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第二章
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「どうやら上手くこなせたようですね」
食事が終わった途端、逃げるように自室へとさがったリディアを待っていたのは、珍しく感心している風のルークの誉め言葉だった。
「次代の女王様だぞ、当たり前だ!」
胸をそびやかして偉ぶるリディア。
王者の風格とまではいかないが、ドレスに身を包んだ彼女の姿は、とりあえず王家の端くれの雰囲気は備わっている。
ルークは苦笑しながら、けれどもどこか満足げにリディアのドレス姿を眺めた。
「馬子にも衣装と言う事ですか。子供の頃ボロを着ていたとは到底見えませんよ」
「着ていたのではない! 着ているとボロになってしまったのだ!」
リディアは反論したが、ルークの失笑に掻き消された。
「それは貴方が服の事など気にせずに駆け回ったせいでしょう? 女中達に叱られてもいつも破いて帰ってくるから、終いに貴方は平民の古着を着せられていましたね」
吹き出しながら言われ、王女は憮然とする。
「私を馬鹿にしているのか?」
「違いますよ。今の貴方を讃えているんです。ほら、その薄紅色のドレスも今の貴方によく似合っている」
矛先を90度変えるあからさまな言葉に複雑なものを感じつつも、褒められれば悪い気はしない。
「そうか!」
ふふん、と胸を張って、薄いシフォンを重ねたスカートを広げて見せびらかす。そんなリディアに、ルークはただただ微笑んだ。
「しかしなあ……どうもドレスは動きにくい。やはり着慣れないものを着るというのは不愉快だ」
さっきまでご満悦そうだったリディアだったが、唐突にズカズカとクローゼットに歩み寄り、乱暴な仕草でそれを開いて中から普段着のズボンを引っぱり出した。
「何をするつもりです!」
慌てた感のルークの言葉に、リディアは首を傾げた。
「何って、着替えるに決まっているだろう」
「貴方と言う人は……」
「何か変か?」
「もう十七にもなっているというのに、貴方には羞恥心という物がないのですか?」
「何だその言いぐさは! まるで私が子供みたいじゃないか! 私だって花も恥じらう十七の乙女なんだぞ! 恥じらいぐらいあるに決まっているじゃないか!」
リディアだって、いつまでも子供ではない。
「だからもうルークがお風呂に入っている所に乱入したりしてないし、裸で城から脱走なんてこともしてないじゃないか!」
もうそんな、はしたない事はしないのだ。
「ですから」
「着替える事の何が可笑しい? 別に裸になる訳ではないぞ!」
しかし彼女の恥じらいはどこかズレていた。
「そう言う問題ではありません!」
「じゃあ、どういう問題なんだ?」
ルークは重い、深い溜め息を吐いた。
「……とにかく、男性の前で着替えるのはいけないことなんです」
「それは法で決められている事なのか?」
「そうですっ!」
ルークの返事がやけくそのように聞こえる。おそらくそれは聞き間違いではあるまい。
「ふーん……」
法で決められているのならば仕方ないかと、リディアは渋々納得した。
(そんな法がトルトファリアにあったとは知らなかったな。こんな馬鹿みたいな法律、何代目の王が作ったんだ? 何の役にも立たないじゃないか)
腕を組んで、私が王様になったらこんな法は廃止させよう、等と考える王女の未来は蝋燭の灯りぐらいには明るい。
何しろ国の中枢から忘れ去られていた王女様は、帝王学も王族としての振る舞いも貴族子息が受けるような教育すらも受けず、まるで放棄されるようにして育ってきた。かと言って、その体に流れる血は王族のものなので平民の知識と如才ない振る舞いを躾けられるはずもなく、他国の王子と城の使用人から基本的な知識と道徳を受けるだけだったのだ。
リディアは十七才でありながら、育ち故に常識が欠如していた。
「仕方ないから今、着替えるのは止めておく」
「……そうして下さい」
どこか疲れたように答え、ルークは長椅子に座って手に持っていた革張りの本を広げた。
「もう日にちはありませんから、心して学んで下さいね」
最近になって始まった「トルトファリア王宮の基礎知識講座」が今夜も開催されるのだ。
「今夜もやるのかー?」
リディアの言葉の中には、ほんの少し恐怖が垣間見える。
何しろ鉄拳が飛んでくるのだ。
これは痛いし怖い。
「貴方が自分で勉強していれば、こんな勉強会など発足されもしなかったんですけどね」
そして嫌味も飛んでくる。
「はいはい、私が悪かったよ!」
頬を膨らませて言うリディアの頭に、早速今夜一発目の張り手が降ってきた。
「言葉遣い」
涙が滲んできたが歯を噛み締めて我慢する。
「私のっ間違いでしたっ!」
「よろしい」
澄ましたルークの言葉に思わずリディアは拳を振り上げる。だが、部屋の扉の外から漏れ聞こえてきた何者かの押し殺した笑い声に、その腕を止めた。
「失礼。聞こえてしまいました」
そう言って中に入ってきたのは、食事の時に顔を見た貴族の一人だった。
短い金の髪と緑の目の青年。
騎士の一族の出だと紹介されただけに彼の体つきは逞しいのだが、纏う空気が柔らかいので、そのギャップ故にリディアの記憶に残っていたのだ。
しかし名前が思い出せない。
(何という名前だったかな?)
笑顔を張り付かせ、必死で思い出そうとするが分からない。
だがこの男はまだ良い方だった。食事を共にし「友情が続くように」と言葉を賜った人間達の大半は、リディアの頭に欠片ほども残っていなかったのだから。
「これはギュンター様、お初にお目にかかります。私はルークと言う者です」
名前を思い出せないリディアの様子に気付いたのか、彼女が口を開く前にルークがそれとなく男の名を口にし、極自然な様子で長椅子を下り、床に跪いた。
何故ルークがそうするのか理由は分からなかったが、何となく自分もそうしなければならないのだろうと思い、リディアも彼にならって膝を付いた。
「……殿下?」
「殿下っ!」
意表を突かれた声はギュンターで、慌てた、怒っているような声を上げたのはルークだ。
「貴方まで跪く必要はないのです!」
「そ……そうなのか?」
「貴方は女王となる身なのですよ!」
ルークに叱られ身を竦めたリディアを見、ギュンターは快活な笑い声を上げた。さも可笑しいとばかりに腹を抱えている。
「ギュンター様、トルトファリアのこれからのために、どうかこの事は内密に……」
ルークは苦虫を噛み潰したような顔をしている。
こんな物知らずは王に相応しくないと騒ぎ立てられれば、即位もしていないリディアは大変なことになってしまう。王宮に侍る大半の者達は、例え自国の王が相手でも、その足を引っ張るのが大好きなものであることを、敏い人質王子は熟知していた。
「心配はいらない。誰にでも失敗はある。それに役立たずの貴族共に尊き王が侮辱されるのは我慢ならん。誓って口外すまいよ」
ギュンターの言葉にリディアは安堵したが、隣のルークは依然として渋い顔のままだ。
「リディア殿下、どうぞ安心して勉学に励んで下さい。殿下に忠誠と友情を捧げる我々は、高貴なる貴方に導かれるのを待っています」
跪いていたリディアを立たせ、その手の甲に口づけをする。
「あ……感謝、する」
とりあえずルークに習ったように胸を張って言ってみた。
ギュンターは「その調子です」と微笑む。
(こいつ、いい奴だな)
好意を持ち微笑みかけたが、次の瞬間リディアは凍り付いた。
ギュンターがルークの頬に手を伸ばしたからだ。
「それにしても、灰色の目に褐色の肌とは」
「な、何か気になるのか!」
理由の分からない独占欲が湧き、思わずリディアはギュンターの手を取った。
この時の彼女の頭には、もちろん淑女の恥じらいやマナーと言ったものはどこかに消え失せている。
「ああ、いや。その風貌が伝説の魔人族に似ているので……」
自分の手とリディアの顔を交互に見ながらギュンター困ったように笑んでいる。しかしリディアはその手を離さず、両手でぎゅうぎゅう握り締める。
「マジンゾク? なんだそれは? それにルークはそんなのじゃないぞ!」
「あ、まあ、そうでしょうね。魔人族は既に滅びた種族ですから」
「ふーん」
「……」
リディアはまだ手を離さない。
ギュンターは困ったように微笑んでいる。
「何だ? 面白い事でも思い出したのか?」
まだ手を握り締めながら尋ねたが、ギュンターは答えない。やはり困ったように笑うばかりだ。
(何だこいつ? はっきりしない奴め)
先程と一転したリディアの心の内を察知したのか、何かとんでもないことを口走る前にと、跪いていたルークが呟いた。
「殿下。お手を」
「ん? あ、ああっ!」
言われ、やっと気付いてその手を離す。
「殿下、それでは私はこれで……」
掴まれていた手を胸に当て優雅に会釈をすると、ギュンターは部屋を出ていった。
「何だ、あいつ?」
友を見つめた瞳の色が異様だった気がして、リディアは顔を顰めた。
(まさかルークに変な思いを抱いてたりしないだろうな?!)
胸の奥を焼くような怒りを覚え、走って追いかけていって手袋を投げつけたいような気持ちになり、リディアは両の拳を握り締めた。
食事が終わった途端、逃げるように自室へとさがったリディアを待っていたのは、珍しく感心している風のルークの誉め言葉だった。
「次代の女王様だぞ、当たり前だ!」
胸をそびやかして偉ぶるリディア。
王者の風格とまではいかないが、ドレスに身を包んだ彼女の姿は、とりあえず王家の端くれの雰囲気は備わっている。
ルークは苦笑しながら、けれどもどこか満足げにリディアのドレス姿を眺めた。
「馬子にも衣装と言う事ですか。子供の頃ボロを着ていたとは到底見えませんよ」
「着ていたのではない! 着ているとボロになってしまったのだ!」
リディアは反論したが、ルークの失笑に掻き消された。
「それは貴方が服の事など気にせずに駆け回ったせいでしょう? 女中達に叱られてもいつも破いて帰ってくるから、終いに貴方は平民の古着を着せられていましたね」
吹き出しながら言われ、王女は憮然とする。
「私を馬鹿にしているのか?」
「違いますよ。今の貴方を讃えているんです。ほら、その薄紅色のドレスも今の貴方によく似合っている」
矛先を90度変えるあからさまな言葉に複雑なものを感じつつも、褒められれば悪い気はしない。
「そうか!」
ふふん、と胸を張って、薄いシフォンを重ねたスカートを広げて見せびらかす。そんなリディアに、ルークはただただ微笑んだ。
「しかしなあ……どうもドレスは動きにくい。やはり着慣れないものを着るというのは不愉快だ」
さっきまでご満悦そうだったリディアだったが、唐突にズカズカとクローゼットに歩み寄り、乱暴な仕草でそれを開いて中から普段着のズボンを引っぱり出した。
「何をするつもりです!」
慌てた感のルークの言葉に、リディアは首を傾げた。
「何って、着替えるに決まっているだろう」
「貴方と言う人は……」
「何か変か?」
「もう十七にもなっているというのに、貴方には羞恥心という物がないのですか?」
「何だその言いぐさは! まるで私が子供みたいじゃないか! 私だって花も恥じらう十七の乙女なんだぞ! 恥じらいぐらいあるに決まっているじゃないか!」
リディアだって、いつまでも子供ではない。
「だからもうルークがお風呂に入っている所に乱入したりしてないし、裸で城から脱走なんてこともしてないじゃないか!」
もうそんな、はしたない事はしないのだ。
「ですから」
「着替える事の何が可笑しい? 別に裸になる訳ではないぞ!」
しかし彼女の恥じらいはどこかズレていた。
「そう言う問題ではありません!」
「じゃあ、どういう問題なんだ?」
ルークは重い、深い溜め息を吐いた。
「……とにかく、男性の前で着替えるのはいけないことなんです」
「それは法で決められている事なのか?」
「そうですっ!」
ルークの返事がやけくそのように聞こえる。おそらくそれは聞き間違いではあるまい。
「ふーん……」
法で決められているのならば仕方ないかと、リディアは渋々納得した。
(そんな法がトルトファリアにあったとは知らなかったな。こんな馬鹿みたいな法律、何代目の王が作ったんだ? 何の役にも立たないじゃないか)
腕を組んで、私が王様になったらこんな法は廃止させよう、等と考える王女の未来は蝋燭の灯りぐらいには明るい。
何しろ国の中枢から忘れ去られていた王女様は、帝王学も王族としての振る舞いも貴族子息が受けるような教育すらも受けず、まるで放棄されるようにして育ってきた。かと言って、その体に流れる血は王族のものなので平民の知識と如才ない振る舞いを躾けられるはずもなく、他国の王子と城の使用人から基本的な知識と道徳を受けるだけだったのだ。
リディアは十七才でありながら、育ち故に常識が欠如していた。
「仕方ないから今、着替えるのは止めておく」
「……そうして下さい」
どこか疲れたように答え、ルークは長椅子に座って手に持っていた革張りの本を広げた。
「もう日にちはありませんから、心して学んで下さいね」
最近になって始まった「トルトファリア王宮の基礎知識講座」が今夜も開催されるのだ。
「今夜もやるのかー?」
リディアの言葉の中には、ほんの少し恐怖が垣間見える。
何しろ鉄拳が飛んでくるのだ。
これは痛いし怖い。
「貴方が自分で勉強していれば、こんな勉強会など発足されもしなかったんですけどね」
そして嫌味も飛んでくる。
「はいはい、私が悪かったよ!」
頬を膨らませて言うリディアの頭に、早速今夜一発目の張り手が降ってきた。
「言葉遣い」
涙が滲んできたが歯を噛み締めて我慢する。
「私のっ間違いでしたっ!」
「よろしい」
澄ましたルークの言葉に思わずリディアは拳を振り上げる。だが、部屋の扉の外から漏れ聞こえてきた何者かの押し殺した笑い声に、その腕を止めた。
「失礼。聞こえてしまいました」
そう言って中に入ってきたのは、食事の時に顔を見た貴族の一人だった。
短い金の髪と緑の目の青年。
騎士の一族の出だと紹介されただけに彼の体つきは逞しいのだが、纏う空気が柔らかいので、そのギャップ故にリディアの記憶に残っていたのだ。
しかし名前が思い出せない。
(何という名前だったかな?)
笑顔を張り付かせ、必死で思い出そうとするが分からない。
だがこの男はまだ良い方だった。食事を共にし「友情が続くように」と言葉を賜った人間達の大半は、リディアの頭に欠片ほども残っていなかったのだから。
「これはギュンター様、お初にお目にかかります。私はルークと言う者です」
名前を思い出せないリディアの様子に気付いたのか、彼女が口を開く前にルークがそれとなく男の名を口にし、極自然な様子で長椅子を下り、床に跪いた。
何故ルークがそうするのか理由は分からなかったが、何となく自分もそうしなければならないのだろうと思い、リディアも彼にならって膝を付いた。
「……殿下?」
「殿下っ!」
意表を突かれた声はギュンターで、慌てた、怒っているような声を上げたのはルークだ。
「貴方まで跪く必要はないのです!」
「そ……そうなのか?」
「貴方は女王となる身なのですよ!」
ルークに叱られ身を竦めたリディアを見、ギュンターは快活な笑い声を上げた。さも可笑しいとばかりに腹を抱えている。
「ギュンター様、トルトファリアのこれからのために、どうかこの事は内密に……」
ルークは苦虫を噛み潰したような顔をしている。
こんな物知らずは王に相応しくないと騒ぎ立てられれば、即位もしていないリディアは大変なことになってしまう。王宮に侍る大半の者達は、例え自国の王が相手でも、その足を引っ張るのが大好きなものであることを、敏い人質王子は熟知していた。
「心配はいらない。誰にでも失敗はある。それに役立たずの貴族共に尊き王が侮辱されるのは我慢ならん。誓って口外すまいよ」
ギュンターの言葉にリディアは安堵したが、隣のルークは依然として渋い顔のままだ。
「リディア殿下、どうぞ安心して勉学に励んで下さい。殿下に忠誠と友情を捧げる我々は、高貴なる貴方に導かれるのを待っています」
跪いていたリディアを立たせ、その手の甲に口づけをする。
「あ……感謝、する」
とりあえずルークに習ったように胸を張って言ってみた。
ギュンターは「その調子です」と微笑む。
(こいつ、いい奴だな)
好意を持ち微笑みかけたが、次の瞬間リディアは凍り付いた。
ギュンターがルークの頬に手を伸ばしたからだ。
「それにしても、灰色の目に褐色の肌とは」
「な、何か気になるのか!」
理由の分からない独占欲が湧き、思わずリディアはギュンターの手を取った。
この時の彼女の頭には、もちろん淑女の恥じらいやマナーと言ったものはどこかに消え失せている。
「ああ、いや。その風貌が伝説の魔人族に似ているので……」
自分の手とリディアの顔を交互に見ながらギュンター困ったように笑んでいる。しかしリディアはその手を離さず、両手でぎゅうぎゅう握り締める。
「マジンゾク? なんだそれは? それにルークはそんなのじゃないぞ!」
「あ、まあ、そうでしょうね。魔人族は既に滅びた種族ですから」
「ふーん」
「……」
リディアはまだ手を離さない。
ギュンターは困ったように微笑んでいる。
「何だ? 面白い事でも思い出したのか?」
まだ手を握り締めながら尋ねたが、ギュンターは答えない。やはり困ったように笑うばかりだ。
(何だこいつ? はっきりしない奴め)
先程と一転したリディアの心の内を察知したのか、何かとんでもないことを口走る前にと、跪いていたルークが呟いた。
「殿下。お手を」
「ん? あ、ああっ!」
言われ、やっと気付いてその手を離す。
「殿下、それでは私はこれで……」
掴まれていた手を胸に当て優雅に会釈をすると、ギュンターは部屋を出ていった。
「何だ、あいつ?」
友を見つめた瞳の色が異様だった気がして、リディアは顔を顰めた。
(まさかルークに変な思いを抱いてたりしないだろうな?!)
胸の奥を焼くような怒りを覚え、走って追いかけていって手袋を投げつけたいような気持ちになり、リディアは両の拳を握り締めた。
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