真訳・アレンシアの魔女 下巻 石碑巡りたち

かずさ ともひろ

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第二の石碑 コルセア王都カリーン

07話 可愛い酔っ払い

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『ルォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!』

 おおかみにも似た声を、鼠人ウエアラツトらに振りまく。
 殺意がひとつ、また一つと消えていく。

 それもそうだ。
 下級の魔物である鼠人ウエアラツトごときと銀獣人では、ありとドラゴンほど差がある。
 故に、最初のひとえで十分だった。

 ぎろり、と、まだ残る殺意の所在を探る。
 大半は逃げ去ったようだが、まだ三匹ほど左上の枝にいるな。
 逃げるタイミングを失ってしまったのかもしれない。
 あれらがこちらに来たら面倒だ。
 
 僕は足に力を入れかがむと、膝を曲げ、一気に跳躍する。地面がえぐれ、土草が舞う。
 ガガガ、と太い木の幹に右手を突き刺して体勢を整え、次の木へと跳び移る。
 それを繰り返し、瞬時にして枝の上にいた鼠人ウエアラツト三体の前に立つ。
 突然現れた僕を目にして、恐怖ですくんでいた。

『去れ』

 ぎり、と、とがった歯を見せながら、威嚇する。
 鼠人ウエアラツトらは、我先にと木から落下し、這々ほうほうていで去っていく。
 連中が音楽団とは逆の方向に逃げていくのを確認すると、そこから僕は再び枝を跳ねつつ、ヤヒロちゃんがいる場所に戻った。
 ヤヒロちゃんは、さすがに目を丸くしていた。

『怖がらせてごめんね。これが僕の正体……希少種族、銀獣人なんだ』

 目の前の美しいハーフエルフの少女にすら感じてしまう、この食欲。
 そう。
 僕がこれまでユーリエに感じていたのは、性的な意味の“美味うまそう”ではない。
 純粋なる“食欲”なのだ。

 だからこそ。
 銀獣人としてではなく人間として生きていくために。
 マールを崇敬し、厳しい旅をすることで、己を鍛えたかった。
 僕がこの石碑巡りの旅を始める前、ユーリエからの誘いに悩んでいた理由は、これなのだ。
 
 でないと、僕は……。

 その時。
 ふわり、と、おなかに柔和にゆうわな温かさが広がった。
 ヤヒロちゃんが僕に、抱きついていた。

『怖くないのか?』

「どうして? カナクは、あの優しいカナクでしょ?」

 この姿になって、そんなことを言われたのは初めてだったので、思わず目をいた。

 アレンシアの希少種族である銀獣人と、フェイエルフ。
 この二種族は扱いがかなり違う。

 フェイエルフは精霊に近いとされ、叡智えいちと美の象徴だ。
 対して銀獣人は“動く天災”とおそれられているドラゴンに近いとされ、暴力と災厄の象徴とされている。

 子供の頃、感情が高ぶると人型を維持できず、この姿になって、僕をバカにしたものを散々に痛めつけてしまった。それから僕は悪魔の子みたいな扱いをされて、誰からも相手にされなくなった。
 その件もあって、僕はセレンディア聖神殿に引き取られることになったらしい。

 誰からも相手にされないし、してはならない存在。
 だから僕は、同じような境遇だったマールに興味を持った。

 僕とマールは似ていたのだ。
 でも、マールの苦しみに比べれば僕の悩みなんてちっぽけなものだ。マールを知れば知るほどに、僕は己の中の欲望を抑えられるようになっていった。
 優しくされると、辛い。
 僕は身体中からだじゆうから力を抜いて人の姿に戻ると、脱力しながら両膝をつき、ヤヒロちゃんを抱きしめた。

「ありがとう。この姿を見せて逃げなかったのは、君だけだ」

「ううん。きっと先生も知ってるよ。おちゃらけたところはあるけれど、あれでもフェルゴート救国の英雄だからね」

「はは、うん。きっとソーンさんはご存じだね」

「カナクは全然怖くない。だから今まで先生も出てこなかったんだよ。ここまでも二回、不思議な力を感じてた。マナの力を融合させた、なにか、みたいなの。あれってカナクだったんだね」

「!……」

 確かに、ここまでの道中、僕は人知れず鼠人ウエアラツトやゴブリン、コボルトなどの魔物を戦わずして追い払っていた。
 この森は確かに魔物が多いけれど、僕にかなうものなど存在しないことはわかっていた。

「ヤヒロちゃんはすごいね。全部、お見通しなんだ」

「私も先生もハーフエルフだからね。ハーフエルフは別名“故郷を持たざるもの”だもん。でも、カナクみたいに強い力はないから。だから先生は行き場をなくした人のために、この音楽団を立ち上げたんだよ」

「そう、だったんだ」

「うん。あのくらいの鼠人ウエアラツトとかゴブリンなら、先生がきっちりこらしめられるから。もう、あの姿にならなくていいんだよ」

「……ありがとう、ありがとう」

 ぽたり、と涙が落ちて、地面の草に当たって弾ける。
 今まで、誰にも言えなかった。
 今まで、誰からも言ってもらえなかった。
 僕はヤヒロちゃんを改めて抱きしめ、何度もお礼を――。

 ゴッ。

 なんか鈍い音がして、僕は五メルくらいふっ飛ばされた。

「??」

 ヤヒロちゃんの隣に悠然と現れ、胸を張って立っているのは。
 ユーリエだった。

「あ、あ、あ、あんらねぇえええええ!」

 あんら?

「はは、裸になって、ヤヒロちゃんになにしようろしれたんよ~!」

 ユーリエは走り出して飛びかかってくると、僕のおなかにどすん、と乗りかってきた!
 あの、僕は上半身裸で、ユーリエはスカートだから……女の子を直に感じてしまうのだけれど……。

「いたずらするなら、あ、あらしにしなさいよ~~~~っ!」

「え、ええええ!?」

 なんだかユーリエの様子がおかしい。
 呂律ろれつが回っていなくて、温かくて……。
 これ、お酒か!

「なにを言ってるんだよユーリエ、僕はヤヒロちゃんにいたずらなんてしてない!」

「ああん? ほんろぉ!?」

 ぐいん、と身体をまわし、ヤヒロちゃんに視線を向ける。
 ヤヒロちゃんは真顔でこくこくこくこく、と、高速でうなずいてくれた。
 それにしても、僕に乗っかったまま……そんなに動かないで……ほしい。

「ふ~ん。しか~し、わらし以外の女の子ろ、抱きあっれいらのは、事実ッ!」

「えぇ……」

 また僕のお腹なかの上でぐるんと回り、僕の胸に手を当てて顔を近づけてくるユーリエ。
 うう……これは、まずいって。
 それにユーリエならいいの?
 というか誰、ユーリエにお酒を飲ませたの。

「罰として、このまま、わ、わらしを、抱きしめらさい!」

「そ、そんな」

「いやなのッ!?」

「嫌なわけないじゃないか!」

「じゃあ身体をおこしれ!」

 もう何を言っているのかわからない……。
 僕は言われるがままに、上体を起こす。
 ユーリエは足を開いて、僕にぴとっとくっつく。
 ああ……これは、とてもまずい体勢だ。

「さあ、ほら」

 顔が近づく。
 すっごく、ワインの匂いがした。

「あああああああああああッ!」

 耐えきれなくなった僕は、ユーリエを強く引き寄せて抱きしめる。
 こんな状況で、普通でいられるはずがない。

「ん~カナクぅ~~!」

 僕にほおずりしてくるユーリエ。
 可愛すぎて。
 いとおしすぎてたまらない!

 ぎゅっ、っと背中をつかむ。
 ああ、なんて……なんて幸せなんだ。
 あふよだれを何度も飲み込みながら、僕は食欲を必死に耐えた。

「ユーリエ、僕はもう……うん?」

 耳元から、すうすうと音がする。


 寝てた!


「…………」
「…………」

 ぽかんと口を開くヤヒロちゃんが目に入る。

「なにか言いたいことは?」

「が、がんばっ!」

 ありがとう、ぜんぶ伝わった。
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