、既に致死量レベルの血が流れているにも関わらず。


「ッ……!」


 だが、そうしてワネットが手をこまねいているだけでは、事態は好転などしない。

  皇族全員の無事が確認できれば、彼女も逃げる事が出来るはずだと信じ――ワネットは施設内へと駆け出していく。


「……ようやく、行ったか……!」

『全く、貴女も女らしさが欠片も無い方ですわね。……イルメールちゃん?』


 ワネットの姿が見えなくなったことにより、愚母である筈のモノから距離を取り、しかし青白い表情を引き締めながら臨戦態勢を崩さぬイルメールへ、愚母の声が響く。


『マリルリンデ様は勝手に動く、他の五災刃は役立たず……もう、わたくしの理想とする世界は、何時になったら出来上がるというのかしら?』

「理想とする世界……ね。オレみてェなバカには分かんねェな……!」

『分からない? いいえ、違うわ。分かろうとしないだけ』

「分かろうとしねェって言われてもよォ……オレはテメェと話をした覚えもねェし、オメェ等の理想とやらを聞いちャいねェぞ。

 ……ああしたい、こうしたい。ッてのを言わずに、他人が理解してくれねェって駄々こねるのは……ガキみてェじゃねェか? 災いさんよ」

『母たるわたくしに向けて、何たる無礼』

「母だァ……? オレはオメェの股から……産まれた覚えはねェぞ、ボケた事言うな……テメェはハハじゃなくてババァかよ」


 そこで、影がようやく人の形を作り終えたかのように動きを止め、染み出る様に肌や衣服の色を付けていく。

  しかし愚母の表情は、先ほどまでの余裕に充ちた美女の顔立ちではなく――憤怒に塗れた、歪んだ表情である。


「……いいわ、イルメールちゃん。貴女は真っ先に殺してあげます」

「今まさに死にそうだけどヨォ……やってみやがれクソババァッ!!」


 全身に力を漲らせ、イルメールは強く地面を蹴りつけた。

  瞬間、彼女の踏み込んだ右足によって地面が抉れると同時に愚母の背後に舞う影が一斉に、イルメールへと向けて飛来する。

  前方から五つ、右左方から四つずつ、上空からイルメールの背後を取る様に伸び、今まさに彼女の身体を貫くかと思われた瞬間、彼女の肉体が跳びつつ、上空の影をスルリと避けながら、右手で豪剣を呼ぶように手をかざした。


「来いッ!!」


 彼女の言葉に呼応するかのように、愚母の背後で地面へと突き刺さっていた豪剣がぐぐぐ、と僅かに動いた。

  柄の方からイルメールのいる上空へと飛び、彼女の手に収まると、イルメールはその豪剣を振る動作によって生まれる抵抗力を利用し、空を自由に動き回る。


「ズ――ォオオオオオっ!!」


 愚母の後ろを取った。豪剣を振り下ろす事による重量を利用して愚母の背後へと落ちたイルメールは、痛む左腕を気にする事無く愚母の背中を強く蹴りつける為、地面を蹴りながら前進したが――


「甘いわね、イルメールちゃん」

「な」


 愚母の身体が、イルメールの蹴りを予想していたかのように体へ大穴を開けた。

  大穴へと身体を入れ込んでしまったイルメールは、その場に居たら喰われると本能的に察し、姿勢等を考える事無く地面を蹴り、愚母から遠ざかる様に転がった。

  それが功を奏したようで、愚母の肉体が元の身体に戻った時には、イルメールは愚母の目線に転がって、左腕の傷口に砂が入り込んでしまった事により、悶える彼女の顔面へ、トドメを刺すのではなく、蹴り付けた。


「他愛ないヒトという存在! 出来損ないの生命体! 災いに喰われる為だけにある家畜が、何たる欺瞞ですの!? 何たる分不相応ですの!?」


 言葉を放つ毎に何度も何度も、イルメールの顔面を蹴りつける愚母によって、イルメールは「が、ぐ」と声を上げるが、しかし目だけは、彼女を捉えている。

  振り下ろされる足に合わせて、イルメールが右手で彼女の綺麗な足首を掴む。

  だが、流れた血液量の影響か、もう握る手に力を籠める事も難しく、ただ彼女の動きを止めるだけに留まった。


  ――それでもイルメールの瞳にはまだ、諦めや絶望の意思は見えない。


「……どうして恐怖しないのです? もう、貴女に生き残る術なんて無いのに、死ぬのが怖くない?」

「死ぬのが怖い、ねェ……アァ、確かに怖ェよ。

 ケド、オレが一番怖ェのは……オレの【夢】が叶わねェ事だ……!」


 あまりに堂々と、力強く言葉を発するものだから。

  つい愚母は、イルメールの手から足を無理矢理剥がすと、彼女の転がった身体の横っ腹を蹴りつけ、蹴り飛ばしてしまう。

  ゲレスによって作られた出入口のドアをバリンと割り、施設内に入り込んだイルメールが、何とか身体を起こして立ち上がろうとする。


  ――だがその瞳にも、諦めや絶望は無い。


「……貴女の夢って、何かしら?」

「ナニ……単純なコトだよ……。

 守らなきゃならねェ、全ての民……【弱者】を、オレが……シドニアが、姉弟が……守る……!。

  オレはその為に……この体や、シドニアに……筋肉を纏わせてきたんだよ……ッ!!」


  彼女の堂々と張り上げられた声は、愚母の耳に届く。

  もう抵抗する力だって無い筈なのに――彼女の強さが何なのか分からず。

  愚母はただ、困惑しながらも、彼女を殺す為に足を前へ出した。
  
  
  **
  
  
(なんなんだ……この状況……!?)


 暗鬼は、サーニスとアメリアの暗殺をする為に背景へ擬態しつつ、ルワン・トレーシーの投獄されていた地下へ、シドニアと共に入っていた。

  そこでシドニアを暗殺する事や、続けて現れたアメリアやサーニスを暗殺する事など、タイミングは幾らでもあったが、自分たちを指揮するべきマリルリンデの登場や、ルワンが姫巫女の一族であり、シドニアとリンナの母であると言う事実を知った事により、タイミングを逃し続けて来たと言っても良い。

  おまけに、本来は巣を張って動く事のない母体である愚母までが、痺れを切らして収容施設に現れてしまっている。


  ――否、暗鬼と愚母の間に在るパスによって、マリルリンデの目標が『人類滅亡』から『ルワンの望む世界』になってしまった為、怒り狂ったと考えるのが正しいだろう。

  今、あらゆる戦いによる影響で揺れる地下室内は、サーニスと、変身した事により姫巫女の力を有するルワンの二人が斬り合い、その隙にシドニアへマリルリンデが仲間になれと迫っている。


(どう動くべきだ……? 愚母に従い、サーニスやアメリアを殺すべきか……マリルリンデに取り入るという手段もある。そうなれば、ここで下手に動く事は避けたい。

 ああもう、チクショウ、マリルリンデの計画や目的、行動が読めない……! 彼は、これからも愚母と共に動くのか、それとも独自に行動し、ボク達五災刃を見捨てるのか……!?)


  周りから認識されていないという利点は何よりも優先すべきだ。故に暗鬼は争いの渦中で動かず、ただジッと考える事に集中していたが――そこで、事態が動いた。


「のぉ、マリルリンデ」

「なンだよアメリア」

「人間が愚かな事なぞ、吾輩にも分かっている事じゃ。

 主の怒りを全て理解できたとは言わんが、しかし主の言う通り、人間はこれまで進化せず、むしろ退化をした愚かな生命体やもしれん。

 ――じゃがのぉ、進化した生命体である主のようなフォーリナーや、子の幸せを願いながらも叶え方が分かっとらん愚かな母には、シドニアが本当に望む世界なぞ、作れはせんよ」


  アメリアが言葉を発したのだ。

  彼女の言葉に、シドニアはびくりと身体を震わせながら彼女の方を見るし、マリルリンデは僅かに眉毛を動かしたが、しかし反論する事なく、彼女が続ける言葉を聞き続けた。


「シドニアが、ずっと望んでいた本当の世界は……ただ愚かな人類の粛正・淘汰・選別なのじゃと、吾輩も思っとった。

 そして事実、今のシドニアはそれも考えねばならぬと思っておろうが……しかし、本当の理想は、根底からの願いは、違ったのじゃ。

 こ奴の願いは、なんてことの無い、けれど最も尊ぶべき、叶う事のない【夢】の世界。



 ……『弱き者が許される世界』……なんてのぉ」



 アメリアの言葉を、暗鬼もマリルリンデも――理解する事が出来なかった。

  ただシドニアだけは、彼女の言葉を聞いて、目を見開き、驚く様に口を半開きにした。


「……姉上、何故……?」

「吾輩も、今気づいた。イルメールは……きっと、とっくの昔に気付いておったかもしれんがの」
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