異世界恋愛短編集 〜婚約破棄〜

凛音@りんね

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婚約破棄され公爵令嬢の身分を捨てましたが、妹の代わりとして戻るつもりはありません 〜お仕えする旦那様は私に甘すぎます〜

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「ロザリンド、君との婚約を破棄させてもらう!」

 アリシル王国の第一王太子であるセオドアが突然、白銀色の髪を振り乱し、声を張り上げる。
 なぜ夜会の最中に? ロザリンド・ハウルは訝しむ。

「まさか君がしき魔法使いだったとは」
「…………」

 ロザリンドの容姿は黒目黒髪。背が高く女性らしくない体つき。正直、あまり社交界映えはしない。それは彼女自身、よく分かっている。
 
 他の令嬢のように着飾ったところで、魔法使いだの男みたいだのと陰口を言われるのにもいい加減、慣れてきていた。でも婚約相手に大勢の前で、魔法使い呼ばわりされるとは。完全に想定外だった。まさか――

「君が魔法で他の男を誑かしていると、スザンヌから聞いたのだ」
「…………」

 ――やはり。スザンヌはロザリンドの通っている。二人は同い年。
 だが決して双子ではない。父親の愛人が産んだ子どもがスザンヌだった。

 スザンヌは三年前、彼女の母親が急な病で亡くなったからと、父親がハウル公爵家に連れてきて新たな家族となったのだ。スザンヌは見事な金髪碧眼をしており、たいへん女性らしい体つきをしている。

「あら、ロザリンドお姉様」

 意地の悪い笑みを浮かべたスザンヌが、セオドアにしなだれかかる。精悍な顔つきのセオドアがみっともなく鼻の下を伸ばすのを、ロザリンドは見逃さなかった。

 地味なドレスを着たロザリンドとは対照的に、明るく華やかなドレスをさらりと着こなすスザンヌ。胸元は惜しげもなく開かれており、両腕を寄せては豊かな谷間を強調させていた。

「私、真実の愛を見つけましたの」
「…………」

 スザンヌが妹となってから、ロザリンドは様々なものを奪われた。テディベア、刺繍入りのハンカチ、万年筆、ルビーの指輪、ダイヤモンドのネックレスなど数え上げたらきりがない。そしてついに婚約者まで。

 早くに母親を亡くしていたロザリンドだったが、父親はスザンヌの方を可愛がった。きっと女性らしくない娘の自分では物足りなかったのだろう。

「ハウル公爵からも、スザンヌとの正式な婚約を認めてもらっている。だから君は好きにすればいい」
「男みたいなロザリンドお姉様と結婚してくださる殿方がいれば、の話ですけれど」

 会場に居た令嬢や貴婦人たちが、香り立つ扇子で口元を隠しながらくすくすと笑った。これ以上ない侮辱を受けながらも、ロザリンドは言い返さない。
 スザンヌは目を細め、いやらしく口角を上げてみせる。

「何か言うことはありませんの、ロザリンドお姉様?」
「……殿下もスザンヌも、どうか末長くお幸せに」

 声が震えている。居ても立っても居られなくなり、ロザリンドはカーテシーをするのも忘れて会場を飛び出した。外は冷たい雨が降っていた。

「…………」

 泣くこともせず、ヒールを脱ぎ捨てる。こんなものがあるから、余計に背が高く見えてしまうのだ。スザンヌのように女性らしい者ならばより美しく魅せる服飾品も、ロザリンドにとってはただただ鬱陶しいだけだった。

(もう、あんな家に帰るのはいや――)

 悔しいがスザンヌの言う通り、自分と結婚してくれる男性などいないだろう。公衆の面前で婚約破棄され捨てられた、長身で女性らしくない自分など。

(だったら、ロザリンドとして生きるのはやめよう――)

 ロザリンドは雨に打たれながら、強く心に誓う。公爵令嬢としての人生を断ち、新たな自分となるのだ。

 幼い頃から乳母やメイドに家事や料理を教わってきた。裁縫も人並みに得意だ。それらを活かせば自活も夢ではない。

 ロザリンドは背筋を伸ばし、裸足のまま王都を後にした。


 ♢♢♢


「カミーユ、シエラお嬢様の子守をお願いします」
「分かりました」

 突然の婚約破棄から半年が経つ頃、ロザリンドはニコラス・サリファー辺境伯の屋敷でメイドとして働いていた。名前もロザリンドからカミーユと改名し、長かった黒髪は耳の後ろで切り揃えられていた。

 最初、メイド服を着ることに抵抗がなかったといえば嘘になる。だがやっと見つけた働き口、従わないわけにはいかなかった。

 カミーユの考えに反してメイド服は、背が高くても様になった。キリッと姿勢を正し、主人のために尽くす様子は同僚の女性たちから大変好評であった。

「カミーユ様は男装したら絶対にかっこいいわよね!」
「ええ、一緒にダンスを踊ってほしいですわ!」

 女性らしい膨らみのない体つき、綺麗に切り揃えた短い髪、端正な顔立ち。これで執事服を着ていれば、誰もが美丈夫だと勘違いすることだろう。

「こら、二人とも。無駄口を叩いていないで早く持ち場につきなさい」

 メイド長のミネアン・バルドーに叱られ、二人のメイドは急いで各々の仕事場に向かって行った。

「まったく、困った子たちですね」

 カミーユがなぜ過去のことを一切話さないのか、ミネアンは何となくではあるが悟っていた。長年の経験がものを言うのだ。 

 けれどあえて追求しようとはしなかったし、仕事さえきちんとしてくれればこちらとしては何の問題もない。むしろカミーユは手際が良く、ミネアンが指示を出す前に自ら動くことのできる逸材だった。

「さて、今日も何事もありませんように」

 半ば祈るように呟くミネアン。彼女なりのおまじないのようなものである。


 ♢♢♢
 

 カミーユはサリファーの一人娘、シエラの世話をしていた。シエラは現在四才。まだまだ母親に甘えたい年頃だ。

 しかし母親はシエラが一才半の時、二度目のお産で赤ん坊とともに亡くなってしまった。まだ小さくて記憶がないことが、せめてもの救いだろうか。
 自分と同じ境遇のシエラを、カミーユはめいっぱい愛していた。
 
「シエラお嬢様、お庭を散歩いたしましょう」
「うん!」

 みんなからの愛情を受けて育っているシエラは、とても明るく可愛らしい女の子だった。もし自分が結婚していたら、シエラのような娘がいたかもしれない。そう思うと、余計に愛おしく感じてしまう。

 カミーユはシエラのぷくぷくとした手を優しく握り、ゆっくりとした足取りで歩いて行く。今の時期はライラックや鈴蘭が咲いていて、そこかしこから良い香りが漂ってきた。

「カミーユ、だっこして!」
「はい、シエラお嬢様」

 抱っこをせがまれ、シエラを抱き上げる。存外に重い。また大きくなったのかもしれない。
 ライラックの茂みを抜け、屋敷の玄関先まで来るとちょうど自動四輪車が入ってきた。

「パパ!」

 後部座席から降りてきたのは、シエラの父親であるサリファーだった。 

「お帰りなさいませ、旦那様」

 お辞儀をしようとして、シエラを抱っこしていることに気づくカミーユ。まだ四才のシエラは一度抱っこすると、なかなか降りようとしない。仕方がないので、無礼を承知で軽く会釈をする。

「ただいま、シエラ。いい子にしていたかい?」
「うん! カミーユとおさんぽしていたの!」
「カミーユ、いつもシエラの面倒を見てくれてありがとう」
「ありがたいお言葉、痛み入ります」
「そんなにかしこまらなくてもいいから」
「……はい」

 にこりと微笑むサリファーはカミーユよりも背が高く、非常に整った顔立ちをした若い紳士だった。柔らかな亜麻色の髪の毛、宝石のように輝く緑色の瞳。

 なぜ後妻を娶らないのか、屋敷で働く誰もが不思議に感じてしまうほどの美貌の持ち主。しかしそれを鼻にかけることをせず、朗らかな人柄は接する人々に安心感を与える。

「雑務が片付いたから、しばらくは屋敷でゆっくりと過ごせそうだよ」
「ほんとう? それじゃシエラとおふろにはいって!」
「ああ、一緒におやつを食べたりお星様を数えたりしよう」
「やったー!」

 シエラは喜びのあまり、カミーユからサリファーへと抱きついた。カミーユはシエラを落としてしまわないよう、細心の注意を払う。するとサリファーと体が触れ合ってしまった。咄嗟に体を離すカミーユ。

「おっと!」
「申し訳ございません、旦那様」
「カミーユこそ大丈夫だったかい?」
「はい、私はなんともありません」
「きゃはははははは!」

 シエラは二人の間ではしゃぐように笑う。そんなシエラをサリファーは慈しむように目を細めながら見つめた。

「シエラは随分と君になついているようだね」
「それは……」
「よければ三人で散策をしよう」
「はい、旦那様」
「わーい! おさんぽー!」
 
 三人はよく手入れされた庭を、ゆっくりと歩いて行く。再びライラックや鈴蘭の良い香りが鼻腔をくすぐる。四阿まで来ると、三人はひと休みすることにした。

「カミーユ、のどかわいたー!」
「どうぞ、シエラお嬢様」

 抜け目なく水筒のお茶をカップに注ぎ、シエラに差し出す。彼女のポケットには、シエラのための物がたくさん詰め込まれているのだ。

「カミーユ、君も喉が渇いただろう?」
「いえ……」

 本当は渇いていたが主人の手前、水分補給をすることは許されない。カミーユは唾をごくりと飲み込み、喉の渇きを誤魔化した。

「後で一緒にお茶でもどうかな?」
「お茶、でございますか?」
 
 主人がメイドを誘うなど前代未聞のことだった。しかし主人の希望であるなら、素直に従わなければならない。

「午後二時に私の部屋まで来ておくれ」
「……かしこまりました」

 温かな風が吹き抜け、カミーユの頬を優しく撫でた。


 ♢♢♢


 午後二時。
 カミーユは姿勢を正し、ドアをノックする。

「どうぞ」
「失礼いたします」

 メイドの誰かが控えているかと思いきや、部屋にいたのはサリファーひとりだけだった。

「やあ、よく来てくれたね。カミーユはハーブティーを飲めるかい?」
「はい。すぐにお淹れいたします」
「いや、ハーブティーを淹れるのは僕の趣味でね。だから君は座っていておくれ」
「ですが」

 カミーユが答え終わる前に、サリファーは簡易的な作りのキッチンに立つ。

 ガラス製のポットを温め、沸騰したお湯を注ぐとしばらく放置した。そのあとポットのお湯を捨てる。ドライハーブを入れ、一度沸騰させたお湯をポットに注ぎ、三分ほど待つ。ティーポットを軽く揺らし、お茶の濃度を均一にして、ティーカップに注ぐとカミーユの前に置いた。

「庭で育てているペパーミントの葉だよ」
「旦那様が育てていらっしゃったのですか?」
「ああ。僕が不在の時に世話をしてくれてありがとう」
「いえ、それが私の仕事でございます」

 ハーブティーから湯気が立ち込める。吸い込むと爽やかな香りが鼻を抜けていった。

「さあ、飲んでみて」
「はい」

 口の中いっぱいに広がる清涼感。味わいはすっきりしている。

「ペパーミントはね、胃の調子を整えたりリラックス効果が得られるんだ」
「そうなのですね」

 にこりと微笑むサリファー。カミーユの心臓がドキリと跳ねた。窓から差し込む午後の陽光によって、亜麻色の髪が艶やかに光る。緑色の瞳はまるでエメラルドのようだ。

(なんて美しいのでしょう)

 生まれて初めて心からそう感じた。決して派手ではないが、サリファーには惹きつけられる何かがあった。カミーユは目を逸らすように俯き、ハーブティーを飲む。

「夜はよく眠れるかい?」
「はい」
「ならよかった。もし眠れなかったらカモミールティーを飲みにおいで」
「ありがとうございます」

 この部屋へ来るのは今回一度きりだと思っていたので、サリファーの言葉にカミーユは内心驚く。幸い、仕事でくたくたになるので夜、眠れなくなることはない。

(旦那様は本当にお優しい御方です)

 カミーユはまだ胸の高鳴りが収まらずにいた。


 ♢♢♢


 同時刻。
 王都、ハウル公爵家にて。

「スザンヌよ、なぜ子どもができないのだ?」
「あの、それは、お父様……」

 姉のロザリンドと婚約破棄をしたセオドアと、その後すぐに結婚したスザンヌであったが、いくら同衾しても懐妊する気配がなかった。
 
「まさか王太子殿下は他の女と通じているのか?」
「そ、そんなことはございませんわ! セオドア様は私だけを愛してくださっております!」

 これは偽りであった。半年経っても子どもができないスザンヌに、セオドアは見切りをつけ始めていた。近頃は同衾することもなくなってきている。

 元々、女癖がよくないとは聞いていたが、自分の美貌なら繋ぎ止めておける自信があった。だが懐妊できないとなれば話は別だ。
 
 スザンヌは焦る。今まで欲しいものは何でも手に入った。姉のロザリンドから横取りしたものはすぐに飽きてしまった。ルビーの指輪もダイヤモンドのネックレスも、メイドがどこかに片付けているだろう。
 
 横取りしたの中で一番の大物、セオドア。アリシル王国の第一王太子。自分は妃になるのだ。けれどこのまま子どもを産まなければ、石女だと罵られることだろう。最悪、離縁されるかもしれない。
 人一倍プライドの高いスザンヌにとって、それは耐えられないことだった。

「きっとロザリンドお姉様が私に呪いを掛けたのですわ!」
「呪いだと?」
「ええ。ロザリンドお姉様は魔法使いだと噂されていましたでしょう? セオドア様と結婚した私のことを恨み、子どもの産めない体にしてしまったに違いないですわ!」
「しかし……」

 ハウル公爵にとってロザリンドも実の娘だ。悪しき魔法使いなどではないことなど、考えなくとも分かっている。

 愛していないわけではなかった。ただ、自分の思うような娘に育たなかった。だからスザンヌを引き取ったのだ。けれどそのスザンヌも、思うように物事を進められないでいる。

(――そうだ)

 ある解決策が浮かび、ハウル公爵はほくそ笑む。苛立ちから解放され、上機嫌でスザンヌに話しかけた。

「スザンヌ、くれぐれも王太子殿下によろしくお伝えしておくれ」
「……? 分かりましたわ、お父様」

 スザンヌは迎えの豪奢な馬車に揺られ、王城へと戻って行った。


 ♢♢♢


 次の日もいい天気だった。カミーユはシーツを丁寧に洗い、シワにならないように次々と干していく。

「カミーユ、あそんでー!」
「カミーユ様の邪魔をしてはいけませんわ、シエラお嬢様」

 シエラの子守をしていた新人メイドが窘める。

「いいですよ、洗濯も終わりましたし。あなたも疲れたでしょう? 少し休むといいわ」
「あ、ありがとうございます、カミーユ様!」

 新人メイドは頬を赤く染め、頭を下げた。彼女もカミーユのことをかっこいいと感じており、淡い恋心にも似た気持ちを抱いていた。この後、他のメイドたちとカミーユについて心ゆくまで語り合うことをカミーユは知らない。

「何をなさりたいですか、シエラお嬢様」
「ブランコ!」

 近頃のシエラは、庭に設置されたブランコに夢中だった。ただしまだ一人で遊ばせるのは危険なので、膝の上に座らせていた。

「それではいきますよ」

 シエラを片手でしっかり抱きしめ、ゆっくりとブランコをこぎ始める。

「きゃはははははっ!」

 吸い込まれそうな青空に響き渡る、シエラの無邪気な笑い声。小鳥たちのさえずりが、屋敷を囲む木立から聞こえてきた。

「随分と楽しそうだね」
「パパ!」

 そこへサリファーがやって来た。カミーユはブランコをこぐのをやめると、シエラを抱っこしながら立ち上がり、姿勢を正してお辞儀をした。

「そんなにかしこまらなくてもいいのだよ」
「ですが……」

 サリファーを前にすると、心臓が高鳴ってしまう。カミーユは思わず目を逸らした。

「カミーユったらおかお、まっかっか!」
「えっ」

 シエラに指摘され、カミーユはますます顔を赤らめる。それを見ていたサリファーは優しい声音で言った。

「カミーユ、またよければ一緒にお茶でもどうだい?」
「はっ、はい。旦那様……え?」

 いつもの調子で反射的に返事をしてから、正気に戻るカミーユ。もう二度とあの部屋に行くことはないと思っていたのに。今、二人きりになってしまうと、自分が自分でなくなってしまいそうだった。

「それじゃ、午後二時に部屋で待っているからね」
「あ、あのっ!」

 カミーユの返事を待たず、サリファーはその場を去っていく。

「ねえねえ、はやくブランコしよー!」
「はい、シエラお嬢様」

 今は仕事中だ。シエラの安全のために気を引き締めなければ。カミーユは自分に言い聞かせる。けれど心臓はドキドキと早鐘を打ったままだった。シエラを抱きしめる指先まで体が火照り、期待と不安で胸が押しつぶされそうになるのを持て余していた。


 ♢♢♢


「失礼いたします」

 約束の午後二時。カミーユは再びサリファーの部屋を訪ねていた。室内は爽やかな香りで包まれている。

「夜はしっかり眠れているかい?」
「は、はい」

 だめだ。サリファーの声を聞いただけで、胸が苦しくなってしまう。それが恋であると気づかないほど、カミーユは初心うぶでなかった。ただ長身で女性らしくない自分が、恋する乙女のように可憐であるとは微塵も思っていない。

 こんな自分をサリファーはどう感じているのだろう。もしかしたら気持ち悪いと、嫌悪すらしているかもしれない。ズキリと胸が痛んだ。
 
「カミーユ、最近様子がおかしい気がするのだけれど、何かあったのかい?」
「い、いえ。特に何もございません」
 
 嘘だった。私はあなたに恋をしている。この気持ちを素直に伝えられたら、どんなにいいだろう。でも自分は公爵令嬢の立場を捨てた平民の娘だ。あまりにも身分違いだと自負している。

「今日は君に大切な話があるんだ」

 いつになく真剣な表情のサリファーに、またしてもときめいてしまう。

「実は好きな人ができてね」
「っ!!」

 カミーユの中でガラガラと音を立てて、一人で勝手に盛り上がっていた恋心が崩れ去っていく。

「そう、でございますか」

 震える手を強く握りしめる。主人に仕えるメイドとして、きちんと会話の相手を務めなければ。

「その相手なのだけれど背が高く、僕よりもハンサムな顔をしていてね。家事や料理が得意で子守もできる。そんな彼女を僕は愛してしまったんだ」
「…………」

 まさか自分とよく似た女性だなんて。これは何かの罰だろうか。公爵令嬢としての役割を果たさず家を、家族を捨てた自分への。
 カミーユが思い悩んでいると、サリファーはぷっと吹き出した。

「まだ気づいてくれないのかい?」
「……何をでございますか?」
「僕が愛してしまったのは君なのだよ、カミーユ」
「……え?」

 いきなりの告白に、カミーユは頭の中が真っ白になる。サリファーが愛しているのは自分? 一体どういうことだろう? 

「決して誰にも媚びない君に惚れてしまったのだ」
「で、でも私、全然女性らしくありませんし……」

 カミーユは短く切り揃えた髪の毛に手を添えた。

「僕はありのままの君が好きなんだ」
「…………」

 しぼんだ恋心が再び膨れ上がる。カミーユは顔を上げた。サリファーはこちらをまっすぐ見つめている。

「カミーユ、君さえよければ結婚を前提に付き合ってほしい」
「わ、私なんかでよければ……」
「君でなくてはだめなのだよ」
「っ!! ……は、はい。よろしくお願いいたします」
「まずはそのかしこまった態度を改めていかないとね」
「私はサリファー家に仕えるメイドです。公私混同は許されません」

 スッとサリファーの逞しい腕が伸びてきて、カミーユの頬に触れた。次の瞬間、唇と唇が触れ合った。優しくとろけそうな口づけ。カミーユは全身がかあっと熱くなった。

「カミーユ、君を愛している」
「旦那様……」
「二人きりのときはニコラスと呼んでおくれ」
「ニコラス、様……」
「様はいらないけれど、カミーユらしくて可愛いよ」
「か、可愛くなどありません!」
「いや、君はとても可愛い」
「…………」
「とりあえずお茶でも飲んで落ち着こう。今日はラベンダーティーを用意しておいたんだ」

 カップに注がれた琥珀色のラベンダーティー。リラックス効果のおかげで、カミーユはなんとか平常心を取り戻すことができたのだった。


 ♢♢♢


 ニコラスの告白から三ヶ月後。
 カミーユはニコラスと付き合っているが、メイドとしての仕事を続けていた。二人が熱い仲であると他のメイドたちはすぐに気がついた。女の勘は鋭いのだ。

「まるで美男子二人がお付き合いされていらっしゃるようですわ」
「だめよ、そんなこと! でもとっても素敵……!」
「ああ、カミーユ様……」

 ニコラスと付き合っていると分かっても、カミーユは同性からの人気が高いままだった。そのことにニコラスは少なからず嫉妬心を抱いていたが、カミーユ本人に伝えることはなかった。

「カミーユ、ブランコー!」
「はい、シエラお嬢様」
 
 最近シエラの子守は、もっぱらカミーユがしていた。結婚を前提に付き合っているのだから、とメイド長のミネアンなりに気を遣ってくれているのだ。

 シエラを膝の上に乗せ、ゆっくりとブランコをこぎ始める。するといきなり吐き気に襲われ、カミーユはこぐのをやめると手で口元を押さえた。

「どうしたの、カミーユ?」
「大丈夫ですわ、シエラお嬢様……うっ」

 異変に気づいたメイドが、すぐに近くの病院へ連絡をとる。カミーユはそのまま病院に運ばれ、医者から症状を告げられた。

「ご懐妊です」
「えっ……?」

 思ってもみなかった言葉に、カミーユは目を丸くする。確かにそのような行為はしていた。けれどちゃんと避妊具をつけていた。しかし完全に防げるものではないと、説明書に記載されてもいた。

「カミーユ、大丈夫か!?」

 ニコラスが血相を変えながら診察室に駆け込んできた。カミーユは頬を染め、こくりと頷く。医者からの話を聞いたニコラスは、カミーユを優しく抱きしめながら大喜びした。

「ああ、まさか君との子どもを授かれるなんて」
「私も最初は驚きましたが、とても嬉しいです」
「そうと決まれば一刻も早く結婚式を挙げよう」
「お言葉ですがサリファー様。結婚式はカミーユ様が安定期に入ってからをおすすめいたします」
「そうか。カミーユ、今は無理せずゆっくり休んでいるのだよ」
「……はい、ニコラス」

 幸せそうに微笑み合う二人。そんな二人に王都から魔の手が忍び寄る。


 ♢♢♢


「ついに見つけたぞ、我が娘ロザリンドよ」
 
 あらゆる手段を使って、カミーユことロザリンドの居場所をつきとめたハウル公爵。まさか王都を遠く離れ、サリファーとかいう辺境伯が治める領地まで赴いていたとは。
 
 なんでもカミーユと名前を改め、メイドとして働いているらしい。公爵家の娘ともあろう者が他者にかしずくとは! ハウル公爵は憤慨した。
 
 相変わらずスザンヌは懐妊の兆しさえ見せない。このままでは妃になるのは難しいだろう。ならばロザリンドを再度、セオドアにあてがってやればいい。ハウル公爵家の血筋を王家に取り込むことが、なによりも大切なのだ。

「いいか、必ず無傷で連れ戻すのだぞ」
「承知しました」

 黒い服を着た男が返事をする。彼は『ファルコン』として名の通ったスパイだった。素早い身のこなしで、数々の修羅場をくぐり抜けてきた手練だ。

 自動四輪車に乗り込むと、ロザリンドの隠れ住む領地まで向かった。


 ♢♢♢


「ねえねえ、カミーユは?」
「カミーユ様はお体が優れないためお休みなさっています」
「えー、シエラ、カミーユと遊びたい!」
「私とブランコをしましょう、シエラお嬢様」
「いやー! カミーユがいい!」
「はあ、困ったわねえ」

 カミーユが懐妊してから、シエラは赤ちゃん返りをしてしまった。幼子は変化にとても敏感なのだ。

「もういい! ひとりであそぶもん!」
「あっ! いけません、シエラお嬢様!」

 ここ数ヶ月ですっかりすばしっこくなったシエラは、たたたっと駆けて行く。メイドはスカートの裾が風で翻るのも構わず追いかけるが、途中でシエラを見失ってしまった。

「シエラお嬢様! シエラお嬢――きゃあっ!!」
「おっと、静かにしてくれるかい、お嬢さん」
「んーっ! んんーっ!」

 黒服の男に捕まり、口元を押さえられたシエラは恐怖で大粒の涙を目に浮かべている。

「ここにカミーユというメイドがいるだろう?」
「は、はい……」
「そいつは今、どこにいる?」
「じ、自室にいらっしゃいます」
「屋敷のどの辺りだ?」
「東側の角部屋です」
「そうか。お嬢さんはここで大人しくしててくれ」
「っ!!」

 縄で体を縛られ、口に布をかまされてしまったメイドは、為す術もなく男とシエラが屋敷へ向かうのを見ていることしかできずにいた。


 ♢♢♢


 吐き気に襲われながらも、カミーユは幸せな気持ちでいっぱいだった。ベッドで横になり、そっと下腹部を撫でる。ここに愛するニコラスとの子どもがいるのだ。とても不思議な気分になった。あと一年もしないうちに大きくなり、お腹から出てくるなんて。

「愛しているわ、私の可愛い赤ちゃん」

 不意にドアが開けられた。入ってきたのは見知らぬ黒服姿の男だった。あろうことか、恐怖に顔をゆがめるシエラを連れているではないか!

「シエラお嬢様!」
「おっと、静かにしてくれるかい? でなきゃこのガキを撃ち殺すぞ」
「んんーっ!」

 こめかみに銃を突きつけられ、シエラは震え上がる。

「何が目的?」
「カミーユ――いや悪しき魔法使い、ロザリンドお嬢様のご帰還だ」
「っ!!」

 自分の捨てた名前とあだ名を知っている――カミーユは男が父親の差し金だとすぐに気がついた。

「今さら私に何の用?」
「さあ? 俺は雇われただけだからな」

 もしカミーユが大声で助けを求めたら、この男は躊躇なくシエラを撃ち抜くだろう。かと言ってみすみす従う気にはなれなかった。やっと掴んだ幸せを手放すつもりなど微塵もない。

 カミーユはベッドから立ち上がる。男はカミーユが素直に従うと思ったらしい。ニヤリと笑った。その一瞬の隙をついて、カミーユは男の股間を強かに蹴り上げた。

「うがっ!!」
「シエラお嬢様っ!!」
 
 男が悶えている間にシエラを奪還する。

「うわあーん! こわかったよー!」
「よしよし、もう大丈夫ですからね」

 今のカミーユはとても女性らしかった。相変わらず背は高いが、眼差しや雰囲気は男性とは全くの別物である。これが以前の隙がないカミーユであったならば、この男も少しは警戒しただろう。お腹の赤ちゃんの存在によって、二人は救われたのだ。

 痛みのあまり気絶してしまった男は、警邏に引き渡された。なんでも国家間を行き来する重要人物のスパイだったようで、この男から芋づる式に様々な秘密を暴くことができるかもしれないと、警邏のお偉方は嬉々としていた。

 近くの森では縄で縛られたメイドが見つかったが、幸い怪我などはしていなかった。

「カミーユ、シエラを助けてくれて本当にありがとう」
「いえ、シエラお嬢様がご無事で何よりです」
「君とお腹の子は大丈夫かい?」
「ええ、私もこの子も大丈夫ですよ。私とあなたの子どもなのですから」

 数日後、ハウル公爵は横領など複数の容疑で捕まった。未だ懐妊できずにいたスザンヌは、父親の汚職が決定打となり正式に離縁されてしまう。家に戻ろうにも父親がいないため、彼女は平民の娼館に身を落とした。

 さらにスザンヌと婚姻関係にありながら、複数の女性と同時に交際していただけでなく、国の金に手をつけていたことが明るみに出たセオドア。
 当然、王位継承権を剥奪され、寒さが厳しい北の地へと国外追放。傭兵として一生を送る結果に。次期国王は第二王太子のテオが継ぐこととなった。

「――そうか、君も色々と大変だったのだね」
「すべて自分で決めたことですから」
「家には帰らなくてもいいのかい?」
「はい、私は公爵令嬢のロザリンドではなく、カミーユとして生きることを生涯、貫き通したいのです」
「ならば僕からこれ以上は何も言うまい」
「ありがとうございます、ニコラス」


 ♢♢♢


 三ヶ月後、カミーユが安定期に入るとささやかな結婚式が執り行われた。初夏の結婚式場の周辺には、ロベリアやカンパニュラの花々があちこちで咲き誇っている。

「とても綺麗だよ、カミーユ」

 純白のドレスに身を包んだ花嫁のカミーユは、誰もが見惚れるほどに美しかった。

「あなたも素敵よ、ニコラス」

 カミーユはにこやかに微笑む。と、メイドの一人に抱っこされていたシエラが二人の元へと駆け寄ってきた。

「けっこん、おめでとう!」
「ありがとう、シエラ」
「ありがとう、シエラお嬢様」

 途端に不機嫌そうな顔になるシエラ。

「むー。カミーユはシエラのママになってくれるんでしょ?」
「はい、シエラお嬢様」
「だったらシエラってよんで!」
「ふふ。――シエラ」

 ぱああっと顔を輝かせ、シエラは二人に抱きつく。

「パパ、ママ、だーいすき!」

 教会の鐘が高らかに鳴り響く。神父が向かい合う二人の前に立ち、誓いの口づけを求めた。シエラを抱っこしたニコラスが、カミーユのヴェールを優しく持ち上げる。

 そしてみんなに祝福される中、幸せそうに互いの唇を重ねたのだった。


 END

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