8 / 19
8.幽霊はめかしこむ必要がない
しおりを挟む
朝になっても相変わらず緑の蝶はセレストの周りをひらひら飛んでいた。
──この蝶、帰る様子は全く無いな……。
一方、兄のブラッドは朝食を終えると寄宿学校へ戻るため、帰り支度をしていた。セレストはそんな兄の周りを邪魔にならない距離を取りつつ行ったり来たりろしている。いつもと変わらぬ真顔で顔には出さないが、寂しいのだろう。
「セレスト、来月のお茶会はリズだけじゃなくて僕も居るからね」
ブラッドは妹の様子に気づいたのか、近寄ると目線を合わせて頭を撫でた。
「両陛下と王子殿下への謁見の挨拶は、僕がエスコートするよ。父上は恐らく……仕事だ」
「はい、兄さま」
苦笑するブラッドにセレストはこくりと頷いて応える。
「手紙も書くからね」
「兄さまもどうかおからだにお気をつけて」
玄関先でしばしの別れを惜しむ兄妹の様子を、いつもより大人しい毛玉犬と並び密かに見守っていた。
しかし、馬車に乗り込むブラッドの肩に、おかしなものを見つけて思わず眉を寄せる。
茶色い小さい毛玉がブラッドの肩でぴょんと跳ねたように見えた。
──あれば……見なかったことにしよう……。きっと気のせいだ。
◇◇◇
数日すると邸はいつもより少しだけ騒がしくなった。ドレスの仕立て屋やら行商人が出入りしているからだ。
件の王宮主催のお茶会というのはなかなか大規模なものらしい。セレストも新しくドレスを仕立てるようで、細かく採寸されたり、様々なレースやら布地やらを合わせられたりと慌ただしくしていた。
淑女教育を担当する家庭教師が、いつにも増して気合を入れて授業をしている。
「……とはいえ、何も完璧である必要はありません。年端のゆかないうちは失敗も許されるもの、そこから学び成長する機会でもあります。大切なのは、礼儀作法は何の為にあるのか、なぜ必要であるのかという理由を裏付けする知識と教養に他なりません。理由を識るものは、おしなべて所作にそれが顕れるのですよ」
淑女教育の講師を務める女性は、高齢だが年齢を感じさせないほど立ち居振る舞いの美しい、柔らかさと厳しさを併せ持った貴婦人だ。伯爵家の出で、宮中で王太后の侍女を務めた経歴を持ち、王宮での催しや儀礼にも詳しい。
来月開催される王家主催の茶会というのは、国中の貴族の子息令嬢を集め、恙なく育っている事を国王に報告する場であるらしい。子は宝というわけだ。
幼い子女が紳士淑女としての経験を積む場でもある、と講師の女性は語る。王子殿下の誕生祭など幼少から参加出来る宮中行事に備えて、事前にお茶会という肩肘の張らない実践の場を設けているらしい。
当然、将来を見越した顔合わせや、婚約者選びの布石という側面もあるのだろうが、何れにせよ今上国王は、未来を担うのは育ちゆく子供たちであるという認識を重んじているようだ。
セレストは静かに言葉に耳を傾け、所作の指導を受けている。
王宮のお茶会と聞いて、必然的に身体が勝手についていってしまう不審な幽霊としてはどこか憂鬱な気持ちでいたが、婦人の講義を傍らで聴いて、襟を正す心持でいた。
◇◇◇
数日後、セレストは新調したドレスに袖を通し、最後の微調整の為に仕立て人や使用人の前でお辞儀をしてみたり歩いてみたりしていた。
──……恐ろしく可愛いぞ。まるで物語のお姫様だな。
気づけばもう二月ほどもずっと傍に居たので、つい保護者のような眼差しで見てしまう。この場に居られない本当の父や兄にかわって、心の中で称賛を送る。すっかり”紳士的な幽霊”が板についたものだと自賛もする。
落ち着いた薄紅色は彼女の瞳の色を白に溶いたような色合いだ。明るすぎず、暗すぎない、程よい薄紅に黒髪が映える。傍らをひらひらと飛ぶ緑の蝶がアクセントになって実に幻想的で美しい。あの蝶が他の人間には見えていないのが惜しいくらいだ。
──誰にも見えないとはいえ、こんな格好で後ろに立っていいものか……。
下を向いて己の服装を再確認する。白いシャツに黒いスラックス。飾りも何もない簡素極まりない恰好をしている。
悩んだところで着替える術など全く無いのだが、美しく着飾ったセレストの見事な立ち姿を見ているとどうにももどかしい。
──まぁ、どのみち誰にも見えないんだ……幽霊がめかしこんでどうするというんだ。
項垂れている足元で黒い毛玉犬が揶揄うようにくるくると走り回っていた。
──この蝶、帰る様子は全く無いな……。
一方、兄のブラッドは朝食を終えると寄宿学校へ戻るため、帰り支度をしていた。セレストはそんな兄の周りを邪魔にならない距離を取りつつ行ったり来たりろしている。いつもと変わらぬ真顔で顔には出さないが、寂しいのだろう。
「セレスト、来月のお茶会はリズだけじゃなくて僕も居るからね」
ブラッドは妹の様子に気づいたのか、近寄ると目線を合わせて頭を撫でた。
「両陛下と王子殿下への謁見の挨拶は、僕がエスコートするよ。父上は恐らく……仕事だ」
「はい、兄さま」
苦笑するブラッドにセレストはこくりと頷いて応える。
「手紙も書くからね」
「兄さまもどうかおからだにお気をつけて」
玄関先でしばしの別れを惜しむ兄妹の様子を、いつもより大人しい毛玉犬と並び密かに見守っていた。
しかし、馬車に乗り込むブラッドの肩に、おかしなものを見つけて思わず眉を寄せる。
茶色い小さい毛玉がブラッドの肩でぴょんと跳ねたように見えた。
──あれば……見なかったことにしよう……。きっと気のせいだ。
◇◇◇
数日すると邸はいつもより少しだけ騒がしくなった。ドレスの仕立て屋やら行商人が出入りしているからだ。
件の王宮主催のお茶会というのはなかなか大規模なものらしい。セレストも新しくドレスを仕立てるようで、細かく採寸されたり、様々なレースやら布地やらを合わせられたりと慌ただしくしていた。
淑女教育を担当する家庭教師が、いつにも増して気合を入れて授業をしている。
「……とはいえ、何も完璧である必要はありません。年端のゆかないうちは失敗も許されるもの、そこから学び成長する機会でもあります。大切なのは、礼儀作法は何の為にあるのか、なぜ必要であるのかという理由を裏付けする知識と教養に他なりません。理由を識るものは、おしなべて所作にそれが顕れるのですよ」
淑女教育の講師を務める女性は、高齢だが年齢を感じさせないほど立ち居振る舞いの美しい、柔らかさと厳しさを併せ持った貴婦人だ。伯爵家の出で、宮中で王太后の侍女を務めた経歴を持ち、王宮での催しや儀礼にも詳しい。
来月開催される王家主催の茶会というのは、国中の貴族の子息令嬢を集め、恙なく育っている事を国王に報告する場であるらしい。子は宝というわけだ。
幼い子女が紳士淑女としての経験を積む場でもある、と講師の女性は語る。王子殿下の誕生祭など幼少から参加出来る宮中行事に備えて、事前にお茶会という肩肘の張らない実践の場を設けているらしい。
当然、将来を見越した顔合わせや、婚約者選びの布石という側面もあるのだろうが、何れにせよ今上国王は、未来を担うのは育ちゆく子供たちであるという認識を重んじているようだ。
セレストは静かに言葉に耳を傾け、所作の指導を受けている。
王宮のお茶会と聞いて、必然的に身体が勝手についていってしまう不審な幽霊としてはどこか憂鬱な気持ちでいたが、婦人の講義を傍らで聴いて、襟を正す心持でいた。
◇◇◇
数日後、セレストは新調したドレスに袖を通し、最後の微調整の為に仕立て人や使用人の前でお辞儀をしてみたり歩いてみたりしていた。
──……恐ろしく可愛いぞ。まるで物語のお姫様だな。
気づけばもう二月ほどもずっと傍に居たので、つい保護者のような眼差しで見てしまう。この場に居られない本当の父や兄にかわって、心の中で称賛を送る。すっかり”紳士的な幽霊”が板についたものだと自賛もする。
落ち着いた薄紅色は彼女の瞳の色を白に溶いたような色合いだ。明るすぎず、暗すぎない、程よい薄紅に黒髪が映える。傍らをひらひらと飛ぶ緑の蝶がアクセントになって実に幻想的で美しい。あの蝶が他の人間には見えていないのが惜しいくらいだ。
──誰にも見えないとはいえ、こんな格好で後ろに立っていいものか……。
下を向いて己の服装を再確認する。白いシャツに黒いスラックス。飾りも何もない簡素極まりない恰好をしている。
悩んだところで着替える術など全く無いのだが、美しく着飾ったセレストの見事な立ち姿を見ているとどうにももどかしい。
──まぁ、どのみち誰にも見えないんだ……幽霊がめかしこんでどうするというんだ。
項垂れている足元で黒い毛玉犬が揶揄うようにくるくると走り回っていた。
101
あなたにおすすめの小説
ざまぁされるための努力とかしたくない
こうやさい
ファンタジー
ある日あたしは自分が乙女ゲームの悪役令嬢に転生している事に気付いた。
けどなんか環境違いすぎるんだけど?
例のごとく深く考えないで下さい。ゲーム転生系で前世の記憶が戻った理由自体が強制力とかってあんまなくね? って思いつきから書いただけなので。けど知らないだけであるんだろうな。
作中で「身近な物で代用できますよってその身近がすでにないじゃん的な~」とありますが『俺の知識チートが始まらない』の方が書いたのは後です。これから連想して書きました。
ただいま諸事情で出すべきか否か微妙なので棚上げしてたのとか自サイトの方に上げるべきかどうか悩んでたのとか大昔のとかを放出中です。見直しもあまり出来ないのでいつも以上に誤字脱字等も多いです。ご了承下さい。
恐らく後で消す私信。電話機は通販なのでまだ来てないけどAndroidのBlackBerry買いました、中古の。
中古でもノーパソ買えるだけの値段するやんと思っただろうけど、ノーパソの場合は妥協しての機種だけど、BlackBerryは使ってみたかった機種なので(後で「こんなの使えない」とぶん投げる可能性はあるにしろ)。それに電話機は壊れなくても後二年も経たないうちに強制的に買い換え決まってたので、最低限の覚悟はしてたわけで……もうちょっと壊れるのが遅かったらそれに手をつけてた可能性はあるけど。それにタブレットの調子も最近悪いのでガラケー買ってそっちも別に買い換える可能性を考えると、妥協ノーパソより有意義かなと。妥協して惰性で使い続けるの苦痛だからね。
……ちなみにパソの調子ですが……なんか無意識に「もう嫌だ」とエンドレスでつぶやいてたらしいくらいの速度です。これだって10動くっていわれてるの買ってハードディスクとか取り替えてもらったりしたんだけどなぁ。
魔法が使えない落ちこぼれ貴族の三男は、天才錬金術師のたまごでした
茜カナコ
ファンタジー
魔法使いよりも錬金術士の方が少ない世界。
貴族は生まれつき魔力を持っていることが多いが錬金術を使えるものは、ほとんどいない。
母も魔力が弱く、父から「できそこないの妻」と馬鹿にされ、こき使われている。
バレット男爵家の三男として生まれた僕は、魔力がなく、家でおちこぼれとしてぞんざいに扱われている。
しかし、僕には錬金術の才能があることに気づき、この家を出ると決めた。
忘れるにも程がある
詩森さよ(さよ吉)
恋愛
わたしが目覚めると何も覚えていなかった。
本格的な記憶喪失で、言葉が喋れる以外はすべてわからない。
ちょっとだけ菓子パンやスマホのことがよぎるくらい。
そんなわたしの以前の姿は、完璧な公爵令嬢で第二王子の婚約者だという。
えっ? 噓でしょ? とても信じられない……。
でもどうやら第二王子はとっても嫌なやつなのです。
小説家になろう様、カクヨム様にも重複投稿しています。
筆者は体調不良のため、返事をするのが難しくコメント欄などを閉じさせていただいております。
どうぞよろしくお願いいたします。
悪役皇子、ざまぁされたので反省する ~ 馬鹿は死ななきゃ治らないって… 一度、死んだからな、同じ轍(てつ)は踏まんよ ~
shiba
ファンタジー
魂だけの存在となり、邯鄲(かんたん)の夢にて
無名の英雄
愛を知らぬ商人
気狂いの賢者など
様々な英霊達の人生を追体験した凡愚な皇子は自身の無能さを痛感する。
それゆえに悪徳貴族の嫡男に生まれ変わった後、謎の強迫観念に背中を押されるまま
幼い頃から努力を積み上げていた彼は、図らずも超越者への道を歩み出す。
あっ、追放されちゃった…。
satomi
恋愛
ガイダール侯爵家の長女であるパールは精霊の話を聞くことができる。がそのことは誰にも話してはいない。亡き母との約束。
母が亡くなって喪も明けないうちに義母を父は連れてきた。義妹付きで。義妹はパールのものをなんでも欲しがった。事前に精霊の話を聞いていたパールは対処なりをできていたけれど、これは…。
ついにウラルはパールの婚約者である王太子を横取りした。
そのことについては王太子は特に魅力のある人ではないし、なんにも感じなかったのですが、王宮内でも噂になり、家の恥だと、家まで追い出されてしまったのです。
精霊さんのアドバイスによりブルハング帝国へと行ったパールですが…。
神は激怒した
まる
ファンタジー
おのれえええぇえぇぇぇ……人間どもめぇ。
めっちゃ面倒な事ばっかりして余計な仕事を増やしてくる人間に神様がキレました。
ふわっとした設定ですのでご了承下さいm(_ _)m
世界の設定やら背景はふわふわですので、ん?と思う部分が出てくるかもしれませんがいい感じに個人で補完していただけると幸いです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる