不死鳥は歪んだ世界を救わない

凛音@りんね

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フェンリル

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「ガルルルルルルルッ!!」

 フェンリルが唸り声を上げながら、獰猛な牙でダニールを噛み殺そうとする。
 大きく開いた口からよだれを垂らし、獲物の急所を確実に狙う。
 
 ダニールはフェンリルを手懐けなければならない。
 殺してしまったり、致命傷を負わせるのも駄目だ。

(確かに巨体ではあるが、ヨルムンガンドやクロほどではない)

 雷神が成り行きを見下ろしている。
 その目はどこまでも無慈悲であった。

 試しに硬化させた羽の矢を放つが、フェンリルは俊敏な動きで易々と避けてしまう。
 
(やはり素早いな)

 これでは動きを封じる程度の怪我さえ与えられそうにない。
 ダニールは燃える翼を羽ばたかせ、空中へ飛び上がる。

「グルルルルルルルルッ!!」

 決して獲物を逃すまいと、フェンリルも跳ねた。
 すんでのところで左足に噛みつかれそうになるのを、ダニールは上体を反らして回避する。

(なんて跳躍力だ)

 あれだけ心地よかった風は身を切り刻むように吹きすさび、可憐に咲き誇る花々の花弁を無常に散らしていく。
 落雷から生き長らえた小鳥たちはすっかり怯え、木の影に隠れて震えている。
 
(神は何度でも創造できるが――)

 愛おしい、美しいと感じたものが傷つき壊れていく様子に、ダニールは悲嘆に暮れる。
 少し前ならば抱かなかったであろう感情に戸惑いつつ、鈍色の空を見上げた。

 雷鳴が轟き、稲妻が駆け抜けていく。
 天国とは真逆の、神につき放された世界。

(僕が訪れなければ、こんな事にならなかったのだ)

 たくさんの無垢な命を奪い去ってしまった。
 またしても犯した罪の重さに、ダニールは両手を強く握り締める。
 今さら償ったところで、失った命は戻ってこない。
 
(ならば振り返らず、大槌の力を手に入れヨルムンガンドと――クロを止めるまで)

 不意に未玖とヨクサルの姿が脳裏をよぎる。

 穢れなき魂を持った、同い年の二人。
 ダニールにとって何よりも大切な存在。
 だからこそ、別れを告げたのだ。

(罪を重ねるのは自分だけでいい)

 翼を翻し、フェンリルと対峙する。
 変わらず牙を剥き出し、強靭な四本の足で飛び跳ねてはダニールに襲い掛かろうとしていた。

(戦うのではなく動きを封じなければ)

 ダニールは鋼鉄の羽を宙に浮かべると頭の中で念じながらっていき、器用に結び合わせていく。
 不死鳥の羽は炎に耐えられるようになっているため、とても丈夫だ。

 出来上がった長い紐を両手に持つと、フェンリルの手足を絡め取ろうとする。
 しかしダニールの四肢に食らいつこうとして、上手くいかない。
 
(フェンリルは本能的に噛み砕こうとする――)

 ダニールはフェンリルに接近すると翼を片方、目の前に差し出す。
 案の定、フェンリルは迷わず翼に噛み付いた。
 刃のように鋭い牙が肉と骨を貫通し、ダニールは顔を顰める。
 
「くっ……!」

 痛みを堪えてもう片方の翼で体勢を整えると、隙をついてフェンリルの手足を紐で縛り上げた。
 自由の利かなくなったフェンリルは口から翼を離すと、ダニールを睨みながら吠える。

「グワウウウウウウッ!!」
「縒の羽で作った紐はどうやっても切れはしない。フェンリル、僕に力を貸しておくれ」

 しかしフェンリルは半狂乱で、紐から逃れようと暴れ回る。

「すぐに紐を解くと約束する。信じられなければ僕の腕を噛み切ればいい」
「ガウウウッ!!」

 フェンリルは唸りながら、ダニールの右腕を噛み千切った。

「うぐっ!!」

 不死身である不死鳥も痛覚は存在するため、ダニールはあまりの痛みに気が狂いそうになる。
 歯を食いしばり、燃える翼で切断面を焼いて止血処理を施した。

「……どうだい? 少しは落ち着いたかい?」

 先ほどまでの獰猛さは影を潜め、じっとダニールを見つめている。
 しばらく互いに動こうとしなかったが、フェンリルはダニールに負わせた傷口を申し訳なさそうに舐めた。

「気にしなくていいのだよ。僕の方こそ自由を奪ってすまなかった」

 ダニールは燃える翼で、フェンリルの手足を縛っている紐を断ち切る。
 するとフェンリルはダニールに巨体を擦り付けた。
 存外に柔らかな白銀しろがね色の毛並みに、思わず顔をうずめたくなってしまう。

『そこまで』

 雷神の言葉が轟く。
 抑揚の無い、けれど有無を言わさぬ声。
 
『我が親の仇であるフェンリルを手懐けるとは見事であった』

 ひときわ大きな落雷とともに、大槌のが地面に突き刺さる。
 全体が真っ赤に焼けており、素手で持つには少しばかり難しい。 

 だが不死鳥は他の幻獣よりも熱さに強い。
 仮に皮膚が焼け爛れて腐敗したとしても、死することはないのだ。

『受け取るがよい』
「ありがとうございます」

 頭を下げ、地面から大槌を引き抜いた。
 覚悟していた痛みはなく、ずっしりとした大槌を左手に収める。

(宇宙の加護と未玖の赦しが守ってくれたのだろう)

 ダニールは目を閉じ、未玖に感謝した。
 たとえ二度と会えなくとも、彼女とヨクサルがこの歪んだ世界で生き延びてくれることを心から願う。

「フェンリルを一緒に連れて行ってもよいでしょうか?」
『構わぬ。儂も遠からず他の神々のように消えゆく運命にある』

 どこか哀愁を感じさせる雷神の声音に、ダニールはもの悲しい表情を浮かべる。
 フェンリルが慰めるように、ダニールの頬をぺろりと舐めた。

「君も傷ついているというのに優しいのだね」

 微笑みながら、フェンリルの大きな頭を撫でた。
 気持ちよさそうに目を細め、ダニールの愛撫を受け入れる。
 
『不死鳥よ。大槌の力を貸す見返りとして、忌むべき幻獣をを倒した暁には心臓をいただくぞ』
「はい、分かっています――行こう、フェンリル」

 ダニールはフェンリルに跨ると、地獄で死闘を繰り広げているヨルムンガンドとクロの元へと急いだ。

 角笛の音が響き渡り、世界の終焉を告げる。
 ついに新たなる終末ラグナロクが始まるのだ。
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