虚飾城物語

ココナツ信玄

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第三章

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 遠乗りから帰ってからすぐ、虚飾城はぴりぴりとした空気を漂わせ始めた。
 かつて五人しか居なかった兵士は一気に百人まで数が増え、城中の至る所で不審な者は居ないか目を光らせるようになっていた。
 城に届けられる数多の贈り物も、虚飾城の中に入れる前に門の前で中を検められることになり、リディアの三度の食事にも毒見の人間が付いた。
 何しろ次期女王の命が狙われたのだ。
 周囲の反応が過敏になるのも当然のことだった。

(私のことを守ってくれようとしているのはとてもありがたいのだけれど……)

 リディアはコーンポタージュスープで満たされた、目の前の皿を見やった。

(こういうのはあんまり嬉しくないな)

 冷めているのだ。
 何人もの毒見の人間を通してから運ばれてくる訳で、それはすでに出来上がってから何時間も経っている。
 スープにスプーンを浸してリディアは思う。

(警護か何か知らないけれど、こんなに大勢の人間に見つめられて食事するなんて)

 椅子に座ってテーブルに向かうリディアの両隣に一人ずつ。部屋の入り口を固める兵士が二人。何を心配しているのか分からないが、テーブルの向かいに二人。柱の陰にも一人。それらの兵士がリディアの食事する姿を見つめているのだ。食べにくいことこの上ない。

「どうせだったら、みんなで食べないか?」

 提案してみたが、皆に首を横に振られた。

(一人でごはんだなんて。ルークも居ないし)

 ルークはリディアの頬に矢傷を付けた咎で、城内のどこかで罰を受けているのだ。もちろんルーク本人が矢を放った訳ではないことはちゃんと訴えた。
 だが、そこはそれ。
 紳士たる者が淑女を守れなかったことは十分罰に値するのだという。

(ルークはこの国の人じゃないし、他国の王子様なのに、罰だなんて。何か可笑しいな)

 リディアはスープを啜りながら考える。しかし彼女は、だからこそルークが罰を受ける羽目になったのだと言うことが分からない。
 他国の王族がトルトファリアの次期女王と行動を共にしている時に、一方だけが傷付けられた。下手をしたら二国間で争いが起きてしまう大事件だ。
 だから虚飾城の人間達は中央に知られる前にルークに責めを負わせた。既に償いをしているのだから、それ以上の罰は必要ないのだと言い返せるように。

(あーあ、つまらん。ルークに会いたいな)

 ルークへの罰はリディアへの罰も同じだった。
 彼に課せられたのは、ほとぼりが冷めるまで王女に会えないことという、見ようによっては彼への特典のようなものだったから。
 溜め息を吐いて、スプーンを握る自分の右手を見下ろす。
 親指に軽い火傷の痕があった。
 手袋を取ったら指輪は粉々に砕けていて、代わりにこんなものが出来ていたのだ。

(指から外れてくれたのは良い事だけれど、壊れなくても良かったのに)

 はめ込まれていた石が気に入っていたリディアは、ほんの少しがっりした。

(放たれた矢の一つが当たってしまったのか?)

 手袋には何の傷も見当たらなかったが。

(あの時焼けるように熱くなったのと関係があるのか?)

 火矢を射掛けられた訳でも、近くに発火するようなものも無かったが。

(何が何なのかさっぱり分からん)

 リディアはスプーンを咥えて途方に暮れた。





 襲撃から半月が過ぎ、ルークとの面会も許可されるようになって、リディアは即位式のために王都へと出発することになった。

「いってらっしゃいませ! リディア様!」

「ルーク様、リディア様。どうぞご無事で!」

 気心の知れた女中達や兵士達が手を振って見送る中、リディアとルークを乗せた馬車は虚飾城を後にした。
 ガラガラと言う幾分重い車輪音に耳を傾けながら、リディアは窓から馬車の外を覗いた。
 穏やかな日差しを甲冑で反射し、逞しい軍馬に騎乗した厳めしい顔つきの兵士達が馬車を囲んでいる。
 襲撃に備えているのだ。

(私が虚飾城に追われた時と全然違うな)

 幼少の頃、同じ道を反対方向に旅していた時には、こんな厳重な警備は付いていなかった。厄介者として王都を追われたのだから、中枢はどうせなら盗賊か何かに襲われて死んでしまった方が良いと考えたのかもしれない。その希望は叶わず、リディアはこうして充分に成長してしまったが。
 かつての厄介者が、次期女王。
 何とも奇妙な話だ。

(当時の権力者達はさぞ慌てているだろう)

 城に差し出し人の名が書かれていない、思わせぶりな白鷹の封蝋をした贈り物が山のように送られてきていたことを思い出し、リディアは含み笑いを浮かべた。
 白鷹は王家の紋章である。
 それを使える人間は王と王位継承権を持つ者のみ。
 カリム王は現在、昏睡状態にあると言われているし、三人の兄はとっくの昔に亡くなっている。つまり誰も白鷹の封蝋など使っていないのだ。けれどもそれらは確かに虚飾城宛てに届けられた。まるで白鷹の紋章を使える人の考えを、代弁しているのだと言い繕うように。

「何が楽しいのですか?」

 くつくつと笑い出したリディアを、ルークが不審な面持ちで見つめていた。
 馬車の小さな窓から見える景色はのどか極まりなく、馬車の中も豪奢な造りではあるがこれといって面白くはない。車輪は淀みなく回り続けていて、何かが起こった気配すらない。
 そんな状況で前触れもなく笑い出したリディアは、少し不気味だった。

「いや! 何でもない何でもないぞ!」

 慌てて首を振ってみせたが、ルークの不審気な眼差しは揺るがない。

「だから、白鷹の紋章を使う人間から贈り物が届いたなと、ね?」

 それのどこが面白いのか分からないと言いたげに息を吐いたルークは、やや呆れた口調でリディアに言った。

「立場的に、王家の紋章を無断で使った人間に対して憤慨するべきだと思うのですが?」

 ぐうの音も出なくなり、リディアはそっぽを向いた。しかしルークはそんな彼女の様子も気に掛けずに喋り続ける。

「王家の威信がどうのと言う前に、名前も告げずにお祝いの品を送ってくる人間とは、怪しいですね。贈り物の中に毒物や嫌がらせなどはありませんでしたが、この間の襲撃のために貴方を油断させようとした、とも考えられます」

 そう言ったきり考え込んでしまったルークは、目を伏せて僅かに俯いた。

(何かルーク……格好いいなぁ)

 不穏なものを感じて憂うルークも余所に、襲撃の的となった本人は、善からぬ前兆も何もかも放ったらかしにして、うっとりと目の前の友人を眺めていたが。
 王都訪問のため、いつものシャツとズボンではなく青を基調とした絹の礼服を身に纏ったルークは、どこかの国の高貴な人に見えた。
 実際にルークはバーディスル王国の第一王子だ。しかし今、その身に纏っているのはトルトファリアの礼服である。
 彼は自国の服を纏うことを許されていないのだ。

(バーディスルの礼服も格好いいんだけど)

 幼い時に一度だけ見たそれが、トルトファリアの司祭が着るようなローブに似ていたのを、リディアははっきりと覚えている。
 九年前、褐色の肌と銀色の髪を際立たせる濃紺のローブに身を包んで、ルークはリディアの隣にやってきたのだ。

ーー今日からリディア様のご学友となられる、バーディスル国の王子、ルーク様です。どうか仲良くされますように。

 取って付けたように笑う王都の使者と共に虚飾城にやってきた彼は、冷めた表情でリディアを見つめていた。

(初めは愛想も何もなくて、私はルークが苦手だったんだ)

 思い出し、まだ目の前で考え込んでいるルークを盗み見る。
 小さな窓から差し込む午後の日差しを受けてルークの銀髪が白く輝いている。それらに縁取られた顔は整ってはいるが、目を閉じているのも相まって、酷く冷淡に見えた。

(確かにルークは昔も今も綺麗だけれど、意地悪で冷たい。なのに何故私はルークと仲良くなったんだ? そもそも何故私はルークに好感を持ったんだろう? 無愛想なのに)

 絹糸のような友人の睫毛を眺めながらリディアは記憶を手繰り寄せる。
 そして思い出した。

(ああ、そうだ。私が森で迷子になった時、探しに来てくれたんだ)

 ルークが虚飾城に来て間もない頃、新しい友人と一向に親しくなれない上に母親が恋しくなったリディアは、家出ならぬ城出をしたのだ。そして当時九才の彼女は、もれなく持ち前の無鉄砲さで城の裏の林で迷子になった。
 今は隅から隅まで知り尽くしている森だが、その時は未開の魔境に紛れ込んでしまった人間のように不安になったのを覚えている。
 鬱蒼とした森の木々は太陽の光を遮り、昼間だと言うのに薄暗く、あちこちに迫り出した木の根は、まるで意地悪を楽しんでいるかのようにリディアを何度も転ばせた。
 どっちに行けば城に帰れるのか分からないうえ、転んで擦り剥いた膝が痛い。
 朝ごはんも食べずに飛び出して来た為、限界というくらいに腹が減っていた。

 それに何より、一人ぼっちは心細かった。

(どうしようも出来なくなった時、ルークが私を見つけてくれたんだ)

 涙で潤んだ視界に、確かに映ったのは無愛想な新しい友人の姿だった。
 木の根を器用に避けてリディアの前に歩いてきたルークは、至極当然のような顔でなめし皮の鞄を差し出し、言ったのだ。

 昼ごはんを忘れてピクニックですか? リディア、貴方は随分とうっかり屋ですね。

 本当に彼がリディアの城出に気付いていなかったのかは今でも分からないが、へそ曲がりの気のある彼女には有効な言い方だった。

 うん……すっかり忘れていた。ありがとう。

 素直に昼食を受け取ったリディアは、城出から探検に急遽予定を変更した。
 二人は和やかに森の中で食事をし、日が暮れる頃に城へ帰った。捜しに来るときに、ルークが木の肌に付けていた目印を辿って帰ったのだ。

(そうだ。それから私はルークのことを知りたいと思うようになったんだ)

 幼い彼女なりにルークを理解しようとしたのだった。何せ森の中へわざわざ捜しに来てくれたのだ。悪い人間ではないだろう、と。
 異国から来た友人は誰に対しても無愛想だったから、やがてリディアはそういう表情が素なのだろうと納得した。
 元からなのだから別にリディアに対して腹を立てているとか、悪感情を抱いているとかそういうことではないのだ。そう考え気にしないでいると、やがてルークは環境の変化に順応したのか、徐々に表情に固さがなくなっていった。時々は笑ってくれるようになったし、悪戯をしすぎたリディアを怒ることもするようになった。

(だけど、灰色の瞳の冷たさだけはいつになっても変わらなかった)

 けれどもやがてリディアは発見するのだ。
 故郷のバーディスル国のことを訊ねれば、その光が柔らかなものに変わることを。

(そうか。私は随分と前からルークの微笑みが気に入っていたんだな。初めて心から笑ってくれた時は暫らく惚けてしまったもの)

 じっと自分を見つめる王女の様子に気付いたルークが、首を傾げていたのを覚えている。きっと長い間見ていたのだろう。
 その時彼の銀髪が、首を傾げて肩に付くか付かないかの所で揺れていたのも鮮明な記憶の中にある。
 視線を巡らせ、あの時から九年の時が経ったルークの姿を眺めた。
 かつて短かった銀髪は、座っている馬車の座席に毛先が付くほどに長く伸びている。

(そう言えば、何故ルークは髪を切らないのだ? バーディスルの風習かな?)

 疑問に思ったリディアは、まだ何かを考えていたルークに訊いてみた。
 意表を突かれたように一瞬目を見開いたルークは、呆れて苦笑するように唇を歪めた。

「いいえ。髪を伸ばす風習はありませんよ」

「じゃあ、何故?」

 重ねて訊ねると、灰色の瞳の中が凍てついたように冷たくなった。

「さあ……何故でしょうね?」

 気まぐれを起こしたかのようにはぐらかしたルークは、殊更冷たくなった瞳を隠すかの如く目を伏せ、再び深い物思いの中に沈んでいってしまった。

「……」

 馬車の中を重い沈黙が支配する。

(私は何かいけないことを訊いたのか?)

 様々な疑問がリディアの頭を渦巻いたが、全てを拒絶するように瞼を閉じてしまったルークの姿に、彼女は何も言えなくなっていた。

 

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