虚飾城物語

ココナツ信玄

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第二章

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 翌日、朝食を取るために食堂に下りたリディアは、再び大勢の貴族達が自分を待っていたのに驚いた。

(あの夜、一度だけでいいのだと思っていた……どうしよう)

 うろたえて食堂の入り口で立ち尽くしていると、背後から声が掛かった。

「リディア……」

 渋面のルークが扉の陰でリディアを待っていた。苦りきった顔で手招いている。
 素早い動きでその傍に寄ったリディアは、声を潜めて状況を尋ねた。

「一体、何だってまたこんなことに?」

「彼等は次期女王が気に入ったようです。王都に帰る前に貴方に挨拶をしたいのだと」

「いらん! とっとと帰ってもらえ!」

「私のような立場の人間が、そんなこと言えるはずがないでしょう? 言えるとしたら貴方くらいのものです。だからといって本当にあの人たちにそんな暴言を吐いたらどうなるか……分かっているでしょうね? 貴方の未来は滅茶苦茶になりますからね」

「それでもいいよ!」

 やけっぱちになって訴えたが、ルークは灰色の目を冷ややかに細めた。

「私が許しません」

 その淡々とした声音にリディアは思わず身震いする。
 怒ったルークは見たくない。
 けれども大人しく言う事を聞くのは癪だったので、リディアはこれ見よがしにふて腐れた。
 ありありと不満を表明する次期女王に、ルークは溜め息を吐いて彼女の頬に手を添えた。

「そんな顔で表に出るのも駄目です。にこやかに、彼等の話に合わせて相槌を打ってください。何も言わず、それだけでいいですから」

「私に微笑み人形になれと言うか!」

「……ちゃんと出来たら、今日一日自由にして差しあげます」

「じゃあ頑張る!」

 弾む足取りで扉の陰から出たリディアを、額に手を当てて何やら考え込んでしまった様子のルークが見送った。
 拍子抜けすることに、朝食は滞りなく終わった。

(まあ、二度ほどおかしな具合になったけれど、上出来と言ってもいいだろう!)

「庭のあの木は何ですか?」と言う質問と「殿下のお好きな花は何ですか?」と言う質問に微笑んで頷いたため、相手に不思議そうな顔をされてしまったのだ。しかしリディアはそれらを些細な失敗とした。

(ああ、今日は久しぶりの自由だ!)

 退出していく貴族達の背中を眺めてうきうきしていると、部屋を出ようとする人波に逆らってやってくる男がいた。
 ギュンター卿だ。
 何の用かと訝るリディアに、彼は極めて愛想のいい顔で会釈してみせた。

「ええと、ギュンター卿。私に何か?」

 ここで相槌を打つのはさすがにおかしいと思ったので、リディアは先日特訓した女王らしさとやらを必死で思い出しながら尋ねた。

「特別な用があるわけではないのですが……殿下に差し上げたいものがありまして」

 内心必死なリディアの強張った表情に頓着する風もなく、ギュンターは右手の拳をテーブルの上に置いた。そして指を開き、手の中にあったものをリディアの視線に曝す。

「古代神の魔法が宿っているという謂れの、祝福の指輪です」

 何の石かリディアには分からなかったが、小さな緑の結晶を中に閉じ込めた青い玉がはめ込まれた指輪だった。

「魔人族に約束された加護よりは矮小でありましょうが、これから王位に就く殿下に相応しい物のように思いまして。どうぞアイラ・ル・ラナの加護がありますように!」

 困惑して指輪とギュンターを見比べているリディアに構わず、一方的に喋って一方的に贈り物をした男は、最後まで一方的に喋り倒し勝手にお辞儀をしてリディアに背を向けた。

(果たして受け取ってよかったのか? 後でルークに怒られたら嫌だな。だからといって突っ返していたら、やはり怒られたかな?)

 悶々とリディアが悩んでいる間に、ギュンターの姿は食堂から消えてしまっていた。

(いいや。これは貰っておこう! ルークに秘密にしておけば怒られないだろうし)

 リディアはテーブルの上の指輪を手にとった。

 青い、丸い玉。
 どこかで見たことがあると考え、昨夜見た書庫の壁画を思い出した。

(アイラ・ル・ラナが人間に与えた丸い玉の大地を模しているんだな)

 悩むことなく記憶を引き出せた自分に満足しながら、リディアは右手の中指にそれを嵌めてみた。しかしサイズが大きいようで、腕を振り回したら即刻彼方に飛んで行きそうだ。今度は親指に嵌めてみた。

(ぴったりだ)

 悦に入って、暫し指輪とそれで飾った自分の指を眺めた。がすぐに飽きた。
 半ば今日の楽しい自由時間に心を奪われながら指輪を外す。が、

「……ん?」

 外れない。

「んんっ?」

 外れない。
 親指が抜けるほどの力で引っ張ってもみたが、やはり外れない。
 自由時間無し。
 そんな言葉が脳裏を掠め、彼女は呆然とした。だがすぐに考え直す。

(何、ルークに指輪をしているのが分からなければいいだけじゃないか!)

 そういう姑息な思考から、リディアは今日一日を遠乗りで存分に楽しむ事に決めた。

 


 虚飾城には二頭しか馬がいない。
 しかも両方ともすこぶる年老いている。取り柄といえば気性が優しいぐらいだ。

「リディア、どこへ行くつもりなんです?」

 長い鬣の黒い馬に乗ったルークが、前を行くリディアに声を掛けた。

「帰途についた貴族達とかち合わないように、とりあえず西に行こうと思う」

 馬上から振り返ったリディアは、眼下に広がる草原を指差し、自分を乗せてくれている、鬣を短く刈った栗毛の馬の首を撫でた。その手には乗馬用の皮の手袋がされている。

(これで指輪のことは知られないな!)

 リディアはこの上も無く上機嫌だったが、永遠に手袋をしていられるはずがないことを彼女は忘れている。

「行くぞ! ハッ!」

 声を掛け、リディアは馬を走らせ始めた。
 風が生まれ、後ろに結い上げた黒髪が波打つ。
 馬の足がリズムよく地面を蹴る度、心地いい衝撃が彼女の体を突き抜けた。
 まるで緑色の海原のような草原は、風が吹く度さながら波のようにうねり、その動きと共に潮騒のような葉擦れの音を出した。

(まるで物語の中の大攻勢時代のようだ!)

 楽しくて堪らなくなったリディアは、草の波頭を蹴散らしながら後ろに続くルークを振り返った。

「なぁルーク! こうしていると、子供の頃にやった大攻勢ごっこを思い出さないか?」

「この年でごっこ遊びですか? そもそもたった二人で大攻勢もないでしょう。物語を再現するなら、少なくともあと二千は騎馬兵が必要ですよ」

 冷静なルークの言葉にリディアは顔を顰めた。
 楽しい夢想を邪魔されて悔しかったのだ。

「いっつもお前はそうなんだから! たまには私につきあってくれてもいいと思う!」

「たまにならいいんですけどね」

「何だ? 何が言いたい!」

「いえ、女王となる人が子供心を忘れない方で、さぞかしこの国は栄えるだろうと」

「……」

「ええ。仕事を放り出して遊び呆けるその姿には、一種神々しさすら感じますね」

「今日はお前が自由にしていいって言ったんじゃないか!」

 噛み付くように言い返すと、横に馬体を並べてきたルークは呆れて呟いた。

「今日の分が、後で貴方を困らせないといいんですけどね」

 乗馬用の黒い皮の服を着たルークは、後ろで纏めた長い髪を揺らして首を振る。

「言っておきますが、泣きついて来るのは無しですからね。ちゃんと自分でやるんですよ」

「少しくらいは……手伝ってくれるよな?」

 しかし返答はない。
 ルークは素知らぬ顔で気持ち良さそうにひたすら黒馬を駆けさせている。本来はリディアの希望を叶えた遠乗りであったはずなのに、まるでそれすらルークの計算通りだったかのようだ。
 リディアは面白くない気持ちで前を見据えた。
 先程までは開放的な風景だった草の波のうねりが、一転して彼女のこれからの苦労を笑うさざめきの権化のように見えた。

(何だよ……せっかくの自由時間なのに、不安な気持ちにさせること無いじゃないか)

 背中に乗る主の心が乗馬から離れたのに気付いたのか、リディアを乗せて軽快に草原を駆けていた栗毛の馬の足が鈍った。ゆっくりと隣に並んでいた黒い馬から遅れていく。

(もうすぐ私は王宮で仕事三昧の毎日を送らなければならなくなるのに、今日ぐらい心から楽しんだっていいじゃないか)

 ふつふつと怒りが込み上げてくる。
 栗毛の馬は遂に鼻を鳴らして足を止めてしまった。それに気付かずルークの馬は先に行ってしまったが、リディアは離れていくルークの背中を睨みつけながら何も言わない。

(子供の頃を思い出して、ちょっと嬉しくなっただけじゃないか!)

 風が青い草のいい匂いをリディアに届けたが、彼女の怒りを静めることは出来ない。
 先に行ってしまっていたルークが、草原の真ん中で立ち尽くしているリディアの馬の様子に気付き、馬首を反転させるのが見えた。

(もうすぐ故郷に帰ってしまうくせに……)

 ルークは馬の鬣と自分の髪を風に弄らせながら、ゆっくりリディアの方に戻ってきた。

(もうすぐ離れ離れになってしまうのに)

 風にあおられた髪が口の中に飛び込み、何だか切なくなった。途端に視界がぼやけ、リディアは慌てて目を閉じた。
 溢れんばかりに瞳を覆っていた涙が睫毛に弾かれ、馬の鞍に黒い涙のしみを作る。

(もしかしたら今日が、二人きりで遊ぶ最後の日になるかもしれないのに……)

 馬の鼻と鼻を突き合わせるくらい近くに戻ってきたルークは、歯をくいしばって声も無く泣くリディアの姿に呆れた表情を浮かべた。

「手伝わないと言ったくらいで泣いているのですか? 貴方は本当に泣き虫ですね」

 リディアは目を開き、首を傾げてこちらを見ているルークを睨み付けた。

「お前は本当に意地悪だ!」

 言い放ち、鳩が豆鉄砲をくらったかのように目を丸くしているルークの隣を、挑戦的に掠めるようにして馬を駆け抜けさせた。

「リディア!」

 驚いたような、焦ったような友人の声に、怒れる次期女王陛下は唇を噛む。

(今日と言う今日は許さん! 絶対絶対許さないからな!)

 頑なな彼女の心を代弁するかのように、耳元で風がびゅうびゅうと唸っている。
 怒りのあまりに速くなったリディアの鼓動に重なるように、地面を蹴りつける馬の蹄の音が荒々しく草原に響いた。

「待ちなさいリディア! 一体どこに行くんです?」

 背中からルークの制止の言葉が届いたが、リディアは構わず草の海を駆け抜け、緑濃い森の中に飛び込んだ。

(ルークなんか置いて行ってやる!)

 心に誓ったが、森の中に入った途端に速度が落ちた。道も敷いていない未開の森だったため、好き勝手に生えている木々に邪魔されて思うように進めないのだ。右に左にと馬首を巡らせ縫うように行くと、突然視界が開けた。
 暗い森の中にずっと居たため陽光に目が眩んだが、今はそれどころではない。このままではあの小面憎い幼馴染みに追いつかれてしまう。

(ルークなんかこの森の中で迷子になれ!)

 白い光が眩しくてリディアは目を閉じていたのだが、彼女は怒りのままに馬の腹を蹴った。途端に嘶きを上げて馬は走り出す。が、すぐに蹄の音が止んだ。

(何だ?)

 不思議に思って瞼を押し開いたリディアは、自分が飛んでいるのに気がついた。
 正確に言うならば彼女は飛んでいたのではない。
 跳躍していたのだ。
 前も見ずに馬を走り出させたため、段差から飛び降りる格好になってしまったのだった。

(あれ? 地面が光ってるぞ?)

 どこか冷静にそう疑問に思った瞬間、リディアは馬ごと泉に落ちた。
 ばっしゃーん! と大きな水柱が上がり、その音に驚いた森の鳥達が一斉に飛び立つ。
 泉に落ちたのに驚いたのか、鳥の羽ばたきの音に驚いたのか、はたまたリディアを背中に乗せていることが甚だ嫌になったのか、栗毛の馬は鋭く嘶きながら後足で立ちあがった。

「うわへぁっ!」

 情けない声を上げて馬の背中から振り落とされたリディアは、どぼん、と先程より控え目な音と共に、泉に小さな水柱を作った。
 リディアが水中の人となってから程なくして、段差の上にルークが現れた。黒馬の上から呆れた様子で泉を見下ろしている。

「……っぷはっ! うゲホッゲホッ!」

 しこたま水を飲み、咳き込みながら水の中から顔を出した王女に、冷やかな声が降る。

「リディア、貴方は一体何をしたいのです」

「っ! ゲホゴホゲホッ!」

 言い返そうとしたのだが、王女の喉は咳き込むのに忙しい。

「大攻勢時代ごっこの次は水遊びですか?」

「ゲホッ!」(違うっ!)

「全く、貴方は子供の頃からまるで成長していない」

「ゲホゴホゲホッ!」(余計なお世話だ!)

「……それで、いい加減水から上がっては?」

「ゴホゴホゴホッ!」(うるさぁーいっ!)

 半泣きになっているリディアに気がついたのか、ルークは一つ溜め息を吐いて黒馬から降り、段差の上から手を差し伸べる。

「さあ、リディア……」

 しっかりとリディアを見据えるルークの灰色の瞳。そこに浮かぶ光は媚でも侮蔑でもなく、淡々と全てを見つめ続ける冴えたものだ。

(いつもいつもこうなんだ)

 宥めるでなく、叱りつけるでなく、ただ見つめる。自分ではどうにも引っ込みが付かなくなってしまった時、いつもルークは素知らぬ顔でリディアに逃げ道を作る。

(いっつも! いっつも! いーっつも!)

 綺麗に後ろで一つに纏まっていた銀の長い髪がほつれている。全速力で走ったリディアの馬を追いかけるのに、ルークもまた全力で馬を駆けさせたのだろう。

(だからいつも、私はルークに勝てない……)

 リディアはびしょ濡れになってしまった手袋のまま、差し伸べられた手を取った。


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