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新たな絆
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「光星さん、具合はどう?」
翌日。
面会時間になると、花純は光星の病室を訪れる。
「花純! 仕事はどうした?」
「有給使って休みにしてもらったの。光星さんが退院するまで」
「え、いいのか?」
「うん、私がそうしたいから。ひょっとして迷惑だった?」
「そんなわけあるか。嬉しいに決まってる」
「良かった。臼井さんから色々預かってきたの、パソコンも。でも仕事はしばらくダメですよ?」
「うーん、気になるけど、そうだな。今は花純とゆっくり話す時間にしよう」
はい、と花純も微笑む。
ベッドの横の椅子に座り、光星の手を握りながら、千鶴とのことを話し出した。
「そうか、そんなことが……」
「千鶴ちゃんとの仲がこじれて、どうしていいか分からなくて、光星さんにも冷たく当たってしまったの。ごめんなさい。それに、こんなことになるなら恋愛しなければ良かった、なんて酷いことまで考えてしまって……。本当にごめんなさい」
頭を下げる花純に、光星は優しく笑いかける。
「謝ることなんてない。花純、以前言ってただろ? 私の中で恋愛は大して大きな割合を占めていないって。あの言葉の意味がようやく分かった。花純は身近にいる人や友達を大切にする人なんだ。自分の恋愛よりも他人を優先する。それは花純が心優しい証拠だよ。俺はそんな花純が誰よりも好きだ」
「光星さん……」
「杉崎さんとのことだって、たまたまタイミングが悪かっただけじゃないか? 本当は誰も悪くない」
「うん、ちゃんと謝れたからもう大丈夫。それに光星さんが救急車で運ばれる時、私に『しっかりしなさい!』って背中を押してくれたのも千鶴ちゃんなの」
「そうか。良かったな、花純」
うん! と笑顔で頷いてから、花純はしみじみと口を開いた。
「私、ずっと感謝します。千鶴ちゃんと滝沢くんに。そしてこれからは、誰よりも大切な光星さんのそばにいます。千鶴ちゃんも滝沢くんも、それを許してくれると思うから」
「そうだな。俺は必ず花純を幸せにする。二人に恥じないように、胸を張ってそう言うよ」
「私も、光星さんを想い続けます」
確かな絆が生まれるのを感じ、二人で見つめ合って微笑んだ。
◇
無事に退院した光星は自宅マンションではなく、オフィスの仮眠室でしばらく生活することになった。
そこなら臼井も花純も頻繁に様子を見に行けるし、身の回りの世話をしやすいという理由からだ。
花純は出社前や出社後に、必ず52階に上がって光星のもとを訪ねる。
今日も出社前に立ち寄ると、光星は朝食を食べているところだった。
「光星さん、おはようございます。具合はいかがですか?」
「花純、おはよう。今日も可愛いな」
「はっ? 朝から何を言ってるんですか」
「毎日会えるから、嬉しくて」
その時、ゴホン!と後ろから咳払いが聞こえてきた。
「すみません、お邪魔虫で」
「臼井さん! いえ、そんな」
「森川さん、今夜は夕食ご一緒にいかがですか?」
「あ、はい。ご迷惑でなければ」
「迷惑だなんて、とんでもない。森川さんがいてくれないと、社長のご機嫌が斜めになるので」
臼井!と、光星が焦ったように言う。
「子ども扱いするな」
「子どもだなんて思ってませんよ。下心アリアリの大人の男です」
「臼井!」
しれっとしたままの臼井とムキになる光星を見比べて、花純はふふっと笑う。
「それじゃあ、また終業後に来ますね」
「ああ。行ってらっしゃい、花純」
「はい、行ってきます」
パタンとドアが閉まると、臼井はニヤリと光星を振り返った。
「怪我の功名と言いますか、すっかり愛が深まったようで。これはもう、結婚に向かってまっしぐらってとこですか?」
「いや、そうでもない」
思いがけず表情を曇らせた光星に、臼井は首をひねる。
「何か心配ごとでも?」
「……仕事するぞ」
強引に話を切り上げると、光星はデスクに向かう。
つき合うことになった時の、花純の言葉を思い出していた。
『恋愛と結婚はまったく別の感覚なんです。結婚はお互いの条件が合う人と交わす契約、みたいに捉えています』
『私は人より恋愛感情が乏しくて。好きになっても、このままずっと一緒に生きていきたいとは思えないんです。結婚は好きとか愛してるって感情より、条件が合う相手とする方が上手くいくと思うので』
いつか必ず花純にプロポーズする。
だが、頷いてもらえる自信が、今の光星にはなかった。
◇
「滝沢くん」
オフィスに行く前にカフェに立ち寄ると、誰もいない店内で滝沢が一人準備をしていた。
「森川さん! おはようっす」
「おはよう」
「上条さんは? もう元気になった?」
「うん、元気よ。まだ運動はしちゃいけないけど、普段通りの生活で大丈夫だって言われてる」
「そっか、良かったね」
屈託のない笑顔を浮かべる滝沢に、花純は改めて向き合った。
「滝沢くん、色々ありがとう。千鶴ちゃんと私の仲を気にしてくれたり、光星さんのことを心配してくれたり。あと、私なんかに告白してくれて。滝沢くんの優しさに、本当に救われました。ありがとう」
「いいえー。俺も、森川さんを好きになって良かったよ。おかげで自分の道をちゃんと見つけられた。これからも毎日会えるし、店長になったらめっちゃサービスするから」
「ふふっ、楽しみにしてるね」
「元気ない時は、いつでも来てよ。あと、上条さんに冷たくされたら、俺のとこに来い。奪ってやるから」
「滝沢くん……、ありがとう。でも光星さん、いつも私に優しいから」
「うわー、ノロケられた」
大げさにおどけてから、滝沢はふと真顔になる。
「森川さんにはいつも笑っててほしい。ちゃんと幸せにしてもらえよ? 相手は社長なんだから、何でも買ってもらえ」
「あはは! じゃあ、このカフェで毎日おごってもらおう」
「いいね、それ。あざーっす!」
二人で声を上げて笑い合う。
「じゃあ早速、ホットのカプチーノ3つお願い。千鶴ちゃんと原くんにも差し入れたいの」
「まいどー! サイズはヴェンティでね」
「いや、大きすぎでしょ」
そしてまた二人で笑った。
◇
「花純、お疲れ様。もう仕事終わった?」
「はい。光星さんは?」
「もうちょい」
「じゃあ、臼井さんのお手伝いして待ってますね」
終業後に光星のオフィスにやって来た花純は、キッチンにいる臼井を手伝って夕食の準備をする。
テーブルに並べたところで、光星も仕事を終えて席に着いた。
「臼井、あとはいいから今夜はもう上がってくれ」
「はい。お邪魔虫は失礼いたします」
真顔で頭を下げる臼井に、花純はアタフタする。
「臼井さん、お料理をこんなにたくさん、ありがとうございました」
「いいえ。森川さん、社長のことをよろしくお願いします」
「はい、承知しました」
「どうぞ末永く」
はい?と聞き返す花純に構わず、臼井は部屋を出て行った。
「花純、早速食べようか」
「はい、いただきます。臼井さん、光星さんの身体を気遣って、ずっと和食を作ってくれてるんですね。完璧な奥さんみたい」
ふふっと笑う花純に、光星は複雑な心境になる。
(奥さん……。花純にとって、結婚はまだ考えられないのか?)
お試しではなく、本当の恋人同士にはなれたと思う。
だが、恋愛と結婚は別だという花純の考え方は、まだ変わっていないのだろうか。
すると花純が手を止めて、「光星さん?」と顔を覗き込んできた。
「どうかした? ひょっとして傷が痛みますか?」
「いや、大丈夫だ」
「……ごめんなさい。私のせいで、光星さんに傷あとが残ってしまって」
ガーゼで覆われた光星の額の傷は10cmにおよび、完全には消えないらしかった。
「これくらいどうってことない。そのうち目立たなくなるし、生え際だから前髪で隠れる。それにこれは、花純を守った男の勲章だよ」
「光星さん……」
「ケガをしたのが花純じゃなくて、本当に良かった。あの時、車で取引先から戻って来て駐車場からロビーに入ったところだったんだ。杉崎さんの姿が見えて、気になって外に出た。花純が危ないと分かったら、反射的に身体が動いてた。余裕がなくて倒れ込んでごめん。花純のすり傷は治った?」
光星は手を伸ばし、花純の腕に触れる。
「こんなの、もう全然平気」
「そうか。良かった、綺麗な花純の身体に傷あとが残らなくて」
優しく微笑む光星に、花純の目は涙で潤んだ。
「花純、もう悲しまなくていい。俺は花純を、いつも笑顔にさせたいんだ」
「はい、ごめんなさい」
花純は慌てて指先で涙を拭う。
光星は少し考えあぐねてから、思い切ったように口を開いた。
「花純、しばらく俺のマンションで暮らしてくれないか?」
「えっ、私が光星さんのマンションで?」
「ああ。そろそろ自宅に戻ろうと思ってるんだ。花純がそばにいてくれたら、助かるんだけど……。やっぱり、嫌か?」
「ううん、そんなことない。そうよね、自分の部屋が一番いいものね。分かりました。家事は私がやりますから、光星さんはゆっくり休んで」
「ありがとう。じゃあ、明日仕事が終わったら車で帰ろう。途中、花純のマンションに寄るから、荷物をまとめておいて」
はい、と返事をしたものの、花純は早くもドキドキと緊張感に包まれる。
食事のあと食器洗いを済ませると、花純は早めに帰ることにした。
「じゃあ光星さん、また明日」
「車で送るよ」
「ううん、大丈夫。お仕事まだ残ってるんでしょ? 早く終わらせてしっかり休んでね」
「ありがとう。おやすみ、気をつけて」
光星は花純を抱き寄せて、優しくキスをした。
◇
マンションに帰ると、花純はいそいそと荷物をまとめ始める。
(えっと、会社に来ていく服と、部屋着と、休日の私服も。あとは化粧品と、あ、エプロンも持って行こう。洗濯出来るから、下着はそんなにたくさんじゃなくていいかな?)
そこまで考えて真っ赤になった。
これから光星のマンションで一緒に暮らす、すなわち同棲生活を送ることになる。
初めてのことで、少し不安になってきた。
(誰かと暮らすなんて、私に出来るのかな? だって同棲生活って、結婚生活と変わらないよね)
元彼とは一緒に暮らしたことはないが、マンションに1泊するだけでもう離れたくなった。
パーソナルスペースとか、一人の時間が大切だとしみじみ感じて、自分は本当に結婚には向いていないと落ち込んだ。
(光星さんとは? 今は大好きだけど、一緒に暮らすうちにギクシャクしたらどうしよう)
千鶴や周りの女の子は、つき合ったら自然に半同棲生活になると言っていた。
「だってずっと一緒にいたいって思うと、そのままズルズルとねー」
そんなふうになるのが普通で、自分は変わっているのだと思った。
(光星さんとずっと一緒にいられるのは嬉しい。でもちょっと不安なのも本当)
嬉しさと緊張と不安が入り混じる中、花純は時間をかけて荷物をまとめた。
翌日。
面会時間になると、花純は光星の病室を訪れる。
「花純! 仕事はどうした?」
「有給使って休みにしてもらったの。光星さんが退院するまで」
「え、いいのか?」
「うん、私がそうしたいから。ひょっとして迷惑だった?」
「そんなわけあるか。嬉しいに決まってる」
「良かった。臼井さんから色々預かってきたの、パソコンも。でも仕事はしばらくダメですよ?」
「うーん、気になるけど、そうだな。今は花純とゆっくり話す時間にしよう」
はい、と花純も微笑む。
ベッドの横の椅子に座り、光星の手を握りながら、千鶴とのことを話し出した。
「そうか、そんなことが……」
「千鶴ちゃんとの仲がこじれて、どうしていいか分からなくて、光星さんにも冷たく当たってしまったの。ごめんなさい。それに、こんなことになるなら恋愛しなければ良かった、なんて酷いことまで考えてしまって……。本当にごめんなさい」
頭を下げる花純に、光星は優しく笑いかける。
「謝ることなんてない。花純、以前言ってただろ? 私の中で恋愛は大して大きな割合を占めていないって。あの言葉の意味がようやく分かった。花純は身近にいる人や友達を大切にする人なんだ。自分の恋愛よりも他人を優先する。それは花純が心優しい証拠だよ。俺はそんな花純が誰よりも好きだ」
「光星さん……」
「杉崎さんとのことだって、たまたまタイミングが悪かっただけじゃないか? 本当は誰も悪くない」
「うん、ちゃんと謝れたからもう大丈夫。それに光星さんが救急車で運ばれる時、私に『しっかりしなさい!』って背中を押してくれたのも千鶴ちゃんなの」
「そうか。良かったな、花純」
うん! と笑顔で頷いてから、花純はしみじみと口を開いた。
「私、ずっと感謝します。千鶴ちゃんと滝沢くんに。そしてこれからは、誰よりも大切な光星さんのそばにいます。千鶴ちゃんも滝沢くんも、それを許してくれると思うから」
「そうだな。俺は必ず花純を幸せにする。二人に恥じないように、胸を張ってそう言うよ」
「私も、光星さんを想い続けます」
確かな絆が生まれるのを感じ、二人で見つめ合って微笑んだ。
◇
無事に退院した光星は自宅マンションではなく、オフィスの仮眠室でしばらく生活することになった。
そこなら臼井も花純も頻繁に様子を見に行けるし、身の回りの世話をしやすいという理由からだ。
花純は出社前や出社後に、必ず52階に上がって光星のもとを訪ねる。
今日も出社前に立ち寄ると、光星は朝食を食べているところだった。
「光星さん、おはようございます。具合はいかがですか?」
「花純、おはよう。今日も可愛いな」
「はっ? 朝から何を言ってるんですか」
「毎日会えるから、嬉しくて」
その時、ゴホン!と後ろから咳払いが聞こえてきた。
「すみません、お邪魔虫で」
「臼井さん! いえ、そんな」
「森川さん、今夜は夕食ご一緒にいかがですか?」
「あ、はい。ご迷惑でなければ」
「迷惑だなんて、とんでもない。森川さんがいてくれないと、社長のご機嫌が斜めになるので」
臼井!と、光星が焦ったように言う。
「子ども扱いするな」
「子どもだなんて思ってませんよ。下心アリアリの大人の男です」
「臼井!」
しれっとしたままの臼井とムキになる光星を見比べて、花純はふふっと笑う。
「それじゃあ、また終業後に来ますね」
「ああ。行ってらっしゃい、花純」
「はい、行ってきます」
パタンとドアが閉まると、臼井はニヤリと光星を振り返った。
「怪我の功名と言いますか、すっかり愛が深まったようで。これはもう、結婚に向かってまっしぐらってとこですか?」
「いや、そうでもない」
思いがけず表情を曇らせた光星に、臼井は首をひねる。
「何か心配ごとでも?」
「……仕事するぞ」
強引に話を切り上げると、光星はデスクに向かう。
つき合うことになった時の、花純の言葉を思い出していた。
『恋愛と結婚はまったく別の感覚なんです。結婚はお互いの条件が合う人と交わす契約、みたいに捉えています』
『私は人より恋愛感情が乏しくて。好きになっても、このままずっと一緒に生きていきたいとは思えないんです。結婚は好きとか愛してるって感情より、条件が合う相手とする方が上手くいくと思うので』
いつか必ず花純にプロポーズする。
だが、頷いてもらえる自信が、今の光星にはなかった。
◇
「滝沢くん」
オフィスに行く前にカフェに立ち寄ると、誰もいない店内で滝沢が一人準備をしていた。
「森川さん! おはようっす」
「おはよう」
「上条さんは? もう元気になった?」
「うん、元気よ。まだ運動はしちゃいけないけど、普段通りの生活で大丈夫だって言われてる」
「そっか、良かったね」
屈託のない笑顔を浮かべる滝沢に、花純は改めて向き合った。
「滝沢くん、色々ありがとう。千鶴ちゃんと私の仲を気にしてくれたり、光星さんのことを心配してくれたり。あと、私なんかに告白してくれて。滝沢くんの優しさに、本当に救われました。ありがとう」
「いいえー。俺も、森川さんを好きになって良かったよ。おかげで自分の道をちゃんと見つけられた。これからも毎日会えるし、店長になったらめっちゃサービスするから」
「ふふっ、楽しみにしてるね」
「元気ない時は、いつでも来てよ。あと、上条さんに冷たくされたら、俺のとこに来い。奪ってやるから」
「滝沢くん……、ありがとう。でも光星さん、いつも私に優しいから」
「うわー、ノロケられた」
大げさにおどけてから、滝沢はふと真顔になる。
「森川さんにはいつも笑っててほしい。ちゃんと幸せにしてもらえよ? 相手は社長なんだから、何でも買ってもらえ」
「あはは! じゃあ、このカフェで毎日おごってもらおう」
「いいね、それ。あざーっす!」
二人で声を上げて笑い合う。
「じゃあ早速、ホットのカプチーノ3つお願い。千鶴ちゃんと原くんにも差し入れたいの」
「まいどー! サイズはヴェンティでね」
「いや、大きすぎでしょ」
そしてまた二人で笑った。
◇
「花純、お疲れ様。もう仕事終わった?」
「はい。光星さんは?」
「もうちょい」
「じゃあ、臼井さんのお手伝いして待ってますね」
終業後に光星のオフィスにやって来た花純は、キッチンにいる臼井を手伝って夕食の準備をする。
テーブルに並べたところで、光星も仕事を終えて席に着いた。
「臼井、あとはいいから今夜はもう上がってくれ」
「はい。お邪魔虫は失礼いたします」
真顔で頭を下げる臼井に、花純はアタフタする。
「臼井さん、お料理をこんなにたくさん、ありがとうございました」
「いいえ。森川さん、社長のことをよろしくお願いします」
「はい、承知しました」
「どうぞ末永く」
はい?と聞き返す花純に構わず、臼井は部屋を出て行った。
「花純、早速食べようか」
「はい、いただきます。臼井さん、光星さんの身体を気遣って、ずっと和食を作ってくれてるんですね。完璧な奥さんみたい」
ふふっと笑う花純に、光星は複雑な心境になる。
(奥さん……。花純にとって、結婚はまだ考えられないのか?)
お試しではなく、本当の恋人同士にはなれたと思う。
だが、恋愛と結婚は別だという花純の考え方は、まだ変わっていないのだろうか。
すると花純が手を止めて、「光星さん?」と顔を覗き込んできた。
「どうかした? ひょっとして傷が痛みますか?」
「いや、大丈夫だ」
「……ごめんなさい。私のせいで、光星さんに傷あとが残ってしまって」
ガーゼで覆われた光星の額の傷は10cmにおよび、完全には消えないらしかった。
「これくらいどうってことない。そのうち目立たなくなるし、生え際だから前髪で隠れる。それにこれは、花純を守った男の勲章だよ」
「光星さん……」
「ケガをしたのが花純じゃなくて、本当に良かった。あの時、車で取引先から戻って来て駐車場からロビーに入ったところだったんだ。杉崎さんの姿が見えて、気になって外に出た。花純が危ないと分かったら、反射的に身体が動いてた。余裕がなくて倒れ込んでごめん。花純のすり傷は治った?」
光星は手を伸ばし、花純の腕に触れる。
「こんなの、もう全然平気」
「そうか。良かった、綺麗な花純の身体に傷あとが残らなくて」
優しく微笑む光星に、花純の目は涙で潤んだ。
「花純、もう悲しまなくていい。俺は花純を、いつも笑顔にさせたいんだ」
「はい、ごめんなさい」
花純は慌てて指先で涙を拭う。
光星は少し考えあぐねてから、思い切ったように口を開いた。
「花純、しばらく俺のマンションで暮らしてくれないか?」
「えっ、私が光星さんのマンションで?」
「ああ。そろそろ自宅に戻ろうと思ってるんだ。花純がそばにいてくれたら、助かるんだけど……。やっぱり、嫌か?」
「ううん、そんなことない。そうよね、自分の部屋が一番いいものね。分かりました。家事は私がやりますから、光星さんはゆっくり休んで」
「ありがとう。じゃあ、明日仕事が終わったら車で帰ろう。途中、花純のマンションに寄るから、荷物をまとめておいて」
はい、と返事をしたものの、花純は早くもドキドキと緊張感に包まれる。
食事のあと食器洗いを済ませると、花純は早めに帰ることにした。
「じゃあ光星さん、また明日」
「車で送るよ」
「ううん、大丈夫。お仕事まだ残ってるんでしょ? 早く終わらせてしっかり休んでね」
「ありがとう。おやすみ、気をつけて」
光星は花純を抱き寄せて、優しくキスをした。
◇
マンションに帰ると、花純はいそいそと荷物をまとめ始める。
(えっと、会社に来ていく服と、部屋着と、休日の私服も。あとは化粧品と、あ、エプロンも持って行こう。洗濯出来るから、下着はそんなにたくさんじゃなくていいかな?)
そこまで考えて真っ赤になった。
これから光星のマンションで一緒に暮らす、すなわち同棲生活を送ることになる。
初めてのことで、少し不安になってきた。
(誰かと暮らすなんて、私に出来るのかな? だって同棲生活って、結婚生活と変わらないよね)
元彼とは一緒に暮らしたことはないが、マンションに1泊するだけでもう離れたくなった。
パーソナルスペースとか、一人の時間が大切だとしみじみ感じて、自分は本当に結婚には向いていないと落ち込んだ。
(光星さんとは? 今は大好きだけど、一緒に暮らすうちにギクシャクしたらどうしよう)
千鶴や周りの女の子は、つき合ったら自然に半同棲生活になると言っていた。
「だってずっと一緒にいたいって思うと、そのままズルズルとねー」
そんなふうになるのが普通で、自分は変わっているのだと思った。
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