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いばら
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いきなりの事で未玖は唖然としていた。
ダニールは絶望と恐怖から、きつく目を閉じたままだ。
首を捥がれたイーサンとファロムは、少しの間だけ何事もなく立ったままでいたが、やがて切断面から紫色の血飛沫を上げながら倒れ込む。
人々に恐れられし悪魔も死するのだ。
地獄を統べる者たちでさえ、不死身ではない。
「ありがとう、クロ……」
二人を襲った蛇のクロは噛み砕いた頭部を飲み込むと、まだ温かい胴体も丸呑みにした。
ドクン、ドクン、と心臓が大きく脈打つ。
一つの体へと戻ったクロは、自身の魂の色が澱んでいくのを知覚する。
黒く深く深く、どこまでも。深淵へと。
「ヨクサル、大丈夫?」
「うっ……」
「お腹が痛むのね。ああ、どうすればいいの……?」
未玖たちに気づかれないよう、クロはその場を立ち去った。
生者を求めて彷徨う亡者を呑み込みながら。
♢♢♢
「未玖! ヨクサル!」
ダニールはようやく立ち上がると、二人へと駆け寄った。
「大丈夫かい?」
「私は平気。でもヨクサルが……」
ヨクサルは依然、下腹部を押さえたまま蹲っている。
「ヨクサル!」
「父、様……」
苦痛に表情を歪めるヨクサル。
しかしダニールを見上げる顔に幼さはなく、必死に我が子を守ろうとする母親そのものだった。
「……ヨク、サル」
ジョシュアが最後の力を振り絞り、声を上げる。
自身が天使であったことを思い出した彼は堂々たる悪魔から、見るも哀れな姿に変わり果てていた。
艶を無くした黒い髪の毛には白髪が混ざり、雄々しい角は焼け爛れたように変形し、漆黒の翼はむしり取られたように羽が抜け落ち、辛うじて形を保っている有様だ。
「……すまなかった……ちゃんと愛してやれなくて」
もはや悪魔とは言い難いジョシュア。
ダニールはそんな彼を見つめながら、言葉に耳を傾ける。
「父なる神アーラッドの声が聞こえた……こんな私を赦してくださるのだ……なんと慈悲深いのだろう」
ジョシュアは灰色に濁った瞳から涙を流す。
「……どうか私の命を……ヨクサルのお腹の子に……お与えください」
ジョシュアの祈りによって、聖なる光がヨクサルを包み込む。
アーラッドの奇跡だ。
「ご主人様!」
腹痛が治まったヨクサルはジョシュアをどうにか助けようと、小さな手を懸命に伸ばす。
だが無垢な魂を持つヨクサルの腕は、ジョシュアの体をすり抜けてしまう。
「……ヨクサル、お腹の子を……頼む」
「そんな……! ご主人様……!」
「……不死鳥よ……私を兄の隣へ……運んでくれないか」
ダニールは無言のまま、ジョシュアを抱き上げた。
存外に軽い。まるで作り損ねた人形のようだ。
微かに悪魔の気配がするが、もう恐怖は感じなかった。
「……ありがとう」
「……いや、いい」
ジョシュアを息も絶え絶えなサミュエルの横へと寝かせる。
天使の涙を破壊されなくとも、ついに神々と同じ運命を辿る時がやって来たのだ。
ファロムの攻撃よって致命傷を負い、少し離れた場所に倒れたままでいたテオも二人の側へ運んでやった。
既に事切れており、滑らかな肌は温もりを失いつつある。
「……我が愛しの弟、ジョシュアよ」
「……兄上」
二度と会えないと諦めていた兄との再会に、ジョシュアはまたしても涙を流す。
サミュエルの方へと体を向け、手を握った。
同様にサミュエルも、テオの冷たくなった手を握る。
「……共に逝こう……父なる神アーラッドの元へ」
「……はい」
「……セオドアとテオは一足先に旅立ってしまったが、魂となれば再び会えるだろう」
「……ええ、兄上……貴方の弟として生を受け、とても幸せでした」
「……ああ、ジョシュア……愛して、いる……」
「……私も愛しています……兄上……ヨクサ、ル……」
互いに微笑み合いながら、二人は静かに息を引き取った。
見守ることだけしかできずにいたヨクサルは、地面に突っ伏し泣き崩れる。
未玖も彼の背中をさすりながら静かに涙を流した。
すると三人の亡骸から白い薔薇が咲き誇る。
芳醇な甘さと濃厚な香りに、未玖とファロムは顔を上げた。
「なんて綺麗なの……」
無数の白い薔薇の花といばらが優しく亡骸を包むと、天へと昇っていく。
鈍色の雲が退き、天国への道が標される。
完全に見えなくなると、後には花弁だけが風に揺れていた。
「二人とも立てるかい?」
「ええ、私は大丈夫よ」
「……僕も大丈夫です」
ダニールは少しばかり迷ったが、二人を強く抱きしめた。
「すまない、僕が不甲斐ないばかりに守れなくて」
「そんなことない。ダニールはよくしてくれたわ」
鼻を啜るヨクサルは、イーサンに聞かされた母親の件があり素直に答えれずにいた。
そこへ蛇のクロが未玖に話しかける。
(未玖、悪魔の魂を喰った私はもう本来の姿には戻れない。だから地獄へ赴いてヨルムンガンドと戦う)
「そんな……!」
「どうしたんだい、未玖?」
ダニールが訊ねるも、未玖はクロの姿を探そうと辺りを見渡す。
(危険だから三人は空へ逃げて。直にこうして喋ることもできなくなる。私を生んでくれてありがとう、未玖――愛してる、さようなら)
「クロ!!」
未玖はダニールの手を振り解き、走り出した。
ひび割れた地面を飛び越え、瓦礫の山を乗り越える。
けれどクロの姿は見当たらなかった。
「クロ! どこなの? ねえ、クロったら!!」
「未玖、嫌な気配がする。早く背中に乗るんだ」
ヨクサルを抱きかかえながら未玖を追ってきたダニールが、燃える翼をはためかせながら言った。
「ダニール、クロが……クロが」
「危ない!!」
その時、ものすごい地響きとともに地面が波打ち、危うく瓦礫の下敷きになりそうだった未玖をダニールが助け出す。
「クロがどうしたと言うのだい?」
「イーサンとファロムを倒してからクロの姿が見えないの」
あまりに色々な事が起こった為に忘失していたが、双子の弟であるファロムの変容と死を前に、ダニールの思考が束の間、停止する。
「とにかく空へ避難しよう」
二人を抱きながらダニールは飛翔した。
舞うように降っていた雪が激しさを増す。
刃のような吹雪に、三人は思わず目を瞑る。
「ああ、何てことなの、クロ……」
やっとのことで大地を見下ろすと、地面の裂け目から二匹の巨大な蛇が体を絡ませ合い、死闘を繰り広げていた。
ダニールは絶望と恐怖から、きつく目を閉じたままだ。
首を捥がれたイーサンとファロムは、少しの間だけ何事もなく立ったままでいたが、やがて切断面から紫色の血飛沫を上げながら倒れ込む。
人々に恐れられし悪魔も死するのだ。
地獄を統べる者たちでさえ、不死身ではない。
「ありがとう、クロ……」
二人を襲った蛇のクロは噛み砕いた頭部を飲み込むと、まだ温かい胴体も丸呑みにした。
ドクン、ドクン、と心臓が大きく脈打つ。
一つの体へと戻ったクロは、自身の魂の色が澱んでいくのを知覚する。
黒く深く深く、どこまでも。深淵へと。
「ヨクサル、大丈夫?」
「うっ……」
「お腹が痛むのね。ああ、どうすればいいの……?」
未玖たちに気づかれないよう、クロはその場を立ち去った。
生者を求めて彷徨う亡者を呑み込みながら。
♢♢♢
「未玖! ヨクサル!」
ダニールはようやく立ち上がると、二人へと駆け寄った。
「大丈夫かい?」
「私は平気。でもヨクサルが……」
ヨクサルは依然、下腹部を押さえたまま蹲っている。
「ヨクサル!」
「父、様……」
苦痛に表情を歪めるヨクサル。
しかしダニールを見上げる顔に幼さはなく、必死に我が子を守ろうとする母親そのものだった。
「……ヨク、サル」
ジョシュアが最後の力を振り絞り、声を上げる。
自身が天使であったことを思い出した彼は堂々たる悪魔から、見るも哀れな姿に変わり果てていた。
艶を無くした黒い髪の毛には白髪が混ざり、雄々しい角は焼け爛れたように変形し、漆黒の翼はむしり取られたように羽が抜け落ち、辛うじて形を保っている有様だ。
「……すまなかった……ちゃんと愛してやれなくて」
もはや悪魔とは言い難いジョシュア。
ダニールはそんな彼を見つめながら、言葉に耳を傾ける。
「父なる神アーラッドの声が聞こえた……こんな私を赦してくださるのだ……なんと慈悲深いのだろう」
ジョシュアは灰色に濁った瞳から涙を流す。
「……どうか私の命を……ヨクサルのお腹の子に……お与えください」
ジョシュアの祈りによって、聖なる光がヨクサルを包み込む。
アーラッドの奇跡だ。
「ご主人様!」
腹痛が治まったヨクサルはジョシュアをどうにか助けようと、小さな手を懸命に伸ばす。
だが無垢な魂を持つヨクサルの腕は、ジョシュアの体をすり抜けてしまう。
「……ヨクサル、お腹の子を……頼む」
「そんな……! ご主人様……!」
「……不死鳥よ……私を兄の隣へ……運んでくれないか」
ダニールは無言のまま、ジョシュアを抱き上げた。
存外に軽い。まるで作り損ねた人形のようだ。
微かに悪魔の気配がするが、もう恐怖は感じなかった。
「……ありがとう」
「……いや、いい」
ジョシュアを息も絶え絶えなサミュエルの横へと寝かせる。
天使の涙を破壊されなくとも、ついに神々と同じ運命を辿る時がやって来たのだ。
ファロムの攻撃よって致命傷を負い、少し離れた場所に倒れたままでいたテオも二人の側へ運んでやった。
既に事切れており、滑らかな肌は温もりを失いつつある。
「……我が愛しの弟、ジョシュアよ」
「……兄上」
二度と会えないと諦めていた兄との再会に、ジョシュアはまたしても涙を流す。
サミュエルの方へと体を向け、手を握った。
同様にサミュエルも、テオの冷たくなった手を握る。
「……共に逝こう……父なる神アーラッドの元へ」
「……はい」
「……セオドアとテオは一足先に旅立ってしまったが、魂となれば再び会えるだろう」
「……ええ、兄上……貴方の弟として生を受け、とても幸せでした」
「……ああ、ジョシュア……愛して、いる……」
「……私も愛しています……兄上……ヨクサ、ル……」
互いに微笑み合いながら、二人は静かに息を引き取った。
見守ることだけしかできずにいたヨクサルは、地面に突っ伏し泣き崩れる。
未玖も彼の背中をさすりながら静かに涙を流した。
すると三人の亡骸から白い薔薇が咲き誇る。
芳醇な甘さと濃厚な香りに、未玖とファロムは顔を上げた。
「なんて綺麗なの……」
無数の白い薔薇の花といばらが優しく亡骸を包むと、天へと昇っていく。
鈍色の雲が退き、天国への道が標される。
完全に見えなくなると、後には花弁だけが風に揺れていた。
「二人とも立てるかい?」
「ええ、私は大丈夫よ」
「……僕も大丈夫です」
ダニールは少しばかり迷ったが、二人を強く抱きしめた。
「すまない、僕が不甲斐ないばかりに守れなくて」
「そんなことない。ダニールはよくしてくれたわ」
鼻を啜るヨクサルは、イーサンに聞かされた母親の件があり素直に答えれずにいた。
そこへ蛇のクロが未玖に話しかける。
(未玖、悪魔の魂を喰った私はもう本来の姿には戻れない。だから地獄へ赴いてヨルムンガンドと戦う)
「そんな……!」
「どうしたんだい、未玖?」
ダニールが訊ねるも、未玖はクロの姿を探そうと辺りを見渡す。
(危険だから三人は空へ逃げて。直にこうして喋ることもできなくなる。私を生んでくれてありがとう、未玖――愛してる、さようなら)
「クロ!!」
未玖はダニールの手を振り解き、走り出した。
ひび割れた地面を飛び越え、瓦礫の山を乗り越える。
けれどクロの姿は見当たらなかった。
「クロ! どこなの? ねえ、クロったら!!」
「未玖、嫌な気配がする。早く背中に乗るんだ」
ヨクサルを抱きかかえながら未玖を追ってきたダニールが、燃える翼をはためかせながら言った。
「ダニール、クロが……クロが」
「危ない!!」
その時、ものすごい地響きとともに地面が波打ち、危うく瓦礫の下敷きになりそうだった未玖をダニールが助け出す。
「クロがどうしたと言うのだい?」
「イーサンとファロムを倒してからクロの姿が見えないの」
あまりに色々な事が起こった為に忘失していたが、双子の弟であるファロムの変容と死を前に、ダニールの思考が束の間、停止する。
「とにかく空へ避難しよう」
二人を抱きながらダニールは飛翔した。
舞うように降っていた雪が激しさを増す。
刃のような吹雪に、三人は思わず目を瞑る。
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やっとのことで大地を見下ろすと、地面の裂け目から二匹の巨大な蛇が体を絡ませ合い、死闘を繰り広げていた。
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