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もう少しつき合って
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パーティーが無事にお開きとなると、芹奈は駐車場に待機していた運転手に連絡して車を回してくれるよう伝えた。
ロビーに下りてエントランスを出ると、スーッと車がロータリーに横付けされる。
「社長、本日もお疲れ様でございました」
「うん、里見くんもね。今夜はもうここで大丈夫だ。お疲れ様」
「はい、それでは失礼いたします」
社長が乗り込んだ車が見えなくなるまで、芹奈は深々と頭を下げて見送った。
「ふう、無事に終わって良かった」
ホッとして肩の力を抜き、ロビーに戻ったところで村尾とばったり会う。
「芹奈、お疲れ。俺、これから車で社に戻るけど、送ろうか?」
「あれ?村尾くん、副社長についてなくていいの?」
「ああ。ほら、今夜はここに泊まっていかれるそうだから」
「あ、そうだったね」
「うん。芹奈は?会社に用事ある?」
「ううん、ないよ。着替えたらうちに帰るだけだから大丈夫。ありがとね」
「そっか。じゃあ、またな。お疲れ」
お疲れ様、と言って別れると、芹奈はクロークに行き、番号札を渡す。
「ありがとうございました」と荷物を受け取って振り返ると、大きな人影が目に入って、わっ!と思わず仰け反った。
「もう上がりか?」
低い声で話しかけられ、芹奈は顔を上げる。
パーティーの時のスーツ姿のまま、翔がすぐ目の前に立っていた。
「副社長!お疲れ様でした。はい、私も上がらせていただきます」
「じゃあ、ちょっと部屋に来て」
「は?」
ポカンとする芹奈に背を向けると、翔はスタスタと歩いて行く。
仕方なく芹奈もあとを追いかけた。
◇
「どうぞ、入って」
「はい、失礼します」
着替えた時と同じ部屋に、芹奈は恐る恐る足を踏み入れる。
あの時とは違い、なぜまたここに呼ばれたのか見当がつかない。
立ち尽くしていると、翔は奥のソファまで行き、置いてあった紙袋を手に芹奈を振り返った。
「君のドレス、シミ抜きをしてもらった。確認してくれる?」
「えっ、いつの間に?」
そう言えば、バスルームで身体を洗った時、脱いだドレスは壁のハンガーに掛けたままにしていたことを思い出す。
「スタッフに頼んでおいたんだ。それからこのドレスも袋にまとめてもらった。持って帰って」
ええー!?と芹奈は目を丸くする。
手渡された紙袋には、あの時選ばなかったボルドーとブルーのドレスも入っていた。
「そんな!いただけません」
「俺が持ってても仕方ないだろう」
「でしたら、返品します。試着もしてないことですし」
「この俺が返品なんてケチくさいこと出来るか」
ケチくさっ!?と芹奈は絶句する。
「返品のどこがケチなんですか!」
「あのな、俺は面が割れてるの。副社長が返品?ダサっとか思われたくない。それに自分の会社の売り上げに貢献するのは、副社長として当然だ」
「ってことは、これは副社長のポケットマネーからですか?ますますいただけません」
「じゃあ君が最初に着ていたドレスは?それだってポケットマネーだろう?」
「それは、その分も含めた充分なお給料をいただいてますから」
「俺の方がもっともらってる」
うぐっと芹奈は言葉に詰まった。
そう言われれば返す言葉がない。
副社長の給料の方がはるかに額がいいのは当たり前だ。
「でもそんなに気が引けるなら、ちょっと仕事の話につき合ってもらってもいいか?」
口調を変えた翔に言われて、芹奈も真顔に戻る。
「はい、なんでしょうか?」
「うん。今日名刺交換した山本建設の社長と副社長なんだけど、どちらも名字が同じだった。これはたまたま?それとも血縁関係にある?」
ああ、と芹奈は頷いた。
「山本建設の社長と副社長は、ご兄弟です。ですが、社長は弟さんで副社長がお兄さんなんです」
「えっ、そうなのか?なんでまた?」
「お父上である会長がおっしゃってましたが、お兄さんは表舞台に立つのが苦手で、弟さんの方が社交的だからだそうです。もっぱら社内ではお兄さんが、対外的な場では弟さんが活躍なさってます」
「そうなんだ。気をつけておこう」
そう言って翔はスマートフォンを操作し、取り込んだ名刺に注意書きを入力していく。
「あと四ツ葉建設って、俺の認識では山本建設とライバルだったと思うんだけど。今日の様子では、社長同士仲良さそうに話していた気がしたんだが」
「ええ、昔は敵対意識があったようですが、今は同士のように和やかな雰囲気ですね」
「それはなぜ?」
「四ツ葉建設の高井社長は、昔、山本建設の社員だったんです。若くして転職したのち四ツ葉建設で社長にまで登り詰めて、そこで初めて、実はかつてそちらの社員だったと山本建設の社長に打ち明けたんです。そこからは、互いに手を組んで事業に取り組んだりと、友好な関係を築いているようです」
なるほど、と翔はまたしてもスマートフォンに熱心に打ち込んでいく。
「じゃあ、この……」と新たな名刺を取り出したところで、翔はハッと思い出したように顔を上げた。
「すまない。仕事の時間は終わってたのに」
「いいえ、構わないです。パーティーでの記憶が薄れないうちに、気になるところは何でも聞いてください。私で分かることならお答えします」
にっこり笑う芹奈に、翔は少しホッとする。
「ありがとう。あ、ちょっと待って。その前にルームサービスを頼むから。パーティーで何も食べる時間がなかっただろう」
「いえ、どうぞお気遣いなく」
「俺が食べたいんだ。つき合ってくれると嬉しい」
そういうことなら、と芹奈は頷いた。
◇
「わあ、美味しそう!こんな贅沢な時間、夢のようです」
運ばれてきたフランス料理のフルコースに、芹奈は目を輝かせた。
「俺もこのホテルに泊まるのは初めてなんだ。料理もなかなかうまそうだな。あ、ワインは?」
「いえ、仕事中ですから」
「もう勤務は終わってる」
「でも私、あまりアルコールは強くないので」
「じゃあ一杯だけ」
ボトルを持ち上げられ、芹奈は仕方なく頷いた。
「乾杯」
グラスを掲げてほんの少し微笑みかけてくる翔に、芹奈はドキッとして慌てて視線をそらす。
照れ隠しのようにグラスに口をつけると、口内に広がる芳醇なワインに思わずうっとりした。
「はあ……、美味しい」
すると翔が笑い声を上げる。
「ははは!そんなにしみじみ呟かなくても」
「だって、本当に美味しくて」
「それなら良かった。もう一杯どう?」
「じゃあ、もう少しだけ」
美味しさに負けて、芹奈はグイッとワインを飲み干す。
「そうだ、気になってたんだ。社長が君の名前を呼ぶこと。あれは俺から言ってやめさせるから」
前菜を食べながら翔が切り出し、芹奈は、ん?と首をひねった。
「あの、何のお話でしょうか?」
「だから社長の君の呼び方だよ。いくら海外生活の長い俺でも、さすがにあれはない。愛人だと思われないかと、ヒヤヒヤした。君だっていつも気分悪かっただろ?ごめん。社長に直接言いづらいことがあったら、今後は俺に言ってくれたらいいから」
何の事かとますます首を傾げてから、あ!と芹奈は思い当たった。
「副社長。もしかして私の名前、勘違いされてませんか?」
は?と、今度は翔が手を止めて芹奈に首をひねった。
「勘違いって?」
「私、名字は里見といいます」
「は?え?さとみって、名字?」
「はい。よく下の名前だと勘違いされるので、もしかして副社長もそうかと思いまして」
ポカンとしてから、翔はようやく納得する。
「そうだったんだ。うん、てっきり俺、社長は君を下の名前で呼んでるんだとばかり……」
「そうですよね。社長も時々『里見くんは名字ですよ』って、お仕事でお会いする方に説明されてます」
「はは!そうだろうな。セクハラかと思われたら困るしな」
「そうなんです。私も社長がそんなふうに誤解されては心苦しいので、敢えて自分から先方に自己紹介するようにしています。私、副社長とは個人的にお会いするのは今日が初めてで、きちんとご挨拶しないままパーティーであんなことになってしまい、申し訳ありませんでした」
そう言って芹奈は、改めて翔に名刺を差し出した。
「申し遅れました。わたくし、昨年の4月に社長の第二秘書となりまして、今月からは第一秘書をしております里見 芹奈と申します」
「里見 芹奈さんか。なるほど……。勘違いしてすまなかった。俺もこれからは、里見さんと呼べばいいかな?」
「はい。社内では、里見は名字だと認識されておりますので」
「分かった。けど取引先の人の前では呼びづらいな」
「でしたら、おいちょっと、とかで構いません」
「いやいやいや。そんな昭和のオヤジみたいなことするかよ?これでも一応、海外生活は長かったんだ。女性をないがしろにはしない。まあでも俺、口は悪いよな。そこは自覚してる。ごめん」
すまなそうに目を伏せる翔に、芹奈は意外に思いつつ首を振る。
「いえ、そんな。副社長は海外でも手腕を振るわれて、アジアや欧米に支社を次々と立ち上げたすごい方ですから。10年間ずっと、最前線で厳しい状況を切り拓いてこられたのでしょう?生半可な気持ちではやっていけませんし、シビアな口調になって当然ですから」
そう言って綺麗な所作でナイフとフォークを使う芹奈を、翔はまじまじと見つめた。
「美味しい!このソース、どうやって作るんだろう?バジルとバルサミコと、お醤油も少し入ってる?フレンチだからそんな訳ないかな」
ひとりごちてから、芹奈は翔の視線に気づいて顔を上げる。
「えっ、どうかしましたか?副社長」
「あ、いや。なんか、日本の女性ってこうなのかなと思って」
「こうなのか、とは?」
「いや、その。大人しそうに見えて、たくましそうというか……。か弱そうで強そう、みたいな」
は?と芹奈は目をしばたたかせた。
「それって、私の印象ですか?どういうことですか?」
「いやだから、欧米の女性に比べたら、控えめでおしとやかに見えたんだよ。けど全然違ったなって」
「はいー!?副社長、女性をないがしろにしないジェントルマンなはずですよね?けんか売ってますか?日本女性、怒らせると怖いですよ?」
「うっ……、なんかヒシヒシと伝わってくる。ごめん、悪かった」
「分かれば結構です」
ツンと顎を上げてみせてから、芹奈はまた笑顔に戻って食事の手を進めた。
◇
食事のコーヒーをソファで飲みながら、再び取引先の補足説明をしていると、時刻は23時になっていた。
「副社長、ごちそうさまでした。本当に美味しかったです。ありがとうございました」
そろそろ帰ろうと、芹奈は翔に礼を言って頭を下げる。
「いや、こちらこそ。仕事の話につき合ってくれてありがとう」
その時、翔のスマートフォンが鳴り出した。
「ごめん、ちょっと失礼」
「どうぞ、お構いなく」
翔はスマートフォンを手に立ち上がると、窓際まで行き電話に応答する。
「Hello? ……This is he.」
キリッとした表情で流暢な英語を話す翔を、芹奈はぼんやりと見つめた。
(きっとまだ海外での仕事のやり取りが残ってるんだろうな。時差もあるから大変そう。それにしても綺麗な英語)
スラックスのポケットに左手を少し入れ、窓の外の夜景を見ながら真剣に話している立ち姿は、凛々しくて美しい。
(なんだろう?醸し出す雰囲気が日本人離れしてるよね。外国人にも引けを取らない、自信とオーラに溢れている感じ。それに背も高いし、顔もかっこいいのかも?)
今までよく見ていなかったが、改めて見ると彫りの深い顔立ちとシャープなフェイスライン、切れ長の目とスッと通った鼻筋でなかなかのイケメンだった。
(あー、そう言えば秘書室の女子達もそんな話で盛り上がってたな。帰国してきた副社長がかっこいいって)
そんなことを考えつつ、聞こえてくる英語に耳を傾けていると、なぜだか心地良くなってくる。
そして芹奈は、そのままスーッとソファにもたれて眠りに落ちた。
ロビーに下りてエントランスを出ると、スーッと車がロータリーに横付けされる。
「社長、本日もお疲れ様でございました」
「うん、里見くんもね。今夜はもうここで大丈夫だ。お疲れ様」
「はい、それでは失礼いたします」
社長が乗り込んだ車が見えなくなるまで、芹奈は深々と頭を下げて見送った。
「ふう、無事に終わって良かった」
ホッとして肩の力を抜き、ロビーに戻ったところで村尾とばったり会う。
「芹奈、お疲れ。俺、これから車で社に戻るけど、送ろうか?」
「あれ?村尾くん、副社長についてなくていいの?」
「ああ。ほら、今夜はここに泊まっていかれるそうだから」
「あ、そうだったね」
「うん。芹奈は?会社に用事ある?」
「ううん、ないよ。着替えたらうちに帰るだけだから大丈夫。ありがとね」
「そっか。じゃあ、またな。お疲れ」
お疲れ様、と言って別れると、芹奈はクロークに行き、番号札を渡す。
「ありがとうございました」と荷物を受け取って振り返ると、大きな人影が目に入って、わっ!と思わず仰け反った。
「もう上がりか?」
低い声で話しかけられ、芹奈は顔を上げる。
パーティーの時のスーツ姿のまま、翔がすぐ目の前に立っていた。
「副社長!お疲れ様でした。はい、私も上がらせていただきます」
「じゃあ、ちょっと部屋に来て」
「は?」
ポカンとする芹奈に背を向けると、翔はスタスタと歩いて行く。
仕方なく芹奈もあとを追いかけた。
◇
「どうぞ、入って」
「はい、失礼します」
着替えた時と同じ部屋に、芹奈は恐る恐る足を踏み入れる。
あの時とは違い、なぜまたここに呼ばれたのか見当がつかない。
立ち尽くしていると、翔は奥のソファまで行き、置いてあった紙袋を手に芹奈を振り返った。
「君のドレス、シミ抜きをしてもらった。確認してくれる?」
「えっ、いつの間に?」
そう言えば、バスルームで身体を洗った時、脱いだドレスは壁のハンガーに掛けたままにしていたことを思い出す。
「スタッフに頼んでおいたんだ。それからこのドレスも袋にまとめてもらった。持って帰って」
ええー!?と芹奈は目を丸くする。
手渡された紙袋には、あの時選ばなかったボルドーとブルーのドレスも入っていた。
「そんな!いただけません」
「俺が持ってても仕方ないだろう」
「でしたら、返品します。試着もしてないことですし」
「この俺が返品なんてケチくさいこと出来るか」
ケチくさっ!?と芹奈は絶句する。
「返品のどこがケチなんですか!」
「あのな、俺は面が割れてるの。副社長が返品?ダサっとか思われたくない。それに自分の会社の売り上げに貢献するのは、副社長として当然だ」
「ってことは、これは副社長のポケットマネーからですか?ますますいただけません」
「じゃあ君が最初に着ていたドレスは?それだってポケットマネーだろう?」
「それは、その分も含めた充分なお給料をいただいてますから」
「俺の方がもっともらってる」
うぐっと芹奈は言葉に詰まった。
そう言われれば返す言葉がない。
副社長の給料の方がはるかに額がいいのは当たり前だ。
「でもそんなに気が引けるなら、ちょっと仕事の話につき合ってもらってもいいか?」
口調を変えた翔に言われて、芹奈も真顔に戻る。
「はい、なんでしょうか?」
「うん。今日名刺交換した山本建設の社長と副社長なんだけど、どちらも名字が同じだった。これはたまたま?それとも血縁関係にある?」
ああ、と芹奈は頷いた。
「山本建設の社長と副社長は、ご兄弟です。ですが、社長は弟さんで副社長がお兄さんなんです」
「えっ、そうなのか?なんでまた?」
「お父上である会長がおっしゃってましたが、お兄さんは表舞台に立つのが苦手で、弟さんの方が社交的だからだそうです。もっぱら社内ではお兄さんが、対外的な場では弟さんが活躍なさってます」
「そうなんだ。気をつけておこう」
そう言って翔はスマートフォンを操作し、取り込んだ名刺に注意書きを入力していく。
「あと四ツ葉建設って、俺の認識では山本建設とライバルだったと思うんだけど。今日の様子では、社長同士仲良さそうに話していた気がしたんだが」
「ええ、昔は敵対意識があったようですが、今は同士のように和やかな雰囲気ですね」
「それはなぜ?」
「四ツ葉建設の高井社長は、昔、山本建設の社員だったんです。若くして転職したのち四ツ葉建設で社長にまで登り詰めて、そこで初めて、実はかつてそちらの社員だったと山本建設の社長に打ち明けたんです。そこからは、互いに手を組んで事業に取り組んだりと、友好な関係を築いているようです」
なるほど、と翔はまたしてもスマートフォンに熱心に打ち込んでいく。
「じゃあ、この……」と新たな名刺を取り出したところで、翔はハッと思い出したように顔を上げた。
「すまない。仕事の時間は終わってたのに」
「いいえ、構わないです。パーティーでの記憶が薄れないうちに、気になるところは何でも聞いてください。私で分かることならお答えします」
にっこり笑う芹奈に、翔は少しホッとする。
「ありがとう。あ、ちょっと待って。その前にルームサービスを頼むから。パーティーで何も食べる時間がなかっただろう」
「いえ、どうぞお気遣いなく」
「俺が食べたいんだ。つき合ってくれると嬉しい」
そういうことなら、と芹奈は頷いた。
◇
「わあ、美味しそう!こんな贅沢な時間、夢のようです」
運ばれてきたフランス料理のフルコースに、芹奈は目を輝かせた。
「俺もこのホテルに泊まるのは初めてなんだ。料理もなかなかうまそうだな。あ、ワインは?」
「いえ、仕事中ですから」
「もう勤務は終わってる」
「でも私、あまりアルコールは強くないので」
「じゃあ一杯だけ」
ボトルを持ち上げられ、芹奈は仕方なく頷いた。
「乾杯」
グラスを掲げてほんの少し微笑みかけてくる翔に、芹奈はドキッとして慌てて視線をそらす。
照れ隠しのようにグラスに口をつけると、口内に広がる芳醇なワインに思わずうっとりした。
「はあ……、美味しい」
すると翔が笑い声を上げる。
「ははは!そんなにしみじみ呟かなくても」
「だって、本当に美味しくて」
「それなら良かった。もう一杯どう?」
「じゃあ、もう少しだけ」
美味しさに負けて、芹奈はグイッとワインを飲み干す。
「そうだ、気になってたんだ。社長が君の名前を呼ぶこと。あれは俺から言ってやめさせるから」
前菜を食べながら翔が切り出し、芹奈は、ん?と首をひねった。
「あの、何のお話でしょうか?」
「だから社長の君の呼び方だよ。いくら海外生活の長い俺でも、さすがにあれはない。愛人だと思われないかと、ヒヤヒヤした。君だっていつも気分悪かっただろ?ごめん。社長に直接言いづらいことがあったら、今後は俺に言ってくれたらいいから」
何の事かとますます首を傾げてから、あ!と芹奈は思い当たった。
「副社長。もしかして私の名前、勘違いされてませんか?」
は?と、今度は翔が手を止めて芹奈に首をひねった。
「勘違いって?」
「私、名字は里見といいます」
「は?え?さとみって、名字?」
「はい。よく下の名前だと勘違いされるので、もしかして副社長もそうかと思いまして」
ポカンとしてから、翔はようやく納得する。
「そうだったんだ。うん、てっきり俺、社長は君を下の名前で呼んでるんだとばかり……」
「そうですよね。社長も時々『里見くんは名字ですよ』って、お仕事でお会いする方に説明されてます」
「はは!そうだろうな。セクハラかと思われたら困るしな」
「そうなんです。私も社長がそんなふうに誤解されては心苦しいので、敢えて自分から先方に自己紹介するようにしています。私、副社長とは個人的にお会いするのは今日が初めてで、きちんとご挨拶しないままパーティーであんなことになってしまい、申し訳ありませんでした」
そう言って芹奈は、改めて翔に名刺を差し出した。
「申し遅れました。わたくし、昨年の4月に社長の第二秘書となりまして、今月からは第一秘書をしております里見 芹奈と申します」
「里見 芹奈さんか。なるほど……。勘違いしてすまなかった。俺もこれからは、里見さんと呼べばいいかな?」
「はい。社内では、里見は名字だと認識されておりますので」
「分かった。けど取引先の人の前では呼びづらいな」
「でしたら、おいちょっと、とかで構いません」
「いやいやいや。そんな昭和のオヤジみたいなことするかよ?これでも一応、海外生活は長かったんだ。女性をないがしろにはしない。まあでも俺、口は悪いよな。そこは自覚してる。ごめん」
すまなそうに目を伏せる翔に、芹奈は意外に思いつつ首を振る。
「いえ、そんな。副社長は海外でも手腕を振るわれて、アジアや欧米に支社を次々と立ち上げたすごい方ですから。10年間ずっと、最前線で厳しい状況を切り拓いてこられたのでしょう?生半可な気持ちではやっていけませんし、シビアな口調になって当然ですから」
そう言って綺麗な所作でナイフとフォークを使う芹奈を、翔はまじまじと見つめた。
「美味しい!このソース、どうやって作るんだろう?バジルとバルサミコと、お醤油も少し入ってる?フレンチだからそんな訳ないかな」
ひとりごちてから、芹奈は翔の視線に気づいて顔を上げる。
「えっ、どうかしましたか?副社長」
「あ、いや。なんか、日本の女性ってこうなのかなと思って」
「こうなのか、とは?」
「いや、その。大人しそうに見えて、たくましそうというか……。か弱そうで強そう、みたいな」
は?と芹奈は目をしばたたかせた。
「それって、私の印象ですか?どういうことですか?」
「いやだから、欧米の女性に比べたら、控えめでおしとやかに見えたんだよ。けど全然違ったなって」
「はいー!?副社長、女性をないがしろにしないジェントルマンなはずですよね?けんか売ってますか?日本女性、怒らせると怖いですよ?」
「うっ……、なんかヒシヒシと伝わってくる。ごめん、悪かった」
「分かれば結構です」
ツンと顎を上げてみせてから、芹奈はまた笑顔に戻って食事の手を進めた。
◇
食事のコーヒーをソファで飲みながら、再び取引先の補足説明をしていると、時刻は23時になっていた。
「副社長、ごちそうさまでした。本当に美味しかったです。ありがとうございました」
そろそろ帰ろうと、芹奈は翔に礼を言って頭を下げる。
「いや、こちらこそ。仕事の話につき合ってくれてありがとう」
その時、翔のスマートフォンが鳴り出した。
「ごめん、ちょっと失礼」
「どうぞ、お構いなく」
翔はスマートフォンを手に立ち上がると、窓際まで行き電話に応答する。
「Hello? ……This is he.」
キリッとした表情で流暢な英語を話す翔を、芹奈はぼんやりと見つめた。
(きっとまだ海外での仕事のやり取りが残ってるんだろうな。時差もあるから大変そう。それにしても綺麗な英語)
スラックスのポケットに左手を少し入れ、窓の外の夜景を見ながら真剣に話している立ち姿は、凛々しくて美しい。
(なんだろう?醸し出す雰囲気が日本人離れしてるよね。外国人にも引けを取らない、自信とオーラに溢れている感じ。それに背も高いし、顔もかっこいいのかも?)
今までよく見ていなかったが、改めて見ると彫りの深い顔立ちとシャープなフェイスライン、切れ長の目とスッと通った鼻筋でなかなかのイケメンだった。
(あー、そう言えば秘書室の女子達もそんな話で盛り上がってたな。帰国してきた副社長がかっこいいって)
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