真訳・アレンシアの魔女 下巻 石碑巡りたち

かずさ ともひろ

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第一の石碑 セレンディア

10話 聖神殿の入り口で

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「ふわぁ~~、凄かったね!」

 ユーリエが聖神殿の階段をぴょん、と飛び跳ねて、地面に立って言った。

「今でも信じられない。やっぱりマールは凄い。他の石碑も見たくて仕方ないよ」

「見たくて仕方ない……なんか、えっちね」

「どうしてユーリエはそっち方向に捉えるのかな!?」

「男の子ってそういうものじゃないの?」

「それ、誰から教えてもらったの?」

「リリル」

「だと思った」

 全く……。

「ねえカナク、ここからコルセアの王都カリーンって、どれくらいの距離なの?」

「僕も行ったことはないけれど、フェーン街道をまっすぐ東に行けば徒歩で二ヶ月くらい。フォレストエルフの森を迂回するなら、三ヶ月ってとこだね」

「むー、結構遠いね」

「まあ、そうだね。アレンシアは広いから」

「ねえ、『有翼の魔法ウインドウイング』で一気に飛んでいっちゃうのは駄目なの?」

 その言葉に、僕は表情を凍らせてユーリエに顔を近づける。
 う、と小さく呻き、顔を退くユーリエ。

「ユーリエ。それがアリなら、アレンシアを歩く旅人が絶えないのはなぜだろう?」

「そ、それは『有翼の魔法ウインドウイング』が上級魔法だからじゃない?」

「違うよ」

「じゃあ、なに?」

「それは旅じゃなくて、ただの“移動”だ」

 僕はユーリエから顔を離して、空を見上げる。
 雲一つない、縹色がずっと奥まで続いていた。

「“石碑巡りは人巡り”っていう言葉がある。ほかの旅人らと会話し、情報を交換し、助け合って目的地を目指す。それが大事なんだ。それに上級魔法はおそろしく疲れるでしょ? マールもその人生の中で『有翼の魔法ウインドウイング』は数回しか使わなかった」

「……そっか。一気に飛んじゃったら、出会えたはずの人とも出会えなくなるもんね。ごめんなさい」

 ユーリエの呟きに、僕は笑みを向ける。
 ユーリエはただ合理的な方法を提案しただけで、悪気があったわけじゃないはずだ。

「うん。だからそれは石碑巡りじゃない。この腕輪を与えられた僕らは、マールの足跡を追って、ちゃんと苦労しなくちゃ。それでも、たった一人での旅を余儀なくされたマールに比べたら楽だと思うよ」

 そう言うと、ユーリエは悲しげな瞳を向けて、小さな声で言った。

「ごめんねカナク。私、マール信徒じゃないから、そういうの、わからなくて――」

「いいんだよ」

「ねえカナク。今後もこういうことがあるかもしれない。マール信徒の戒律に反してしまうようなことを、不用意に言ってしまうおそれもある。それでも見捨てないで、私と最後まで旅をしてくれる?」

 しょんぼりしているユーリエの肩に、右手を置く。

「当たり前じゃないか。これは君の望みでも願いでもなく、僕の覚悟だ。そのつもりだから二人でセレンディアの石碑を見たんだ。僕はなにがあっても君を守り抜く。だから二人で石碑巡りをやり遂げよう!」

「カナク……」

 セレンディア・マール聖神殿の入り口で。
 ユーリエは堂々と、僕に抱きついてきた。

「ちょ、ユーリエ?」

「少し、このままで」

「はい」

 僕はユーリエの背中に手を回し、引き寄せて、髪に頬を寄せた。
 ああ……ユーリエ、大好きだ。

「カナクは石碑巡りに連れていってくれるって言ってはくれたけれど、それでも私、不安だったんだよ。だから今の言葉、嬉しい」

「そ、そう」

 近い。
 というか密着しているから、距離がない。
 暖かくて、いい匂いがする。

 ぐい、と、ユーリエが顔を近づける。
 少し僕が動けば唇と唇がくっついてしまうほど、ユーリエの顔が間近にあった。

「私だって、カナクを全力で守るからね! この旅、絶対成功させようね!」

 ユーリエの大きな瞳に、強い意志を感じる。
 どうやら石碑を見たことで、ユーリエの中の意識がなにか変わったみたいだ。
 僕はユーリエが愛おしくなって、少しだけ力を込めて抱きしめた。

 それから。

 僕とユーリエは市場に行き、一ヶ月分の食料を買った。
 セレンディアの特産は干し肉やドライフルーツなど、豊かな大地からの恵みが多い。普通の旅人ならば飲み水も仕入れるのだろうけれど、僕やユーリエのような魔法使いには空の水筒だけあればよかった。

 水は、魔法で手に入る。
 川や湖だけではなく、木々や草花からも、水の象徴である青いマナは放たれている。
 マールも旅では、銀のコップしか持っていなかったという。さすがに食料を魔法で作り出すことはできないので、これはなんとかしなければならないけれど、すべての答えはマール経典の中にある。

 今は買えるだけの食料を買えばいい。僕は数ヶ月の旅を想定してきた。酒場に行って旅人から話を聞いて、必要なものを全て揃えて鞄に入れてある。
 路銀もある。
 寝袋もある。
 あとはユーリエだけど……。

「旅の支度? 万端だよ」

 そう自信ありげに言うけれど……肩掛け鞄ひとつしかない。
 格好は学校の制服である紺色の上着とスカートに、膝上まである黒いロングブーツ。腰にはワンドを差し、旅用の白いマントを着ているけれど、それにしても軽装すぎる気がするんだけどなあ。

 これで万端、なのかな?
 ふとユーリエを見てみると、なにかに目を奪われているようだった。

「どうしたのユーリエ?」

「えあ、あ……」

 背を伸ばしてユーリエが見ていたものを確認して、驚いた。
 それは、よく熟れた桃だった。
 旅の食料としては、これほど向かないものはない。

「食べたいの?」

「そそ、そんなことないよ! ただ、これからコルセア王国まで行くでしょ? その間、こんな瑞々しい桃が食べられないのは、少し寂しいなあって思っただけ」

「そっかあ、ユーリエは桃が好きなんだね?」

「うー、あー……うん。実は大好物……」

 僕は手をあげて店の人を呼び、桃を五つ買った。

「ちょ、カナク?」

「食べながら行こうよ。僕らの旅路の門出ってことでさ!」

「いいの?」

「なにも石碑巡りは、辛い思いをしなきゃならないなんてことはないよ。できることなら、楽しく行きたい。この道をしっかり踏みしめて、マールの心に想いを寄せながら、時には旅人たちと歌い、杯を交わし、情報を集める。石碑巡りは、人巡りだからね」

「うん……うんっ!」

 頬を赤くして、最高の笑顔をくれるユーリエ。
 そんなに桃が好きなのか。
 覚えておこう。

「それじゃあ一通り買い物も終わったし、東門からコルセアに向かおうか」

「おーっ!」

 こうして僕とユーリエは、意気揚々とセレンディアの町を後にした。


 ――そしてこれがユーリエとの、悠遠の旅への始まりとなる。
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