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嵐の夜
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「どうぞ中へ。今、お飲物をお持ちしますね」
「ありがとうございます。どうぞお構いなく」
通された部屋も、上質の家具が並ぶ豪華な部屋だったが、先ほどの大広間に比べれば随分落ち着く。
「ソファへどうぞ。紅茶のお好みは?」
「いえ、あの。本当にお気遣いなく」
「そんなに固くならないで。俺はユーリといって、歳も君と大して変わらない。いきなり国王の前に連れて来られて、緊張したでしょう? もう大丈夫だよ」
優しく微笑みかけられ、フィオナは堪えていた涙が溢れた。
「すみません。ホッとしたら急に……」
「そうだよね。ほら、座って」
ユーリはフィオナの背中に手を添えて、ソファに座らせる。
自分も隣に座ると、フィオナの顔を覗き込んで笑いかけた。
「とにかくちょっと落ち着こう。スコーンは好き?」
「あ、はい」
「良かった。すぐに用意するから」
ユーリは立ち上がって隣の部屋に行くと、ティーポットやカップ、お皿を載せたワゴンを押して戻って来る。
「どうぞ。スコーンにはクロテッドクリームとジャムをお好みでつけてね。紅茶はダージリンでいいかな?」
「はい。ありがとうございます」
テーブルに並べられた美しい食器に、フィオナは目を輝かせた。
「なんてすてきなの……」
「ははは! 食器を見てもお腹はふくれないよ。ほら、冷めないうちにどうぞ」
ユーリがお皿にスコーンを載せ、クリームとジャムを入れた小皿を添える。
バラの柄のティーポットから紅茶をカップに注ぐと、ミルクやシュガーも勧めてくれた。
「ありがとうございます。本当にいただいてもよろしいのでしょうか?」
「もちろん。お口に合うといいんだけど」
「そんな、合わないなんてことありません」
「食べてみないと分からないよ? ほら、どうぞ」
「はい、いただきます」
フィオナはそっとティーカップを持ち上げて口元に運ぶ。
良い香りがして、思わず息を吸い込んだ。
ゆっくりと口をつけると、渋みのないまろやかな味わいのダージリンティーにうっとりする。
「なんて美味しいのかしら」
「それは良かった。スコーンも温かいうちにどうぞ」
「ありがとうございます」
フィオナは緊張気味に、ピカピカの小さなスプーンでクリームをすくってスコーンに載せた。
ひと口食べて、思わず目を見開く。
フィオナの表情に、ユーリはまたしても笑い始めた。
「ははっ! 美味しそうに食べるね」
「はい、もう感動してしまって。こんなに美味しいものが世の中に存在するのですね」
「夢の中でしか食べたことがなかった?」
「夢の中では味がしませんでした」
「あはは! 君ってほんとに面白いこと言うなあ。えっと、そう言えばまだ名前を聞いてなかったね」
あ!と、フィオナは慌てて居住まいを正す。
「申し遅れました。わたくしはフィオナ・アーヴィングと申します」
「フィオナだね、よろしく」
「こちらこそ。よろしくお願いいたします、ユーリ様」
「ユーリでいいよ。俺も君と同じく、小さな村の出身なんだ」
「そうなのですか?」
村人が今は王宮で遣えているなんてと、フィオナは意外な気がした。
「幼い頃に父が亡くなって、母が住み込みの清掃係として王宮に雇ってもらったんだ。俺も母と一緒に掃除を手伝っているうちに、同い年のルシアス様が仲良く遊んでくださるようになって……。そのままルシアス様の側近としてそばに置いていただいているんだ」
「そうなのですね」
そのエピソードを聞いただけで、国王と王太子に対するイメージが変わる。
(村人を雇ってくださったのも、幼い子どもを抱えた未亡人を放っておけなかったからなのね。更にはそのまま王太子殿下の側近にまで……。慈悲深い方々なのだわ、国王陛下も王太子殿下も)
先ほどの謁見の間でのことを思い出す。
切羽詰ったように訴えられたが、決して強い力でねじ伏せられたりはしなかった。
そう思い返していると、またしても疑問が湧いてくる。
(国王陛下は、一体なんのお話をされていたのかしら。生命の、巫女? とか)
うつむいて考え込んでいると、ユーリが心配そうに顔を覗き込んできた。
「どうかした? フィオナ」
「はい、あの。国王陛下のお言葉が、畏れながらまったく見当がつかなくて。わたくしはなぜここに呼ばれたのでしょうか」
するとユーリは、うーんと両腕を組む。
「本当になにも心当たりがないんだね。じゃあ今朝、子ヤギのケガを手当てしたというのは?」
「あ、それは確かに。ですが、脚を擦りむいて血が出ていた子ヤギに、薬を塗っただけなのです」
「そうなんだ……。失礼だけど、君のご両親は?」
「わたくしが5歳の時に両親とも亡くなりましたが、牧場を営む、ごく普通の村人でした」
「そうか」
しばらく考え込んだあと、ユーリは顔を上げてフィオナを見た。
「俺からはなにも言えないんだけど、なるべく君の望むようにするよ。やっぱり早く帰りたい?」
「はい、今すぐにでも」
「そうだよね。ルシアス様にもそれとなく話してみる。だけど、今すぐは無理かな。せめて数日間はここに留まってもらうことになると思う」
「そんな! あの、身体が不自由な祖母を一人残して来てしまったのです。祖母は寝たきりで、食事を作ることもできません。一刻も早く帰らないと」
「そうか。それなら俺が今から様子を見に行ってくるよ。ルシアス様に許可をもらったらすぐに向かうから、心配しないで」
「はい。どうぞよろしくお願いいたします」
フィオナはユーリに深く頭を下げた。
◇
「おばあ様、大丈夫かしら」
ユーリが「ルシアス様からお許しをいただいたから、これから向かうよ」と言って部屋を出てから、2時間が経っていた。
馬で行けば30分ほどの距離。
既にユーリは到着して、マーサの様子を見てくれているだろう。
(牧場の様子も見て来ると言ってくださったけれど、お一人で大変だろうな)
窓から外の様子をうかがうと、どんよりと厚い雲が空を覆い、夕方にもかかわらず辺りは暗くなっていた。
(空気も湿っているし、風も強い。嵐の前触れかもしれない)
窓際で祈るように手を組み、庭園の先にそびえる門扉を見つめてひたすらユーリの帰りを待つ。
だが18時になっても、一向に帰って来る気配はなかった。
そのうちにゴロゴロと雷が鳴り出したかと思うと、一気に強い雨風が吹き荒れる。
稲妻も光り、フィオナはますます心配になった。
雲が強い風に流され、時折月明かりが射し込む。
(今夜は満月なのね)
そう思った次の瞬間、脳裏に苦しみながらもがいているメルの姿が浮かんで、フィオナはハッと息を呑んだ。
「メル!」
きっとお産が始まったのだろう。
フィオナのこれまでの経験上、どういう訳か、満月の夜に動物達のお産が始まることが多かった。
(メルが苦しんでる。助けに行かなければ)
フィオナは身を翻すと部屋の扉に駆け寄り、そっと開けて廊下の様子をうかがってから一気に駆け出した。
吹き荒れる嵐で窓ガラスがカタカタと揺れ、使用人達が慌ただしく戸締まりに追われている。
フィオナはその隙を見て大階段を駆け下り、裏口の小さな扉から外に出た。
(すごい雨と風)
身体を打ちつける雨粒と強烈な風に思わず目をつぶる。
だが意を決して、門扉に向かって駆け出した。
ちょうど近衛兵が門扉の横の詰所に入り、雨具を着ているところで、今のうちにとフィオナは一気に門扉に近づく。
背伸びをして高い位置にあるかんぬきをなんとか引き抜き、ギギッと少し門を押し進めてから隙間に身を滑らせた。
灯りはなにも持っていない。
雲間から時折射し込む月明かりを頼りに、フィオナはひたすら走った。
ここに馬車で連れて来られた時の道を戻れば、2時間以上かかるだろう。
だが峠を超えれば1時間で着くはず。
フィオナは迷うことなく道を逸れ、小高い峠を駆け上がって行く。
(おばあ様、メル、待っていてね)
ただひたすら、心の中でそう繰り返していた。
◇
同じ頃。
ルシアスも自室の窓から外の様子を眺めていた。
(すごい嵐だな)
『生命の巫女』はいきなり国王の前に連れて来られ、かなりの緊張状態にある。
しばらくは自分が様子を見るというユーリに、ルシアスは対応を任せることにした。
彼女が寝たきりの祖母のことを心配しているからと、ユーリが出かけることも許可したが、その時にはこんな荒天になる気配はなかった。
(ユーリは帰って来られるだろうか)
そう思って窓の外に目をやっていると、バロック式に整えられた庭園の先に見える門扉に、人影が走り寄るのが見えた。
(ん? 誰だ?)
見張りの兵が雨具を取りに詰所に入った隙に、人影は門のかんぬきに手をかけて、外へと身を滑らせる。
一瞬射し込んだ月明かりに、フィオナの姿が浮かび上がった。
(まさか! この嵐の中を一人で帰るつもりなのか?)
そう考えた次の瞬間、ルシアスはマントを掴んで部屋から飛び出した。
大階段を駆け下り外に出ると、厩舎を目指して走る。
馬房にいた白い愛馬に、急いで鞍を載せた。
「悪いな、カイル。少しつき合ってくれ」
声をかけながらくつわを噛ませると、飛び乗って手綱をさばき、一気に外へと走り出す。
「ルシアス様?」
驚く近衛兵に「門を開けろ!」と叫び、ルシアスはそのままスピードを上げて王宮から離れていった。
◇
(どうしよう、思ったよりも闇が深いわ)
フィオナは峠道を登りながら、なんて無謀なことをしようとしているのかと今更ながら怖くなる。
だが引き返すつもりはなかった。
(なんとしても帰らなければ)
その一心で、ひたすら前へと進んだ。
雨で全身はびしょ濡れ。
春とはいえ、冷え切った身体に震えが止まらなくなった。
それでも月明かりに目を凝らし、足元を確かめながら、ぬかるみを避けて歩いて行く。
しばらくすると、フィオナはただならぬ雰囲気を察して立ち止まった。
(なにかしら)
自分の周りをぐるりと取り囲むような不穏な空気に、緊張感が一気に高まる。
やけに静かなのが更に不気味だった。
神経を研ぎ澄ましながらゴクリと喉を鳴らした時、闇を切り裂くようになにかが飛びかかってきて、咄嗟に避けたフィオナは地面に倒れ込む。
ザバッと水たまりに身体を打ちつけたが、身体よりも心が凍りついた。
いつの間にかフィオナは、四方をオオカミに囲まれていた。
(どうしよう、なにも持っていないのに)
たいまつさえ持たずに嵐の夜に峠に入るなど、オオカミに襲われることは目に見えていたはず。
後悔しても遅いが、そんなことを考えている場合ではない。
フィオナは手探りで木の枝を拾うと、飛びかかってきたオオカミに向かって振りかざす。
だがそれも風前のともしび。
そんなことでこの場をしのげるはずもなかった。
ガルルと低い声でうなったオオカミが、フィオナに飛びかかる。
もうだめだと覚悟して、ギュッと目を閉じた時だった。
なにかの衝撃を感じて身を固くしたフィオナの身体が、ふわりと宙に舞う。
痛みを感じるどころか、守られるような温かさに包まれて、恐る恐る目を開けた。
(え?)
気がつくとギュッと誰かに抱きしめられたまま、フィオナは馬の上にいた。
「無事か?」
声をかけられて顔を上げる。
「王太子殿下!?」
ルシアスは背後から追いかけてくるオオカミをかわしながら、馬を駆る。
「しっかり掴まっていろ」
「はい!」
振り落とされまいと、フィオナも必死でルシアスの身体に腕を回した。
その時、追いついたオオカミが飛びかかってきて、フィオナは思わず目をつぶる。
するとルシアスが剣を鞘から引き抜き、素早く逆手に持ち替えると、柄でオオカミの鼻先を打った。
ギャン!とオオカミが悲鳴を上げて地面に倒れる。
スピードを上げてひたすら走り続けると、ようやくオオカミの姿は見えなくなった。
ルシアスは手綱を緩めて速度を落とし、フィオナの顔を覗き込む。
「なぜこんな無茶なことをした?」
「申し訳ありません。飼っている馬のお産が始まったようで、どうしても帰りたくて……」
え?と、ルシアスは眉根を寄せた。
「誰かがそなたに知らせたのか? 馬のお産が始まったと」
「いえ。ですが、その……。信じていただけないのは承知の上ですが、間違いなくそう思ったのです」
ルシアスは考える素振りのあと手綱を引き、馬を完全に止めた。
(怒られる)
そう感じてフィオナが身をすくめていると、ルシアスは着ていたマントを外して、ふわっとフィオナに羽織らせた。
「え? あの……」
「着ていろ、身体が冷える」
「ですが、王太子殿下のお身体が……」
「つべこべ言うな。急ぐぞ」
そう言うとハッと手綱をさばいて、ルシアスは再び馬を走らせ始めた。
「ありがとうございます。どうぞお構いなく」
通された部屋も、上質の家具が並ぶ豪華な部屋だったが、先ほどの大広間に比べれば随分落ち着く。
「ソファへどうぞ。紅茶のお好みは?」
「いえ、あの。本当にお気遣いなく」
「そんなに固くならないで。俺はユーリといって、歳も君と大して変わらない。いきなり国王の前に連れて来られて、緊張したでしょう? もう大丈夫だよ」
優しく微笑みかけられ、フィオナは堪えていた涙が溢れた。
「すみません。ホッとしたら急に……」
「そうだよね。ほら、座って」
ユーリはフィオナの背中に手を添えて、ソファに座らせる。
自分も隣に座ると、フィオナの顔を覗き込んで笑いかけた。
「とにかくちょっと落ち着こう。スコーンは好き?」
「あ、はい」
「良かった。すぐに用意するから」
ユーリは立ち上がって隣の部屋に行くと、ティーポットやカップ、お皿を載せたワゴンを押して戻って来る。
「どうぞ。スコーンにはクロテッドクリームとジャムをお好みでつけてね。紅茶はダージリンでいいかな?」
「はい。ありがとうございます」
テーブルに並べられた美しい食器に、フィオナは目を輝かせた。
「なんてすてきなの……」
「ははは! 食器を見てもお腹はふくれないよ。ほら、冷めないうちにどうぞ」
ユーリがお皿にスコーンを載せ、クリームとジャムを入れた小皿を添える。
バラの柄のティーポットから紅茶をカップに注ぐと、ミルクやシュガーも勧めてくれた。
「ありがとうございます。本当にいただいてもよろしいのでしょうか?」
「もちろん。お口に合うといいんだけど」
「そんな、合わないなんてことありません」
「食べてみないと分からないよ? ほら、どうぞ」
「はい、いただきます」
フィオナはそっとティーカップを持ち上げて口元に運ぶ。
良い香りがして、思わず息を吸い込んだ。
ゆっくりと口をつけると、渋みのないまろやかな味わいのダージリンティーにうっとりする。
「なんて美味しいのかしら」
「それは良かった。スコーンも温かいうちにどうぞ」
「ありがとうございます」
フィオナは緊張気味に、ピカピカの小さなスプーンでクリームをすくってスコーンに載せた。
ひと口食べて、思わず目を見開く。
フィオナの表情に、ユーリはまたしても笑い始めた。
「ははっ! 美味しそうに食べるね」
「はい、もう感動してしまって。こんなに美味しいものが世の中に存在するのですね」
「夢の中でしか食べたことがなかった?」
「夢の中では味がしませんでした」
「あはは! 君ってほんとに面白いこと言うなあ。えっと、そう言えばまだ名前を聞いてなかったね」
あ!と、フィオナは慌てて居住まいを正す。
「申し遅れました。わたくしはフィオナ・アーヴィングと申します」
「フィオナだね、よろしく」
「こちらこそ。よろしくお願いいたします、ユーリ様」
「ユーリでいいよ。俺も君と同じく、小さな村の出身なんだ」
「そうなのですか?」
村人が今は王宮で遣えているなんてと、フィオナは意外な気がした。
「幼い頃に父が亡くなって、母が住み込みの清掃係として王宮に雇ってもらったんだ。俺も母と一緒に掃除を手伝っているうちに、同い年のルシアス様が仲良く遊んでくださるようになって……。そのままルシアス様の側近としてそばに置いていただいているんだ」
「そうなのですね」
そのエピソードを聞いただけで、国王と王太子に対するイメージが変わる。
(村人を雇ってくださったのも、幼い子どもを抱えた未亡人を放っておけなかったからなのね。更にはそのまま王太子殿下の側近にまで……。慈悲深い方々なのだわ、国王陛下も王太子殿下も)
先ほどの謁見の間でのことを思い出す。
切羽詰ったように訴えられたが、決して強い力でねじ伏せられたりはしなかった。
そう思い返していると、またしても疑問が湧いてくる。
(国王陛下は、一体なんのお話をされていたのかしら。生命の、巫女? とか)
うつむいて考え込んでいると、ユーリが心配そうに顔を覗き込んできた。
「どうかした? フィオナ」
「はい、あの。国王陛下のお言葉が、畏れながらまったく見当がつかなくて。わたくしはなぜここに呼ばれたのでしょうか」
するとユーリは、うーんと両腕を組む。
「本当になにも心当たりがないんだね。じゃあ今朝、子ヤギのケガを手当てしたというのは?」
「あ、それは確かに。ですが、脚を擦りむいて血が出ていた子ヤギに、薬を塗っただけなのです」
「そうなんだ……。失礼だけど、君のご両親は?」
「わたくしが5歳の時に両親とも亡くなりましたが、牧場を営む、ごく普通の村人でした」
「そうか」
しばらく考え込んだあと、ユーリは顔を上げてフィオナを見た。
「俺からはなにも言えないんだけど、なるべく君の望むようにするよ。やっぱり早く帰りたい?」
「はい、今すぐにでも」
「そうだよね。ルシアス様にもそれとなく話してみる。だけど、今すぐは無理かな。せめて数日間はここに留まってもらうことになると思う」
「そんな! あの、身体が不自由な祖母を一人残して来てしまったのです。祖母は寝たきりで、食事を作ることもできません。一刻も早く帰らないと」
「そうか。それなら俺が今から様子を見に行ってくるよ。ルシアス様に許可をもらったらすぐに向かうから、心配しないで」
「はい。どうぞよろしくお願いいたします」
フィオナはユーリに深く頭を下げた。
◇
「おばあ様、大丈夫かしら」
ユーリが「ルシアス様からお許しをいただいたから、これから向かうよ」と言って部屋を出てから、2時間が経っていた。
馬で行けば30分ほどの距離。
既にユーリは到着して、マーサの様子を見てくれているだろう。
(牧場の様子も見て来ると言ってくださったけれど、お一人で大変だろうな)
窓から外の様子をうかがうと、どんよりと厚い雲が空を覆い、夕方にもかかわらず辺りは暗くなっていた。
(空気も湿っているし、風も強い。嵐の前触れかもしれない)
窓際で祈るように手を組み、庭園の先にそびえる門扉を見つめてひたすらユーリの帰りを待つ。
だが18時になっても、一向に帰って来る気配はなかった。
そのうちにゴロゴロと雷が鳴り出したかと思うと、一気に強い雨風が吹き荒れる。
稲妻も光り、フィオナはますます心配になった。
雲が強い風に流され、時折月明かりが射し込む。
(今夜は満月なのね)
そう思った次の瞬間、脳裏に苦しみながらもがいているメルの姿が浮かんで、フィオナはハッと息を呑んだ。
「メル!」
きっとお産が始まったのだろう。
フィオナのこれまでの経験上、どういう訳か、満月の夜に動物達のお産が始まることが多かった。
(メルが苦しんでる。助けに行かなければ)
フィオナは身を翻すと部屋の扉に駆け寄り、そっと開けて廊下の様子をうかがってから一気に駆け出した。
吹き荒れる嵐で窓ガラスがカタカタと揺れ、使用人達が慌ただしく戸締まりに追われている。
フィオナはその隙を見て大階段を駆け下り、裏口の小さな扉から外に出た。
(すごい雨と風)
身体を打ちつける雨粒と強烈な風に思わず目をつぶる。
だが意を決して、門扉に向かって駆け出した。
ちょうど近衛兵が門扉の横の詰所に入り、雨具を着ているところで、今のうちにとフィオナは一気に門扉に近づく。
背伸びをして高い位置にあるかんぬきをなんとか引き抜き、ギギッと少し門を押し進めてから隙間に身を滑らせた。
灯りはなにも持っていない。
雲間から時折射し込む月明かりを頼りに、フィオナはひたすら走った。
ここに馬車で連れて来られた時の道を戻れば、2時間以上かかるだろう。
だが峠を超えれば1時間で着くはず。
フィオナは迷うことなく道を逸れ、小高い峠を駆け上がって行く。
(おばあ様、メル、待っていてね)
ただひたすら、心の中でそう繰り返していた。
◇
同じ頃。
ルシアスも自室の窓から外の様子を眺めていた。
(すごい嵐だな)
『生命の巫女』はいきなり国王の前に連れて来られ、かなりの緊張状態にある。
しばらくは自分が様子を見るというユーリに、ルシアスは対応を任せることにした。
彼女が寝たきりの祖母のことを心配しているからと、ユーリが出かけることも許可したが、その時にはこんな荒天になる気配はなかった。
(ユーリは帰って来られるだろうか)
そう思って窓の外に目をやっていると、バロック式に整えられた庭園の先に見える門扉に、人影が走り寄るのが見えた。
(ん? 誰だ?)
見張りの兵が雨具を取りに詰所に入った隙に、人影は門のかんぬきに手をかけて、外へと身を滑らせる。
一瞬射し込んだ月明かりに、フィオナの姿が浮かび上がった。
(まさか! この嵐の中を一人で帰るつもりなのか?)
そう考えた次の瞬間、ルシアスはマントを掴んで部屋から飛び出した。
大階段を駆け下り外に出ると、厩舎を目指して走る。
馬房にいた白い愛馬に、急いで鞍を載せた。
「悪いな、カイル。少しつき合ってくれ」
声をかけながらくつわを噛ませると、飛び乗って手綱をさばき、一気に外へと走り出す。
「ルシアス様?」
驚く近衛兵に「門を開けろ!」と叫び、ルシアスはそのままスピードを上げて王宮から離れていった。
◇
(どうしよう、思ったよりも闇が深いわ)
フィオナは峠道を登りながら、なんて無謀なことをしようとしているのかと今更ながら怖くなる。
だが引き返すつもりはなかった。
(なんとしても帰らなければ)
その一心で、ひたすら前へと進んだ。
雨で全身はびしょ濡れ。
春とはいえ、冷え切った身体に震えが止まらなくなった。
それでも月明かりに目を凝らし、足元を確かめながら、ぬかるみを避けて歩いて行く。
しばらくすると、フィオナはただならぬ雰囲気を察して立ち止まった。
(なにかしら)
自分の周りをぐるりと取り囲むような不穏な空気に、緊張感が一気に高まる。
やけに静かなのが更に不気味だった。
神経を研ぎ澄ましながらゴクリと喉を鳴らした時、闇を切り裂くようになにかが飛びかかってきて、咄嗟に避けたフィオナは地面に倒れ込む。
ザバッと水たまりに身体を打ちつけたが、身体よりも心が凍りついた。
いつの間にかフィオナは、四方をオオカミに囲まれていた。
(どうしよう、なにも持っていないのに)
たいまつさえ持たずに嵐の夜に峠に入るなど、オオカミに襲われることは目に見えていたはず。
後悔しても遅いが、そんなことを考えている場合ではない。
フィオナは手探りで木の枝を拾うと、飛びかかってきたオオカミに向かって振りかざす。
だがそれも風前のともしび。
そんなことでこの場をしのげるはずもなかった。
ガルルと低い声でうなったオオカミが、フィオナに飛びかかる。
もうだめだと覚悟して、ギュッと目を閉じた時だった。
なにかの衝撃を感じて身を固くしたフィオナの身体が、ふわりと宙に舞う。
痛みを感じるどころか、守られるような温かさに包まれて、恐る恐る目を開けた。
(え?)
気がつくとギュッと誰かに抱きしめられたまま、フィオナは馬の上にいた。
「無事か?」
声をかけられて顔を上げる。
「王太子殿下!?」
ルシアスは背後から追いかけてくるオオカミをかわしながら、馬を駆る。
「しっかり掴まっていろ」
「はい!」
振り落とされまいと、フィオナも必死でルシアスの身体に腕を回した。
その時、追いついたオオカミが飛びかかってきて、フィオナは思わず目をつぶる。
するとルシアスが剣を鞘から引き抜き、素早く逆手に持ち替えると、柄でオオカミの鼻先を打った。
ギャン!とオオカミが悲鳴を上げて地面に倒れる。
スピードを上げてひたすら走り続けると、ようやくオオカミの姿は見えなくなった。
ルシアスは手綱を緩めて速度を落とし、フィオナの顔を覗き込む。
「なぜこんな無茶なことをした?」
「申し訳ありません。飼っている馬のお産が始まったようで、どうしても帰りたくて……」
え?と、ルシアスは眉根を寄せた。
「誰かがそなたに知らせたのか? 馬のお産が始まったと」
「いえ。ですが、その……。信じていただけないのは承知の上ですが、間違いなくそう思ったのです」
ルシアスは考える素振りのあと手綱を引き、馬を完全に止めた。
(怒られる)
そう感じてフィオナが身をすくめていると、ルシアスは着ていたマントを外して、ふわっとフィオナに羽織らせた。
「え? あの……」
「着ていろ、身体が冷える」
「ですが、王太子殿下のお身体が……」
「つべこべ言うな。急ぐぞ」
そう言うとハッと手綱をさばいて、ルシアスは再び馬を走らせ始めた。
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