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第二十三章
命の限り-09
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『シドニア。もう貴方は、苦しまなくていいのよ』
そんな中、ルワンだけが唯一、シドニアの心理を読むようにして立ち上がり、語り掛けてくる。
涙を流すシドニアの頬を優しく撫で、その豊満な体で抱き寄せてくれる――優しい母の温もり。
幼い頃に一度も経験した事の無い温かさが、そこにはあったのだ。
『もう貴方は、十分戦った。これ以上、マリルリンデに苦しめられる貴方を……私の幻影に憑りつかれている彼に苦しめられる貴方を、見たくないわ』
ずっと、夢の中に居ましょう、と。
夢の中のルワンが、シドニアを誘う。
そしてシドニアも――それで良いのではないかと、思案してしまう。
――けれど、それでも。
シドニアは、自身を抱きしめるルワンの手を、優しく振りほどきながら、彼女の肩を掴み、笑顔を浮かべる。
「母さん、ありがとう」
『シドニア……?』
「確かに僕は、心の根底で、こんな光景を望んでいたんだと思う……皆が幸せで……皆が誰を傷つける事も無く……誰もが救われる、そんな世界を」
『ええ。だから貴方はこれから、ずっとこの世界で生きていきましょう? この世界は、何人にも侵される事の無い聖域よ。だって貴方の夢なのだもの。……どんな辛い現実がこれまでにあっても、それを払拭できる、貴方の傷ついた心を洗い流せる世界なのよ』
「でもね、母さん。これは夢だ。夢なんだよ。……僕は、この光景が二度と叶わぬ幻想だと知っている……現実で生きる人間なんだ」
夢は何時か醒めるもので。
夢とは違い、現実は何時だってそこにある。
そしてシドニアは――夢の中に居続ける事は出来ない。
何故なら彼は……現実で叶えたい夢があるから。
「この光景は、二度と現実で見る事が出来ないものだ。けれど近しい光景を、何時の日か果たせればいいと思う。――うん、僕はそうした『得るべき未来』の再認識をする為に、この夢を見ているのかもしれない」
本当に輝かしい夢だと思う。
見ているだけで心が洗われるような、希望が湧いてくるような、けれどちょっとだけ落ち着きがなさそうな夢に、シドニアは思わず噴き出した。
『……私とは、もう二度と会えないのよ?』
「うん、それは僕も悲しい」
『アメリアちゃんも、生きているかどうか分からないのよ……?』
「分かっている。……リンナもきっと、僕の事を『兄ちゃん』、なんて大っぴらに呼んでくれる事はないだろうね。さっきはビックリしたよ」
苦笑を浮かべ、まだ何かを伝えたそうにしている母の頭を、そっと撫でる。
「ありがとう、母さん。死の淵にまで会いに来てくれて。貴女がそれだけ、僕の事を心配してくれていて、愛してくれているんだと、理解できた。それだけで僕は、とても嬉しい」
『当たり前じゃない、貴方とリンナは、私の子なのよ。本当に大好きで……本当に大切な、私の子供』
「でもだからこそ僕は――貴女に受けた愛情の分、現実で戦っていきたい。貴女を愛していたマリルリンデの野望なんか打ち砕いて、この景色を可能な限り、現実のものとしてみせる」
誓った言葉の重みは、シドニア自身が一番理解している。
それがどれだけ困難な道かも、どれだけ現実にする事が出来るかも理解できていないけれど――シドニアは言葉にした。
「僕は――私は、シドニア・ヴ・レ・レアルタ、第一皇子だから。それを形に出来るように、頑張るよ」
少しずつ、朧気になっていく光景。
最後の最後まで、ルワンはシドニアの身体を、抱きしめてくれた。
しかしシドニアは、その別れ際まで――笑顔でい続けた。
――現実で母との別れた時、シドニアは泣いていた。
――ならば夢の中だけでも、母へ笑顔を見せてあげたい。
そんな願いを含めていた事を、シドニア自身が、気付いていなかっただろう。
**
ガキンと、何かが折られたような音と共に襲い掛かる、強い縦揺れによって、シドニアは目を覚ました。
夢を見ていた気がするが、しかしあまり思い出せず、むしろ気を失う寸前の事を鮮明に思い出す。
マリルリンデとの戦闘中に気を失った彼が目を開け、顔を上げると――そこにはシドニアが振るうべき刀である【フジ】と【ヒジリ】を丁寧に根本から叩き折る姫巫女・マリルリンデの姿があった。
「や……っ」
止めろ、と。そう言いかけた言葉は、痛みによって遮られた。
全身に走る強烈な痛みがシドニアを縮こまらせ、そうした動きを見たマリルリンデが、そこで既に折り終わった二本の刃を地面へ落としながら、ニヤリと笑みを浮かべる。
「オォ、まァだ生きてたか、シドニア」
「き、っ……貴様、は……僕が……っ、」
「みッともなく足掻いちまッてまァ……あの世でルワンが泣いてるゼ」
シドニアへ近付き、その頭を踏みつけるマリルリンデ。
だがシドニアは、決して負けを認めぬと言わんばかりに、彼女の足を掴み、どかし、その聖道衣を無理矢理掴んで、立ち上がる。
「貴様、は……母さんの、事を……何も、知らない……っ」
「……あ?」
「あの人は……姫巫女で……貴様の、最愛の、女であったかも……しれない……しかし、その前に……僕の……リンナの、母だ……!」
「……オメェもルワンの事を何も知らねェクセに、ナマイキなこッた」
「いいや、貴様よりは知っている……ッ」
ごふ、と咳き込みながらも、力強く聖道衣を握り締めるシドニアの手から――マリルリンデは、何か力のようなものを感じ、思わず彼の身体を突き飛ばした。
よろめくシドニア。しかし彼は決して足を倒れさせる事無く――真っすぐにマリルリンデを見据えている。
その眼は――怒りながらも、世界を守る為に戦った、ルワンの眼に似ていた。
「母さんは……確かに、僕やリンナが……いつの日か来る……災いとの戦いに、必要な人材として、産んだやもしれない……そうした願いがあった事を……否定はしない……だがッ」
そして叫び散らす彼の声が、勢いが、かつてマリルリンデへと聞かせた怒りに似ていた。
「それ以前に母さんは……僕とリンナの、幸せを……母として、何より願ってくれていた……ッ! 貴様の愛した女としてでも、姫巫女としてでもなく、ただ一人の母として――ッ!!」
シドニアの頭に浮かぶは、決して多くはないルワンとの思い出。
『……私はこれまで、貴方に母親らしい事をしてこれなかった』
右手の中指にはめた、かつて十七歳の誕生日前日に、ルワンからプレゼントされた指輪を、撫でる。
『コレね、元々私が使っていた指輪なのよ。……今更母親面するんじゃないぞ、なんていわれるかもしれない』
父殺しの前日、シドニアがルワンを連れ出す前、彼女へ「母さんは勝手だ」と言ったシドニアへ言った言葉を、思い出す。
『私は貴方の言う通り、これまで母らしいことを何ひとつしてこなかった。母として貴方と共にいる時間すら、作る事が出来なかった』
そうして嘆く母の姿を――その指輪を撫でる度に、鮮明に思い出す。
『だから今なの。だからこの指輪なの。今まで触れ合う事が出来なかった、貴方に母親らしいことが出来なかった、母親からの愛情を時間と共に与える事が出来なかったからこそ、せめて形として残るモノで、与えたかった』
彼女は、母としてシドニアの傍にいてあげられなかった気持ちを嘆いた。
その嘆きは、決して嘘ではない。嘆きの想いは、シドニアを想う気持ちは、右手の中指にはめた指輪に、込められている。
今度は左手の中指にはめた、収容施設でルワンが暗鬼に胸を突き刺され、死の間際にシドニアへと手渡した指輪を、撫でる。
『リンナは、元気にしていたかしら? 私や貴方に似て、ちょっと怒りっぽくなってたりしていない?』
収容施設で、リンナの打ったキヨスから感じる虚力を察知した彼女が問うた、一番最初の言葉。
『……シド、ニア……』
そして後に死の淵で、ルワンが――母が、遺した言葉を思い出した。
『リン、ナに……よろしく……ね……お兄ちゃん……だもの、ね』
そう言って、この指輪を渡した時――彼女はシドニアの涙を、血に塗れた手でも、確かに優しく、拭い上げてくれた。
――決して多くはないけれど、そうした全ての記憶に根付いた彼女の想いが。
――生まれて来てくれた子供に対する、母親からの真っすぐな愛情で無くて、何だと言うのだ。
「貴様に『ルワン』を語る資格はあっても……『母さん』を語る資格はない……ッ」
「、っ」
思わぬ剣幕に、思わずマリルリンデが一歩足を引いてしまう。
「もし貴様が『ルワン』の願いを叶える為に、この人類を淘汰しようとするのなら……僕は『母さん』の願いを叶える為に、貴様を討つ……貴様の願いなど知った事かッ!!」
だが対となるように、シドニアは彼女が引かせた一歩を詰める様に、やや重たい足取りだが、確かに前へ進んでいく。
「母さん……僕に、力を貸してくれ……ッ」
刀も無い。ゴルタナも、既にどこにあるかも分からない。
それでもシドニアは、ただ真っすぐ、愚直にマリルリンデへと覚束ない足取りで駆け出していき、彼へと拳を突き出した。
避ける事など、姫巫女に変身を果たした今のマリルリンデにとっては。
否、変身を果たさず、ただのマリルリンデであったとしても、ゴルタナを装備してもいない、満身創痍と言っても良い、彼の拳を避ける事など容易い筈だ。
しかし、実際にその拳を、避けようとしたマリルリンデに――声が届いた。
『マリルリンデ』
それは、ルワンの声だった。
突然聞こえた彼女の声に思わず驚き、動きを止めてしまったマリルリンデは、既に眼前へ迫っていたシドニアの拳を、甘んじて受ける。
しかし――拳はマリルリンデの頬に強く打ち込まれ、彼女の身体を吹き飛ばす程の威力を内包していた。
背中から地面へと倒れた筈なのに、勢いが強すぎて二、三回ほど転がり、最後には岩場へ身体をぶつける事で停止したマリルリンデだが、頬に受けたダメージが、あまりに大きすぎた。
フォーリナーとして、虚力が有る限り再生を果たす事が出来る筈の彼女が――加えて聖道衣による外装防御までが適応される筈のマリルリンデが、再生も出来ぬ程の、高威力かつ、高出力の虚力を感じた。
その虚力は――間違いなく、ルワン・トレーシーの虚力である。
『貴方には、本当に申し訳ないと思っているわ。私の言葉が、貴方をこれほどまでに追い詰める事になるなんて、思ってもみなかったの』
「ルワン……っ」
『……けれど私は、シドニアを……シドニアの夢を守る。この子を愛する者として……この子の母として……ッ!』
シドニアの両手中指に装着された指輪、その指輪には、ルワンの虚力が込められていた。
恐らく、右手の中指に装着された指輪には、ルワンが災いとの戦いを終え、リンナの出産を済ませ、皇帝の后として戻ってから、ずっと残し続けていた虚力が込められていて。
もう一つ、左手の中指に装着された指輪には、暗鬼に殺される事となった収容施設で、死の間際にシドニアへ残した心残りを、虚力に返還して注ぎ込んでいたのだろう。
――全ては、シドニアの為に残した、彼女の力、彼女の感情から生み出されたエネルギー。
――否、それはもう、彼女の意志、残留思念と呼んでも差し支えないものだ。
そんな中、ルワンだけが唯一、シドニアの心理を読むようにして立ち上がり、語り掛けてくる。
涙を流すシドニアの頬を優しく撫で、その豊満な体で抱き寄せてくれる――優しい母の温もり。
幼い頃に一度も経験した事の無い温かさが、そこにはあったのだ。
『もう貴方は、十分戦った。これ以上、マリルリンデに苦しめられる貴方を……私の幻影に憑りつかれている彼に苦しめられる貴方を、見たくないわ』
ずっと、夢の中に居ましょう、と。
夢の中のルワンが、シドニアを誘う。
そしてシドニアも――それで良いのではないかと、思案してしまう。
――けれど、それでも。
シドニアは、自身を抱きしめるルワンの手を、優しく振りほどきながら、彼女の肩を掴み、笑顔を浮かべる。
「母さん、ありがとう」
『シドニア……?』
「確かに僕は、心の根底で、こんな光景を望んでいたんだと思う……皆が幸せで……皆が誰を傷つける事も無く……誰もが救われる、そんな世界を」
『ええ。だから貴方はこれから、ずっとこの世界で生きていきましょう? この世界は、何人にも侵される事の無い聖域よ。だって貴方の夢なのだもの。……どんな辛い現実がこれまでにあっても、それを払拭できる、貴方の傷ついた心を洗い流せる世界なのよ』
「でもね、母さん。これは夢だ。夢なんだよ。……僕は、この光景が二度と叶わぬ幻想だと知っている……現実で生きる人間なんだ」
夢は何時か醒めるもので。
夢とは違い、現実は何時だってそこにある。
そしてシドニアは――夢の中に居続ける事は出来ない。
何故なら彼は……現実で叶えたい夢があるから。
「この光景は、二度と現実で見る事が出来ないものだ。けれど近しい光景を、何時の日か果たせればいいと思う。――うん、僕はそうした『得るべき未来』の再認識をする為に、この夢を見ているのかもしれない」
本当に輝かしい夢だと思う。
見ているだけで心が洗われるような、希望が湧いてくるような、けれどちょっとだけ落ち着きがなさそうな夢に、シドニアは思わず噴き出した。
『……私とは、もう二度と会えないのよ?』
「うん、それは僕も悲しい」
『アメリアちゃんも、生きているかどうか分からないのよ……?』
「分かっている。……リンナもきっと、僕の事を『兄ちゃん』、なんて大っぴらに呼んでくれる事はないだろうね。さっきはビックリしたよ」
苦笑を浮かべ、まだ何かを伝えたそうにしている母の頭を、そっと撫でる。
「ありがとう、母さん。死の淵にまで会いに来てくれて。貴女がそれだけ、僕の事を心配してくれていて、愛してくれているんだと、理解できた。それだけで僕は、とても嬉しい」
『当たり前じゃない、貴方とリンナは、私の子なのよ。本当に大好きで……本当に大切な、私の子供』
「でもだからこそ僕は――貴女に受けた愛情の分、現実で戦っていきたい。貴女を愛していたマリルリンデの野望なんか打ち砕いて、この景色を可能な限り、現実のものとしてみせる」
誓った言葉の重みは、シドニア自身が一番理解している。
それがどれだけ困難な道かも、どれだけ現実にする事が出来るかも理解できていないけれど――シドニアは言葉にした。
「僕は――私は、シドニア・ヴ・レ・レアルタ、第一皇子だから。それを形に出来るように、頑張るよ」
少しずつ、朧気になっていく光景。
最後の最後まで、ルワンはシドニアの身体を、抱きしめてくれた。
しかしシドニアは、その別れ際まで――笑顔でい続けた。
――現実で母との別れた時、シドニアは泣いていた。
――ならば夢の中だけでも、母へ笑顔を見せてあげたい。
そんな願いを含めていた事を、シドニア自身が、気付いていなかっただろう。
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ガキンと、何かが折られたような音と共に襲い掛かる、強い縦揺れによって、シドニアは目を覚ました。
夢を見ていた気がするが、しかしあまり思い出せず、むしろ気を失う寸前の事を鮮明に思い出す。
マリルリンデとの戦闘中に気を失った彼が目を開け、顔を上げると――そこにはシドニアが振るうべき刀である【フジ】と【ヒジリ】を丁寧に根本から叩き折る姫巫女・マリルリンデの姿があった。
「や……っ」
止めろ、と。そう言いかけた言葉は、痛みによって遮られた。
全身に走る強烈な痛みがシドニアを縮こまらせ、そうした動きを見たマリルリンデが、そこで既に折り終わった二本の刃を地面へ落としながら、ニヤリと笑みを浮かべる。
「オォ、まァだ生きてたか、シドニア」
「き、っ……貴様、は……僕が……っ、」
「みッともなく足掻いちまッてまァ……あの世でルワンが泣いてるゼ」
シドニアへ近付き、その頭を踏みつけるマリルリンデ。
だがシドニアは、決して負けを認めぬと言わんばかりに、彼女の足を掴み、どかし、その聖道衣を無理矢理掴んで、立ち上がる。
「貴様、は……母さんの、事を……何も、知らない……っ」
「……あ?」
「あの人は……姫巫女で……貴様の、最愛の、女であったかも……しれない……しかし、その前に……僕の……リンナの、母だ……!」
「……オメェもルワンの事を何も知らねェクセに、ナマイキなこッた」
「いいや、貴様よりは知っている……ッ」
ごふ、と咳き込みながらも、力強く聖道衣を握り締めるシドニアの手から――マリルリンデは、何か力のようなものを感じ、思わず彼の身体を突き飛ばした。
よろめくシドニア。しかし彼は決して足を倒れさせる事無く――真っすぐにマリルリンデを見据えている。
その眼は――怒りながらも、世界を守る為に戦った、ルワンの眼に似ていた。
「母さんは……確かに、僕やリンナが……いつの日か来る……災いとの戦いに、必要な人材として、産んだやもしれない……そうした願いがあった事を……否定はしない……だがッ」
そして叫び散らす彼の声が、勢いが、かつてマリルリンデへと聞かせた怒りに似ていた。
「それ以前に母さんは……僕とリンナの、幸せを……母として、何より願ってくれていた……ッ! 貴様の愛した女としてでも、姫巫女としてでもなく、ただ一人の母として――ッ!!」
シドニアの頭に浮かぶは、決して多くはないルワンとの思い出。
『……私はこれまで、貴方に母親らしい事をしてこれなかった』
右手の中指にはめた、かつて十七歳の誕生日前日に、ルワンからプレゼントされた指輪を、撫でる。
『コレね、元々私が使っていた指輪なのよ。……今更母親面するんじゃないぞ、なんていわれるかもしれない』
父殺しの前日、シドニアがルワンを連れ出す前、彼女へ「母さんは勝手だ」と言ったシドニアへ言った言葉を、思い出す。
『私は貴方の言う通り、これまで母らしいことを何ひとつしてこなかった。母として貴方と共にいる時間すら、作る事が出来なかった』
そうして嘆く母の姿を――その指輪を撫でる度に、鮮明に思い出す。
『だから今なの。だからこの指輪なの。今まで触れ合う事が出来なかった、貴方に母親らしいことが出来なかった、母親からの愛情を時間と共に与える事が出来なかったからこそ、せめて形として残るモノで、与えたかった』
彼女は、母としてシドニアの傍にいてあげられなかった気持ちを嘆いた。
その嘆きは、決して嘘ではない。嘆きの想いは、シドニアを想う気持ちは、右手の中指にはめた指輪に、込められている。
今度は左手の中指にはめた、収容施設でルワンが暗鬼に胸を突き刺され、死の間際にシドニアへと手渡した指輪を、撫でる。
『リンナは、元気にしていたかしら? 私や貴方に似て、ちょっと怒りっぽくなってたりしていない?』
収容施設で、リンナの打ったキヨスから感じる虚力を察知した彼女が問うた、一番最初の言葉。
『……シド、ニア……』
そして後に死の淵で、ルワンが――母が、遺した言葉を思い出した。
『リン、ナに……よろしく……ね……お兄ちゃん……だもの、ね』
そう言って、この指輪を渡した時――彼女はシドニアの涙を、血に塗れた手でも、確かに優しく、拭い上げてくれた。
――決して多くはないけれど、そうした全ての記憶に根付いた彼女の想いが。
――生まれて来てくれた子供に対する、母親からの真っすぐな愛情で無くて、何だと言うのだ。
「貴様に『ルワン』を語る資格はあっても……『母さん』を語る資格はない……ッ」
「、っ」
思わぬ剣幕に、思わずマリルリンデが一歩足を引いてしまう。
「もし貴様が『ルワン』の願いを叶える為に、この人類を淘汰しようとするのなら……僕は『母さん』の願いを叶える為に、貴様を討つ……貴様の願いなど知った事かッ!!」
だが対となるように、シドニアは彼女が引かせた一歩を詰める様に、やや重たい足取りだが、確かに前へ進んでいく。
「母さん……僕に、力を貸してくれ……ッ」
刀も無い。ゴルタナも、既にどこにあるかも分からない。
それでもシドニアは、ただ真っすぐ、愚直にマリルリンデへと覚束ない足取りで駆け出していき、彼へと拳を突き出した。
避ける事など、姫巫女に変身を果たした今のマリルリンデにとっては。
否、変身を果たさず、ただのマリルリンデであったとしても、ゴルタナを装備してもいない、満身創痍と言っても良い、彼の拳を避ける事など容易い筈だ。
しかし、実際にその拳を、避けようとしたマリルリンデに――声が届いた。
『マリルリンデ』
それは、ルワンの声だった。
突然聞こえた彼女の声に思わず驚き、動きを止めてしまったマリルリンデは、既に眼前へ迫っていたシドニアの拳を、甘んじて受ける。
しかし――拳はマリルリンデの頬に強く打ち込まれ、彼女の身体を吹き飛ばす程の威力を内包していた。
背中から地面へと倒れた筈なのに、勢いが強すぎて二、三回ほど転がり、最後には岩場へ身体をぶつける事で停止したマリルリンデだが、頬に受けたダメージが、あまりに大きすぎた。
フォーリナーとして、虚力が有る限り再生を果たす事が出来る筈の彼女が――加えて聖道衣による外装防御までが適応される筈のマリルリンデが、再生も出来ぬ程の、高威力かつ、高出力の虚力を感じた。
その虚力は――間違いなく、ルワン・トレーシーの虚力である。
『貴方には、本当に申し訳ないと思っているわ。私の言葉が、貴方をこれほどまでに追い詰める事になるなんて、思ってもみなかったの』
「ルワン……っ」
『……けれど私は、シドニアを……シドニアの夢を守る。この子を愛する者として……この子の母として……ッ!』
シドニアの両手中指に装着された指輪、その指輪には、ルワンの虚力が込められていた。
恐らく、右手の中指に装着された指輪には、ルワンが災いとの戦いを終え、リンナの出産を済ませ、皇帝の后として戻ってから、ずっと残し続けていた虚力が込められていて。
もう一つ、左手の中指に装着された指輪には、暗鬼に殺される事となった収容施設で、死の間際にシドニアへ残した心残りを、虚力に返還して注ぎ込んでいたのだろう。
――全ては、シドニアの為に残した、彼女の力、彼女の感情から生み出されたエネルギー。
――否、それはもう、彼女の意志、残留思念と呼んでも差し支えないものだ。
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