フィオナの運命

葉月 まい

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悲しき別れ

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「おばあ様!」

小屋に着くと、フィオナは中に駆け込んだ。

「フィオナ、ずぶ濡れじゃないの。どうしたの?」
「私は平気よ。おばあ様は? 大丈夫なの?」
「ええ。ユーリさんという方がいらして、食事を作ってくださったの。牧場の馬や羊達のお世話もしてくれてね。嵐がこれ以上酷くなる前にって、さっきお帰りいただいたところなのよ」
「そうだったのね」

峠ではなく平地を通っているであろうユーリとは、すれ違うこともなかった。

「おばあ様、メルを見てくるわ」

マーサが無事なことに安堵すると、フィオナはすぐさま厩舎に向かった。

「お待たせいたしました、王太子殿下。狭いところですが、ひとまず中にお入りください」

手綱を持って馬と一緒に外で待っていたルシアスを、フィオナは厩舎の中へ促す。

入り口を閉めてから灯りをともした。

「メル! 大丈夫?」

駆け寄ると、メルは荒い息を繰り返しながら足踏みし、必死に痛みに耐えていた。

「お産が上手く進んでいないのね。メル、少し触るわよ」

フィオナはメルのお腹に手を添える。

何度か角度を変えて子馬の位置を確認すると、顔をしかめた。

「どうした?」

ルシアスに聞かれてフィオナは顔を上げる。

「お腹の中の子馬の体勢がよくありません。前脚が片方折れ曲がって、頭も横に向いています。このままでは母馬も子馬も危なくなります」
「それなら、すぐに獣医を」
「この嵐では、間に合いそうにありません」
「では、どうする?」
「私がやってみます」

え?と驚くルシアスに背を向け、フィオナはメルのそばに片膝をついた。

「メル、少しだけ我慢してくれる? なるべく早く済ませるからね」

優しく声をかけてから、両手をメルのお腹に添える。

「いくわよ」

グッと手に力を込めると、ヒヒーン!とメルが痛みに耐えかねて鳴き声を上げた。

「がんばって、メル」

フィオナは子馬の折れ曲がった前脚の位置を確認しながら、産道へ向くように手を添えて押し、頭の位置を誘導していく。

だが力をかければかけるほど、メルは苦しそうにもがいた。

身体を柱にぶつけようとするメルに、ルシアスが手を伸ばす。

「いい子だ。がんばれ」

そう言ってルシアスはメルの頭を抱き寄せ、舌を噛まないように、自分の肩に載せて押さえた。

「ありがとうございます、殿下」
「いいから、早く」
「はい」

フィオナは懸命に両手に力を込めて、少しずつ子馬の体勢を整えていった。

厩舎の入り口から隙間風と雨粒が吹き込んできて、フィオナの横顔を打ちつける。

するとルシアスの愛馬が扉に近づき、自分の身体で隙間を覆った。

「悪いな、カイル」

声をかけてから、ルシアスはまたフィオナに目を向ける。

真剣なフィオナの表情は、だんだん苦しそうに歪んだ。

その額に汗が浮かぶ。

「大丈夫か?」

尋ねても、フィオナは集中していて耳に届かない。

(なぜこんなにも苦しそうなんだ? 一体、なにをしている?)

そう思っていると、ビクンッとメルのお腹が大きく動いた。

メルが痛みに悲鳴を上げる。

「メル、がんばったね。子馬の脚が出てきたわ」

笑顔で立ち上がったフィオナは、メルの首筋をなでながら、優しく声をかけ続ける。

「落ち着いて、ゆっくり呼吸をして。もう少しよ」

やがてふかふかに敷き詰めた干し草の上に、子馬が無事に産み落とされた。

「メル、おめでとう! 元気な子が生まれたわよ」

満面の笑みを浮かべるフィオナに、ルシアスもホッと肩の力を抜く。

メルは生まれたばかりの子馬をペロペロと舐めてから、力尽きたように干し草の上に横たわった。

するとルシアスの愛馬のカイルが近づいてきて、メルに優しく寄り添い、労わるように首筋を鼻先でなでる。

「まあ、ありがとう」

フィオナは微笑ましくその姿を見つめていた。



「殿下、殺風景な所で申し訳ありませんがどうぞお入りください。今、部屋を暖めますね」
「ありがとう」

メルと子馬の様子が落ち着くと、フィオナはルシアスを小屋へと案内した。

ルシアスは暖炉の前の椅子に座り、フィオナに手渡された布で身体を拭く。

「お風邪を召されませんように。すぐに温かいスープを作ってまいります」

そう言ってフィオナがその場を去ると、ベッドに横たわっていたマーサがゆっくりと口を開いて、ルシアスに声をかけた。

「申し訳ございません、王太子殿下」

え?とルシアスは顔を上げる。

「なぜそなたが私に詫びるのだ?」
「……我々の先祖の行いが、なんの罪もない殿下までも苦しめることになるとは。そして私では、殿下と国王陛下の苦しみを解くことができないのです。本当に申し訳ありません」

ルシアスは、ハッと目を見開いた。

「もしや、そなたは知っているのか? 王家の呪いのことを」
「もちろんでございます」
「それでは、そなたの家系はやはり……」

マーサはゆっくりと頷く。

「はい、シャーマンの血を引く家系であります。ですがフィオナは、そのことを知りません。自分に力があることにも気づいてはおりません」
「なぜだ? どういうことなのか、詳しく聞かせてほしい」

身を乗り出すルシアスに、マーサは静かに語り始めた。

「神と人間の仲介者と言われる我々シャーマンには、代々受け継がれる力があります。私やフィオナの先祖は、命を繋ぐ役目を与えられました。光り輝く純粋な魂が悪の力で奪われることがないよう、命を繋ぎとめる『生命の巫女』としての力を授けられたのです。ですがそれは自らの生命力を削り、他者へと分け与える禁断の奉仕の力でもありました」
「自らの、生命力を?」
「はい。己の寿命を代償に奇跡を起こすというその力によって、我々一族は過酷な運命へと導かれました。誰かを助ければ、自らの命を縮めてしまう。そうと分かっていても、我々は救いの手を差し伸べることをやめませんでした。それが神に力を与えられた自分達の使命、受け入れるべき運命なのだからと」

壮絶な話に、ルシアスはなにも言葉が出てこない。

「フィオナの父と母も、己を犠牲にして多くの人々の命を救ってきました。私の夫であるフィオナの祖父も。私だけは……。命が尽きる前に身体が不自由になり、動くことができなくなりました。誰かを救うこともできずに、残された寿命が少しずつ減っていくのを待つばかりの身です。一族の末裔として情けなく、恥ずかしい」

ルシアスは即座に首を振った。

「それは違う。あなたは彼女にとって、唯一の心の支えであるはずだ」

マーサは驚いたように目を見開いた。

「彼女の為に生きよ。あなただけが彼女に、生きる希望と力を与えられる。それこそがあなたの運命だ」
「……殿下」

唇を震わせたマーサの目から、涙が溢れる。

「我々の一族が王家の方々を苦しめているというのに、あなた様はなんと慈悲深くいらっしゃるのか……。どれだけ謝罪をしても、どれだけ感謝をしても、足りません。本当に申し訳なく、ありがたいことでございます」

やがて首元に手をやると、マーサは服の中に隠していた水晶の首飾りを外して、ルシアスに差し出した。

「これは?」

透き通るような美しい水晶に、ルシアスはしばし見とれる。

「祖先から受け継がれてきた、神からの授かりものです。なにも知らないフィオナには渡さずに、黙っているつもりでした。ですが、ルシアス王太子殿下。どうかあなた様が受け取っていただけませんか?」
「それはできない。私はシャーマンの血筋ではないのだから」
「私の命はあとわずか。一人残されるフィオナにとって、この水晶がいつか必要になる時がくるかもしれません。どうかその時の為に。畏れ多くもこの国の次期国王となられるあなたに、無礼を承知でお願いいたします」
「……分かった」

ルシアスが右手を差し出すと、マーサは水晶の首飾りをその手のひらに載せてから、ルシアスの手をしっかりと握りしめる。

次の瞬間。
ルシアスは繋がれた手から、温かい力が注ぎ込まれるのを感じて息を呑んだ。

(これは、一体?)

ほのかな光と共に、なにかが身体中に広がっていく。

まるで細胞のひとつひとつに、命が吹き込まれるかのように。

やがて徐々に光がおさまり、マーサが手を離す。

己の身体に力がみなぎるのを感じて、思わずルシアスは大きく息を吸った。

「ルシアス様。どうかフィオナを、よろしくお願いいたします」

そう言って視線を伏せたマーサの声は、明らかに弱々しくなっていた。

「どうした?」

心配して顔を覗き込んだ時、「お待たせいたしました」とフィオナが戻って来た。

「王太子殿下、おばあ様、ミルクスープをどうぞ」

フィオナはにこやかに笑って、ベッドサイドの小さなテーブルにトレイを置く。

「おばあ様、少し身体を起こせる?」

そう言って、マーサの頭の下にクッションを差し入れた。

「はい、どうぞ。ゆっくり飲んでね」

木のスプーンでスープをすくい、フィオナはそっとマーサの口元に運ぶ。

マーサはスープをひと口飲むと、嬉しそうに笑顔を浮かべた。

「ああ、美味しいねえ。ありがとう、フィオナ」
「ふふっ、どういたしまして。おばあ様はこのスープがお気に入りだものね。まだまだたくさんあるから、あとでおかわりを持ってくるわね」

フィオナはもう一度スープをすくい、マーサの口元にスプーンを運ぶ。

「はい、おばあ様」

だがなにも返事はなく、フィオナは怪訝そうにマーサの顔を覗き込んだ。

「……おばあ様?」

そして悲痛な叫び声を上げる。

「おばあ様!」

マーサは笑顔を浮かべたまま目を閉じていた。



「父上、彼女はシャーマンの血を引く娘に間違いありません。ですが、せめて喪が明けるまではそっとしておいていただけませんか?」

王宮に戻ると、ルシアスは国王に事情を話した。

「分かった、そうしよう。だが亡くなった祖母は、王家の呪いを解く術を知らなかったんだな。そしてあの娘は、自分がシャーマンの血筋であることすら知らない。呪いを解く術についても、推して知るべしだな」
「はい」

国王は大きくため息をつく。

『生命の巫女』が見つかったという喜びから一転、今の落胆は計り知れなかった。

「バギラをここへ。私の寿命を教えてもらおう」

いよいよ腹を括らなければと、国王は覚悟を決めた。



やって来たバギラは「真実を述べよ」と言われて、国王に寿命を伝える。

「畏れながら、いばらは陛下の心臓を覆い始めました。あとひと月半といったところでございます」
「そうか……。果たしてそのひと月半でなにができよう?」

バギラはなにも答えない。
それこそが答えだった。

「私はこのまま命が尽きるということだな。ルシアスは? ルシアスだけは、残された時間で必ず呪いを解いてやらねば」
「はい」

今度はルシアスと向き合って水晶に手をかざしたバギラは、驚いたように目を見開く。

「どうした、バギラ。なぜなにも言わぬ?」
「国王陛下、ルシアス王太子殿下のお命が、あと1年に延びております」
「なに? まことか!?」
「はい、いばらが小さくなっている。ですが、なぜなのかは分かりかねます」
「どういうことだ? 以前は私の2か月あとだと言っていたではないか。なぜルシアスの寿命が延びた? ルシアス、心当たりはあるのか?」

ルシアスはハッとする。

(あの時、彼女の祖母から水晶の首飾りを受け取った時だ。握られた手から、力が注ぎ込まれるのを感じた)

そしてそのあと、祖母は息を引き取った。

おそらく、残された寿命を全て自分に注いで……

(なんということだ。俺は彼女から、大切な家族を奪ってしまった。たった一人の、彼女にとって最後の家族を)

ルシアスの胸は張り裂けそうに痛んだ。
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