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19 感動があふれるはずの日。
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まだまだお昼の三時。佐野さんの部屋に行って着替えをして。
またノーティーまで行くかな?
佐野さんの部屋に入るのにはまだまだ緊張が伴う。
まだまだ知らない場所、馴染まない場所。
静かな廊下を手をつないで歩き部屋に入る。
「シャワーシャワー。こっちだよ。」
手をつながれたままで私もついてきたけど。
手が離れると目の前で脱ぎ始める佐野さん。
私はリビングへとくるりと背を向けると。
「真奈さんは?いいの?」
「別にそれほど汗かいてません。手だけ洗わせてもらっていいですか?」
「まな、いいの?お姫様抱っこで寝室に招待するつもりだけど。」
近づいてきて囁かれた。
「夕飯はまだまだだし、お腹空かせなきゃ。」
「先に入ってるから、来てね。」
そう言って全部脱いでさっさとシャワーを浴びている。
抜け殻はバサッと洗濯機に放り込まれていた。
えっと、入るの?不透明のガラスにうっすらと映る肌色の影。
近づいて手を当てる。聞いてみよう、もう一回、ちゃんと。
考えてたらシャワーの音が止まり影が近づいてきた。
裸の体を見ないように視線をあげて見つめる。ちょっと困った顔をされた。
「ごめんね、じゃあリビングで待っててね。」
頭に手が置かれてすぐに離れる。
扉が閉まり影は離れて行った。湿った掌の後が髪に残った。
1人ポツンとたたずんでいる自分が寂しく思える。
さっきの佐野さんの顔を思い出す。
もっとちゃんと言って欲しいのに。
ドアを開けた。ガチャッと開いた音に気がついて佐野さんがシャワーの下でこちを見る。
動かない私を見てシャワーの音が止む。
「佐野さん、分かりにくいです。ちゃんと言ってください。」
だって一人で裸で入って何でって思われることほど恥ずかしいことはない。
おしゃべりして、ご飯食べて、またお喋りしただけの私はほとんど流す汗はない。
さっきと同じようにまた困った顔をされたけどこっちだって困る。
でも私は何故か怒ってる。
佐野さんにはあんなに怒ってないかと聞きながら、自分はよく怒ってる。
小さな不満がボンボンと佐野さんに向かって火を噴く。
「真奈さん、良かったらシャワー浴びて夕食までの時間を僕と一緒に過ごしませんか。さっきは見ないで欲しいと言った寝室です。初めての時は僕が連れて行くって決めてたんです。」
「待っててください。」
ドアを閉めて服を脱ぎ入る。体に心地いいお湯をかけられる。
自分はあんなに時間かけてたのに私はほんの少し。
急に止められたシャワー。
ドアが開いていったん出た佐野さんの手にはバスタオルが握られていて、ぼんやり立ち尽くす私の体を拭いてくれる。
佐野さんも自分の体を拭いてそのタオルを腰に巻く。
新しいタオルを持ってきて私は手渡されたそれを体に巻いた。
「髪の毛乾かすからちょっと待ってね。」
歯ブラシとハンドタオルを渡される。
大量の歯ブラシを見た。常に使い捨て派?
鏡の横にはコップと普通に歯ブラシ。そりゃそうだ。
私の部屋に置いてあるのも普通の歯ブラシだし。
さっさと髪を乾かして横に並んで歯磨きをする。
私は手渡された歯ブラシを見つめる。とりあえず袋から出して磨く。
「佐野さん使い捨て歯ブラシ集めるの好きなんですか?」
まさかそんな趣味が?
「本気で知りたい?」
「はい。」
理由が知りたい、分からないところは何でも知りたいから。
「そんな訳ないよ。一応仕事上のエチケットです。大体の場合バッグの中に歯ブラシとタオルと着替えは入ってるよ。歯ブラシは業務用。ホテルとかにあるでしょう?安くで買えるから。今日はうっかり磨くのを忘れたけどいつも磨いてるよ。」
「へえ。」
そうなんだ。
「いつ泊りに来ても大丈夫ですね。」
「・・・・そのつもりになってもらえるなら、ちゃんと専用のものを準備するから。」
手からタオルと歯ブラシを取り上げられて私の手を自分の首へ。びっくりしたけどそう言えばお姫様抱っこって。
そのまま明かりを消すように言われていくつかのスイッチを押しながら寝室と思われる部屋へ向かう。
首に鼻を寄せながら佐野さんの匂いを吸い込む。
見慣れない部屋の景色が揺れて遠ざかる。本当に広い部屋。
ここはどこなんだろう。
今まで想像していた佐野さんの部屋のイメージと違い過ぎて、不安になる。
こんなところに住んでるなんて。
ぎゅっと抱きついたときには既に寝室に入っていたらしい。
名前を呼ばれて目を開けた時は薄暗い部屋にいた。
そこも想像した通り広い部屋だった。
ゆっくり体の力を抜いて離れるとベッドに下ろされた。ふんわりと沈む体。
思わず手をついたけどそれが余計にバランスを崩しそうなくらいのクッションのよさ。
ベッドも大きかった。やっぱり知らない佐野さんの部分。
この部屋全体が私にはよそよそしくて。
「佐野さん、どうしてこんな広い部屋に住んでるんですか?」
「どうしてって、一応事務所みたいに使える様にと思ったし荷物も多いから。」
「でもベッドもこんなに大きい。」
「だっていつかは誰かと住むことになるから。その人に出会うのがこんなに遅くなるなんて思わなかった。だから初めて入る時は一緒に入りたいかった。結局事務所としても使ってないから最初のお客さんが真奈さんになったよ。ようこそ、僕の部屋へ。」
「だってこんな広い部屋に住んでるなんて知らなかった。」
「それは、誰も知らないよ。さっき言ったじゃない、ここに来たのは真奈さんが初めてだって。住んでる部屋の事は僕の情報の一部でしかないし、そんな特別なことだった?」
「だって、私のことは佐野さんが一番知ってる、佐野さんの事は皆がよく知ってるけど、私は分からない事ばっかり。佐野さんが分からない、さっきだってどうしたらいいのか分からなくて、さっさと一人でシャワー浴びて。」
「ごめん。そんな・・・・、ごめん。」
「ねえ、私がいつも佐野さんに怒ってばっかり、佐野さんは謝ってばっかり。なんで怒らないの?」
「何度も言うけど、どこを怒れって言うの?だって言わなかった僕が悪い、分かりにくい事しか言わなかった僕が悪い。だから謝るんだけど。それでいいんだよね?」
確かにそういうこと、そうなのよ。
はっきり言ってくれないのよ、いつも。・・・・だから。
「そう、そうだけど。でも怒らないの?私の事なんかめんどくさいって怒らないの?」
「怒らない。謝るよ。自分が悪かったと思ったら謝る。さっきだって分からないってちゃんと聞いてくれたでしょう?だからそうなんだって思ってもう一回説明した。そうしたら真奈さんが分かってくれた。ほらやっぱり僕の説明不足。悪かったのは僕。そうなるよね。反省します。」
「怒ってばっかりでごめんなさい。不安なの。まだ、ちょっとしか慣れなくて。佐野さんがいつもいてくることに。」
「最初にベンチで見た時はもっと大人に見えたのに、時々さやかちゃんと同じくらい子供っぽく思えることがあるよ。時々大胆過ぎるくらい大胆なのに、急に下を向いたりして。僕もまだ分からない。全然分からないし、知らない事はあるよ。でもちょっとづつ分かってくるととても面白いし、うれしいし、可愛いと思ってどんどん愛しく思えて。良平さんがね、奥さんの荷物をゆっくり整理してた時にすごい恨みのこもった手紙を見つけたんだって。自分では全くそんな気はなかったのにちょっとした一言が奥さんの恨みを買ってたって。何十年も秘密にしてた奥さんもすごいけど、気がつかない良平さんも平和だったよねって話をしたんだ。そんなもんだよ。一緒にいても分からないことはあるから。もしかしたら僕の嫌なところを見るかもしれないし、逆に惚れなおすようないいところを見るかもしれないよ。」
「佐野さんの嫌なとこなんて一個もない。」
「そんなにムキになるところが子供っぽくてかわいいよね。でもじゃあ何でこんな話になってるの?」
ん、それは・・・・佐野さんが分かりにくいって話で・・・????
「何でかな?」
「じゃあ、分からなかったらちゃんと聞くこと。」
「はい。」
「まな、したい?」
へっ?いきなりモードが変わる・・・・。
しかもこの場所と格好で否はないよね。
「教えて、ねえ。」
下唇だけ器用に挟んでキスをしてくる佐野さん。
「佐野さんは?」
こういう時は聞き返して佐野さんに言わせてやる。
「ねえ、佐野さんは、だってさっき見た時・・・すっかり・・・。」
「何?さっき何見た?すっかり何?」
しまった、調子に乗り過ぎたみたい。
「佐野さん。」
目を見たまま手を下ろしていく。大好きな胸も通り過ぎてお腹の下の方へ。
「したい。」
触れたところに手を当てる。
大きくてクッションの良いベッドは最高で、寝心地以外にも最高に気持ちいいことが分かった。絶対こっちの部屋がいい。
夕食の事も、良平さんの事すら忘れてただ快感に揺れる世界を堪能した。
眠っていたらしく目が覚める時にすっかりなじんだ声が聞こえてきた。
声の方へすり寄ってまた目を閉じる。
「まな・・・。」
「・・・うん・・・ねむい。」
アラームが鳴ってしょうがなくゆっくり目を開ける。
一瞬この部屋がどこだか分からなくて、次にいつだかも分からなくて。よく考えてここが佐野さんの部屋で、アラームは夕ご飯の時間なんだと気がついた。疲れたのか佐野さんがまだ起きない。
「佐野さん。時間みたいです。」
ゆっくり頬を撫でて唇に指をあてる。少し開いた唇から出る寝息が指にあたる。
時々見つめても目を見てしまうからじっくり顔を観察することはない。笑顔のない顔は優しいというよりはどこか冷たい、細めの顔と体の印象かもしれない。普段とは全く違う印象だった。
「惚れ直すかも、本当に。こんな顔だった?知らない大人みたいな顔。」
キスをしてみる。唇はいつもと同じ?あまり分からないけど。
それにしても起きない。疲れてるの?佐野さん。夕食予約してなかったら取り消してもいいけど。
「佐野さん、このまま寝ていたいね。ずっと。」
「ダメ、予約したんだから。起きるよ。」
いきなり目が開き普通に話し始めた佐野さん。
ビックリして体を引いた。
「もしかして、寝たふりしてました?」
「うん。早速惚れ直してくれたの?寝顔に?」
え?
「どこから起きてたんですか?」
「寝起きはいいから、アラーム鳴り始めてすぐに起きました。真奈さんがアラーム止める前から起きてたよ。」
最初っから・・・えっと顔に触ってキスして。
「もちろん、全部楽しみました。」
「何でっ。さっさと起きればいいのに。」
「たまにはいいかなあって。」
「だってすごく心配したのに。いつまでも起きないからすごく疲れてるんじゃないかって。」
「ごめんね。大丈夫。あんなたくさん可愛い啼き声聞くと元気になるタイプみたい。ベッドもすごく気に入ってくれたみたいだね。」
「なんで?そんなの・・・・。」
「いいから、準備準備。」
起きだしてバスタオルを手渡してくれた。自分は腰に巻きながらさっさと歩いていく。
すっかり汗で化粧も落ちてると思う。
シャワーを浴びて一から準備を始める。
支度をして着替えてリビングに出るとソファでパソコンをいじる佐野さんがいた。
眼鏡をかけている。何?コンタクトだったの?今日もガード用の大きなゴーグルはしてたけど、違う。大人っぽい。知的に見える。これでスーツなんて着たら間違いなく惚れ直す。
化粧ポーチを持ってボーっとしてる私に気がついてこっちを見る。やっぱり、似合う。
急いで近寄ると眼鏡をはずされた。
「準備できた?」
いつもの優しい顔に戻る。
「佐野さん、眼鏡してたんですか?」
「あ、これ?パソコン用だよ。長い時間見る時に使ってるやつ。視力はいいよ。」
「もう一回かけてみてください。」
もう一度。やっぱり、いい。
近くで見ると少しレンズにブルーが入ってるみたい。
「佐野さん、すごく似合います。かっこいい。」
「惚れ直した?」
ぶんぶんと首を縦に振る。
「じゃあ、普段もかけようかな。」
「ダメ、嫌です。絶対変。・・・だって・・・パソコン用でしょう?」
「せっかく褒めてくれたのに?」
「ダメです。」
ちょっとお願い口調になるのは仕方ない。印象がすごく変わるから。ダメ。
「かけないよ。面倒だもんね。」
パソコンを閉じて眼鏡を置いた。
「今日はこっちに戻ってくるから。」
頭を撫でながら言われた。
「やっぱりあのベッドの方がよく眠れますか?」
「どうだろう。隣に可愛い抱きぐるみがいたほうが眠れる。」
「もう、本当に疲れがとれないんじゃないですか?すごく心地いいベッドだし。」
「そうでもないよ。今日は夜仕事しようかと思っただけだよ。」
「さて行こうか?」
「はい。」
自転車に着替えと手作り看板をのせて駅に向かう。
珍しいジャケット姿を後ろから見つめる。さっきの眼鏡かけたらすごく似合いそう。
駐輪場に止めて荷物を持ってもらい予約したレストランへ。
何だかきれいなレストラン。
席に案内されてお酒を注文する。
「料理はコースだからもう頼んであるんだ。」
「はい。素敵なレストランですね。」
「そうだね。美味しいみたいだよ。」
お酒が来たので乾杯する。
「真奈さん、今日はありがとう。乾杯。」
「乾杯。」
あ、バイト代ってことだったんだ。思い出した。なんだか昨日の事みたい、ぐっすり寝すぎたって事かな?
「良平さん、すっごく喜んでた。いろいろ話したでしょう。」
「はい、いろいろ聞いてもらいました。人生のアドバイスなども。」
「へえ~?本当に二人だとあんなに元気じゃないんだよ。今日はすごく元気で良かった。今頃張り切り過ぎて疲れてるかも。」
「え。明日調子悪いようだったら教えてくださいね。お昼に行くので。」
「冗談だよ。本当はまだ元気なんだと思うよ。1人だとそんな無駄な気力を出さないでのんびりしてるだけだよ。」
「大きなお家でしたよね。鳥がたくさん来るといいですね。」
「そうだね。」
フランス料理は本当に食べる機会もないのでどの料理もきれいで美味しくてバイト代にしては奮発しすぎだと思う。
「佐野さん、バイト代、私最後にちょっと手伝っただけなのに。」
「良平さんの相手もバイトに含むよ。ちなみにその後の僕の相手は含みません。」
「当たり前です。そもそも仕事じゃないですから。」
「じゃあ、何?」
「へ?何と言われても。」
「そこは愛でしょう。」
そのセリフを一度あの眼鏡顔で言われたい。よし。
にっこり。楽しみが増えた。
「どうしたの?今の笑顔。愛で納得?」
「納得です。」
「お酒はいるとちょっとゆるっとなるよね。」
「そんなに飲んでませんよ。」
「そうだけど、薄い壁がなくなるみたい。」
「壁?ありますか?」
「うん、すごく薄い壁ね。透かして見えてるし指で穴が開きそうなくらいの。」
「・・・・悪口みたいに聞こえますが。いいのか悪いのか分からないです。どっちですか?」
「どっちもあり。」
「そんなあ。」
「いいの、僕だけが壁のない時の真奈さんを知ってるから。」
何、それは・・・。
「もういいです、聞かないでおきます。」
デザートが来て紅茶をお願いする。
佐野さんがキョロキョロしている。落ち着かない様子を見せている。
「佐野さん、トイレですか?それとも誰か来るとか?」
「ううん、違う。誰も来ないよ。」
「そうですか?」
デザートも食べて完食。終わり。今日は終わり。
佐野さんは今日泊まらないので久しぶりに一人。ちょっとだけ部屋が広く感じられそうな。寂しいなあ。
目の前にコトリと音がして小さな箱が出てきた。
視線をあげると佐野さんがずずっとその箱をこっちに滑らせてくる。
「開けてみてくれる?」
これは・・・・。まさか?
指輪が入っていた。じっと見る。誕生日じゃない、記念日は・・・早い。
「これは・・・・。」
「勝手に選んで用意してごめんね。ちゃんと言わないとって思って、僕のけじめ。すっごく早い決断だから困るかもしれない。もちろん返事をするのは今すぐじゃなくてもいいよ、まだまだいろいろ一緒に過ごしてからでいい。でも気持ちは変わらないから。預かっててほしい。」
また勝手に話を決めてる。私が断ると思ってるの?私の返事を避ける様に言う。何でだろう。
だって一度分かったって言ったのに。通じてないの?
「真奈さん、そんな顔しないで。まだ返事はいいから。」
本当に唐変木、分かってない。
指輪を取り出してはめてうんって言えればすごく感動的なのに、返事は決まってますって言えば。
決まってる、決まってるけど佐野さんの言い方は酷い。もっとちゃんと自信をもってはめてくれてもいいのに。
やり直し。私は私のされたいプロポーズがある。それがいい。
そこは我儘だろうが何だろうが一生に一度の事だから。
こんなプロポーズは変でしょう?
何で気がつかないの。
随分指輪を睨んでいたのかもしれない。
やっぱり触れることもせずにパタンと箱を閉じた。
「佐野さん、すごく素敵なレストランでこんな素敵なものをもらってうれしいですけど。違うんです。我儘かもしれないけど。佐野さんの言葉が全く違うんです。少しの間これを持っててください。私のことを部屋まで送ってくれますよね。じゃあ、行きませんか?」
佐野さんの驚いた表情、ごめんなさい。台無しにして。素敵なジャケット姿も好きだし、バイト代より高いレストランも、お酒も、勿論指輪も。
佐野さんの用意してくれたものすべてを台無しにしてしまったけど。
お会計をして外に出る。
「佐野さん、お部屋で心から謝りますので、とりあえず部屋へお願いします。」
佐野さんは、もう見るのもつらそうな表情で。
だから腕に絡みついて、手も握ってくっついて歩いた。
駅向こうの自転車のところまで。
伝わっただろうか?
分からない、夜の明かりに見える表情はぼんやりしていて。
そして、部屋に到着。
なんとなく長い一日。いろいろあった気がする。
でもまだ最後の仕上げが。
佐野さんといつもの場所に座り向かい合う。
「佐野さん、ごめんなさい。いろいろとすごく考えてくれたんだと思います。うれしいです。でも佐野さん私の返事少しも聞いてくれないですよね。指輪見せてください。」
ポケットから出して開いて見せてくれる。
「佐野さん、どうしてあそこで私の指にはめてくれなかったんですか?私の返事も待たずに返事はいつでもいいとか、預かってほしいとか、僕がしたかっただけみたいに。そんなのプロポーズじゃないですよね。ちゃんとはめて、もう一度言ってください。私、ちゃんと返事が出来ます。」
佐野さんが困惑してこっちを見ている。
大人なのに、しっかりしてるはずなのに、器用なはずなのに。
何でこんな最後の詰めが甘いのよ。
ゆっくり指輪を手にして私の指にはめてくれる。
忘れてる!言葉、プロポーズ。
まったく世話の焼ける。
「佐野さん、結婚してください。」
ほら、何で私から言うのよ~、ばか~。
そんなの私のキャラじゃないし、佐野さんしっかりしてよ。ねえ。
「あ、ごめん、真奈さん、僕と結婚してください。」
「はい、よろしくお願いします。」
ケースが手から落ちて佐野さんが抱きついてきた。レストランよりは感動的にしないとね。やり直しのやり直し。
「佐野さん、大好きって言ってたのに。なんであんなこと言うのよ。さっきも忘れてたでしょう、酷い。」
「ごめん。自分でもびっくりした。でも、良かった。」
顔を見てお互いに泣き顔でキスをする。
もう無茶苦茶な感動。変なインターバル挟んでカンニングしてのプロポーズ。
キスの音が部屋中に響く。こんな日の夜に私は一人で過ごすの?おかしくない?
「ねえ、佐野さん。何でこんな夜に帰るって言うの?お願い、お仕事は邪魔しないからあの部屋にいさせて欲しい。静かに寝るだけでいいから。こんな日に一人は嫌。」
「まな、ごめん。ちゃんと一緒にいるから。仕事はいい、明日するから。」
「本当?いいの?無理してない。」
「してない。大丈夫だよ。」
「うん。」
「ベッドに行く?」
「ねえ、あっちの部屋に行きたい。佐野さんの匂いのするところがいい。仕事もして。」
「わかった。一緒に帰ろう。明日は少し早起きだよ。」
「うん。」
またノーティーまで行くかな?
佐野さんの部屋に入るのにはまだまだ緊張が伴う。
まだまだ知らない場所、馴染まない場所。
静かな廊下を手をつないで歩き部屋に入る。
「シャワーシャワー。こっちだよ。」
手をつながれたままで私もついてきたけど。
手が離れると目の前で脱ぎ始める佐野さん。
私はリビングへとくるりと背を向けると。
「真奈さんは?いいの?」
「別にそれほど汗かいてません。手だけ洗わせてもらっていいですか?」
「まな、いいの?お姫様抱っこで寝室に招待するつもりだけど。」
近づいてきて囁かれた。
「夕飯はまだまだだし、お腹空かせなきゃ。」
「先に入ってるから、来てね。」
そう言って全部脱いでさっさとシャワーを浴びている。
抜け殻はバサッと洗濯機に放り込まれていた。
えっと、入るの?不透明のガラスにうっすらと映る肌色の影。
近づいて手を当てる。聞いてみよう、もう一回、ちゃんと。
考えてたらシャワーの音が止まり影が近づいてきた。
裸の体を見ないように視線をあげて見つめる。ちょっと困った顔をされた。
「ごめんね、じゃあリビングで待っててね。」
頭に手が置かれてすぐに離れる。
扉が閉まり影は離れて行った。湿った掌の後が髪に残った。
1人ポツンとたたずんでいる自分が寂しく思える。
さっきの佐野さんの顔を思い出す。
もっとちゃんと言って欲しいのに。
ドアを開けた。ガチャッと開いた音に気がついて佐野さんがシャワーの下でこちを見る。
動かない私を見てシャワーの音が止む。
「佐野さん、分かりにくいです。ちゃんと言ってください。」
だって一人で裸で入って何でって思われることほど恥ずかしいことはない。
おしゃべりして、ご飯食べて、またお喋りしただけの私はほとんど流す汗はない。
さっきと同じようにまた困った顔をされたけどこっちだって困る。
でも私は何故か怒ってる。
佐野さんにはあんなに怒ってないかと聞きながら、自分はよく怒ってる。
小さな不満がボンボンと佐野さんに向かって火を噴く。
「真奈さん、良かったらシャワー浴びて夕食までの時間を僕と一緒に過ごしませんか。さっきは見ないで欲しいと言った寝室です。初めての時は僕が連れて行くって決めてたんです。」
「待っててください。」
ドアを閉めて服を脱ぎ入る。体に心地いいお湯をかけられる。
自分はあんなに時間かけてたのに私はほんの少し。
急に止められたシャワー。
ドアが開いていったん出た佐野さんの手にはバスタオルが握られていて、ぼんやり立ち尽くす私の体を拭いてくれる。
佐野さんも自分の体を拭いてそのタオルを腰に巻く。
新しいタオルを持ってきて私は手渡されたそれを体に巻いた。
「髪の毛乾かすからちょっと待ってね。」
歯ブラシとハンドタオルを渡される。
大量の歯ブラシを見た。常に使い捨て派?
鏡の横にはコップと普通に歯ブラシ。そりゃそうだ。
私の部屋に置いてあるのも普通の歯ブラシだし。
さっさと髪を乾かして横に並んで歯磨きをする。
私は手渡された歯ブラシを見つめる。とりあえず袋から出して磨く。
「佐野さん使い捨て歯ブラシ集めるの好きなんですか?」
まさかそんな趣味が?
「本気で知りたい?」
「はい。」
理由が知りたい、分からないところは何でも知りたいから。
「そんな訳ないよ。一応仕事上のエチケットです。大体の場合バッグの中に歯ブラシとタオルと着替えは入ってるよ。歯ブラシは業務用。ホテルとかにあるでしょう?安くで買えるから。今日はうっかり磨くのを忘れたけどいつも磨いてるよ。」
「へえ。」
そうなんだ。
「いつ泊りに来ても大丈夫ですね。」
「・・・・そのつもりになってもらえるなら、ちゃんと専用のものを準備するから。」
手からタオルと歯ブラシを取り上げられて私の手を自分の首へ。びっくりしたけどそう言えばお姫様抱っこって。
そのまま明かりを消すように言われていくつかのスイッチを押しながら寝室と思われる部屋へ向かう。
首に鼻を寄せながら佐野さんの匂いを吸い込む。
見慣れない部屋の景色が揺れて遠ざかる。本当に広い部屋。
ここはどこなんだろう。
今まで想像していた佐野さんの部屋のイメージと違い過ぎて、不安になる。
こんなところに住んでるなんて。
ぎゅっと抱きついたときには既に寝室に入っていたらしい。
名前を呼ばれて目を開けた時は薄暗い部屋にいた。
そこも想像した通り広い部屋だった。
ゆっくり体の力を抜いて離れるとベッドに下ろされた。ふんわりと沈む体。
思わず手をついたけどそれが余計にバランスを崩しそうなくらいのクッションのよさ。
ベッドも大きかった。やっぱり知らない佐野さんの部分。
この部屋全体が私にはよそよそしくて。
「佐野さん、どうしてこんな広い部屋に住んでるんですか?」
「どうしてって、一応事務所みたいに使える様にと思ったし荷物も多いから。」
「でもベッドもこんなに大きい。」
「だっていつかは誰かと住むことになるから。その人に出会うのがこんなに遅くなるなんて思わなかった。だから初めて入る時は一緒に入りたいかった。結局事務所としても使ってないから最初のお客さんが真奈さんになったよ。ようこそ、僕の部屋へ。」
「だってこんな広い部屋に住んでるなんて知らなかった。」
「それは、誰も知らないよ。さっき言ったじゃない、ここに来たのは真奈さんが初めてだって。住んでる部屋の事は僕の情報の一部でしかないし、そんな特別なことだった?」
「だって、私のことは佐野さんが一番知ってる、佐野さんの事は皆がよく知ってるけど、私は分からない事ばっかり。佐野さんが分からない、さっきだってどうしたらいいのか分からなくて、さっさと一人でシャワー浴びて。」
「ごめん。そんな・・・・、ごめん。」
「ねえ、私がいつも佐野さんに怒ってばっかり、佐野さんは謝ってばっかり。なんで怒らないの?」
「何度も言うけど、どこを怒れって言うの?だって言わなかった僕が悪い、分かりにくい事しか言わなかった僕が悪い。だから謝るんだけど。それでいいんだよね?」
確かにそういうこと、そうなのよ。
はっきり言ってくれないのよ、いつも。・・・・だから。
「そう、そうだけど。でも怒らないの?私の事なんかめんどくさいって怒らないの?」
「怒らない。謝るよ。自分が悪かったと思ったら謝る。さっきだって分からないってちゃんと聞いてくれたでしょう?だからそうなんだって思ってもう一回説明した。そうしたら真奈さんが分かってくれた。ほらやっぱり僕の説明不足。悪かったのは僕。そうなるよね。反省します。」
「怒ってばっかりでごめんなさい。不安なの。まだ、ちょっとしか慣れなくて。佐野さんがいつもいてくることに。」
「最初にベンチで見た時はもっと大人に見えたのに、時々さやかちゃんと同じくらい子供っぽく思えることがあるよ。時々大胆過ぎるくらい大胆なのに、急に下を向いたりして。僕もまだ分からない。全然分からないし、知らない事はあるよ。でもちょっとづつ分かってくるととても面白いし、うれしいし、可愛いと思ってどんどん愛しく思えて。良平さんがね、奥さんの荷物をゆっくり整理してた時にすごい恨みのこもった手紙を見つけたんだって。自分では全くそんな気はなかったのにちょっとした一言が奥さんの恨みを買ってたって。何十年も秘密にしてた奥さんもすごいけど、気がつかない良平さんも平和だったよねって話をしたんだ。そんなもんだよ。一緒にいても分からないことはあるから。もしかしたら僕の嫌なところを見るかもしれないし、逆に惚れなおすようないいところを見るかもしれないよ。」
「佐野さんの嫌なとこなんて一個もない。」
「そんなにムキになるところが子供っぽくてかわいいよね。でもじゃあ何でこんな話になってるの?」
ん、それは・・・・佐野さんが分かりにくいって話で・・・????
「何でかな?」
「じゃあ、分からなかったらちゃんと聞くこと。」
「はい。」
「まな、したい?」
へっ?いきなりモードが変わる・・・・。
しかもこの場所と格好で否はないよね。
「教えて、ねえ。」
下唇だけ器用に挟んでキスをしてくる佐野さん。
「佐野さんは?」
こういう時は聞き返して佐野さんに言わせてやる。
「ねえ、佐野さんは、だってさっき見た時・・・すっかり・・・。」
「何?さっき何見た?すっかり何?」
しまった、調子に乗り過ぎたみたい。
「佐野さん。」
目を見たまま手を下ろしていく。大好きな胸も通り過ぎてお腹の下の方へ。
「したい。」
触れたところに手を当てる。
大きくてクッションの良いベッドは最高で、寝心地以外にも最高に気持ちいいことが分かった。絶対こっちの部屋がいい。
夕食の事も、良平さんの事すら忘れてただ快感に揺れる世界を堪能した。
眠っていたらしく目が覚める時にすっかりなじんだ声が聞こえてきた。
声の方へすり寄ってまた目を閉じる。
「まな・・・。」
「・・・うん・・・ねむい。」
アラームが鳴ってしょうがなくゆっくり目を開ける。
一瞬この部屋がどこだか分からなくて、次にいつだかも分からなくて。よく考えてここが佐野さんの部屋で、アラームは夕ご飯の時間なんだと気がついた。疲れたのか佐野さんがまだ起きない。
「佐野さん。時間みたいです。」
ゆっくり頬を撫でて唇に指をあてる。少し開いた唇から出る寝息が指にあたる。
時々見つめても目を見てしまうからじっくり顔を観察することはない。笑顔のない顔は優しいというよりはどこか冷たい、細めの顔と体の印象かもしれない。普段とは全く違う印象だった。
「惚れ直すかも、本当に。こんな顔だった?知らない大人みたいな顔。」
キスをしてみる。唇はいつもと同じ?あまり分からないけど。
それにしても起きない。疲れてるの?佐野さん。夕食予約してなかったら取り消してもいいけど。
「佐野さん、このまま寝ていたいね。ずっと。」
「ダメ、予約したんだから。起きるよ。」
いきなり目が開き普通に話し始めた佐野さん。
ビックリして体を引いた。
「もしかして、寝たふりしてました?」
「うん。早速惚れ直してくれたの?寝顔に?」
え?
「どこから起きてたんですか?」
「寝起きはいいから、アラーム鳴り始めてすぐに起きました。真奈さんがアラーム止める前から起きてたよ。」
最初っから・・・えっと顔に触ってキスして。
「もちろん、全部楽しみました。」
「何でっ。さっさと起きればいいのに。」
「たまにはいいかなあって。」
「だってすごく心配したのに。いつまでも起きないからすごく疲れてるんじゃないかって。」
「ごめんね。大丈夫。あんなたくさん可愛い啼き声聞くと元気になるタイプみたい。ベッドもすごく気に入ってくれたみたいだね。」
「なんで?そんなの・・・・。」
「いいから、準備準備。」
起きだしてバスタオルを手渡してくれた。自分は腰に巻きながらさっさと歩いていく。
すっかり汗で化粧も落ちてると思う。
シャワーを浴びて一から準備を始める。
支度をして着替えてリビングに出るとソファでパソコンをいじる佐野さんがいた。
眼鏡をかけている。何?コンタクトだったの?今日もガード用の大きなゴーグルはしてたけど、違う。大人っぽい。知的に見える。これでスーツなんて着たら間違いなく惚れ直す。
化粧ポーチを持ってボーっとしてる私に気がついてこっちを見る。やっぱり、似合う。
急いで近寄ると眼鏡をはずされた。
「準備できた?」
いつもの優しい顔に戻る。
「佐野さん、眼鏡してたんですか?」
「あ、これ?パソコン用だよ。長い時間見る時に使ってるやつ。視力はいいよ。」
「もう一回かけてみてください。」
もう一度。やっぱり、いい。
近くで見ると少しレンズにブルーが入ってるみたい。
「佐野さん、すごく似合います。かっこいい。」
「惚れ直した?」
ぶんぶんと首を縦に振る。
「じゃあ、普段もかけようかな。」
「ダメ、嫌です。絶対変。・・・だって・・・パソコン用でしょう?」
「せっかく褒めてくれたのに?」
「ダメです。」
ちょっとお願い口調になるのは仕方ない。印象がすごく変わるから。ダメ。
「かけないよ。面倒だもんね。」
パソコンを閉じて眼鏡を置いた。
「今日はこっちに戻ってくるから。」
頭を撫でながら言われた。
「やっぱりあのベッドの方がよく眠れますか?」
「どうだろう。隣に可愛い抱きぐるみがいたほうが眠れる。」
「もう、本当に疲れがとれないんじゃないですか?すごく心地いいベッドだし。」
「そうでもないよ。今日は夜仕事しようかと思っただけだよ。」
「さて行こうか?」
「はい。」
自転車に着替えと手作り看板をのせて駅に向かう。
珍しいジャケット姿を後ろから見つめる。さっきの眼鏡かけたらすごく似合いそう。
駐輪場に止めて荷物を持ってもらい予約したレストランへ。
何だかきれいなレストラン。
席に案内されてお酒を注文する。
「料理はコースだからもう頼んであるんだ。」
「はい。素敵なレストランですね。」
「そうだね。美味しいみたいだよ。」
お酒が来たので乾杯する。
「真奈さん、今日はありがとう。乾杯。」
「乾杯。」
あ、バイト代ってことだったんだ。思い出した。なんだか昨日の事みたい、ぐっすり寝すぎたって事かな?
「良平さん、すっごく喜んでた。いろいろ話したでしょう。」
「はい、いろいろ聞いてもらいました。人生のアドバイスなども。」
「へえ~?本当に二人だとあんなに元気じゃないんだよ。今日はすごく元気で良かった。今頃張り切り過ぎて疲れてるかも。」
「え。明日調子悪いようだったら教えてくださいね。お昼に行くので。」
「冗談だよ。本当はまだ元気なんだと思うよ。1人だとそんな無駄な気力を出さないでのんびりしてるだけだよ。」
「大きなお家でしたよね。鳥がたくさん来るといいですね。」
「そうだね。」
フランス料理は本当に食べる機会もないのでどの料理もきれいで美味しくてバイト代にしては奮発しすぎだと思う。
「佐野さん、バイト代、私最後にちょっと手伝っただけなのに。」
「良平さんの相手もバイトに含むよ。ちなみにその後の僕の相手は含みません。」
「当たり前です。そもそも仕事じゃないですから。」
「じゃあ、何?」
「へ?何と言われても。」
「そこは愛でしょう。」
そのセリフを一度あの眼鏡顔で言われたい。よし。
にっこり。楽しみが増えた。
「どうしたの?今の笑顔。愛で納得?」
「納得です。」
「お酒はいるとちょっとゆるっとなるよね。」
「そんなに飲んでませんよ。」
「そうだけど、薄い壁がなくなるみたい。」
「壁?ありますか?」
「うん、すごく薄い壁ね。透かして見えてるし指で穴が開きそうなくらいの。」
「・・・・悪口みたいに聞こえますが。いいのか悪いのか分からないです。どっちですか?」
「どっちもあり。」
「そんなあ。」
「いいの、僕だけが壁のない時の真奈さんを知ってるから。」
何、それは・・・。
「もういいです、聞かないでおきます。」
デザートが来て紅茶をお願いする。
佐野さんがキョロキョロしている。落ち着かない様子を見せている。
「佐野さん、トイレですか?それとも誰か来るとか?」
「ううん、違う。誰も来ないよ。」
「そうですか?」
デザートも食べて完食。終わり。今日は終わり。
佐野さんは今日泊まらないので久しぶりに一人。ちょっとだけ部屋が広く感じられそうな。寂しいなあ。
目の前にコトリと音がして小さな箱が出てきた。
視線をあげると佐野さんがずずっとその箱をこっちに滑らせてくる。
「開けてみてくれる?」
これは・・・・。まさか?
指輪が入っていた。じっと見る。誕生日じゃない、記念日は・・・早い。
「これは・・・・。」
「勝手に選んで用意してごめんね。ちゃんと言わないとって思って、僕のけじめ。すっごく早い決断だから困るかもしれない。もちろん返事をするのは今すぐじゃなくてもいいよ、まだまだいろいろ一緒に過ごしてからでいい。でも気持ちは変わらないから。預かっててほしい。」
また勝手に話を決めてる。私が断ると思ってるの?私の返事を避ける様に言う。何でだろう。
だって一度分かったって言ったのに。通じてないの?
「真奈さん、そんな顔しないで。まだ返事はいいから。」
本当に唐変木、分かってない。
指輪を取り出してはめてうんって言えればすごく感動的なのに、返事は決まってますって言えば。
決まってる、決まってるけど佐野さんの言い方は酷い。もっとちゃんと自信をもってはめてくれてもいいのに。
やり直し。私は私のされたいプロポーズがある。それがいい。
そこは我儘だろうが何だろうが一生に一度の事だから。
こんなプロポーズは変でしょう?
何で気がつかないの。
随分指輪を睨んでいたのかもしれない。
やっぱり触れることもせずにパタンと箱を閉じた。
「佐野さん、すごく素敵なレストランでこんな素敵なものをもらってうれしいですけど。違うんです。我儘かもしれないけど。佐野さんの言葉が全く違うんです。少しの間これを持っててください。私のことを部屋まで送ってくれますよね。じゃあ、行きませんか?」
佐野さんの驚いた表情、ごめんなさい。台無しにして。素敵なジャケット姿も好きだし、バイト代より高いレストランも、お酒も、勿論指輪も。
佐野さんの用意してくれたものすべてを台無しにしてしまったけど。
お会計をして外に出る。
「佐野さん、お部屋で心から謝りますので、とりあえず部屋へお願いします。」
佐野さんは、もう見るのもつらそうな表情で。
だから腕に絡みついて、手も握ってくっついて歩いた。
駅向こうの自転車のところまで。
伝わっただろうか?
分からない、夜の明かりに見える表情はぼんやりしていて。
そして、部屋に到着。
なんとなく長い一日。いろいろあった気がする。
でもまだ最後の仕上げが。
佐野さんといつもの場所に座り向かい合う。
「佐野さん、ごめんなさい。いろいろとすごく考えてくれたんだと思います。うれしいです。でも佐野さん私の返事少しも聞いてくれないですよね。指輪見せてください。」
ポケットから出して開いて見せてくれる。
「佐野さん、どうしてあそこで私の指にはめてくれなかったんですか?私の返事も待たずに返事はいつでもいいとか、預かってほしいとか、僕がしたかっただけみたいに。そんなのプロポーズじゃないですよね。ちゃんとはめて、もう一度言ってください。私、ちゃんと返事が出来ます。」
佐野さんが困惑してこっちを見ている。
大人なのに、しっかりしてるはずなのに、器用なはずなのに。
何でこんな最後の詰めが甘いのよ。
ゆっくり指輪を手にして私の指にはめてくれる。
忘れてる!言葉、プロポーズ。
まったく世話の焼ける。
「佐野さん、結婚してください。」
ほら、何で私から言うのよ~、ばか~。
そんなの私のキャラじゃないし、佐野さんしっかりしてよ。ねえ。
「あ、ごめん、真奈さん、僕と結婚してください。」
「はい、よろしくお願いします。」
ケースが手から落ちて佐野さんが抱きついてきた。レストランよりは感動的にしないとね。やり直しのやり直し。
「佐野さん、大好きって言ってたのに。なんであんなこと言うのよ。さっきも忘れてたでしょう、酷い。」
「ごめん。自分でもびっくりした。でも、良かった。」
顔を見てお互いに泣き顔でキスをする。
もう無茶苦茶な感動。変なインターバル挟んでカンニングしてのプロポーズ。
キスの音が部屋中に響く。こんな日の夜に私は一人で過ごすの?おかしくない?
「ねえ、佐野さん。何でこんな夜に帰るって言うの?お願い、お仕事は邪魔しないからあの部屋にいさせて欲しい。静かに寝るだけでいいから。こんな日に一人は嫌。」
「まな、ごめん。ちゃんと一緒にいるから。仕事はいい、明日するから。」
「本当?いいの?無理してない。」
「してない。大丈夫だよ。」
「うん。」
「ベッドに行く?」
「ねえ、あっちの部屋に行きたい。佐野さんの匂いのするところがいい。仕事もして。」
「わかった。一緒に帰ろう。明日は少し早起きだよ。」
「うん。」
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