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4.黒い毛玉が増えた
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幽霊らしきものになってから更に数日が過ぎた。頭を悩ませることは幾つかあれど、取り立てて大きな事件の無い穏やかな日々が続いていた。
とはいえ先日夫人の葬儀を終えたばかり。穏やかと言えば聞こえは良いが、邸を覆う静寂はかつての女主人を悼む物悲しさの象徴にも見えた。セレストも、邸に仕える使用人たちも、果たして寡黙なのは元からなのか、哀しみが尾を引いているのか。
セレストはあの日以来、泣いている様子は無い。己を律しているのか、無表情の人形じみた顔が余計に悲しくうつる。
何ともやるせない心地でいる中、ここ数日やけに気になっている事があった。
セレストの足元、少し離れたところに黒い小さな毛玉が落ちている。親指の先くらいの大きさのそれは、一見すると女性のドレスやケープなんかの飾り紐につけられている毛糸で出来た玉房に見える。
初めに見つけたのは葬式から帰った夜だったか。着ていた服から取れて落ちたのだろうと思ったが、気づいたところで知らせる術が無い。
いずれ侍女なりが拾うだろうと気に留めずにいたのだが、一向にその様子が無い。
床に落ちているのなら、生真面目なこの邸の使用人たちが掃除の際に見落とすとは思えない。
そもそも気になり出したのは、その毛玉が何故だか常にセレストの足元に転がっているからだ。自室に廊下、ダイニングルーム、どこにでも、まるでセレストについて来ているように傍にある。使用人たちに見えていない様子といい、自分の置かれた状況に似通っている。
得体の知れない毛玉にじっと視線を送る。
──ただの糸くずではなかろうが……まさか悪霊や死霊の類ではないよな……?
見たところ禍々しさは感じないが、真っ黒な色あいから不吉を連想してしまい、無害と断じてしまう事ができない。
ただでさえよくわからない男の幽霊に付き纏わられているというのに。セレストはおかしなものを呼び寄せてしまう体質でもあるのだろうか。
◇◇◇
他に出来る事もないので、毎日毛玉の観察を続けている。初めに親指の先ほどの大きさだったそれは、日が経つにつれ少しずつ大きくなっていった。今や拳程の大きさに成長した毛玉は、相変わらずセレストの周りをころころと転がっている。そう、ある程度の範囲を、まるで意志があるようにころころと動いているのだ。
──お前、毛玉のくせに、ずるくないか?
動くこともままならずに、セレストの着替えや湯あみの時間が来る度に精神修行のような気分を味わっている身からすると、どこか釈然としない。
ついにはぴょんと跳ねたかと思えば、セレストの肩に乗っている。
──……は?? 触れられるのか??
自分と似たような状況だと思っていた毛玉だ。
壁や物に触れようとすれば、すり抜けてしまうのだから、当然のごとく人の身体にも触れられないと考えていたので、その光景に動揺してしまう。
思わず自身の手を凝視して、それから目の前に立つ少女に視線をうつす。
整えられた艶やかな黒髪が美しい、形の良い後頭部が見える。
──いやいや、だめだ。これは、触れられるかどうかの問題ではない。
苦悶しながらも手を引っ込める。
それから侍女のマーサがセレストの身支度を整える時のことを思い出してみる。彼女は髪を梳いたり結わえる為にセレストの真後ろに立つ事もある。そういう時は大抵、この身体はすすすっとマーサとぶつからないように勝手に位置を変えるのだ。そこに己の意志は介在していない。
その夜、湯あみの後でセレストの濡れ髪を梳いて乾かすマーサと、己の手を交互に見ながら悩んでみたが、”触れられるかどうか試す”のは諦めた。マーサもまた、年嵩であっても女性だ。
──俺は、俺は紳士的な幽霊でありたい……。
家令や男性の使用人が近くまで来る事があれば試せるのだが、この邸の使用人たちはとても分をわきまえていて、そんな機会はありそうにない。
後日、深夜にこっそりとセレストの寝顔を見にやってきた父親の肩に、心の中で詫びながら手を伸ばしてみたが、残念なことにすり抜けてしまった。気づかれた様子は無い。
むしろ得体の知れない誰かの手が触れたなど、気づかれたら彼にしてみれば怪奇現象である。まだ憔悴の色が濃い彼を思えば、余計な不安を与えずに済んで良かったのだと納得する事にした。
とはいえ先日夫人の葬儀を終えたばかり。穏やかと言えば聞こえは良いが、邸を覆う静寂はかつての女主人を悼む物悲しさの象徴にも見えた。セレストも、邸に仕える使用人たちも、果たして寡黙なのは元からなのか、哀しみが尾を引いているのか。
セレストはあの日以来、泣いている様子は無い。己を律しているのか、無表情の人形じみた顔が余計に悲しくうつる。
何ともやるせない心地でいる中、ここ数日やけに気になっている事があった。
セレストの足元、少し離れたところに黒い小さな毛玉が落ちている。親指の先くらいの大きさのそれは、一見すると女性のドレスやケープなんかの飾り紐につけられている毛糸で出来た玉房に見える。
初めに見つけたのは葬式から帰った夜だったか。着ていた服から取れて落ちたのだろうと思ったが、気づいたところで知らせる術が無い。
いずれ侍女なりが拾うだろうと気に留めずにいたのだが、一向にその様子が無い。
床に落ちているのなら、生真面目なこの邸の使用人たちが掃除の際に見落とすとは思えない。
そもそも気になり出したのは、その毛玉が何故だか常にセレストの足元に転がっているからだ。自室に廊下、ダイニングルーム、どこにでも、まるでセレストについて来ているように傍にある。使用人たちに見えていない様子といい、自分の置かれた状況に似通っている。
得体の知れない毛玉にじっと視線を送る。
──ただの糸くずではなかろうが……まさか悪霊や死霊の類ではないよな……?
見たところ禍々しさは感じないが、真っ黒な色あいから不吉を連想してしまい、無害と断じてしまう事ができない。
ただでさえよくわからない男の幽霊に付き纏わられているというのに。セレストはおかしなものを呼び寄せてしまう体質でもあるのだろうか。
◇◇◇
他に出来る事もないので、毎日毛玉の観察を続けている。初めに親指の先ほどの大きさだったそれは、日が経つにつれ少しずつ大きくなっていった。今や拳程の大きさに成長した毛玉は、相変わらずセレストの周りをころころと転がっている。そう、ある程度の範囲を、まるで意志があるようにころころと動いているのだ。
──お前、毛玉のくせに、ずるくないか?
動くこともままならずに、セレストの着替えや湯あみの時間が来る度に精神修行のような気分を味わっている身からすると、どこか釈然としない。
ついにはぴょんと跳ねたかと思えば、セレストの肩に乗っている。
──……は?? 触れられるのか??
自分と似たような状況だと思っていた毛玉だ。
壁や物に触れようとすれば、すり抜けてしまうのだから、当然のごとく人の身体にも触れられないと考えていたので、その光景に動揺してしまう。
思わず自身の手を凝視して、それから目の前に立つ少女に視線をうつす。
整えられた艶やかな黒髪が美しい、形の良い後頭部が見える。
──いやいや、だめだ。これは、触れられるかどうかの問題ではない。
苦悶しながらも手を引っ込める。
それから侍女のマーサがセレストの身支度を整える時のことを思い出してみる。彼女は髪を梳いたり結わえる為にセレストの真後ろに立つ事もある。そういう時は大抵、この身体はすすすっとマーサとぶつからないように勝手に位置を変えるのだ。そこに己の意志は介在していない。
その夜、湯あみの後でセレストの濡れ髪を梳いて乾かすマーサと、己の手を交互に見ながら悩んでみたが、”触れられるかどうか試す”のは諦めた。マーサもまた、年嵩であっても女性だ。
──俺は、俺は紳士的な幽霊でありたい……。
家令や男性の使用人が近くまで来る事があれば試せるのだが、この邸の使用人たちはとても分をわきまえていて、そんな機会はありそうにない。
後日、深夜にこっそりとセレストの寝顔を見にやってきた父親の肩に、心の中で詫びながら手を伸ばしてみたが、残念なことにすり抜けてしまった。気づかれた様子は無い。
むしろ得体の知れない誰かの手が触れたなど、気づかれたら彼にしてみれば怪奇現象である。まだ憔悴の色が濃い彼を思えば、余計な不安を与えずに済んで良かったのだと納得する事にした。
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