魔法のいらないシンデレラ 2

葉月 まい

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一生の心配

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はあ…と深いため息が総支配人室に響く。

早瀬は、左の人差し指で1、右手の指で3を作って、隣の叶恵に確かめるように見せる。

叶恵は少し首を振り、早瀬の右手の小指をそっと伸ばした。

じゅうよん?と早瀬が口を動かすと、叶恵は頷く。

と、また一生がため息をつくのが聞こえてきた。

早瀬は右手の指を全部開いて5を作った後、叶恵と顔を見合わせ、やれやれと苦笑いした。

今日は、7月20日。

一生があれほど嫌がっていた、グレイシア ホテルのパーティーの日だった。

17時の5分前に叶恵が総支配人室に現れ、三人分の衣装が掛けられたハンガーラックから、早瀬の衣装を説明してくれていた。

その5分間に、絶え間なく一生のため息が聞こえてきて、二人は呆れ気味にその数を数えていたのだった。

「まったく…今からこんな様子で大丈夫かな?ため息をつきたいのはこっちだよ」
「ふふふ、早瀬さん、今夜は大変ですね。頑張ってください」

ソファの横でヒソヒソと話しながら、早瀬はハンガーラックから自分の衣装を取り上げる。

「とりあえず、さっき説明した通りに着てみてくださいね。あとで私が整えますから」
「ありがとう」

早瀬は礼を言って、ふとカバーに付けられているオーダーシートに目をやる。

早瀬 ひびき 様 
7月20日(木) 17時 総支配人室

と書かれた下に、たくさんの項目があり、今回早瀬の為に用意してくれた衣装や小物に丸印が付けられていた。

タキシード…ピークドラペル ・ブラック
ポケットチーフ…シルク・ホワイト・スリーピークス
シューズ…エナメルオープントゥ

など、早瀬にはなんのことやらさっぱり分からない。

そして丸印の横には、レ点のチェックが2つ入っている。

おそらく、このオーダーシートを見ながら2回確認したということだろう。

(こんなに細かくたくさんの項目を…すごいな)

早瀬は先日、ここをどこだとお思いですか?と胸を反らせていた叶恵の顔を思い出す。

(さすがだな。ん?)

ふと、1番下の欄に目がいった。

担当者  杉下 叶恵

と書かれていた。

「かなえって…こう書くんだね」

早瀬の呟きに気づいた叶恵が、ああ…と笑って早瀬の目線を追う。

「この漢字、母がつけてくれたんです。願いが叶ってたくさんの幸せに恵まれますようにって」
「へえ、すてきな名前だな」
「ありがとうございます。ま、今のところはまだ叶ってないんですけどね。でも…」

そう言って、オーダーシートの自分の名前を指差す。

「お客様の願いを叶えて、幸せな気分のおすそ分けを頂いてるって感じです」

ふふっと笑う叶恵に、早瀬は、いい名前だねともう一度言った。

その時、コンコンとノックの音がした。

「あ、瑠璃さんだ!」

叶恵が嬉しそうに笑ってドアを開ける。

「瑠璃さん!こんばんは」
「こんばんは。遅くなってごめんね、叶恵ちゃん」
「いいえー、お疲れ様です。さ、早速お支度始めましょ!」

二人が楽しそうに話しながら奥の部屋に消えると、はあ…とまた大きなため息が聞こえてきた。

早瀬は心の中で、じゅうろく…と呟いた。



「え?15回?」
「そう!5分間に15回ですよ。つまりえーっと…1分回に3回も」

叶恵の話を聞きながら、瑠璃は顔を曇らせる。

「一生さん…そんなにこのパーティー行くの嫌なのかしら」
「うーん…嫌っていうよりは、心配でたまらないんですよ。瑠璃さんが誰かに取られたりしたらって」
「まったくもう…そんなことあるわけないのに。ねえ?」
「でもまあ、お気持ちは分かりますよ。欧米男子のアプローチはすごいですからね。ああ、どうしよう…瑠璃さんの魅力を封じ込めるべく地味に仕上げるか…そしたら総支配人も少しは安心かな?」

手を止めて鏡の中の瑠璃をじっと見つめた叶恵は、やがて口調を変えて言った。

「やっぱりそんなこと出来なーい!今夜も、とびきりすてきな瑠璃さんに仕上げちゃう!総支配人が惚れ直しちゃうように」
「やだ、叶恵ちゃんったら」

瑠璃は照れたように笑った。



壁の時計が18時半を過ぎた頃、そろそろかな?と早瀬は奥の部屋に目を向ける。

一生と早瀬はすでに着替えを済ませていた。

すると、奥の部屋から何やら賑やかな声が聞こえてくる。

「叶恵ちゃん!だめだってば!」
「えー?なんでですか?」
「これはだめ!絶対だめ!」

思わず早瀬と一生は顔を見合わせる。

「どうしたんでしょうか?」
「さあ…?」

部屋の中では、ドレスに着替えた瑠璃と叶恵が押し問答を繰り広げていた。

叶恵が選んだ今日の瑠璃のドレスは、ブラックのビスチェタイプ。

肩も背中も露わになり、胸の谷間も見えている。

さらに、身体にピタッと沿うタイトな作りで、ウエストや腰回りのラインも拾ってしまう。

「こ、こんなの無理!絶対無理よ!」
「えー、どこがですか?私の思った通り!瑠璃さん、めちゃくちゃスタイルいい!セクシーさが溢れ出てますよねー」
「他のは?他のドレス、何かない?」
「ないですよー。でも…まあ総支配人の心配もあるし、ちょっとだけこうなる展開も予想出来たので、一応ショールを持ってきました」
「あ、そ、それ!貸して!」

瑠璃は、叶恵が取り出したゴールドのショールを半ば奪うように掴むと、肩と背中を覆って胸元を隠すように前で結ぶ。

ふう、なんとかこれでいけるかなとホッとしていると、叶恵がまた抗議の声を上げた。

「ええー?なんですか、その結び方。風呂敷背負ってるんじゃないんですから」

そう言って結び目を取ると、ショールを肩の下まで下げてから、瑠璃の両腕に片方ずつ絡ませた。

これだと背中が隠せただけで、肩と胸の露出は変わらない。

「だーめ!これでいいの!」

瑠璃は再び、上半身を隠すように胸の前で結ぶ。

すると叶恵が、急に声のトーンを変えた。

「瑠璃さん…いいんですか?」
「え、な、なに?」
「今日は外資系のパーティー。ゲストは誰もがハリウッドスター顔負けの装いですよ?女性もみんな、ゴージャスかつセクシー。そんな中、瑠璃さん一人だけ風呂敷背負ってても?」
「え、だ、だから風呂敷じゃないもん」
「でもダサさは際立ってますよ。いいんですね?フォルトゥーナの総支配人夫人が、ダサいって思われても?」

うっ…と瑠璃は言葉に詰まり、上目遣いに叶恵を見る。

「それは…困ります」
「でしょ?じゃあ、はい!こうしましょ」

そう言って叶恵は、ショールを瑠璃の肩の端ギリギリのところに当てると、胸の上にふわっと掛けて柔らかく結んだ。



今日だけよ?次はもっと普通のドレスに…と念を押す瑠璃に、はーいと返事をしながら、叶恵は総支配人室に繋がるドアをノックした。

「お待たせしました。お支度整い…わあ!早瀬さん。いいですね!」

言葉を途中で止めた叶恵の後ろから、え?と瑠璃も顔を出す。

「まあ!ほんと。早瀬さん、とってもすてき!」
「ですよねー!いつも総支配人の横でひっそりオーラを消してますけど、早瀬さんも総支配人に負けず劣らずのイケメンですよ」
「そうよね!それにタキシード姿、とっても似合ってる」
「うん、着こなしもバッチリです!」

叶恵にボウタイを調節されつつ、早瀬は固まって立ち尽くす。

(る、瑠璃さん…そのドレスは、その…)

叶恵の横に並んでいる瑠璃は、至近距離で早瀬の様子を見ている。

(目の、目のやり場が…)

その時、早瀬は殺気立った気配を感じてハッとする。

一生がこちらを睨んでいるのが分かった。

(マズイ、これはマズイ…)

やがて一生は、ツカツカとこちらに歩み寄ると、
「時間だ。行くぞ」
短くそう言ったあと、瑠璃の腰をグッと抱いて引き寄せ、そのまま出口へと向かった。

「え、わっ!一生さん?」

瑠璃が驚いたように顔を見上げるが、一生は構わず歩く。

叶恵が口に手を当てて、キャッとかすかに声を上げた。



エレベーターで1階まで下り、一生は瑠璃の腰を抱いたまま歩き出す。

ロビーの空気がザワッと変わり、皆が一生達を振り向いて息を呑む。

すごい…すてき!うわー、かっこいい!

口々にささやかれる声を聞きながら、瑠璃の後ろで叶恵は小さくガッツポーズを作る。

ふと隣の早瀬を見ると、眉をハの字に下げていた。

これからいったいどうなるんだよ…という心の声が聞こえてくるようだ。

エントランスから外に出ると、ムワッとした暑さの中にも、夜の心地良い風が感じられる。

(うん。やっぱりショールがあった方がいいわね)

叶恵は心の中で頷いた。

早瀬が開けた車のドアから瑠璃が後部座席に座ると、反対側の、運転手が開けているドアから一生も乗り込んだ。

最後に助手席のドアを開けてから、早瀬は叶恵を振り返る。

「では、行ってきます」
「行ってらっしゃい。早瀬さん、グッドラック」

小さく親指を立てて見せた叶恵に頷くと、早瀬は助手席に座ってドアを閉めた。

ゆっくり動き出した車に、叶恵は深々とお辞儀をして見送った。
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