不死鳥は歪んだ世界を救わない

凛音@りんね

文字の大きさ
46 / 54

巨人

しおりを挟む
 掛け声とともにダニールとフェンリルの体が、みるみるうちに大きくなる。
 痛みはないが浮遊感があり、軽い目眩を覚えた。

(……巨人化、したのか)

 フェンリルの母親は巨人族だ。
 悪戯好きの神と名高い父親も、巨人族の血を引いている。
 巨人族に属するフェンリルは変容してもさして気にせず、地獄へ向かって鈍色の空を駆けて行く。

 ダニールは艶やかな黒髪を寒風に靡かせながら、大槌の柄を握りしめた。

(これでヨルムンガンドとクロを――)

 殺すのだ。
 神の力によって。
 未玖の子どもであるクロを。
 フェンリルの弟であるヨルムンガンドを。

(これ以上、罪を重ねても死を約束された僕は悪魔にはなるまい)

 それだけが救いだった。
 永遠の時を生きることもないのだ。
 魂の行き着く先は地獄だろうが、悪魔となって仲間を痛めつけるより、自身が終わりのない罰を受ける方が余程いい。

(せめてもの償いだ――)

 今まで奪ってきた、数えきれないほどの無垢な命。
 悪魔の下僕である不死鳥フェニックスだからと傲慢になり、首を刎ねても心は痛まなかった。

 ――いや、実際は何も感じないようにしていたのだ。

 ダニールや他の不死鳥なりの防御反応だったのだろう。
 そうでもしなければ精神が崩壊し、狂っていたに違いない。

 未玖によるたった一度の赦しが長年、彼の魂に集積された澱みを幾分か取り除いたのだった。
 結果としてすっかり麻痺していた贖罪の念に苛まれているが、それがどうしたと言うのだろうか。

(未玖、君の愛する肉親を奪ってしまいすまなかった――)

 彼女に対する自身の数々の行いが、まさに悪の所業だったと悍ましくなる。
 悪魔となる寸前だったのだ。
 イーサンやファロムのように。

「フェンリル、君も辛かっただろう。忌むべき幻獣と予言され長い間、岩に縛りつけられて」
 
 神は残酷だ。
 特に古い時代の神々は。
 人間たちから厚く信仰され、畏れられる彼らも本質は悪魔と変わらないのかもしれない。

「善と悪、か」

 待ち望んだ死を前にして、ダニールは思案に耽る。

 天国と地獄。
 相対する、二つの世界。

 どちらが正しくてどちらが間違っているかなど、誰にも判断を下すことはできない。
 おそらく神と悪魔ですら。 

 ただ生まれた場所で、魂の行き着く先で皆、自分たちの世界こそが正しいと信じて疑わないのだ。
 
「……この世界は歪んでいる、あまりにも」

 静かに話すダニールの顔は暗く、険しい。
 どこからともなくワタリガラスのフギンとムニンが、漆黒の翼を羽ばたかせながらやって来た。
 
「やあ、君たちもそう思わないかい?」

 かつて知恵や知識に貪欲な古き主神に仕え、『思考』と『記憶』を司っていたは鳴くこともせず、フェンリルの隣を飛行する。

「君たちの帰りを待つ神もこの世界を去って久しい。なぜ今でも世界中の情報を集めているのだい?」

 訊ねるダニールには解っていた。
 知能の高い彼らも、幻獣の本能には抗えないのだと。
 
 しばらくするとフギンとムニンは風に乗り、更なる上空へと飛び去って行った。
 彼らと再び会うこともないだろう。

 それぞれに指し示された道なき道を、戸惑うことなく突き進むのだ。
 自分たちに残された時間は幾許いくばくもない。
 
 ひび割れた大地より、地獄を見遣るダニール。
 死闘を繰り広げるヨルムンガンドとクロから流れ出る血によって、辺り一面が赤黒く染まっている。

 血の海で打ち捨てられたように横たわっているのは、悪魔や悪魔の子どもの死体だ。
 醜く潰され、原形を留めていない。
 悪魔に混ざってたくさんの不死鳥もいたが、不死身である彼らは灰の中から蘇るため、自分が助けなくとも大丈夫だろう。

 ダニールの使命は二匹の大蛇を倒し、未玖とヨクサルの未来を確かなものにすること。
 ――ヨクサルのお腹にいる悪魔の子も。

 悪魔の血を引いてはいるが、ダニールにとって孫となる赤ん坊。
 できることならば、この手で抱きたかった。
 愛するヨクサルを「よく頑張ったね」と褒めてやりたかった。
 悪魔の子を育てる耐え難い苦痛を、少しでも和らげてやりたかった。

 だが全て叶うことはない。
 自分には過ぎた望み。
 
「――いいのだね、フェンリル」

 応えるようにフェンリルが咆哮を上げた。
 あまりの迫力に空気が、大地が振動する。
 ダニールは笑むと、そっとフェンリルの頭を撫でた。
 
「君と出会えて良かった――こんな僕を友と認めてくれてありがとう」

 意を決した面持ちになり、紅玉ルビーのように輝く瞳に殺意を宿す。
 大槌の炎が勢いを増して、ダニールと一体化する。

 その姿はさながら火の神のようだった。
 ダニールはフェンリルの背に乗って、地獄へと舞い降りる。

 ♢♢♢

「ねえ、ヨクサル……」
「はい、僕も同じです」
 
 二人はダニールの変容を、遠くの空より感じ取っていた。
 嫌な予感がして、背筋に冷たいものが走る。

「あちらの方角からだったわ」
「すぐに引き返しましょう」

 ヨクサルは北風に逆らい、燃える翼をはためかせた。
 先ほどより勢いを増した吹雪で視界が悪い。

 天馬ペガサスとの混血であるヨクサルも人間の未玖も、不死鳥ほど寒さには強くなかった。
 震える体を互いに寄せ合い、温もりを分かち合う。
 ほどなくして地獄が見え、二人は言葉を失った。

 そこには巨人となり、全身に炎を纏うダニールの姿があった。
 美しい右腕は無くなっており、左手に見慣れぬ大槌を持ち、白銀しろがね色の巨狼に跨ってヨルムンガンドとクロを見据えている。

 ダニールはあれで一体、何をするつもりだろうか。

 二人が疑問に思っていると、彼は躊躇うことなく大槌を地獄に――ヨルムンガンドとクロに向かって振り下ろした。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

烏の王と宵の花嫁

水川サキ
キャラ文芸
吸血鬼の末裔として生まれた華族の娘、月夜は家族から虐げられ孤独に生きていた。 唯一の慰めは、年に一度届く〈からす〉からの手紙。 その送り主は太陽の化身と称される上級華族、縁樹だった。 ある日、姉の縁談相手を誤って傷つけた月夜は、父に遊郭へ売られそうになり屋敷を脱出するが、陽の下で倒れてしまう。 死を覚悟した瞬間〈からす〉の正体である縁樹が現れ、互いの思惑から契約結婚を結ぶことになる。 ※初出2024年7月

僕らの10パーセントは無限大

華子
青春
 10%の確率でしか未来を生きられない少女と  過去に辛い経験をしたことがある幼ななじみと  やたらとポジティブなホームレス 「あり得ない今を生きてるんだったら、あり得ない未来だってあるんじゃねえの?」 「そうやって、信じたいものを信じて生きる人生って、楽しいもんだよ」    もし、あたなら。  10パーセントの確率で訪れる幸せな未来と  90パーセントの確率で訪れる悲惨な未来。  そのどちらを信じますか。 ***  心臓に病を患う和子(わこ)は、医者からアメリカでの手術を勧められるが、成功率10パーセントというあまりにも酷な現実に打ちひしがれ、渡米する勇気が出ずにいる。しかしこのまま日本にいても、死を待つだけ。  追い詰められた和子は、誰に何をされても気に食わない日々が続くが、そんな時出逢ったやたらとポジティブなホームレスに、段々と影響を受けていく。  幼ななじみの裕一にも支えられながら、彼女が前を向くまでの物語。

【完結】あやかし団地 管理人見習い日誌

双月ねむる
キャラ文芸
就活全滅で「自分には社会性がない」と思い込む凛は、遠縁の親戚に紹介され、昭和レトロな巨大団地・さくらヶ丘第一団地の『管理人見習い』として住み込みで働くことに。しかしその団地には、中庭の「靴鳴らし」、エレベーター表示盤に棲む狐など、団地限定あやかし達が当たり前のように暮らしていた。 最初は逃げ腰の凛だったが、すねた空き部屋や、ベランダの風鈴が告げるSOSなど、人とあやかしのトラブルに巻き込まれながら、少しずつ『共同体』に関わる勇気を取り戻していく。

春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話

登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

『後宮祓いの巫女は、鬼将軍に嫁ぐことになりました』

由香
キャラ文芸
後宮で怪異を祓う下級巫女・紗月は、ある日突然、「鬼」と噂される将軍・玄耀の妻になれと命じられる。 それは愛のない政略結婚―― 人ならざる力を持つ将軍を、巫女の力で制御するための契約だった。 後宮の思惑に翻弄されながらも、二人は「契約」ではなく「選んだ縁」として、共に生きる道を選ぶ――。

処理中です...