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5 ちゃんと前を向きたい、歩き出したい、そう思ってるのに。

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夕方、今日も花音先輩に誘われた。

「ちょっとコーヒー飲まない?」

食事じゃないらしい。

「はい。」

仕事を終わりにして、二人で会社を出た。
先週まで集中力がなかった分、頑張った今日。
やっぱり元気になったらしい。

「あ、ねえ、名刺持ってる?」

コーヒーを受け取り席に座ったら、花音先輩に急にそう言われた。
なんだろう?

そう思いながら名刺入れを出して、一枚自分の名刺を出す。
先輩に差し出したのに受け取ってもらえず、名刺入れをじっと見られた。

「ああ、ごめんね。これはもちろんいいや。」

差し出した名刺を断られて。

「ねえ、その名刺入れの中に新しく金曜日の夜に増えた特別な名刺ある?」

金曜日・・・・・夜・・・・・・。
蘇芳さんの名刺のことだろうけど、中馬さんに聞いたんだろうか?
見られてても不思議じゃない。

「すみれちゃん、蘇芳さん、どう?」

「どう?」

気がつかないふりでそう繰り返した。
でもそうなのかって思った。
先輩もそんな事は分かってると思うけど。

「そう。いい人みたいで、携帯に連絡来ないかなぁって待ってるみたい。」

「中馬さんがそんなことまで言ったんですか?」

「ううん、本人。ちょうどいたの。」



「ダメ?」


「別に飲み友達からでいいって言ってたから、少し連絡してみない?待ちに待ったチャンスだったみたい。」

確かに二回目だったけど。

「まぁ、無理強いは出来ないっては言ったけどね。」


「協力するって言ったけど、やっぱりそううまくは行かないよね。でも、今日は元気になってたからいいかなって思った。」


何も答えられない私に、少しずつ引いたり押したり、話を続ける先輩。

「まさか中馬がいい、なんてことないよね?」

ビックリです。残念ですが先輩みたいな掛け合いはできないから無理です。
さすがに顔も上がり目も合う。
私の表情を見ておかしそうに笑った先輩。

「それは良かった。中馬もイイヤツなんだけどね、残念、見た目で損してる。」

とても本人には聞かせられない。
きっとそんなこと気にしない人がいます、どこかに・・・・。
きっと誰にでも、どこかに誰かが・・・・。


「連絡してみます。」

「ホント?今まで噂にも聞いたことはないけど、潜んだライバルがいて目の前で取られたら悲しくなるから。本当に・・・・。」

しんみりと言われた。
もしかして経験が? 
ぼんやり先輩を見たけどただ嬉しそうな笑顔のままだった。

「良かった。」

満足そうに笑顔のままコーヒーに口をつける先輩。
なんだか見てるその笑顔で幸せをもらえるような気がする。
そんな笑顔、いつになったらできるだろう。

「きっと喜ぶから。」

ダメ押しのように言われた。
人のために動いた花音先輩にはもっといいことが起こるのかも。
私の為のはずなのに、何で先輩が羨ましく思えるんだろう。


コーヒーを飲み切って別れた。

「じゃあ、何かあったら相談してね。」

「はい。」

電車に乗って部屋に戻った。
名刺入れはテーブルに置いたけど。
食事をしてもろもろ、くつろいだ時間は初めて連絡するにもいい時間だった。

名刺を取り出して、登録する。
メッセージを送ってみた。

『蘇芳さん、連絡が遅くなりました。金曜日に名刺を頂いた棚旗です。』

それ以外になんと書こうかと。電車の中でも考えたけど思いつかなくて。
画面はそのまま動かないままだった。

『お疲れ様。こんばんは。連絡もらえてうれしいです。ありがとう。もしかして、この間の先輩から何か言われたかな?』

『それでもうれしい。良かったら、金曜日早速新しいお店を紹介させてもらえないかな?』

そんな風に良く知らない人には二度と誘われたりはしないって、そう決めたのに。

花音先輩が笑顔で言う『いい人みたい、きっと喜ぶよ。』その声が聞こえてきた。

『はい。よろしくお願いします。』

そう返事をしてた。
でも随分時間がかかっていた。

『じゃあ、金曜日、仕事が終わりそうな時間を教えるね。』

『会社の離れた場所で待ち合わせをお願いします。』

それはそう伝えた。

『そうだね。分かった。また連絡するね。楽しみです。』

携帯をテーブルに置いた。
名刺はまた名刺入れのポケットに戻した。

よく知らない人だけど、知ってる人を知ってる。
だから・・・・、それに新しい飲み仲間の先輩。
それが男性なだけ。


誰に言ってるのか分からない言い訳が心の中で声になる。
聞いてるのは自分だけなのに。


次の日、少しだけ花音先輩の視線が気になったけど、朝だけだった。

席を離れた時に聞きに行った?
もしくは中馬さんに聞いた?

その後は特に気にならなくて。

カタログは終わった。
依頼されたセールのチラシを作り、在庫の管理をする。
返品のデータをまとめて、のせて。

毎月、大まかな仕事内容は同じような繰り返しだったりする。

そうして金曜日になった。
昨日夜に連絡が来た。
お店の情報と大体の時間を決めて、待ち合わせの場所も決めて。
前の人とも当然外で待ち合わせをしていた。
ただ、方向も違う、だから大丈夫。

金曜日、彼女と一緒に過ごすんだろうか?

そんな事を考えてしまって、危うくまた過去に戻りそうになったから元気にメッセージを入れた。

『お疲れ様の美味しいお酒が飲めそうです。楽しみにしてます。』

文章でこの言葉はどう伝わるんだろう。

『もちろん美味しいですよ。楽しみにしててください。僕もすごく楽しみです。』

『じゃあ、明日。お休み。』


『お休みなさい。』


何事もなく終わった金曜日。

帰り際に花音先輩が何か言いたそうにこっちを見たけど、ぼんやり見たら、笑顔で手を振られた。
聞いてるのかもしれない。それは中馬さんから。

会社を出て待ち合わせ場所に行く。
ぼんやりとカップを見て携帯を手にしていた。

「お疲れ様。」

声がして顔をあげたら蘇芳さんがいた。
本当にぼんやりしてた。
待ち合わせのつもりだったか怪しいくらいぼんやりとしてた。

さすがに失礼なので急いで笑顔になって答えた。

「お疲れ様です。早く終わったんですね。」

「頑張ったよ。褒めて欲しいくらいの集中力だった。」

「そうなんですか?中馬さんが褒めてくれませんでした?」

「褒めてはくれなかったけど、もし残業あったら代わるからってしつこいくらいに言われてた。」

やっぱり知ってるらしい。

「行こうか。」

「はい。案内よろしくお願いします。」

後ろをついて行く。少しだけ距離があるかも。
しばらく人ごみの中を歩いて行く。

「さすがにお店まで一人で歩いてる気分なのも寂しいなあ。」

振り返ってそう言われたので、横に並んだ。それでも微妙な距離は開いたままだった。

「今まで酷く酔ったことはある?」

「ないです。そんなに飲めないですよ。」

「蘇芳さんは?気がついたら部屋で寝ていたとか、電柱にもたれてたとか、ありますか?」

「ないよ。大丈夫だよ、安心して。」

「お互い大丈夫そうですね。」

「そうだね。楽しく飲もう。」

そう言って歩いて来たのは、全然知らない道。
一人でまた来るのは難しいかも。
小さい通りを入って何度か曲がった。

「なんだか無事に帰れるかも心配になるくらい、どこでしょうって感じです。」

「そうだね、ちょっとわかりずらいかもね。大丈夫だよ、責任もって駅まで送るから。」


そう言ってたどり着いたお店も、やっぱり見つけるのは難しそうな小さな看板だけのお店だった。
重たいドアをくぐり、小さなお店に入る。
思ったより奥行きがあるらしい、壁に沿って小さいテーブルと背の高いチェアが並んでいた。

蘇芳さんがカウンターの中の人に目礼して空いてる席に座った。

カウンターの背後にはすごい量のボトルがあるけど、漂う匂いが空腹を思い出させるような匂いで。

メニュー表につけられたフードメニューに納得。
ドライカレーがあった。

「すごくいい匂いします。ドライカレーですね。」

「料理も美味しいから食べようと思ったんだけど、嫌いじゃない?」

「はい、好きです。」

「あとはお酒にあう軽いものが多いから、二杯目と一緒に好きなものをどうぞ。」

ドライカレーを二人分と、お酒を選んで注文した。

「よく飲みに来るんですか?」

「時々だよ。一人でカウンターに座って寂しく飲んでるだけ。あ、間違っても前みたいなことはしてないからね。」

そう言われて思い出した。

「分かりました。」

「あそこのマスターはノリがいいからね。」

「そうなんですか?すごくスマートな感じだし、声もしっとりして落ち着いてるイメージです。」

「ええっ、それは女性限定じゃないかな?全然ふざけた感じだよ。」

イメージできない、そうだっただろうか?
そう思いながらもお腹がさっきから匂いに誘われて、大きな音を立てそうなくらいだった。視線を向けると二人分のお皿が運ばれてくるところで。

お腹を鳴らす前に食事を口に出来た。

「すごく美味しそうです。いただきます。」

スプーンをとって食べる。
落ちた食欲もある程度は回復してたけど、すごく久しぶりな気がする。

「美味しいです。」

涙が出そうなくらい何かが胃にしみる。
感動の涙と思ってもらえるだろうけど、本当に美味しいし。

「もしかしてお昼食べれなかった?」

「そんなに・・・・・でしたか?」

「すごく美味しそうに食べてたから。でもうれしいなあ。案内人冥利に尽きるね。誘ってよかった。」

「はい、ありがとうございます。」

見慣れた優しい顔が自分に向けられてる意味。
少し息を止めたけど、私も笑顔でお礼が言えたと思う。
栄養は体だけじゃない、心も満たすし元気にしてくれる。
もちろん癒されるのはそれにだけじゃない、まっすぐ自分に向けられてる笑顔にも癒される。

食べ終わってお皿を下げてもらい、次のお酒を注文する。

ちょっとさっぱりしたものを。

「お酒も美味しいですね。」

「楽しく飲める?」

「もちろんです。」

「山中さんが何か伝えた?」

「・・・はい。連絡を待ってると言われて、いい人みたいだよって。」

「そうか。なんだか後輩二人に会議室に連れ込まれてしまってね。前に見かけてから気になってたって暴露させられたよ。すごいコンビネーションなんだよ、あの二人。」

「そうですね。分かる気がします。」

「本当に中馬はいい奴だとは思ってたけど、出会ってから今までで一番役に立ってくれたかな。」

「中馬さんのこともあんまり知らないんですが、いい人そうですね。」

「そうだね。」

「あの、蘇芳さんは何年目なんですか?」

「僕は六年目だよ。」

六年目・・・・・。じゃあ、同期じゃない。

「会社では会わないからね、というか今まで何度か見かけても全然気にも留めてもらってなかったからね。」

「それは、あんまり接点のない課の人のことは知らなくて。本当に女の先輩のことも同じように知らないですよ。」

「じゃあ、もっと聞いて。何かない?」

そう言われても・・・・。
考えた。当たり障りない話題。

「出身は?」

「千葉の南の端っこの方だよ。すみれさんは?」

「私は北海道です。」

「それは、遠いね。じゃあ大学から一人暮らし?」

「そうです。就職もこっちでするつもりで、便利なところに部屋を借りたんです。狭いですがもう四年以上住んでます。蘇芳さんも大学の頃からですよね?」

「うん。なかなか通えるところじゃないからね。でも就職して二年目に引っ越ししたよ。大学の頃はすごい部屋に住んでたからね。ちょっとは広くなって、アパートからマンションになりました。」

「お部屋は綺麗ですか?」

「もちろん・・・・普通。暇だから炊事以外はそこそこしてるけど、誰かを呼ぶとしたら大掃除をしてからだね。」

「大掃除のいいきっかけになるなあ。」

変らない表情で、そう言われる。

4杯くらいのお酒を飲み、いい具合に酔って程よく疲れも出てきた。
少し静かになるテーブル。

つい時計を見てしまった。
自分の腕の時計。

それはこの場では失礼な行動だったかもしれない。
そんな気はなかったんだけど・・・・。

「もう帰ろうか。」

そう言われた。そう言わせたのかもしれない。

激しい自己嫌悪を感じたけど、だからと言って、もう少しとも言うこともなく。

「美味しかったです。」

お礼に変えた。

「良かった。」

しばらく視線が合ったままでお互いが次の言葉を待ったけど、どちらからも次はなく。
視線が外されて会計をしてもらった。

「今日は招待だし、ご馳走させて欲しい。」

そう言われてお会計をお願いした。

一緒に外に出て駅に向かう。
思ったより冷えた夜の空気にジャケットのボタンを全部かけた。

「週末はどうするの?」

人がまばらな通りで、明るいショーウィンドウをのぞくように立ち止まり、ゆっくっりと聞かれた。

「特には・・・・・。」何も予定はしてない。

「昼間に会いたいと誘ったらダメかな?」

楽しめたんだろうか?私との少しぎこちない雰囲気に。

途中聞かれたことに無言にもなり、会話が止まり、気まずくて視線をそらされることもあったのに。

『いい人みたいだよ。』花音先輩の声が聞こえる。
それは分かってる。
飲み友達じゃないじゃない、でも・・・・。


「ごめん、ちょっと図々しかったかな。」


「またの機会に。」

そう言われて、歩き出した蘇芳さん。


『大丈夫です。』そう動こうとした口が音にならなかった言葉を飲み込む。

駅に着いて、もう一度食事のお礼を言って、一度視線が合ったけど、そのまま手を振られて、私から改札に入った。
蘇芳さんは違う路線だから、もしかしなくても明らかに遠回りをして送ってくれたんだろう。

『いい人みたいじゃない。』
電車の中でも蘇芳さんの顔を思い出すと先輩の声が聞こえる。
優しい笑顔は時々困った顔になった。

あの人のそんな表情は思い出せない。

私はきっと全力で笑顔でいれてたのに。
それでも本当は困ってただろうか?面倒だなあって思われてたんだろうか?
それともお試し期間が終わって、あっさりといらないボックスに入れられたんだろうか?

そこは全然分からないまま。
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