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日本の女性って
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翌日。
社長と副社長の打ち合わせに、芹奈は村尾と同席していた。
「これが現在、用地の取得を考えている湾岸エリアです」
翔の言葉に合わせて、村尾が資料を社長に差し出す。
「様々な調査を行ったところ、オフィスビルではなく、住宅マンションが向いているのではないかと考えます。海を見渡せる立地を活かし、豊かな自然に囲まれた住まいをテーマに、環境にも配慮した機能を備えます。また利便性も考え、スーパーマーケットやクリニック、ショッピングモールも含めた大型複合施設を建設してはどうかと」
黙って聞いていた社長は、資料をじっくり読んでから顔を上げた。
「このエリアは、他にも多くのデベロッパーが狙っている。単にお金を積めば手に入る訳ではないぞ?」
「承知しています。近隣住民や行政とも関係を築きながら、街全体の魅力向上に繋がることを地権者にプレゼンし、強い信頼関係を構築していく考えです」
うむ、と社長は難しい顔で頷く。
「方針としては概ね賛成だ。だがお前は海外から帰国したばかりで、現在の日本の事情には詳しくない。そこが懸念事項だ。どんな間取りでどんな共用施設の住まいがいいのか?ショッピングモールでは、どんなお店が人気なのか?環境に優しい設計とは、具体的に今の日本の技術でどんなことが出来るのか?お前はそれを肌で感じる必要がある」
「おっしゃる通りです。それをこれからじっくり調査し、人々のニーズに合わせたプランを練っていく所存です。まずはあちこちの大型ショッピングモールと、そこに隣接するマンションを見て回ろうかと。村尾と一緒に現地に足を運びます」
「そうだな、まずはそこからだ」
そして社長は、ふいに後ろに控えていた芹奈を振り返った。
「里見くんも一緒に行ってやってくれるかい?」
「は?わたくしも、でしょうか?」
「ああ。女性目線での意見が欲しいんだ。住みやすさやショッピングに関しては、やはり男性より女性の考えが重視されるからね」
「かしこまりました。お力になれるよう、精一杯努めます。わたくしが不在中の社長の秘書業務は、別の者に担当させてもよろしいでしょうか?」
「もちろん。人選は任せる」
「承知いたしました」
そうして翌週からしばらくの間、芹奈は翔や村尾と行動を共にすることになった。
◇
月曜日になり、芹奈は朝の秘書業務を終えると、社長に挨拶してからエントランスに下りた。
副社長と合流し、村尾が運転する車に乗り込んで早速調査に行く。
「えっと、まずは立地が似ている横浜みなとみらいエリアから回ろうか」
みなとみらいへは高速道路を使い、30分程で到着した。
「うわー、海が綺麗ですね」
気持ち良く晴れ渡った青空と目の前に広がる海は開放感に溢れ、芹奈は大きく深呼吸する。
「公園も広くて気持ちいいな。あそこにいくつか見えるのがマンションで、あっちは病院。隣にはショッピングモールと美術館、観覧車がある遊園地と、ホテルやコンサートホール」
手元の地図を見ながら、翔が指差す。
「すごいですね。このエリアにそんなにたくさん?」
「改めて見ると確かにすごいな。見て回るのは一日がかりになりそうだ。早速行こうか」
「はい」
頷いて、芹奈と村尾は翔のあとをついて行く。
まずはマンションのあるエリアからスタートして、ショッピングモールへと向かった。
「道路も区画整理されていて、歩きやすいですね。朝のジョギングにも良さそう」
「おっ、するんだ?ジョギング」
「いえ、私はしませんけど」
芹奈が真顔で答えると、翔はガクッと肩を落とす。
「ベビーカーでのお散歩にもいいですね。わあ、あっという間に美術館!なんて素敵なの」
「好きなのか?絵画」
「いえ、建物の雰囲気が好きなだけです」
またもやコケッとなってから、翔は眉根を寄せて村尾に尋ねた。
「日本の女性って、みんなこんな感じなのか?」
「こんな感じ、とは?」
「なんかこう、子どもみたいにいちいち感激するというか」
「うーん、どうでしょう?私も女性に関して多くは語れませんが、彼女は一緒にいて楽しい人だと思います。あくまで私の感じ方ですが……。外国の女性とは違いますか?」
「うん。俺の知ってる欧米の女性は、もっとクールで淡々としてるかな。明るく盛り上がることはあっても、あんなふうに目をキラキラさせたりはしない」
そして二人で芹奈に目をやる。
「里見は、プライベートも顧みずに、ずっと仕事一筋でここまで来ました。ようやく最近肩の力を抜いて、周りに目が行くようになったところだと思います。だから余計に感激するのかもしれないですね。こんなふうに街に出掛けるのも、久しぶりでしょうから」
芹奈を見つめたまま穏やかに話す村尾を、翔はまじまじと見つめた。
「ひょっとして二人、つき合ってるのか?」
「いえ、違います。同期なので仲がいいだけです。お互い仕事を覚えるのに必死で、これまでずっと恋愛はご無沙汰でしたね」
「そうなのか。俺からすると、その雰囲気ならつき合ってるようにしか見えないけどな。随分奥手というか、真面目なんだな」
「え、副社長。一体これまで、どんな恋愛遍歴を?」
村尾が思わず尋ねると、翔は、うーん……と腕を組む。
「日本にいた時は、俺も確かに今より純情だったよ。けど海外に行ってからは違うかな。その場の雰囲気というか、フィーリングでどうにでもなる。で、関係を持ってから、じゃあ正式につき合おうか、みたいな。相性とかもあるしな」
ふ、副社長!?と村尾は仰け反り、誰かに聞かれなかったかとキョロキョロする。
「あの、ちょっと、色々申し上げたいのですが、とにかくここは日本ですので!そのような武勇伝はTPOを考慮してご披露ください。それと里見には刺激の強いお話なので、内密に」
「分かってるよ。それに俺、片っ端から手をつけてた訳じゃないぞ?周りはそんな感じだったけど、俺自身は自制してた。10年間で関係を持ったのは二人だけだ。な?奥手だろ?」
「いやいや、あのあの。そんな赤裸々にこんな真っ昼間の路上でお話される内容では……」
その時、周囲の街並みや美術館の外観を写真に収めていた芹奈が、二人の元に戻って来た。
「この辺りはだいたい撮れました。移動しますか?」
「そうだな」
歩き出した翔に、この話題はもう終わりですよ、とばかりに村尾は真剣な表情で訴えていた。
◇
「最近出来たこのホテル、シンガポールの有名な高級ホテルですよね?日本に初めて進出したって、少し前に話題になってました。外観のデザインも素敵ですね。このエリア一帯の群造形というか、雰囲気を壊さず、かつ存在感ある造形美で」
オリエンタルな雰囲気ながらも主張し過ぎないホテルの外観を見上げて、芹奈がうっとりと呟く。
「そうだな。既存の街並みに違和感なく溶け込んで、自然にも調和する。近隣住民も、これなら反対しなかっただろう。中に入ってみるか」
「はい」
三人でエントランスに足を踏み入れると、吹き抜けのロビーの中央にある、大きな南国の木が目に飛び込んできた。
鮮やかな花もあちこちに飾られている。
「わあ、なんだか都会の喧騒を忘れさせてくれますね。華やかだし、リゾート感もあって」
「そうだな。シンガポールのホテルのコンセプトも受け継いでるみたいだ。あ、そう言えば……」
そう言って翔はしばし考え込む。
「どうかなさいましたか?副社長」
「ああ。シンガポールに支社を立ち上げた時、現地のこのホテルの支配人とも一緒に仕事をしたんだ。彼、その時、近々日本に異動になるって話しててさ。もしかして今いるかも?」
試しに聞いてみる、と言ってフロントデスクに向かった翔がスタッフと手短に話すと、奥からスーツ姿の外国人スタッフがにこやかに現れた。
「ワオ!ハイ、ショウ」
「ハイ!ダグラス」
二人はハグをしながら、破顔して再会を喜ぶ。
感激の面持ちでしばらく話したあと、翔は芹奈と村尾をダグラスに紹介した。
ダグラスは笑顔で芹奈に握手を求める。
「ハイ!セリーナ。アイム ダグラス」
初めましてと芹奈と握手をすると、ダグラスは次に村尾に手を差し出した。
「ハイ!ムラーオ」
「ム、ムラーオ?なんか、ムラムラ男のムラ男みたいだな」
握手に応じながら呟く村尾に、芹奈は思わず吹き出しそうになる。
「悪い。村尾の下の名前、忘れちゃってさ」
そう言いつつ翔も笑いを堪えていた。
もう一度翔と話をすると、ダグラスは、バーイ!と笑顔で去っていく。
「突然のことでお相手は出来ないけど、ぜひ食事していってくれって、ダグラスが」
「えっ、よろしいのでしょうか?」
「うん、大丈夫だ。ダグラスとはシンガポールにいる時よく一緒に飲んでたから、気心は知れてる。今日はお言葉に甘えよう。後日俺から改めて、ダグラスを食事に招待するよ」
そして三人は、最上階のバーラウンジに向かった。
◇
「すごいですね。なんてゴージャスな雰囲気……」
案内されて店内に入ると、芹奈は思わず感嘆のため息をついた。
ゆったりとした空間に、緩やかなカーブを描くように配置された高級ソファ。
天井から下りている柔らかな布が生み出すドレープは美しく、まるでどこかの国の宮殿を思わせる。
燦然と輝くシャンデリアもさることながら、何よりも目を引くのは窓の外に広がる景色だった。
「空にも近いし、海にも近くて、素敵……」
うっとりと景色に魅入る芹奈の横顔に、気づけば翔は目が離せなくなっていた。
(なんだろう?女性ってこんな表情するんだ。少し儚げで、でも美しくて。控えめなのに思わず見惚れてしまう)
パッと分かりやすく感情を表現する外国の女性に慣れているせいか、翔の目には芹奈が特別な魅力を持つ女性に見える。
「なあ、村尾。日本の女の子ってやっぱり……」
小声で話しかけると、村尾は険しい表情で小さく首を振る。
「副社長。武勇伝はお控えください」
「なんだよ!?武勇伝って。俺は別に……」
すると芹奈が、ん?と二人を振り返った。
「どうかしましたか?」
「いや、何もない。芹奈、ほらドリンクメニュー」
「ありがとう」
村尾から受け取ったメニューを真剣に見ている芹奈の横で、村尾はもう一度翔に目で訴えていた。
◇
ダグラスが話をしておいてくれたらしく、ドリンクだけオーダーすると、あとはお任せで次々と料理が運ばれてきた。
「わあ!これって特別なコースですよね?メニューには軽食しか載ってなかったですから」
バーラウンジだというのに、並べられたのはフレンチフルコースのような品々。
手の込んだ前菜やジューシーなステーキに、芹奈は幸せそうな笑みを浮かべる。
「はあ、美味しい……」
うっとりした口調に、翔が顔を上げた。
「ほんとにしみじみ呟くよな。しかもとろけそうな顔して。俺の知ってる欧米女性は、もっとこう……」
副社長!と、村尾が慌てて止める。
「大丈夫だってば。あの話はしないから、心配するな」
すると芹奈が首を傾げた。
「あの話というのは?」
「いや、だからな。俺、海外生活が長くてすっかりあっちの風習に慣れちゃったんだよ。特に女性の……」
副社長!!と、またしても村尾が遮る。
「だから、お前の言う武勇伝は語らないってば!」
「武勇伝、とおっしゃいますと?」と再度尋ねてくる芹奈に、「武勇伝っていうのは……」と翔が口を開き、「副社長!」と村尾がかぶせる。
この流れをそのあとも3回繰り返した。
「こちらはクレープシュゼットと、当ラウンジおすすめのフレッシュメロンクリームソーダでございます」
食後のデザートが運ばれてくると、芹奈は身を乗り出してじっくり眺める。
「なんて綺麗。このクレープシュゼット、もはや芸術ですね。それにこのクリームソーダ!メロンの果肉入りですよ?こんなの初めて」
目を輝かせて感激する芹奈に翔が口を開こうとした瞬間、村尾がジロリと圧をかけた。
仕方なく翔は口をつぐむ。
(でも新鮮だわ、こんなに何でも喜んでくれるなんて。もっともっと喜ばせたくなるな。どんなところに連れて行ったらいいだろう?)
女性とは、高級レストランに連れて行ってブランドもののジュエリーをプレゼントするのが当然だと思ってきたが、おそらく彼女は違う。
きっと綺麗な景色や、日常のささやかな出来事にも喜んでくれるのではないだろうか?
そう思うと、翔はますます芹奈に興味を惹かれていた。
社長と副社長の打ち合わせに、芹奈は村尾と同席していた。
「これが現在、用地の取得を考えている湾岸エリアです」
翔の言葉に合わせて、村尾が資料を社長に差し出す。
「様々な調査を行ったところ、オフィスビルではなく、住宅マンションが向いているのではないかと考えます。海を見渡せる立地を活かし、豊かな自然に囲まれた住まいをテーマに、環境にも配慮した機能を備えます。また利便性も考え、スーパーマーケットやクリニック、ショッピングモールも含めた大型複合施設を建設してはどうかと」
黙って聞いていた社長は、資料をじっくり読んでから顔を上げた。
「このエリアは、他にも多くのデベロッパーが狙っている。単にお金を積めば手に入る訳ではないぞ?」
「承知しています。近隣住民や行政とも関係を築きながら、街全体の魅力向上に繋がることを地権者にプレゼンし、強い信頼関係を構築していく考えです」
うむ、と社長は難しい顔で頷く。
「方針としては概ね賛成だ。だがお前は海外から帰国したばかりで、現在の日本の事情には詳しくない。そこが懸念事項だ。どんな間取りでどんな共用施設の住まいがいいのか?ショッピングモールでは、どんなお店が人気なのか?環境に優しい設計とは、具体的に今の日本の技術でどんなことが出来るのか?お前はそれを肌で感じる必要がある」
「おっしゃる通りです。それをこれからじっくり調査し、人々のニーズに合わせたプランを練っていく所存です。まずはあちこちの大型ショッピングモールと、そこに隣接するマンションを見て回ろうかと。村尾と一緒に現地に足を運びます」
「そうだな、まずはそこからだ」
そして社長は、ふいに後ろに控えていた芹奈を振り返った。
「里見くんも一緒に行ってやってくれるかい?」
「は?わたくしも、でしょうか?」
「ああ。女性目線での意見が欲しいんだ。住みやすさやショッピングに関しては、やはり男性より女性の考えが重視されるからね」
「かしこまりました。お力になれるよう、精一杯努めます。わたくしが不在中の社長の秘書業務は、別の者に担当させてもよろしいでしょうか?」
「もちろん。人選は任せる」
「承知いたしました」
そうして翌週からしばらくの間、芹奈は翔や村尾と行動を共にすることになった。
◇
月曜日になり、芹奈は朝の秘書業務を終えると、社長に挨拶してからエントランスに下りた。
副社長と合流し、村尾が運転する車に乗り込んで早速調査に行く。
「えっと、まずは立地が似ている横浜みなとみらいエリアから回ろうか」
みなとみらいへは高速道路を使い、30分程で到着した。
「うわー、海が綺麗ですね」
気持ち良く晴れ渡った青空と目の前に広がる海は開放感に溢れ、芹奈は大きく深呼吸する。
「公園も広くて気持ちいいな。あそこにいくつか見えるのがマンションで、あっちは病院。隣にはショッピングモールと美術館、観覧車がある遊園地と、ホテルやコンサートホール」
手元の地図を見ながら、翔が指差す。
「すごいですね。このエリアにそんなにたくさん?」
「改めて見ると確かにすごいな。見て回るのは一日がかりになりそうだ。早速行こうか」
「はい」
頷いて、芹奈と村尾は翔のあとをついて行く。
まずはマンションのあるエリアからスタートして、ショッピングモールへと向かった。
「道路も区画整理されていて、歩きやすいですね。朝のジョギングにも良さそう」
「おっ、するんだ?ジョギング」
「いえ、私はしませんけど」
芹奈が真顔で答えると、翔はガクッと肩を落とす。
「ベビーカーでのお散歩にもいいですね。わあ、あっという間に美術館!なんて素敵なの」
「好きなのか?絵画」
「いえ、建物の雰囲気が好きなだけです」
またもやコケッとなってから、翔は眉根を寄せて村尾に尋ねた。
「日本の女性って、みんなこんな感じなのか?」
「こんな感じ、とは?」
「なんかこう、子どもみたいにいちいち感激するというか」
「うーん、どうでしょう?私も女性に関して多くは語れませんが、彼女は一緒にいて楽しい人だと思います。あくまで私の感じ方ですが……。外国の女性とは違いますか?」
「うん。俺の知ってる欧米の女性は、もっとクールで淡々としてるかな。明るく盛り上がることはあっても、あんなふうに目をキラキラさせたりはしない」
そして二人で芹奈に目をやる。
「里見は、プライベートも顧みずに、ずっと仕事一筋でここまで来ました。ようやく最近肩の力を抜いて、周りに目が行くようになったところだと思います。だから余計に感激するのかもしれないですね。こんなふうに街に出掛けるのも、久しぶりでしょうから」
芹奈を見つめたまま穏やかに話す村尾を、翔はまじまじと見つめた。
「ひょっとして二人、つき合ってるのか?」
「いえ、違います。同期なので仲がいいだけです。お互い仕事を覚えるのに必死で、これまでずっと恋愛はご無沙汰でしたね」
「そうなのか。俺からすると、その雰囲気ならつき合ってるようにしか見えないけどな。随分奥手というか、真面目なんだな」
「え、副社長。一体これまで、どんな恋愛遍歴を?」
村尾が思わず尋ねると、翔は、うーん……と腕を組む。
「日本にいた時は、俺も確かに今より純情だったよ。けど海外に行ってからは違うかな。その場の雰囲気というか、フィーリングでどうにでもなる。で、関係を持ってから、じゃあ正式につき合おうか、みたいな。相性とかもあるしな」
ふ、副社長!?と村尾は仰け反り、誰かに聞かれなかったかとキョロキョロする。
「あの、ちょっと、色々申し上げたいのですが、とにかくここは日本ですので!そのような武勇伝はTPOを考慮してご披露ください。それと里見には刺激の強いお話なので、内密に」
「分かってるよ。それに俺、片っ端から手をつけてた訳じゃないぞ?周りはそんな感じだったけど、俺自身は自制してた。10年間で関係を持ったのは二人だけだ。な?奥手だろ?」
「いやいや、あのあの。そんな赤裸々にこんな真っ昼間の路上でお話される内容では……」
その時、周囲の街並みや美術館の外観を写真に収めていた芹奈が、二人の元に戻って来た。
「この辺りはだいたい撮れました。移動しますか?」
「そうだな」
歩き出した翔に、この話題はもう終わりですよ、とばかりに村尾は真剣な表情で訴えていた。
◇
「最近出来たこのホテル、シンガポールの有名な高級ホテルですよね?日本に初めて進出したって、少し前に話題になってました。外観のデザインも素敵ですね。このエリア一帯の群造形というか、雰囲気を壊さず、かつ存在感ある造形美で」
オリエンタルな雰囲気ながらも主張し過ぎないホテルの外観を見上げて、芹奈がうっとりと呟く。
「そうだな。既存の街並みに違和感なく溶け込んで、自然にも調和する。近隣住民も、これなら反対しなかっただろう。中に入ってみるか」
「はい」
三人でエントランスに足を踏み入れると、吹き抜けのロビーの中央にある、大きな南国の木が目に飛び込んできた。
鮮やかな花もあちこちに飾られている。
「わあ、なんだか都会の喧騒を忘れさせてくれますね。華やかだし、リゾート感もあって」
「そうだな。シンガポールのホテルのコンセプトも受け継いでるみたいだ。あ、そう言えば……」
そう言って翔はしばし考え込む。
「どうかなさいましたか?副社長」
「ああ。シンガポールに支社を立ち上げた時、現地のこのホテルの支配人とも一緒に仕事をしたんだ。彼、その時、近々日本に異動になるって話しててさ。もしかして今いるかも?」
試しに聞いてみる、と言ってフロントデスクに向かった翔がスタッフと手短に話すと、奥からスーツ姿の外国人スタッフがにこやかに現れた。
「ワオ!ハイ、ショウ」
「ハイ!ダグラス」
二人はハグをしながら、破顔して再会を喜ぶ。
感激の面持ちでしばらく話したあと、翔は芹奈と村尾をダグラスに紹介した。
ダグラスは笑顔で芹奈に握手を求める。
「ハイ!セリーナ。アイム ダグラス」
初めましてと芹奈と握手をすると、ダグラスは次に村尾に手を差し出した。
「ハイ!ムラーオ」
「ム、ムラーオ?なんか、ムラムラ男のムラ男みたいだな」
握手に応じながら呟く村尾に、芹奈は思わず吹き出しそうになる。
「悪い。村尾の下の名前、忘れちゃってさ」
そう言いつつ翔も笑いを堪えていた。
もう一度翔と話をすると、ダグラスは、バーイ!と笑顔で去っていく。
「突然のことでお相手は出来ないけど、ぜひ食事していってくれって、ダグラスが」
「えっ、よろしいのでしょうか?」
「うん、大丈夫だ。ダグラスとはシンガポールにいる時よく一緒に飲んでたから、気心は知れてる。今日はお言葉に甘えよう。後日俺から改めて、ダグラスを食事に招待するよ」
そして三人は、最上階のバーラウンジに向かった。
◇
「すごいですね。なんてゴージャスな雰囲気……」
案内されて店内に入ると、芹奈は思わず感嘆のため息をついた。
ゆったりとした空間に、緩やかなカーブを描くように配置された高級ソファ。
天井から下りている柔らかな布が生み出すドレープは美しく、まるでどこかの国の宮殿を思わせる。
燦然と輝くシャンデリアもさることながら、何よりも目を引くのは窓の外に広がる景色だった。
「空にも近いし、海にも近くて、素敵……」
うっとりと景色に魅入る芹奈の横顔に、気づけば翔は目が離せなくなっていた。
(なんだろう?女性ってこんな表情するんだ。少し儚げで、でも美しくて。控えめなのに思わず見惚れてしまう)
パッと分かりやすく感情を表現する外国の女性に慣れているせいか、翔の目には芹奈が特別な魅力を持つ女性に見える。
「なあ、村尾。日本の女の子ってやっぱり……」
小声で話しかけると、村尾は険しい表情で小さく首を振る。
「副社長。武勇伝はお控えください」
「なんだよ!?武勇伝って。俺は別に……」
すると芹奈が、ん?と二人を振り返った。
「どうかしましたか?」
「いや、何もない。芹奈、ほらドリンクメニュー」
「ありがとう」
村尾から受け取ったメニューを真剣に見ている芹奈の横で、村尾はもう一度翔に目で訴えていた。
◇
ダグラスが話をしておいてくれたらしく、ドリンクだけオーダーすると、あとはお任せで次々と料理が運ばれてきた。
「わあ!これって特別なコースですよね?メニューには軽食しか載ってなかったですから」
バーラウンジだというのに、並べられたのはフレンチフルコースのような品々。
手の込んだ前菜やジューシーなステーキに、芹奈は幸せそうな笑みを浮かべる。
「はあ、美味しい……」
うっとりした口調に、翔が顔を上げた。
「ほんとにしみじみ呟くよな。しかもとろけそうな顔して。俺の知ってる欧米女性は、もっとこう……」
副社長!と、村尾が慌てて止める。
「大丈夫だってば。あの話はしないから、心配するな」
すると芹奈が首を傾げた。
「あの話というのは?」
「いや、だからな。俺、海外生活が長くてすっかりあっちの風習に慣れちゃったんだよ。特に女性の……」
副社長!!と、またしても村尾が遮る。
「だから、お前の言う武勇伝は語らないってば!」
「武勇伝、とおっしゃいますと?」と再度尋ねてくる芹奈に、「武勇伝っていうのは……」と翔が口を開き、「副社長!」と村尾がかぶせる。
この流れをそのあとも3回繰り返した。
「こちらはクレープシュゼットと、当ラウンジおすすめのフレッシュメロンクリームソーダでございます」
食後のデザートが運ばれてくると、芹奈は身を乗り出してじっくり眺める。
「なんて綺麗。このクレープシュゼット、もはや芸術ですね。それにこのクリームソーダ!メロンの果肉入りですよ?こんなの初めて」
目を輝かせて感激する芹奈に翔が口を開こうとした瞬間、村尾がジロリと圧をかけた。
仕方なく翔は口をつぐむ。
(でも新鮮だわ、こんなに何でも喜んでくれるなんて。もっともっと喜ばせたくなるな。どんなところに連れて行ったらいいだろう?)
女性とは、高級レストランに連れて行ってブランドもののジュエリーをプレゼントするのが当然だと思ってきたが、おそらく彼女は違う。
きっと綺麗な景色や、日常のささやかな出来事にも喜んでくれるのではないだろうか?
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