どうやら俺は悪役令嬢の背後霊らしい

遠雷

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8.幽霊はめかしこむ必要がない

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 朝になっても相変わらず緑の蝶はセレストの周りをひらひら飛んでいた。

 ──この蝶、帰る様子は全く無いな……。

 一方、兄のブラッドは朝食を終えると寄宿学校へ戻るため、帰り支度をしていた。セレストはそんな兄の周りを邪魔にならない距離を取りつつ行ったり来たりろしている。いつもと変わらぬ真顔で顔には出さないが、寂しいのだろう。

「セレスト、来月のお茶会はリズだけじゃなくて僕も居るからね」

 ブラッドは妹の様子に気づいたのか、近寄ると目線を合わせて頭を撫でた。

「両陛下と王子殿下への謁見の挨拶は、僕がエスコートするよ。父上は恐らく……仕事だ」
「はい、兄さま」

 苦笑するブラッドにセレストはこくりと頷いて応える。

「手紙も書くからね」
「兄さまもどうかおからだにお気をつけて」

 玄関先でしばしの別れを惜しむ兄妹の様子を、いつもより大人しい毛玉犬と並び密かに見守っていた。

 しかし、馬車に乗り込むブラッドの肩に、おかしなものを見つけて思わず眉を寄せる。
 茶色い小さい毛玉がブラッドの肩でぴょんと跳ねたように見えた。

 ──あれば……見なかったことにしよう……。きっと気のせいだ。
 

 ◇◇◇


 数日すると邸はいつもより少しだけ騒がしくなった。ドレスの仕立て屋やら行商人が出入りしているからだ。

 件の王宮主催のお茶会というのはなかなか大規模なものらしい。セレストも新しくドレスを仕立てるようで、細かく採寸されたり、様々なレースやら布地やらを合わせられたりと慌ただしくしていた。

 淑女教育を担当する家庭教師が、いつにも増して気合を入れて授業をしている。

「……とはいえ、何も完璧である必要はありません。年端のゆかないうちは失敗も許されるもの、そこから学び成長する機会でもあります。大切なのは、礼儀作法は何の為にあるのか、なぜ必要であるのかという理由を裏付けする知識と教養に他なりません。理由をるものは、おしなべて所作にそれが顕れるのですよ」

 淑女教育の講師を務める女性は、高齢だが年齢を感じさせないほど立ち居振る舞いの美しい、柔らかさと厳しさを併せ持った貴婦人だ。伯爵家の出で、宮中で王太后の侍女を務めた経歴を持ち、王宮での催しや儀礼にも詳しい。

 来月開催される王家主催の茶会というのは、国中の貴族の子息令嬢を集め、恙なく育っている事を国王に報告する場であるらしい。子は宝というわけだ。
 幼い子女が紳士淑女としての経験を積む場でもある、と講師の女性は語る。王子殿下の誕生祭など幼少から参加出来る宮中行事に備えて、事前にお茶会という肩肘の張らない実践の場を設けているらしい。

 当然、を見越した顔合わせや、婚約者選びの布石という側面もあるのだろうが、何れにせよ今上国王は、未来を担うのは育ちゆく子供たちであるという認識を重んじているようだ。

 セレストは静かに言葉に耳を傾け、所作の指導を受けている。

 王宮のお茶会と聞いて、必然的に身体が勝手についていってしまう不審な幽霊としてはどこか憂鬱な気持ちでいたが、婦人の講義を傍らで聴いて、襟を正す心持でいた。


 ◇◇◇


 数日後、セレストは新調したドレスに袖を通し、最後の微調整の為に仕立て人や使用人の前でお辞儀をしてみたり歩いてみたりしていた。
 
 ──……恐ろしく可愛いぞ。まるで物語のお姫様だな。

 気づけばもう二月ほどもずっと傍に居たので、つい保護者のような眼差しで見てしまう。この場に居られない本当の父や兄にかわって、心の中で称賛を送る。すっかり”紳士的な幽霊”が板についたものだと自賛もする。

 落ち着いた薄紅色は彼女の瞳の色を白に溶いたような色合いだ。明るすぎず、暗すぎない、程よい薄紅に黒髪が映える。傍らをひらひらと飛ぶ緑の蝶がアクセントになって実に幻想的で美しい。あの蝶が他の人間には見えていないのが惜しいくらいだ。

 ──誰にも見えないとはいえ、こんな格好で後ろに立っていいものか……。

 下を向いて己の服装を再確認する。白いシャツに黒いスラックス。飾りも何もない簡素極まりない恰好をしている。
 悩んだところで着替える術など全く無いのだが、美しく着飾ったセレストの見事な立ち姿を見ているとどうにももどかしい。

 ──まぁ、どのみち誰にも見えないんだ……幽霊がめかしこんでどうするというんだ。

 項垂れている足元で黒い毛玉犬が揶揄うようにくるくると走り回っていた。
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