Bravissima!

葉月 まい

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全てをぶつけて

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「皆様、本日は如月フィルハーモニー管弦楽団がお贈りする『ドリームステージ』に、ようこそお越しくださいました」

午後2時
いよいよ本番が始まった。

如月シンフォニーホールは満席。
司会者の自己紹介に、客席からは大きな拍手が起こった。

「今日ここで、音楽を愛する人達の夢が叶います。どうぞ最後までしっかりと、その夢舞台を見届けてください。それでは最初の演奏者をご紹介しましょう。皆様、大きな拍手でお迎えください」

小さな女の子、花が緊張の面持ちで現れ、「あら可愛い!」と客席から声が上がる。

硬い表情の花はマイクで自己紹介をしたあと、決められた立ち位置に歩いて行ってスタンバイした。

芽衣は舞台袖でその様子を見つめながら、花に「がんばれ!」とエールを送る。

ガチガチに固まったままの花に、大丈夫かな、と不安になった時、聖が笑顔で何やら花に話しかけた。

聖を振り返った花は、うん、と頷き、可愛らしい笑顔を見せる。

その姿に(もう大丈夫ね)と芽衣も微笑んだ。

演奏が始まり、花は生き生きと明るく歌い出す。

(素敵、なんて綺麗な歌声!)

芽衣はホール中に響き渡る透き通った花の声に感動して、涙ぐんだ。

トップバッターは大人でも緊張するというのに、たった5歳の花はこんなにも堂々としている。

(負けていられない)

勇気をもらった気がして、芽衣はギュッと拳を握りしめた。



歌い終わった花が舞台袖にはけて来ると、芽衣は拍手で出迎えた。

「花ちゃん、とっても上手だったね」

声をかけると、花はにっこりと笑う。

「ありがとう。わあ、おねえちゃんプリンセスみたいだね」
「え、そう?」

芽衣は思わず着ているドレスを見下ろした。

合宿中、聖がプレゼントしてくれたエメラルドグリーンのドレス。

今日の衣装は、これ以外考えられなかった。

「とってもかわいい」
「ありがとう。でも花ちゃんの方がもっともっと可愛いよ。歌声も素敵だった」
「わたし、うたがだいすきなの」
「そうなのね。今日は楽しかった?」
「うん!たのしかった」
「そう。私も花ちゃんの歌が聴けて嬉しかった。ありがとね」

二人でバイバイと手を振って別れた。

続いては、娘の結婚式の為にフルートを猛練習中のお父さんの出番。

司会者とのやり取りで「娘の幸せを願って精一杯演奏します」と話すお父さんに、芽衣は早くも目を潤ませる。

「当初はお父様だけがステージに上がる予定でしたが、如月フィルの提案で、娘さんにもピアノ伴奏で参加していただくことになりました。お嬢さん、どうぞステージへ」

会場からの拍手に後押しされて、客席から立ち上がった綺麗な娘さんが舞台に上がり、お父さんの隣に並ぶ。

それだけで涙ぐむお父さんに、「もう、大丈夫?」と笑いかける娘さん。

そのあとの演奏も、お父さんを支えるように優しく微笑みながらピアノを弾く娘さんと、緊張しながらも一生懸命フルートを吹くお父さんの姿に、会場は温かい雰囲気に包まれた。



出演者それぞれの演奏を微笑ましく、時には涙ぐみながら袖で見守っていた芽衣は、出番が近づき落ち着かなくなる。

両手をほぐして温めながら、何度も深呼吸を繰り返した。

「それではいよいよ、本日最後の夢舞台です。大曲に挑むのはこちらの方です。どうぞ!」

司会者に促されて、芽衣は大きく息を吸ってからステージに歩み出た。

拍手を送ってくれる観客に深々とお辞儀をする。

「まずは自己紹介からお願いします」

芽衣は渡されたマイクを握りしめた。

「木村 芽衣と申します。音楽大学でピアノを勉強しています。どうぞよろしくお願いいたします」
「木村さんが今回このドリームステージに応募しようと思ったきっかけは何でしょうか?」

リハーサルではこのやり取りは省かれた為、答えるのはこれが初めてだ。

芽衣は考えながら言葉を選んだ。

「私は、幼い頃からピアノを習ってきました。ですが12歳の時のコンクールがきっかけで、舞台に立つのが怖くなってしまいました。ピアノは大好きですが、大勢の人を前にすると、恐怖と緊張で上手く弾けなくなるのです。今でもそのトラウマを克服出来ていません。そんな私に、恩師の方がこのドリームステージを勧めてくださいました。オーケストラと共演させていただく機会など、一生無縁だと思っていた私に、好きな曲を好きなように弾けるんだよと背中を押してくださいました。舞台に立つ怖さよりも、弾きたい!という想いが強くなり、チャレンジすることを決めました。これから演奏させていただきますが、どうなってもいい、今自分が持てる全てをぶつけて挑もう、そう思っています。こんな私に素晴らしい機会をくださったマエストロ、オケの皆様、そして聴いてくださる全ての方に感謝して、私の音楽を全身全霊で奏でます」

シン……とホールが静まり返る。

司会者が小さく頷いて声のトーンを落とした。

「木村さんのステージを、しっかりと見届けたいと思います。それでは、ご準備をどうぞ」

芽衣はマイクを返すと、ピアノに向かって歩き出す。

椅子の後ろで立ち止まって客席の方を向くと、司会者が最後のセリフを告げた。

「如月フィルとの夢の舞台、ドリームステージ。トリを飾るのは木村 芽衣さんです。曲はラフマニノフ作曲『パガニーニの主題による狂詩曲』です。どうぞ」

芽衣はしっかりと顔を上げて客席を見渡し、深くお辞儀をする。

シャワーのように降り注ぐ拍手の音は、自分を勇気づけてくれるような気がした。

ゆっくりと顔を上げ、笑顔を浮かべてからピアノの前に座る。

ふう、と大きく息を吐くと、両手を握りしめた。

(手が……震えてる)

そう思った途端、今度は身体中がカタカタと震え始めた。

思わずギュッと自分を抱きしめる。

(落ち着け、大丈夫。お願いだから震えないで)

焦りと共に背中がヒヤリと寒くなった時だった。

「芽衣」

聞こえてきた声にハッとして振り返る。

すぐ後ろで聖が真っ直ぐに自分を見つめていた。

「忘れるな、お前は一人じゃない。俺がそばについている」

芽衣は大きく目を見開いた。

ピタリと身体の震えが止まり、ふわりと気持ちが軽くなる。

聖はニヤリと不敵な笑みで続けた。

「いつも通り、1発でキメてやろうぜ」

芽衣の身体中に力がみなぎってくる。

「はい!」

大きく頷くと、聖も力強く頷き返した。

(もう大丈夫)

芽衣はマエストロとしっかりアイコンタクトを取る。

そして……

芽衣の魂を込めた演奏が始まった。



いつも自分を支え、寄り添うようにピアノを弾いてくれた芽衣。

その芽衣を、今日は自分が支える。

聖は、全身を使って力強くピアノを奏でる芽衣の背中をじっと見つめた。

一瞬の狂いもない音の掛け合い。
ピタリとはまる音の粒。
感情のうねりで広がる幅。

全てが完璧に重なる。

そうだ。
いつだって芽衣は、自分にとっての最高のパートナーだ。

互いを認め合い、信頼し合い、高め合っていける唯一無二の存在。

芽衣となら、自分の限界を超えられる。
芽衣となら、新たな音楽を作り出せる。

生み出されたあと、やがて消えてしまう音。
だからこそ、そこに全てをかける。

形のないものを、言葉を使わず心に伝える。
気持ちを音に乗せて、真っ直ぐに届ける。

想いを込めて、魂を込めて。
今自分が持てる、全てをかけて。

やがて緊迫した空気がふっとほぐれた。

第18変奏。

芽衣の奏でるピアノは、どこまでも甘く、切なく、清らかで美しい。

痛みを癒やし、苦しみから救い、心を温め、幸せへと導く音。

聖の目に涙が浮かぶ。

心が震え、胸が張り裂けそうになり、思わず目を閉じて堪えた。

(芽衣……)

優しい微笑みを浮かべた芽衣が、手を差し伸べ、自分を包み込んでくれる気がした。

芽衣の音に身を委ね、切なさに打ち震えながら、聖はヴァイオリンの音をピアノに重ねる。

心と心が通い合い、共鳴する。

(俺達は互いに求め合っているんだ)

聖は芽衣と自分の音が美しく響き合うのを感じながら、今この瞬間の幸せに喜びを噛みしめていた。



壮大なラストに向けて、芽衣はありったけの力を振り絞る。

体力と集中力の限界。

それを感じないほど、今の自分は何かの力に満ち溢れている。

音楽の神様が、自分を導いてくれている気がした。

そこにたどり着きたくて、その手を握りたくて、芽衣は駆け上がるように高い音へとピアノに指を走らせる。

オーケストラの音が、グッと自分を高みへと押し上げてくれた。

パーッと明るい世界が開け、最後の音が空気に溶けると、芽衣は天を仰いで息をついた。

何も考えられない。
どこにも力が残っていない。

静けさの中、放心していた芽衣は、急に割れんばかりの拍手が聞こえてきてハッと我に返る。

ホール中の人が感激した面持ちで拍手を送ってくれていた。

芽衣は慌てて立ち上がり、深々とお辞儀をする。

顔を上げても鳴り止まない拍手。

感謝の気持ちで客席を見渡すと、中央の席に佐賀教授の姿が見えた。

感極まったように、小さく何度も頷いて手を叩いている。

その隣には、眉をハの字に下げ、懸命に涙を堪えている弥生。

芽衣はようやくいつもの自分に戻り、ふっと笑みをもらした。

(弥生ちゃんたら……、ありがとう。佐賀先生も、ありがとうございました)

もう一度頭を下げると、芽衣はオーケストラを振り返る。

「マエストロ、ありがとうございました」
「いやー、良かったよ。やり切ったね」
「はい。本当にありがとうございました」

マエストロは芽衣にハグをして、嬉しそうに破顔した。

最後に芽衣は、コンサートマスターの聖と握手をする。

「ありがとうございました」

すると聖は、グッと芽衣の手を引き寄せた。

「 Bravissima ! 」

耳元でささやかれ、芽衣は一瞬驚いてから聖を見上げる。

優しく笑いかけてくれる聖に、芽衣も満面の笑みを浮かべた。

見つめ合う二人に、いつまでも温かい拍手は鳴り止まなかった。



「芽衣ちゃん!素晴らしかったよ、おめでとう!」

舞台袖に戻ると、公平が感激して芽衣にハグをする。

「高瀬さん!ありがとうございました」
「やったな、芽衣ちゃん。よくがんばったな」

まるで自分のことのように喜んでくれる公平に、きっと自分の知らないところでずっと気にかけてくれていたのだろうと、芽衣は悟った。

「イスラメイちゃん、最高の演奏だったぞ!ありがとう!」

理事長はガバッと抱きついてきたかと思うと、バシバシと背中を叩いて喜んでくれる。

「ありがとうございます。イタタ……」

そして芽衣は、控え室へと続く廊下で佐賀教授の姿を見つけた。

「先生!」

声をかけると、教授は優しく、感慨深く芽衣に微笑んだ。

「よくやった。さすがは私の愛弟子だ。ようやく乗り越えたな」
「はい。先生のおかげです。本当にありがとうございました」
「こちらこそ、感動をありがとう。私が教えられることは全て伝えた。これからは自分を信じて、思い切り羽ばたいていきなさい。卒業、おめでとう」
「先生……」

芽衣の目に涙が浮かび、言葉に詰まる。

「先生に指導していただいて、本当に幸せでした。4年間、ありがとうございました」

芽衣は深々とお辞儀をする。

最後に弥生が飛びついてきた。

「めーいー!でかした!この私を泣かせるなんて、やってくれたわねー。見てらっしゃい、明日私もやり返してみせるから」
「うん!楽しみにしてるね、弥生ちゃんの演奏」
「おう!」

芽衣と弥生は互いの手を握り、笑顔で笑い合う。

この日。
芽衣は夢のような舞台で、過去の自分を乗り越えた。
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