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7.蝶の舞う館にて
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淡い色合いの品の良い調度品で整えられた客間に、複数の蝶が飛んでいる。
美しい蝶がひとつところに集団で飛んでいたら、屋外でも目を引きそうなものだ。それがましてや屋内である。どこか幻想的な光景だが違和感の方が勝る。
だというのに、その蝶を侍らせている当のエリザベスはもちろんのこと、セレストもブラッドも、この邸の使用人達も一向に気にする気配が無い。黒い毛玉犬と同様に、見えていないのだろうか。
「こちらは異国の砂糖菓子で、見事な花の形をしておりますが食べられるんですの! そちらはクリームキャラメルで作られた動物で──…」
ティーセットと共に並べられた色とりどりの菓子を、きらきらとした眼差しで次々に紹介していくエリザベスの、軽やかな声が室内に響く。セレストも真剣な眼差しで菓子を見つめてはこくこくと頷き、時に小さく感嘆の声を上げている。表情こそ乏しいが、好奇心をくすぐられているのだろう。様子を見守っている兄の眼差しもどこか柔らかい。
三人とも会話に夢中で、その頭上を蝶が舞っているのに気付く素振りも無い。
唯一黒い毛玉犬だけが、ひらひらと舞う蝶の一匹を追いかけて、音もなく駆けたり跳ねたりしている。これもまた、誰にも気取られていない。
──おい毛玉犬、行儀が悪いぞ。落ち着け。
毛玉に言葉が通じた事など記憶の限りではまだ一度もないのだが、胸のうちで語り掛けてみる。屋内に蝶が舞い犬が走り回る光景は何とも落ち着かない。
ただでさえ得体の知れない男の幽霊が、不可抗力で侯爵邸の客間に入り込んでいるのだ。おさまりの悪い気分を、毛玉犬を形だけでも窘める事で紛らわそうとしていた。実のところ随分と混乱しているのかもしれない。
「気に入ったお菓子はありましたかしら。どうぞ遠慮なくつまんでみてくださいませ!」
一通り説明を終えどこか満足した様子のエリザベスの、ひときわ明るい声が響く。
「ありがとうございます。エリザベスお姉さま」
「まぁ……! そう呼んでいただけるなんて、ふふ」
セレストに姉と呼称されたのが余程嬉しいのか、エリザベスはぽっと一瞬で赤く染め上がった頬に両の手を添え、照れ笑いを浮かべた。
周囲を舞う蝶の羽がきらきらと光を反射したように瞬いている。
いくらか菓子をつまんでお茶を楽しんだ後、今度は邸内のガラス張りの温室へと案内された。
各地から取り寄せたという珍しい花があちこちで咲いている見事な室内庭園を歩きながら、エリザベスの溌剌とした声が響く。すっかり姉気分で花の解説を始めたエリザベスに、セレストは相槌を打ったり質問をしたりしている。
姦しいくらいに良く喋るエリザベスに、普段無口なセレストが気疲れしないものかとその顔を盗み見れば、眼差しには好奇心の色が浮いている。表情もいつもより僅かに柔らかい。無用な心配だったらしい。
お喋り好きでどうやら少し世話焼きの気質があるらしいエリザベスは、ただ一方的に振り回すのではなく時折セレストの反応を確かめながら、思いつく限りのもてなしを実行している様子だ。
昼食を囲み、食後にまた茶を楽しみ、ボードゲームに興じる頃にはすっかり姉妹のように打ち解けていた。
「時間はあっという間ね。楽しんでいただけたかしら? また、遊びに来ていただけたら嬉しいわ」
「はい。またお会い出来たら、わたくしも嬉しいです、リズ姉さま」
日が傾きかけた頃、帰途につく兄妹を見送りに玄関先まで付き添って来たエリザベスに、セレストは微かに笑んで応えた。
頬はほんのりピンクに染まり、少女らしい、ささやかだがあどけない笑顔だ。
──ああ、良かった……。君もそんな風に笑えるんだな。
初めて見る、彼女の笑顔につい見とれてしまう。
「セレスト…! 約束よ、また来て頂戴ね!」
エリザベスは涙脆いのか、嬉しさのあまりか、目を潤ませてぎゅうと抱きついていた。
見守る兄のブラッドは、その様に苦笑を浮かべてはいるが、目には暖かい安堵の色が見える。
「ほら、そんな大袈裟に別れを惜しまなくても。来月の王宮の茶会でまた会えるだろう?」
ブラッドは笑いを堪えながら、ぎゅうぎゅうと妹を抱きしめているエリザベスを嗜め、その頭を撫でた。
周囲を舞う蝶がまたきらきらと光る。
「そ、そうでしたわ! セレスト、王宮のお茶会では、是非ご一緒させてくださいませ!」
ブラッドに撫でられたのが照れ臭いのか、今生の別れのように涙目になっていたのが恥ずかしいのか、顔を真っ赤に染めたエリザベスはわたわたとセレストの両手を握る。
せわしないエリザベスの様子に、きょとんと目を瞬かせた後で、セレストはまた柔らかく微かに笑って頷いた。
◇◇◇
邸に戻り夕食と湯あみを済ませ、いつものように侍女のマーサがセレストの髪を梳いている。
その傍を、緑の美しい蝶が一匹、ひらひらと舞っていた。
──あれは、エリザベス嬢の傍にいた蝶か……? ついて来ちゃったのか? 迷子か??
訝しんで緑の蝶を観察してみるが、悠々飛んでいるだけで、惑っているような様子は無い。
毛玉犬が狙いを定めて前足を伸ばし、ぴょんと跳ねているが、捕まる事なくひらひらと舞っている。じゃれ合っているようにしか見えない。
セレストがベットに横になると、彼女のこめかみの辺りを流れる髪のひと房に止まって、羽を休めはじめた。
毛玉犬は捕まえるのを諦めたらしい。いつものように眠る少女の首元で大人しく丸まっている。
──また、おかしなものが増えたな……。
セレストの傍に居る、誰にも見えない”おかしなもの”の筆頭は溜息をつく。
髪に止まる蝶は一見すると髪飾りのようだ。
その蝶の羽の色合いと穏やかな寝顔に、今日初めて見た笑顔を思い出して、胸のうちの杞憂は全て追いやる事にした。
美しい蝶がひとつところに集団で飛んでいたら、屋外でも目を引きそうなものだ。それがましてや屋内である。どこか幻想的な光景だが違和感の方が勝る。
だというのに、その蝶を侍らせている当のエリザベスはもちろんのこと、セレストもブラッドも、この邸の使用人達も一向に気にする気配が無い。黒い毛玉犬と同様に、見えていないのだろうか。
「こちらは異国の砂糖菓子で、見事な花の形をしておりますが食べられるんですの! そちらはクリームキャラメルで作られた動物で──…」
ティーセットと共に並べられた色とりどりの菓子を、きらきらとした眼差しで次々に紹介していくエリザベスの、軽やかな声が室内に響く。セレストも真剣な眼差しで菓子を見つめてはこくこくと頷き、時に小さく感嘆の声を上げている。表情こそ乏しいが、好奇心をくすぐられているのだろう。様子を見守っている兄の眼差しもどこか柔らかい。
三人とも会話に夢中で、その頭上を蝶が舞っているのに気付く素振りも無い。
唯一黒い毛玉犬だけが、ひらひらと舞う蝶の一匹を追いかけて、音もなく駆けたり跳ねたりしている。これもまた、誰にも気取られていない。
──おい毛玉犬、行儀が悪いぞ。落ち着け。
毛玉に言葉が通じた事など記憶の限りではまだ一度もないのだが、胸のうちで語り掛けてみる。屋内に蝶が舞い犬が走り回る光景は何とも落ち着かない。
ただでさえ得体の知れない男の幽霊が、不可抗力で侯爵邸の客間に入り込んでいるのだ。おさまりの悪い気分を、毛玉犬を形だけでも窘める事で紛らわそうとしていた。実のところ随分と混乱しているのかもしれない。
「気に入ったお菓子はありましたかしら。どうぞ遠慮なくつまんでみてくださいませ!」
一通り説明を終えどこか満足した様子のエリザベスの、ひときわ明るい声が響く。
「ありがとうございます。エリザベスお姉さま」
「まぁ……! そう呼んでいただけるなんて、ふふ」
セレストに姉と呼称されたのが余程嬉しいのか、エリザベスはぽっと一瞬で赤く染め上がった頬に両の手を添え、照れ笑いを浮かべた。
周囲を舞う蝶の羽がきらきらと光を反射したように瞬いている。
いくらか菓子をつまんでお茶を楽しんだ後、今度は邸内のガラス張りの温室へと案内された。
各地から取り寄せたという珍しい花があちこちで咲いている見事な室内庭園を歩きながら、エリザベスの溌剌とした声が響く。すっかり姉気分で花の解説を始めたエリザベスに、セレストは相槌を打ったり質問をしたりしている。
姦しいくらいに良く喋るエリザベスに、普段無口なセレストが気疲れしないものかとその顔を盗み見れば、眼差しには好奇心の色が浮いている。表情もいつもより僅かに柔らかい。無用な心配だったらしい。
お喋り好きでどうやら少し世話焼きの気質があるらしいエリザベスは、ただ一方的に振り回すのではなく時折セレストの反応を確かめながら、思いつく限りのもてなしを実行している様子だ。
昼食を囲み、食後にまた茶を楽しみ、ボードゲームに興じる頃にはすっかり姉妹のように打ち解けていた。
「時間はあっという間ね。楽しんでいただけたかしら? また、遊びに来ていただけたら嬉しいわ」
「はい。またお会い出来たら、わたくしも嬉しいです、リズ姉さま」
日が傾きかけた頃、帰途につく兄妹を見送りに玄関先まで付き添って来たエリザベスに、セレストは微かに笑んで応えた。
頬はほんのりピンクに染まり、少女らしい、ささやかだがあどけない笑顔だ。
──ああ、良かった……。君もそんな風に笑えるんだな。
初めて見る、彼女の笑顔につい見とれてしまう。
「セレスト…! 約束よ、また来て頂戴ね!」
エリザベスは涙脆いのか、嬉しさのあまりか、目を潤ませてぎゅうと抱きついていた。
見守る兄のブラッドは、その様に苦笑を浮かべてはいるが、目には暖かい安堵の色が見える。
「ほら、そんな大袈裟に別れを惜しまなくても。来月の王宮の茶会でまた会えるだろう?」
ブラッドは笑いを堪えながら、ぎゅうぎゅうと妹を抱きしめているエリザベスを嗜め、その頭を撫でた。
周囲を舞う蝶がまたきらきらと光る。
「そ、そうでしたわ! セレスト、王宮のお茶会では、是非ご一緒させてくださいませ!」
ブラッドに撫でられたのが照れ臭いのか、今生の別れのように涙目になっていたのが恥ずかしいのか、顔を真っ赤に染めたエリザベスはわたわたとセレストの両手を握る。
せわしないエリザベスの様子に、きょとんと目を瞬かせた後で、セレストはまた柔らかく微かに笑って頷いた。
◇◇◇
邸に戻り夕食と湯あみを済ませ、いつものように侍女のマーサがセレストの髪を梳いている。
その傍を、緑の美しい蝶が一匹、ひらひらと舞っていた。
──あれは、エリザベス嬢の傍にいた蝶か……? ついて来ちゃったのか? 迷子か??
訝しんで緑の蝶を観察してみるが、悠々飛んでいるだけで、惑っているような様子は無い。
毛玉犬が狙いを定めて前足を伸ばし、ぴょんと跳ねているが、捕まる事なくひらひらと舞っている。じゃれ合っているようにしか見えない。
セレストがベットに横になると、彼女のこめかみの辺りを流れる髪のひと房に止まって、羽を休めはじめた。
毛玉犬は捕まえるのを諦めたらしい。いつものように眠る少女の首元で大人しく丸まっている。
──また、おかしなものが増えたな……。
セレストの傍に居る、誰にも見えない”おかしなもの”の筆頭は溜息をつく。
髪に止まる蝶は一見すると髪飾りのようだ。
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