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第三章
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レモン色の半月が空に浮かぶ頃、次代の女王を乗せた馬車一行は深い森を抜けた。
しかし王都への道のりはまだまだ長い。
(子供の頃はこの森を抜けるのに二日もかかったが……やはり馬車は速いな)
感心しつつ、リディアは大きな欠伸をする。はやくもこの馬車の旅に飽きていた。
外からの襲撃に備えた小さな窓から見える景色はいつまでものどかで代わり映え無く、リディアの心を弾ませてはくれなかったし、初めは軽快な音楽のようだった車輪の音も今はうるさいだけだ。そして何よりもリディアを苛むものが馬車の中にあった。
ルークだ。
何が逆鱗に触れたのか、あれからルークが一言も喋らなくなってしまった。もちろんリディアが話し掛ければ答えるのだが、自分から話し掛けてくることは一切しない。
「なあ、ルーク」
「何ですか?」
返す言葉は素っ気無く、瞳は冷え冷えとしたもので満たされている。
(この重い空気が嫌だ! 耐えられない!)
苛立ち始めたリディアの神経を逆撫でするように、馬車が悪路に入る。
ただでさえ耳障りだった車輪の音は大きくなり、車体は前後左右に大きく揺れだした。
(もう一秒だって我慢できない! 腹が立ったならその理由を言えばいいのだ! 訳も言わずにねちねちとーっ!)
窓枠に頭をぶつけて遂に癇癪を起こしたリディアは、全てのイライラを目の前の男にぶつけた。
「ルークッ! 言いたいことがあ……!」
ぶつけようとしたが、それは叶わなかった。
馬車が一際大きく揺れ、今にも怒鳴り散らさんとしていた相手の膝に頭から倒れこんでしまったからだ。
(ああもう! 格好悪いったらない)
惨めな気分でルークの膝の間に顔を埋めていると、後頭部に笑い含みの溜め息が降って来た。
「リディア、いつまでそうしている気です?」
(余計なお世話だ!)
心の中で喚きながら、半ば意地になってそのままでいると、再び溜め息が聞こえた。
「馬鹿な意地を張るのはやめなさい」
諭すように言われ、転んだ子供のように抱き起こされる。
「また子供扱いかっ?」
「嫌なら年に相応しい行動をするんですね」
「うるさい! 離せっ!」
しかし脇腹を掴んでいる手は離れない。
「暴れないでください。ぐずる赤ん坊ではないのですから」
「っ! 赤子と言うかっ? どこまで私を馬鹿にしたら気が済むんだ!」
ルークの肩に手を置き全身の力を込めて体を引き離そうとしたが、如何せん体力の差は歴然としている。
かたや冗談でも剣士と呼ばれていた男。
かたや武芸の時間もさぼることに命をかけていた女。
当然にしてリディアはその腕を振り払うことすら出来ないのだった。
「馬鹿になど、そんな畏れ多い」
「顔が笑っているんだよっ!」
何だか楽しげな笑みを浮かべている目の前の友人を睨み付けながら、もしかしたらルークもあの沈黙をどうしたものかと悩んでいたのかもしれない、とリディアは思った。
(だったら、さっきの無愛想さは忘れてあげてもいいかな)
友人の顔を覗き込んでみる。
灰色の瞳に、凍てついた光はもう見えない。
(よしっ! このまま無かったことにしてしまおう!)
うやむやに仲直りをしてしまおうとした瞬間、再び馬車が大きく揺れた。
「っ?」
「っ!」
ガチッ! と固い物がぶつかり合う音が馬車の中に響き渡る。
(何だ? 何が起きた?)
リディアは混乱していた。
(何でルークの顔がこんなに近くにある?)
「……」
馬車の中は静かだ。
何故ならその中に居る全ての人間の口が塞がっていたから。
(そうだ! ルークの口が私の口を塞いでいるんだ。私達、口付けをしている!)
唇を奪われると言う予期せぬ事故の衝撃からいち早く立ち直ったらしいルークは、やおら覆い被さるようになっていたリディアの体を優しく押しのけ、唇を離した。
「あー……」
何か言おうとしたが、こういう時に何を言えばよいのか分からない。
言葉に詰まったリディアはもじもじと俯いた。
(口付けの後、私はどうすればいい? 何を言えば良いのだ? そりゃあ私達は友人なのだから気にしなくてもいいのだろうが、私とて花も恥じらう乙女。それらしいことを……)
何とか相応しい言葉をと思うのだが、恥ずかしいやら気まずいやらで頭が回らない。
パニック寸前に追い込まれたリディアの様子に気が付き、ルークが声を掛けた。
「リディア……」
顔を上げると、ルークの顰め面があった。
(? 何だ?)
口元に手を当て、整った顔を盛大に歪めたその様は、甘い口付けの後に相応しい表情ではない。
「凄い揺れでしたね。私は歯で唇を切りました。貴方は大丈夫ですか?」
「……なっ!」
それから二日ほど、リディアの仏頂面は直らなかった。
しかし王都への道のりはまだまだ長い。
(子供の頃はこの森を抜けるのに二日もかかったが……やはり馬車は速いな)
感心しつつ、リディアは大きな欠伸をする。はやくもこの馬車の旅に飽きていた。
外からの襲撃に備えた小さな窓から見える景色はいつまでものどかで代わり映え無く、リディアの心を弾ませてはくれなかったし、初めは軽快な音楽のようだった車輪の音も今はうるさいだけだ。そして何よりもリディアを苛むものが馬車の中にあった。
ルークだ。
何が逆鱗に触れたのか、あれからルークが一言も喋らなくなってしまった。もちろんリディアが話し掛ければ答えるのだが、自分から話し掛けてくることは一切しない。
「なあ、ルーク」
「何ですか?」
返す言葉は素っ気無く、瞳は冷え冷えとしたもので満たされている。
(この重い空気が嫌だ! 耐えられない!)
苛立ち始めたリディアの神経を逆撫でするように、馬車が悪路に入る。
ただでさえ耳障りだった車輪の音は大きくなり、車体は前後左右に大きく揺れだした。
(もう一秒だって我慢できない! 腹が立ったならその理由を言えばいいのだ! 訳も言わずにねちねちとーっ!)
窓枠に頭をぶつけて遂に癇癪を起こしたリディアは、全てのイライラを目の前の男にぶつけた。
「ルークッ! 言いたいことがあ……!」
ぶつけようとしたが、それは叶わなかった。
馬車が一際大きく揺れ、今にも怒鳴り散らさんとしていた相手の膝に頭から倒れこんでしまったからだ。
(ああもう! 格好悪いったらない)
惨めな気分でルークの膝の間に顔を埋めていると、後頭部に笑い含みの溜め息が降って来た。
「リディア、いつまでそうしている気です?」
(余計なお世話だ!)
心の中で喚きながら、半ば意地になってそのままでいると、再び溜め息が聞こえた。
「馬鹿な意地を張るのはやめなさい」
諭すように言われ、転んだ子供のように抱き起こされる。
「また子供扱いかっ?」
「嫌なら年に相応しい行動をするんですね」
「うるさい! 離せっ!」
しかし脇腹を掴んでいる手は離れない。
「暴れないでください。ぐずる赤ん坊ではないのですから」
「っ! 赤子と言うかっ? どこまで私を馬鹿にしたら気が済むんだ!」
ルークの肩に手を置き全身の力を込めて体を引き離そうとしたが、如何せん体力の差は歴然としている。
かたや冗談でも剣士と呼ばれていた男。
かたや武芸の時間もさぼることに命をかけていた女。
当然にしてリディアはその腕を振り払うことすら出来ないのだった。
「馬鹿になど、そんな畏れ多い」
「顔が笑っているんだよっ!」
何だか楽しげな笑みを浮かべている目の前の友人を睨み付けながら、もしかしたらルークもあの沈黙をどうしたものかと悩んでいたのかもしれない、とリディアは思った。
(だったら、さっきの無愛想さは忘れてあげてもいいかな)
友人の顔を覗き込んでみる。
灰色の瞳に、凍てついた光はもう見えない。
(よしっ! このまま無かったことにしてしまおう!)
うやむやに仲直りをしてしまおうとした瞬間、再び馬車が大きく揺れた。
「っ?」
「っ!」
ガチッ! と固い物がぶつかり合う音が馬車の中に響き渡る。
(何だ? 何が起きた?)
リディアは混乱していた。
(何でルークの顔がこんなに近くにある?)
「……」
馬車の中は静かだ。
何故ならその中に居る全ての人間の口が塞がっていたから。
(そうだ! ルークの口が私の口を塞いでいるんだ。私達、口付けをしている!)
唇を奪われると言う予期せぬ事故の衝撃からいち早く立ち直ったらしいルークは、やおら覆い被さるようになっていたリディアの体を優しく押しのけ、唇を離した。
「あー……」
何か言おうとしたが、こういう時に何を言えばよいのか分からない。
言葉に詰まったリディアはもじもじと俯いた。
(口付けの後、私はどうすればいい? 何を言えば良いのだ? そりゃあ私達は友人なのだから気にしなくてもいいのだろうが、私とて花も恥じらう乙女。それらしいことを……)
何とか相応しい言葉をと思うのだが、恥ずかしいやら気まずいやらで頭が回らない。
パニック寸前に追い込まれたリディアの様子に気が付き、ルークが声を掛けた。
「リディア……」
顔を上げると、ルークの顰め面があった。
(? 何だ?)
口元に手を当て、整った顔を盛大に歪めたその様は、甘い口付けの後に相応しい表情ではない。
「凄い揺れでしたね。私は歯で唇を切りました。貴方は大丈夫ですか?」
「……なっ!」
それから二日ほど、リディアの仏頂面は直らなかった。
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