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13. 国境
しおりを挟むゲルント駐屯地の奪還は一晩で成功に終わったが、帝国軍の精鋭部隊は四人の死亡者と十五人の怪我人という犠牲を出した。怪我人のなかにはイグナーツも含まれていた。
イグナーツが負った腹から胸にかけての傷は、本人の思った通りに浅かったが大きいもので、包帯を巻いて安静にと中央から駆けつけた軍医に言われた。包帯を巻いて終わりかと思いきや、イグナーツは駐屯地内にある病室のベッドに割り当てられ、許可が出るまで寝ていなければならなくなった。イグナーツとしては自分以外の怪我人はもっと深い傷を負った者ばかりなので居心地が悪く、早くベッドから出たかった。
あの晩から二日後。
イグナーツはベッドの上で上半身を起こして、ぺちゃくちゃ話すデニスの話を聞いていた。
「……そんでやっと死体運びは終わってよ、隊員のは今頃帝都だ。ジーク族の死体の方は、結局国境沿いに埋めちまった。で、捕虜の奴らはほかのジーク族に引き取ってもらうことになって、明日よその集落から来ることになってる。けど表門は直さなきゃなんないし、シュルツ少将はまだ意識が戻ってねえし、皇帝からの指示も来ねえし、いろいろとてんてこまいってわけだ」
イグナーツは聞きながら「そうか」と目を細めた。
「ジーク族の方は……生き残ったのは何人だ」
「捕虜の連中か? ええと、八人くれえだったかな。悪いようにはしてねえけど、牢屋に入ってるぜ。ディーボルト中尉が四六時中はりついてるから誰も逃げられねえ」
向こうもこちらも犠牲が大きかったなとイグナーツは思った。そうなると事後処理が大変なはずだ。
「めんどうな後始末は、みんなA班に任せちゃってるってことか」
イグナーツが呟くと、デニスが「まあ仕方ねえさ」と肩をすくめた。
「ほんとに動かなきゃならなかったときに、何もできなかったからな。B班にだけ負担を背負わせちまったから、誰も文句は言ってねえよ」
デニスはわずかに顔を暗くさせて悔しそうにそう言った。あの戦いで犠牲になった隊員のことを思っているのだろう。戦いの後、デニスはいつもこういう顔をする。
イグナーツは少しだけ友人を見つめていたが、声色をわざと明るくして「でもさ」と言った。
「ランクル少佐とリール二等兵はB班だけど今でもあちこちで動いてるんだろ。俺もこんな浅い傷だし、ベッドから出て手伝わないと……」
イグナーツが言いかけたのに、デニスは「おいおい!」と遮った。
「あの人は人間じゃねえんだぞ、自分と一緒に考えんな。B班で唯一怪我しなかったのは、お前を連れ出したリールってやつと少佐だけだ。リールは任務で走り回ってただけだから怪我しないのはわかるけどよ、少佐は大男の族長相手に戦ってたのに怪我一つしなかったんだぜ。あんなのもはや……」
「もはや、なんですか」
突然背後から声がして、デニスは飛び上がった。恐る恐る振り返ると、話題に上がっていた上官が後ろで薄い笑みを浮かべて立っていた。
「ラ、ラララ、ランクル少佐っ!」
恐怖に顔を歪ませたデニスは膝を腕をがくがくさせながらもどうにか敬礼した。
「ロルム軍曹はいつも元気ですねえ」
ランクル少佐がデニスに微笑みを向けてきたのに肝を冷やしながら、哀れな青年は一生懸命に口を動かした。
「こここここんなところにいらっしゃるとは思いもしませんでっ! い、今のは戯言とお思いください!」
「おや、そうですか。あなたの表現はなかなかおもしろいので好きなんですがね。ちなみにリール二等兵は走り回っていただけではありません。十分戦っていましたよ、それはこちらのトット准尉がよくご存じです。確かに彼は持ち場を離れましたがね……さてトット准尉、見舞うのが遅くなってしまって申し訳ありません。怪我の具合はいかがですか」
ランクル少佐は前半はデニスに言ってから、後半はイグナーツの方を向いて少し心配そうな表情を浮かべた。
イグナーツは「わざわざ来てくださってありがとうございます」とぺこりと頭を下げた。
「俺は軽傷です。こんなのすぐに治りますよ……あの」
イグナーツは言った。
「少佐、リール二等兵は咎めないでください。持ち場を離れたのは俺が頼んだせいです。あのとき、A班の援護をしろと言ったのは俺なんです。リールは俺を一人にするのを躊躇っていました。この怪我は俺が油断したからです。ですから……!」
一生懸命訴えるイグナーツに、ランクル少佐は「はいはい、落ち着いてください」となだめるように言った。
「わかっていますよ。リール二等兵も実直な人間ですからね、あの時のことをすべて正直に話してくれました。彼は夜目がきく男だったでしょう?」
「え……あ、はい。ランプを持っていないのにすいすい進んでくれて、そのおかげで見張り台まで敵に見つかりませんでした。それに剣もとても強くて……」
ランクル少佐は頷いた。
「そうでしょう。今回は彼が大いに役立ってくれました。A班が自力で敷地内に入り込んだとはいえ、あの暗闇の中まっすぐ裏門に向かってくるのは、彼の案内なしでは無理でしたしね。それにB班の状況も彼らに簡潔に伝えてくれたと聞いています。もちろん咎めたりはしませんよ。あなたの判断にも感謝しています」
「そうですか」
それを聞いて、イグナーツはよかったと胸を撫で下ろしたが、ふと少佐の言葉が気にかかった。
「あの……今、A班はリールの援護なしに自力で敷地内に入ったと言いましたか? 閉じ込められてたんですよね?」
ランクル少佐の笑顔にすっと影が差した。
「ええ。表門は二重になっていて、分厚い板で囲まれたところにA班は閉じ込められていたらしいですね……何があったのかは、ロルム軍曹が直接見ていたのではありませんか。どうぞ、状況を教えてください」
イグナーツがデニスの方を見ると、彼は「え、は、はあ……見てました」と言いにくそうに少佐を見上げた。
「ええと、その……入り口には格子が降ろされて、前も後ろも横も囲まれた状態で、扉もなくて、壁は木の板で、暗闇に紛れるように炭で黒く塗ってありました。どこにも登れそうな場所もなくて、みんな立ち往生してました。そのうち前の方でドンッて音がしたからなんだろうって背伸びして見たら……リ、リッツ大佐が壁に体当たりしてました」
「……え?」
イグナーツは目を瞬かせた。
「まさか」
デニスは肩をすくめた。
「ああ、大佐が何回も壁に身体をぶつけて、そしたらメキッて音がして、穴が空いて壁が壊れた」
体当たりで壁を。イグナーツは目をぱちくりさせた。
ランクル少佐はため息を吐いてから言った。
「私もリール二等兵から話を聞いた時は耳を疑いました。まさにイノシシでしょう。おかげで裏門に現れたときのリッツ大佐は全身真っ黒でした……もちろん別に責めはしませんよ。一刻も早くこちらに合流しようと思ってくれたのですから、責めはしませんが……私はますますトット准尉のことが心配になりました。あの人があなたの義理の父親になるなんて」
ランクル少佐はイグナーツを案じるような表情を向けたが、イグナーツは「い、いや」首を振った。
「俺じゃなくて大佐の方でしょう、心配すべきなのは。あの人の身体は大丈夫だったんですか? 骨が折れたりは……」
「極めて頑丈なんですよ、彼は」
ランクル少佐は何てことはないとでも言うように肩をすくめた。
「寝たら治るんです、ほんとうに。どういう身体のつくりをしているのかわかりませんが、あの人はそういう理屈なんです。ロルム軍曹、人間でないのは私ではありません、彼ですからね。よく覚えておきなさい」
「は、はあ」
デニスは、何の話だと思いながらも頷き、イグナーツはくすりと笑みを漏らした。
ランクル少佐は話が逸れたことに気づき、「そんなことより」と咳ばらいをした。
「私は見舞いも兼ねてあなたにお礼を言いに来たのです」
「お礼?」
ランクル少佐は「ええ」と頷いた。
「もちろんあなたは任務を果たしただけかもしれませんがね。私としてはあのとき限界が近くて、非常にまずい状況でした。あなたが撃ってくれなければ私はここにいません。ほんとうにありがとう、よくやってくれました」
ランクル少佐が微笑んでそう言ったのに、イグナーツは驚いた表情を浮かべた。その後は、いつもであれば照れたように“お役に立てて光栄です”というのに、今日の彼は瞳を揺らして上官からすっと目を逸らした。
ランクル少佐は少しだけ様子が違う彼に、おやと思った。
そのとき、病室の入り口から「ロルム軍曹、やっぱりここでしたかっ!」と声がかかった。イグナーツのわきにいたデニスが「げっ」と顔を歪める。
やってきたのは事後処理のために動いているゲルント駐屯地の隊員だった。
「片付けにいつのまにかいなくなってるんでびっくりしましたよ! ほんとに逃げるのがうまいですね」
若い隊員は怒ったようにデニスの方にずんずん歩いてくると、彼の腕をぐっと掴んだ。
「な、なんでここだってわかったんだよ」
「ディーボルト中尉にお尋ねしたんです、そしたら間違いなくここだろうって……あ、ランクル少佐、御前を失礼いたします。トット准尉、どうぞお大事に。ほらほらロルム軍曹、行きますよ」
「ひええん、俺だって休みてえのに」
嘆きの声をあげながら、デニスは青年に引きずられていってしまった。
「なんだか……やっぱり申し訳ないです、俺は軽傷なのにこんなところで休んでるなんて」
友人の姿を見送りながらイグナーツが眉尻を下げて言うと、ランクル少佐は「そんなに大きな傷を負って、なにが軽傷ですか」とたしなめるように言った。
「確かに傷自体は浅かったようですが、出血がひどかったと聞いていますよ。それに怪我人は怪我人です。本調子になったらその分頑張っていただきますから安心なさい。帝都に帰るまで、やることはまだまだ山積みですから」
イグナーツは小さく笑みを浮かべて「はい」と言った。
しかしランクル少佐は、彼がまたわずかに曇った表情になったのにめざとく気づいた。
「トット准尉、気になることがあるのですか? なんだか元気がないようですが」
「そ、そんなことは……」
イグナーツは言いながら上官の気遣う顔を見て言葉を途切らせた。ランクル少佐にごまかしは効かないとわかっているからだ。
イグナーツは困ったように頭に手をやってから「ええとそれじゃ」と言った。
「一つお尋ねしてもよろしいでしょうか」
「はい、なんでしょう」
イグナーツは「あの」と躊躇いながら言った。
「……ジーク族の死体はみんな埋めたと聞きました。その、そこへはジーク族の人たちはそこへは入ることができるんでしょうか」
一体何を訊かれるかと思ったらそんなことですか。ランクル少佐は目を瞬かせてから頷いた。
「ええ。そのためにわざわざ国境沿いのところに穴を掘りましたからね。捕虜の受け渡しもなるべく穏便に済ませるつもりですよ、当初から皇帝陛下のご意向もありますし」
イグナーツは「そうですか」と言って頷いた。
それきり彼が何も言わないので、ランクル少佐は咳払いをして続けた。
「……実は最初、彼らの死体をどうするか少しもめました。従来の戦でしたら荒野に放置は当たり前ですが、今回は十一人と人数は少なめでしたし、駐屯地にそのままにするわけにもいきません。ジーク族に返すべきだとか皇帝の判断を仰ぐべきだとか、いくつか意見が出ました。ですが、悠長なことは言っていられません、死体はすぐに腐ってしまいますからね。やはり国境に埋めた方がいいだろうという結論に至ったのです」
ランクル少佐の話に、イグナーツは頷いただけで何も言わなかった。
ランクル少佐は目を細めて彼を見た。青年が何かを抱えていることは明らかだ。しかしこの様子では、無理に聞き出したところで解決できる話でもなさそうだと少佐は思った。
ランクル少佐は俯く部下の姿をしばらく眺めた後に「トット准尉」と呼びかけた。
「明日の夕方にはベッドから身体を動かせそうですか」
イグナーツは突然の質問にきょとんとしたが「え、はい……もちろん」と答える。
「傷ももうほとんど塞がっていますから、今だってなんでもできます。ただ、軍医がまだ安静にしてろって……」
「ベルンハルト先生ですね、彼には私から話を通しておきますーーですから、明日の捕虜の受け渡しのときにあなたも同席してください」
「え……捕虜の受け渡しに、ですか?」
「はい。ただ見守っているだけで結構です。もし捕虜たちに顔を見せたくない、行きたくないというのであれば無理にとは言いませんが」
ランクル少佐が微笑みながら提案したのに、イグナーツは迷いながらも頷いた。
**********
翌日の夕刻。
捕虜の受け渡しは、大平原の広がる国境沿いにつくられた新しい墓場の前で行われた。何かあったらと隊員たちは警戒体制のままで準備されたが、やってきたジーク族の者たちは老人や女性たちが多かった。彼らは一緒に荷車に小麦やら収穫物を乗せていた。捕虜との引き換えのためである。
ディーボルト中尉が彼らの前で声高に言った。
「以後一才武器を携帯したままで我が帝国軍の領地への侵入することを禁ずる。国境付近の墓への出入りは許可するが、駐屯地に用があるときはラデッツ国を通すように……」
仰々しい宣言が終わり、ジーク族の代表らしき老人と中尉が握手を交わすと、縄に繋がれたままの捕虜たちが彼らに引き渡された。
泣きながら捕虜たちを迎え入れる彼らの様子は、隊員たちの目には痛々しく映った。
「うう、あんた無事だったのかい……」
「もう、心配させて!」
「だからあれほどやめておけと言ったのに、この大馬鹿野郎!」
泣き声も喜ぶ声も罵る声、また隊員たちの知らない言語で話す声もあったが、皆が抱き合い、再会を喜んでいるようだった。
イグナーツはそんな様子を、少し離れたところからぼんやり眺めていたが、ジーク族の女性たちの中に、ふと見覚えのある顔を見つけてどきりとした。
あれは……あの人はもしや、“マリア”という人ではないだろうか。自分が戦った男が持っていたあの似顔絵が脳裏によみがえる。
彼女は捕虜の中の一人から何やら話を聞いていた。
イグナーツはあの兵士の訃報を聞いて彼女がわっと泣き出すのではないかと恐れていた。しかしマリアとおぼしき女性は、話を聞いた後は静かに目を閉じ、首を振った。そして捕虜の男に何かを言っているようだった。
一体何を話しているんだろうか。イグナーツは気になって一生懸命聞き耳を立てたが、周りの泣き声や話し声にかき消されて、彼女の声は何も聞こえなかった。それどころかイグナーツの知らない言語で話しているようで、唇からも会話は読み取れなかった。
最後にジーク族たちは、死んだ者たちが埋まっているすぐそばの墓に向かって祈りを捧げると、帝国軍の方をちらりとも見ずに集落の方へ帰っていった。
「よーし、我々も解散だ! 産物は倉庫に運んでくれ。休憩後にはまたそれぞれ持ち場に戻るようにな」
ディーボルト中尉が命じると、隊員たちはばらばらと駐屯地の方へ戻っていく。
しかしイグナーツは、足が地面に貼りついたかのように平原から動くことができなかった。ジーク族たちの小さくなっていく背中をいつまでも眺めていた。
「あのマリアという女性は結局泣きませんでしたね」
突然後ろから声をかけられたのに、イグナーツは肩をびくりとさせて振り返った。
「ラ、ランクル少佐っ!? え、な、なぜ、彼女のこと……」
少佐はにこりと笑うと「私も気になっていたんです」と言った。そしてイグナーツの隣にたたずむと、去っていくジーク族の方に視線をやった。
「彼らの死体に関しては私が担当させていただきましたからね、それぞれの持ち物を確認したのも私なのです。見張り台で死んだ兵士は、さっきそこにいた女性の絵を持っていましたね。名前はマリア、でしたか」
イグナーツは無表情のまま頷き、上官と同じ方向を向いた。
「その……似顔絵がポケットに入っていたのを俺が彼の手に持たせました。あの男は死ぬ前にマリアと呼んだんです。あのとき……あのときは彼は本気で俺を殺そうとしていた。俺が死ぬかもしれなかったんです、ほんとうに危ないところでした。それでその、俺がもし、逆の立場だったらと思うと……」
イグナーツは顔を歪めてぐっと拳を握りしめた。
「俺、彼を刺したことは悔いていません。そうしなければ、俺が殺されていましたから。でも俺は……俺はビアンカ嬢に会っちゃいけない気がしていたんです。俺があの男を殺したことで、彼は大切な人だったマリアって人に会えなくなった。だから俺が、ビアンカ嬢に会う資格なんてないんじゃないかって」
ランクル少佐は目を細めた。
「……なるほど。それで昨日は思い悩んでいる様子だったのですね」
イグナーツは無言のままこくりと頷いた。
あの襲撃の夜、倒れた男にも大事に思う人がいたと知った時、イグナーツは初めて良心の呵責を感じた。彼の命を奪ったことは後悔していない。それは間違いなかったが、彼がマリアという女性に会う機会を奪ったことには、なぜか罪の意識があった。
ランクル少佐は青年をちらっと見ると「それで」と続けた。
「先ほどの彼女の様子をみて、何か心境の変化はありましたか」
「わかりません」
イグナーツは困ったように下を向いた。
「マリアと言う女性を前にしても、どうするべきなのかわかりませんでした。言葉がわからないということもありましたが、きっと言葉がわかっても何も言えなかったと思います。ただ、俺は……」
イグナーツは顔を上げて西に沈みつつある太陽の方に目をやった。
「ひどく……無性にビアンカ嬢に会いたくなりました、一瞬でも早く。会って、俺が無事だということを知ってもらいたいと。その……こう思うのは間違っているのでしょうか」
イグナーツの言葉に、ランクル少佐はふっと笑って「間違っているだなんて言ったら、私はビアンカ嬢に顔向けできませんよ」と言った。
「そうですね……その考えが間違いかどうかを述べる前に、あなたが感じた罪の意識に関して言及させてくださいーー我々は、亡くなったジーク族の方々から大切な人に会う機会を奪っただけではありませんよ、彼らの命を奪ったのです。自分も彼らと同じようにと考えるのなら、我々は死をもって償わなければならない。しかしそれではこの帝国は崩壊するでしょう」
イグナーツははっとして隣の上官を見た。夕陽に照らされたランクル少佐の顔は、まるで古代の軍人をかたどった彫刻のようだった。
少佐は続けた。
「ご存じの通り、軍人とは業の深い生き物です。肯定される罪を背負って生きていくところまで我々の仕事ですからね。もちろん良い死に方ができるとはさらさら思っていません。ですが……これは疑問へのお答えに繋がりますが、大切な人に会いたいと望むのは当然ですから間違いではありませんよ。それに、その気持ちは彼女も同じです」
イグナーツは、少佐の声がいつになく厳しい声色になったのに、おやと思った。
「いいですか、トット准尉。ビアンカ嬢から見れば、ジーク族の兵士とマリアと言う女性のことなど知ったことではありません。あなたの帰りを今か今かと待っていることでしょう。自分だけの視野で、彼女に会う資格がないと判断することこそーー彼女の気持ちを考えないことこそ、間違っているのではないでしょうか」
イグナーツは瞳を揺らして少佐を見た。上官が厳しい口調になった理由を悟る。
ああそうか、俺は自分本意に考えていたんだ。
ビアンカ嬢に会わないようにすれば、あの兵士とマリアという女性を引き離した自分の罪の意識が消えると思った。でもそれは、自分のことしか考えていなかったからじゃないか。ビアンカ嬢に待っていてくれと頼んだのは自分なのに。
イグナーツはしばらく無言で項垂れていたが、やがて口を開いた。
「……お恥ずかしい限りです。ご指摘くださってありがとうございます、ランクル少佐。俺は未熟でした」
「とんでもありません」と部下に薄い笑みを向けた少佐は、もう厳しい口調ではなかった。
「なかなか難しいんですよ、大事な人ができるということはね。もうあなたも自分だけの命ではなくなったということです。あなたのその、敵味方関係なく真面目に接する姿勢は個人的には好きですが……」
少佐は再び平原に目をやった。
もうジーク族の姿はすっかり見えなくなっており、一面に広がる背の高い枯れ草が夕日に赤く照らされていた。
「あの、もうひとつわからないことが」
イグナーツが言った。
「国境の向こうだってこんなに広いのに、ジーク族たちはどうしてわざわざ帝国の駐屯地に来たんでしょうか」
ランクル少佐がふっと笑みを浮かべた。
「ジーク族であったなら、私も同じことをしたかもしれません」
「えっ」
イグナーツは驚いて再び上官の方を見た。少佐は細めた目で目の前の景色を見ながら言った。
「この平原に生えている草花は国境に関係なく種を飛ばし、根を張る。虫にも動物にも国境はありません。きっと死んでいったジーク族たちもそうだったのです……争う源を作っているのは、結局どちらなのでしょうね」
そう言ったランクル少佐の横顔は、憂いを帯びているように見えた。イグナーツはあまりじろじろ見てはいけない気がして、上官が向いている方に視線をやった。
夕日に染まった枯れ草が、風に撫でられてさやさやと音が鳴っていた。
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