異世界恋愛短編集 〜婚約破棄〜

凛音@りんね

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恋い慕っておりましたが、貴方様は妹を選ばれましたので

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「お姉様、私、ダグラス様と婚約することにしましたの」

 エミリーの言葉に、サリアはルビー色の目を瞬かせる。今日は婚約者のダグラス・バウンディがサリアに会うため、ドーヴァー男爵家を訪れていた。
 それなのになぜ、エミリーとダグラスの二人が恋人のように肩を寄せ合っているのだろうか。

「一体どういうことでしょうか、ダグラス様」

 サリアはダグラスに問いかける。しかしダグラスは碧眼に冷たい光を宿したまま、返事をしようとしなかった。

「あら、そんなこと聞かなくても分かりませんの?」
「ええ、分からないわ」

 するとエミリーは、嘲るようにくすくすと笑った。

「本当にお姉様ったら鈍感ですわね。では、はっきりと申し上げます。お姉様は地味なのですわ。だからダグラス様とは釣り合いませんの」

 二つ違いのエミリーは、文句のつけようがないほど愛くるしい容姿に女性らしい体型をしている。彼女が笑えば花が咲き、蝶が舞う。

 一方のサリアは、華やかさとは程遠い顔立ちをしていた。
 なんとか美人の部類に入るだろうが全体的に細身のため、エミリーのように華美な服装は似合わない。なので社交界でも目立たない存在だった。

「そういうことだ、サリア。今日は君との婚約を破棄するためにやって来た」
「っ!!」

 ようやく口を開いたダグラスの婚約破棄宣言に、サリアは強い衝撃を受ける。彼に愛されていると信じていた、心から。

(ダグラス様……)

 けれど違っていたのだと突きつけられ、涙が溢れそうになる。どうにか堪え、サリアは気丈に振る舞った。

お姉様はこうですわ。妹として恥ずかしいので、もう少し自覚を持っていただきたいですわね」

 大きく胸元の開いたドレスを着たエミリーが、ダグラスの逞しい腕に豊かな胸を押し付けながら口角を上げる。その顔には明確な侮蔑が浮かんでいた。
 
「では参りましょう、ダグラス様」

 エミリーとダグラスがサリアの部屋を出ていく。まだ信じられないサリアは、すがるようにダグラスを見た。だが彼は一瞥をくれるだけで、さっさと行ってしまった。

「うっ……ううっ!」

 サリアはその場に泣き崩れる。胸が抉られたように苦しく痛む。不意に彼女の影がすうっと伸びたかと思うと、ぷつりと真っ二つになった。

「ああ……エミリー……ダグラス様……」

 どれだけ酷い仕打ちを受けようとも、愛する二人には変わりない。
 そんな二人に魔手が迫っていることを知りながら、何もできない自分にサリアはまたしても打ちひしがれ、大粒の涙が頬を濡らした。


 ♢♢♢


「兄さん、サリアさんとの婚約を破棄したって本当?」

 バウンディ侯爵家に戻るなり、弟のルークに訊かれた。二人は三つ違いで、サリアとルークは同い年だった。

「それがどうした。お前には関係ないだろう」
「俺、サリアさんの笑った顔が好きだったのになあ」
「はっ、あんな地味女が趣味なのか? ならばお前にくれてやろう」
「婚約破棄したのならもう兄さんの婚約者じゃないし、そもそも人をもの扱いするような言動はどうかと思うけど」
「……」

 ああ言えばこう言う。
 ダグラスは幼少期よりルークが憎かった。自分よりも要領がよく、機転の利く性格。
 
 中身だけならまだしも外見も良いときている。同じ金髪碧眼でも、ルークの方が似合っていた。
 侯爵家嫡男に向かって誰も口にしないが、きっと周囲の者たちはルークこそがバウンディ侯爵家を継ぐのに相応しいと思っているに違いない。

 そんな被害妄想じみた思考がすっかり出来上がり、ルークとの会話にはいつも棘が含まれてしまうが、当のルークは少しも気にしていなかった。

 掴みどころのない、あっけらかんとした性格。自由気ままな猫のようでもある。家督を継ぐ必要のない次男だからかもしれない。

(まったく、気楽で羨ましいものだ)

 ダグラスはこうしてルークを見下すことで、心の平穏を保っていた。

「で、次のお相手がサリアさんの妹エミリーさんね」
「別に誰だっていいだろうが」
「そうだね。兄さんが決めたことだから」
「ならばこれ以上、余計な口出しをするな」

 強制的に会話を終わらせると、ダグラスは自室へと姿を消した。

(大丈夫かな、サリアさん)

 しばしルークは、サリアのことを思いやる。決して派手ではないが、笑顔の可愛らしい女性だ。同い年だがサリアの方が断然、自分より大人びていた。

 と、ルークの背中に悪寒が走る。彼は本能的によからぬ事態を察知するが、自分には何もできないと悟るなり大きく伸びをした。


 ♢♢♢


「おはようございます、お父様、お母様」

 翌日、家族で朝食を取るためにダイニングへと赴いたサリアは、そこにエミリーの姿がないことに気がついた。

「あの、エミリーは?」
「それがだな……」

 父親が言い淀む。もしかして――サリアは体を強張らせる。

「エミリーの姿
「っ!!」

 やはり昨日の一件で――サリアは顔を曇らせる。

「エミリーの部屋へ行ってきます」
「ああ、サリア。お願いよ、どうかエミリーを助けて」
「お母様……きっと大丈夫ですわ」
「頼んだぞ、サリア」
 
 今にも泣き出しそうな両親を励まし、サリアは二階にあるエミリーの部屋へ向かうため、階段を上がって行った。
 
 ギシッ、ミシッと床の軋む音がホールに響く。昨日までは何ともなかったのに。一夜にして家が朽ちてしまったように、陰鬱とした空気が屋内に漂っていた。
 
「……エミリー」

 扉をノックしながら、サリアはエミリーに呼びかける。何度か繰り返したが返事はない。仕方がないので、そっと扉を開けて中へと入った。

「……ああ、私の可愛いエミリー」
 
 天蓋付きのベッドで横になっていたのは、まぎれもなくエミリーだった。けれど彼女は静かに寝息を立てたまま、決して目を覚まそうとはしない。そして幾分か幼かった。
 
「……あなたが昨日、あんなことをしなければ」
 
 サリアの紅い瞳が揺れる。
 いっそのこと、ひと思いに心臓をナイフで突き刺してやった方が良いのではないか。
 
(だめよ、そんなこと)

 ゆるゆると首を横に振り、エミリーの手を取る。
 ひどく冷たい。まるで死人のようだ。

(まだ死んでなどないわ。でも――)

 エミリーのために祈り、彼女の中へ自身の生命力を注ごうにも上手くいかなかった。
 
 試しに花瓶に生けた、萎れかかった花に触れてみる。するとみるみるうちに、花弁がかつての彩りを取り戻した。

(やはりは失われていないのね)

 無邪気な寝顔をしたエミリーは、昨日とは別人のようだ。
 それもそのはず、ベッドで臥せるエミリーの時は十四歳で止まったままなのだから。


 ♢♢♢



「待って、お姉様」
「ふふ、気持ちがいいわね」

 楽しそうに笑い合いながら、シロツメクサの咲き誇る野原を散策するサリアとエミリー。
 今とは違う、仲睦まじい二人の姿。春の午後の日差しが穏やかに降り注ぐ。

「この先にあの世へと繋がる穴があるって本当かしら?」
「あら、エミリーったらそんなことを信じてるの」
「だってお父様もお母様も絶対に近づいちゃいけないって何度も言うんだもの」
「きっと落ちたら危ないからよ」

 この時、サリアはまだ力に目覚めていなかった。どこにでもいる、妹想いの恋愛小説好きな十六歳の少女。
 
「だったら私、行ってみたい!」

 エミリーの提案にサリアは乗り気になれなかった。何となくではあったが、嫌な予感がしたのだ。
 けれど一度言い出したら聞かないエミリーは、一人で先に歩いて行ってしまう。

「勝手に行ってはだめよ、エミリー」
「お姉様ったらもしかして怖いの?」
「そうではないわ」
「じゃあ、早く穴を見に行きましょう!」
「待って、エミリー!」

 走り出すエミリーを追いかけ森の中へと入る。途端に暖かな日差しが、鬱蒼と生い茂る木々によって遮られた。
 あれだけ鳴いていた小鳥たちのさえずりは聞こえなくなり、耳が痛くなるほどの静寂がサリアを包み込んだ。
 
「エミリー?」

 しばらくすると洞窟のような入り口があった。光を全て吸収してしまいそうな深い闇。サリアは入り口に近づくなり、エミリーがうつ伏せで倒れているのを発見する。

「エミリー!」

 エミリーは気を失っており、もう少しで穴へ落ちそうになっているのを、すんでのところでサリアが救出する。

「しっかりして、エミリー!」

 だがエミリーはそれきり目を覚ますことはなかった。サリアはエミリーを背負い、どうにか家へ戻ると両親に事情を説明した。

「あれほど近づいてはならないと言っただろう!」
「ああ、エミリー……!」
「ごめんなさい、お父様、お母様……」

 自責の念に苛まれたサリアは泣きながら謝るが、いくら涙を流したところでエミリーが目を覚ますことはなかった。
 
 三日が経ち、五日が経ち、一週間が経った。その間、サリアはずっとエミリーに付き添っていた。
 
「私がそばにいたのに、助けてあげられなくてごめんね……」

 冷たい手を握りしめながら、サリアは嗚咽を漏らす。
 こぼれ落ちた涙の粒がエミリーの肌に触れた瞬間、サリアの体の奥から底知れぬ慈愛の力が湧き出した。

「これは……」

 サリアは目を閉じ、エミリーの無事を祈った。
 
「お姉様?」

 後ろから声を掛けられ、サリアは驚く。振り返ると、そこには元気な姿をしたエミリーが立っていた。ベッドに体を残したまま。

「私の部屋で何をしているの?」
「えっと……」

 どうやらエミリーには自分の体が見えていないらしい。

「エミリー、私が誰だか分かる?」
「サリアお姉様でしょ」
「あなたの歳は?」
「十四歳よ」
「嫌いな食べ物は?」
「ピーマン。もう、なんなの?」

 サリアはエミリーの体を抱きしめた。温かい。エミリーが生きている。
 たとえ紛い物の生だとしても、それがどうしたと言うのだ。

 サリアは直ぐにエミリーのことを両親へ伝えた。両親もサリア同様に最初こそ驚愕していたが、エミリーが元気に動き回り花笑む姿に涙を浮かべて喜んだ。
 
「私たちの可愛いエミリー……ずっと変わらないでいてちょうだいね」

 だがその願いが叶うことはなかった。


「エミリー、何をしているの!」
「きゃはははははは!」

 家族との食事中、エミリーはミートボールを手掴みしたかと思うと、笑いながらあちこちに投げつけた。
 またある時は、クレヨンで壁という壁にうさぎや虹などの落書きをした。
 
「エミリーったらまるで小さな子みたいね」

 母親が困ったように眉を下げる。それを聞いたサリアは、ある考えに行き着いた。外見は倒れる前のエミリーだったが、中身は幼児そのものだ。
 
(もしかすると退行した――?)

 つまり今のエミリーの精神年齢は二、三歳といったところだろうか。発語や記憶はしっかりしているのでどうにか日常生活を送れるが、これでは家族の者以外に会わせるのは到底、無理だろう。

 こうしてエミリーは精神的に落ち着くまで、ドーヴァー男爵家に幽閉されることとなった。とは言ってもある程度は本人の好きにさせ、家族との交流を積極的に行なったり、監視付きではあったが外で思い切り遊ばせたりした。 

 その甲斐あってか、二年が経つ頃にはすっかり年相応のお淑やかな少女へと成長したのだった。サリアはその間、ベッドで臥せるエミリーの手を握り、彼女のために祈り続けた。


 ♢♢♢


「お姉様ばかりずるいですわ!」

 最近のエミリーの口癖。何かにつけて姉のサリアと比べては「ずるい」と言い、お気に入りのアクセサリーやドレスを横取りした。
 
(エミリーにはあのドレス、似合わないと思うのだけれど)

 案の定、エミリーはサリアから奪ったら興味を無くしてしまうらしく、新たに用意された部屋のベッドや床、ドレッサーに放置したままだった。
 
 生まれ持った性質だろうか。エミリーは表向きは淑女だが、中身は性悪だとようやく両親も気づき、二人はサリアにどうしたものかと相談してきた。

「サリアの聖なる力で直せないかね?」
「そればかりは私にも無理ですわ」
「ああ、可哀想なエミリー……」

 母親はすっかりエミリーの味方だった。多少、悪いことをしても見逃しているのを、サリアは知っている。元々エミリーが倒れる以前から、母親はエミリーに甘かった。

 いや、自分に可愛げがなかったからだろう。エミリーは愛嬌があり、人の好意に取り入るのが上手かった。

 サリアが十八歳になると、バウンディ侯爵家長男のダグラスとの婚約が決まった。まだ恋をしたことがなかったサリアにとって、ダグラスはとても魅力的な男性として映った。

 金糸のようにサラサラと靡く髪、真夏の海を閉じ込めたような碧い瞳。少々気難しいところはあったが、ダグラスはサリアに対して優しく接してくれた。

 そんな二人の様子を、羨ましそうに見つめるエミリー。
 彼女はいつものように欲しくなった。ダグラスを自分のものにしたい。
 自分が姉より女としての魅力があると分かっていたので、エミリーは迷うことなく色仕掛けでダグラスを落としたのだった。


「お姉様、私、ダグラス様と婚約することにしましたの」

(あの時のお姉様の顔と言ったら!)

 思い出すだけで面白く、エミリーは自室のベッドでげらげらと笑い転げる。

「お姉様のものを奪うのって本当に楽しいですわ! うふふ、次は何を奪おうかしら」

 ズズズ……と黒い影がエミリーに迫るが、彼女は気づかずにいた。影は段々と大きくなり――そのままエミリーを呑み込んだ。


 ♢♢♢


(ん……)

 エミリーは目を覚ます。
 暗い。寒い。ここはどこ?

(お父様! お母様!)

 叫ぼうにも声が出ないことに唖然とする。

(なによ、もう!)

 悪態をついていると、誰かの声が聞こえてきた。
 ――姉のサリアだ。

「……あなたが昨日、あんなことをしなければ」

(あんなこと? なんのことよ?)

 エミリーにとってサリアからダグラスを奪ったことは、大したことではなかった。アクセサリーやドレスと同じで、飽きたら直ぐに他の男へ乗り換えるつもりだった。
 ダグラスの弟ルークの方がより美丈夫だ。次の相手は彼にしよう――ズキンッ!

(痛いっ!)

 突如、心臓を鷲掴みにされたような激痛がして、エミリーは顔を歪める。
 サリアの紅い瞳が揺れた。
 
(いっそのこと、ひと思いに心臓をナイフで突き刺してやった方が良いのではないかしら)

(はあ!?)

 エミリーは激昂した。
 今の痛みはサリアのせいだったのだ。

(お姉様の分際で私を殺そうだなんて――)

 その時、エミリーはサリアが誰かのそばに居ることを認識する。

(一体、誰――え?)

 サリアのそばに居たのは、他ならぬ自分だった。ただし今よりも幼く、病的なまでに肌が白い。

 サリアはゆるゆると首を横に振り、エミリーの手を取る。
 ひどく冷たい。まるで死人のようだ。

(まだ死んでなどないわ。でも――)

(どういうことなの――?)

 エミリーは混乱した。訳が分からない。
 自分はここにいるのに、なぜ体がベッドに横たわっているのか。

 サリアはエミリーのために祈ったが、彼女の体が受け入れようとしない。そのため、自身の生命力を注ごうにも上手くいかなかった。

 試しに花瓶に生けた、萎れかけた花に触れてみる。するとみるみるうちに、花弁がかつての彩りを取り戻した。

(やはり力は失われていないのね)

(力――?)

 無邪気な寝顔をしたエミリーは、昨日とは別人のようだ。
 
(そうよ、ベッドで臥せるエミリーの時は十四歳で止まったままなのだから)

(十四歳――?)

 今は十六歳のはずだ。記憶だってしっかりある。
 十四歳の時に、姉と二人でシロツメクサの咲き誇る野原を――ドクンッ!

(あ、ああ……)

 エミリーは全てを思い出した。
 あの日のことを。一人で勝手に穴を覗いたことを。
 
(ああ、ああ……!)

 その瞬間、エミリーの紛い物の体を何かが引っ張る。耐え難い痛みと恐怖に、エミリーは死に物狂いでサリアに助けを求めた。

(お姉様! お願い、助けて!)

 しかし祈り続けるサリアの耳には届かない。
 
(お姉様から奪ったものは全部ちゃんと返すから! だから助け――)

 言い切る前に、エミリーの体は完全に暗闇へと呑み込まれた。

「……エミリー?」
 
 握りしめていたエミリーの手が更に冷たくなるのを感じたサリアはその意味を把握し、肩を震わせながらさめざめと泣いた。


 ♢♢♢


「兄さん、お加減はいかがですか?」
「うるさいから出ていけ……」

 エミリーが姿を消した翌日、ダグラスは体調不良によって寝込んでいた。心配した弟のルークが様子を見に来ていたが、ダグラスは悪態をつくばかりだ。

「ああ、そうだ。これからサリアさんが見舞いに来てくれるそうだよ」
「……ふん、勝手にしろ」

 小一時間ほどしてサリアがダグラスの部屋を訪れるなり、抑揚のない声で近況を報告した。

「昨日、エミリーが亡くなりました」
「なんっ!?」
「ああ、可哀想に」

 サリアはルークに向かって頭を下げる。

「ルーク様、ダグラス様と二人きりにしていただけますか?」
「分かった。向かいの部屋にいるから何かあったら呼んでおくれ」
「ありがとうございます」

 ルークが部屋を出ていくと、サリアは椅子に腰掛けた。

「一昨日会った時はあんなに元気だったのに……」
「ダグラス様、貴方様もエミリーと同じ運命にあります」
「どういうことだ……?」
「今まで会っていたエミリーは紛い物で、本当は寝たきりだったと言うのを信じてもらえますか?」

 ダグラスは言葉の意味が分からず、また頭痛で思考が定まらないため満足に返事ができなかった。

「本当のあの子は二年前、あの世へと繋がる穴に近づき、以来ずっと目を覚ましませんでした」
「あの世へと繋がる穴……?」
「はい。ドーヴァー男爵家の敷地内にあるそこは、決して近づいてはならないと厳しく言いつけられていました。ですが好奇心旺盛なエミリーは一人で穴を覗き見たのです」

 ひゅうううっと、肌寒い風が開け放った窓から入り込んできた。サリアは窓を閉めると再び椅子に腰掛け、話を続ける。

「私が思うに、エミリーの魂は得体の知れないものによって吸い取られてしまい、体だけが残された状態だったのだと思います」
「ではなぜエミリーは存在していたのだ……?」
「それは私が目覚めた力によって、何とか意識の片鱗を繋ぎ止めていたからかと」
「力だと……?」
「はい。お見せいたしましょうか?」

 サリアは花瓶に生けてあった花を一本手に取ると、花弁をむしった。少し悲しそうな顔をしたが、残された花弁に触れて鮮やかに復活したのを見届けるなり優しく微笑んだ。

「こ、これは奇跡じゃないか……! サリア、まさか君が聖女だったとは」

 目の当たりにした奇跡に、ダグラスは辛いのを束の間忘れて興奮気味に言った。

「だったら話が早い! 俺のことも治してくれ!」
「――それはできません」

 断られるとは思ってもみなかったのだろう。ダグラスは血相を変える。

「なぜだ!? そんな掃いて捨てるほどある花に奇跡を起こせるのだから、俺にもできるはずだろう!?」
「ダグラス様……私は貴方様をい慕っておりました。ですが貴方様はそうではなかった」
「ち、違う! 本当に愛していたのはサリア、君だけだ!」
「ではエミリーへの愛は偽りであったと?」
「ああ! エミリーとはただの遊びに過ぎない! だから――」

 サリアは椅子から立ち上がり、ダグラスを見下ろした。辺りに集う影が濃い。きっともうすぐ彼も――

「私のこの力は、裏切りの気持ちを向けられた時に能力を無くします。エミリーはダグラス様を私から奪った時、そしてダグラス様は私ではなくエミリーを選んだ時。既に運命は決まっていたのです」
「そ、そんな……! 嫌だ! まだ死にたくない! お願いだ、助けてくれ!」
「もう遅いですわ。貴方様はエミリーと深いところで繋がりを持ってしまわれた――自ら死に近づき、手招いたのです」
「お、お願いだ、サリア! 俺を助けてくれ!」
「失礼いたします」
「サリア!」

 喚くダグラスを置いて部屋を出ると、ルークが扉の外で待っていた。

「今、部屋から出てきたばかりで盗み聞きなんてしてませんよ」
「ルーク様が嘘をついていないことは分かっています」
「兄さんが君に酷い仕打ちをして本当にすまなかった」
「そんな。ルーク様が謝る必要などないのです」
「エミリーさんのこと、とても残念だったね」
「いえ、もうすぐ愛する人と一緒になれるので大丈夫ですわ」

 サリアはにこやかに微笑んだ。全てを諦め、受け入れるように。


 ♢♢♢


 数日後、ダグラスが急死し、社交界では色々な噂で持ちきりになった。エミリーもほぼ同時期に亡くなったため、無理心中ではないかとまで囁かれる始末だ。

「サリアはこれからどうするつもりだい?」
「せっかく授かった力ですし、苦しんでいる人々を救いたいと考えています」
「つまり家を出るってことかい?」
「そうですね。あまりいい思い出のある場所ではありませんので」

 サリアとルークは、樫の木の幹に腰を預けながら話していた。すっかり打ち解けたルークは親しげな口調だ。

「ふうん。じゃ、俺もサリアについて行こうかな」
「あら、バウンディ侯爵家を継がなくてよいのですか?」
「実は父親に愛人がいてね、その人のところに息子がいるんだ。だからいざって時は大丈夫じゃないかな」
「本当に猫のような御方ですね――その、お兄様のことはもう大丈夫ですか?」
「兄さんのことは好きだったけど、俺は嫌われてたからね。亡くなった者のことを、いつまでもくよくよ悩んでたってしょうがないだろう?」
「……ええ、そうですね」

 サリアは晴れ渡った空を仰ぎ見る。エミリーと野原を駆け回った日々もこんな天気であったと一人笑む。

「それに俺は大好きなサリアを守りたいからさ」
「だ、大好き……ですか?」
「いや、愛してる、かな」
「……っ!!」

 突然の告白に、サリアは耳の先まで真っ赤になる。

「と、いうわけでこれからもよろしく、サリア」
「は、はい、よろしくお願いします、ルーク様」
「俺のことはルークって呼んで」
「……ええ、ルーク」

 二人は手を取り合い、立ち上がった。
 もうすぐ新緑の眩しい初夏がやって来る。


 END

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