社長令息αの執着〜君を手放すくらいなら〜『年下幼馴染αの執着』シリーズ2

ひなた翠

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第三章:すれ違いの六年間

御曹司の嫁としての重圧

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 拓海が大学を卒業し、父親の会社に就職したのは、海斗が生まれて半年が経った頃だった。拓海は毎朝早くスーツを着て家を出ていき、夜遅くに疲れた顔で帰ってくる日々が続いた。

 ある日、拓海の母親から「会社の新年会に来てほしい」と連絡があった。社員やその家族も参加するパーティーで、拓海も入社したし、社員の妻として顔を出してほしいと言われた。僕は海斗を両親に預かってもらうと、拓海と一緒に会場へと向かった。

 ホテルの宴会場は豪華で、シャンデリアが天井から吊るされ、大きな円卓がいくつも並んでいた。入り口で拓海の父親と母親が出迎えてくれた。周囲の視線が一斉に集まり、背筋が凍りつく。

 ごくごく普通の家庭に育った僕には、知り得ない煌びやかな世界だ。緊張で心臓がバクバクと鳴っている。

「皆さん、息子の拓海と、その配偶者の悠斗です」
 拓海の父親が紹介すると、会場から拍手が起こった。笑顔で会釈をしたが、頬が引きつっていたように思う。

(拓海……すごいところのお坊っちゃんじゃん!)

 拓海から聞いていた事前情報とは全く違う。ご挨拶に行った時も、都会の一等地に立つ豪邸に驚いたけど、会社のパーティにはもっと驚いた。

(お義母さんも、拓海――世間の認識とズレてない?)

 日頃の社員への労いをこめて、ちょっとしたパーティを催すと聞いていた。社員とその家族を呼んで、美味しいものを食べるだけ――堅苦しいものじゃないからと二人から聞いていたんだが。

 どう見ても堅苦しい場だし、ちょっとしたパーティではなくて本格的なパーティだ。

 パーティーが始まると、次々と社員たちが挨拶に来た。「社長のご子息」「将来の後継者」という言葉が何度も聞こえてきて、拓海への期待の重さを感じた。そして僕に向けられる視線には、値踏みするような色が混じっていた。

「悠斗さんは、どちらの大学をご卒業されたんですか」
 ある女性社員が尋ねてきて、僕は言葉に詰まった。

「大学は……その……」
 声が震えて、続きが出てこなかった。拓海がすぐに横から割って入った。

「あ、鈴木さん、先月のプロジェクト、お疲れ様でした。父からも評価されてたって聞きましたよ」
 拓海が自然な笑顔で話題を変え、女性社員の顔がパッと明るくなった。

「本当ですか! ありがとうございます」

 女性社員が嬉しそうに拓海と話し始め、僕への質問は有耶無耶になった。拓海が巧みに会話を続け、女性社員は満足そうに去っていった。

 しばらくして、拓海が小声で囁いてきた。

「悠斗、居心地悪いよな。ごめんな」
 拓海の優しさが胸に沁みて、涙が溢れそうになった。

「大丈夫。社長の息子が、結婚相手を連れてきたってなれば……いろいろ聞きたくなるのはわかるから」
 僕は笑顔で答えながらも、胸の奥がツキンと痛んだ。

(配偶者は僕で良かったのだろうか)

 拓海のご両親も、拓海も僕との結婚を快く受け入れてくれた。学生のうちに妊娠するなんて、怒鳴られて反対されても文句は言えないのに。

 別の社員が話しかけてきた時も、同じような質問を受けた。出身大学、専門分野、今後のキャリアプラン。答えるたびに、相手の表情が曇っていくのがわかった。拓海の配偶者として、もっと華やかな経歴を期待されていたのだろう。

 トイレに立った時、洗面所で男性社員たちの会話が聞こえてきた。

「拓海さんの配偶者、意外と普通だな。顔は綺麗だったけど、それだけって感じ」
「大学中退らしいぞ。大学在学中に妊娠って、もっといい相手がいたんじゃないか?」
「まあ、子供ができたから仕方なかったのかもな」
「逆に、社長の息子だからわざと妊娠させたんじゃないか? 学生結婚とか、狙ってたとしか思えないだろ」

 笑い声が響き、心臓が凍りついた。

「それな。うまくやったよな」
「まあ、ある意味に勝ち組だよな、オメガだし。所詮、ベータの俺らとは思考が違う」

 嘲笑混じりの声が耳に突き刺さり、個室から出られなくなった。膝が震えて、便器の蓋に座り込んだ。

(世間から見れば、そう見えるんだ)

 拓海を誑かして、玉の輿にのったオメガ。社長の息子である拓海の子を妊娠させて、責任をとらせるために結婚。

(僕だって、なんであの時に妊娠したのか、わからないのに)

 ヒートのときも、そうじゃないときも拓海は必ず避妊具を装着してくれた。大学を卒業して、入籍したらすぐに子どもを作りたいねという話はしていた。

 学生の間は、学生カップルらしいことをたくさんしようって話し合って、長期休みの旅行計画や週末のデートプランを考えていたんだ。

 でも――。
 僕はスーツのジャケットの上からお腹に手を当てた。

(あの時、僕は海斗を授かってなかったら……一人も子どもを産めずに子宮を失っていたかもしれない)

 そう思うとゾッとした。

 男性たちの足音が遠ざかるのを待ち、ようやく個室を出た。洗面台で顔を洗い、鏡に映る自分の顔を見た。青白く、頬が痩けている。日々の育児疲れとさきほどのストレスで、顔色が悪すぎる。

(拓海に迷惑がかからないように、笑顔でいないと!)

 会場に戻ると、拓海が心配そうに僕を見ていた。

「大丈夫? 顔色悪いよ」
「ちょっと疲れただけ」

 笑顔を作ったが、日頃から僕をよく見ている拓海には作り笑顔は通じなかった。

「無理に笑う必要なんてないよ、悠斗」
 僕の耳に口を近づけると、小さい声で囁いた。

 パーティーが終わり、海斗を実家から引き取って帰宅する。
 家に着き、寝室で海斗を寝かしつけた後、リビングで一人座っていると、拓海が隣に座ってきた。

「今日のパーティー、気を使わせちゃったよな。悪かった」
 拓海が先に謝ってきて、胸が締め付けられた。

「僕も上手く言葉が出なくて……拓海に迷惑をかけたよね。ごめんね」
 俯きながら言うと、拓海が僕の手を取った。

「迷惑じゃないし。悠斗が俺の嫁だってあっちこっち言いふらせて、めっちゃ爽快だったよ」
 拓海が笑いながら言い、少しだけ心が軽くなった。


     ◇◇◇


 会社の新年会のパーティの次は、親戚の集まりが、拓海の実家で行われた。大きな和室に親戚たちが集まり、食事をしながら談笑していた。僕は隅の方で海斗を抱いて座っていたが、親戚たちの視線が時折こちらに向けられるのを感じた。

「悠斗さん、お若いのにしっかりしてらっしゃるわね」
 拓海の叔母が話しかけてきて、僕は会釈をした。

「ありがとうございます」

「出産して半年でしょう? 若いうちにもう一人くらい、すぐに作っちゃいなさいよ。海斗君も寂しいでしょう」
 叔母の言葉に、心臓が止まりそうになった。口を開こうとしたが、声が出なかった。

「海斗がいるからいいんだよ。俺は家族三人で充分、幸せだから」
 拓海がすぐに答え、僕の肩を優しく抱いた。

「でも、海斗君が可哀想じゃない。一人っ子って寂しいものよ」
 叔母が食い下がると、拓海は穏やかに微笑んだ。

「俺も一人っ子だったけど、寂しくなかったですよ。俺はこれ以上、悠斗との時間を子どもに奪われたくないし。もっと一緒に過ごしたい。子どもが二人になったら、俺との時間が無くなるじゃないですか」

 拓海の言葉に、叔母は少し驚いた表情をして、それ以上何も言わなかった。拓海の母親も、僕の近くに座ると、角が立たないように叔母から子どもの話題を遠ざけてくれた。

 もう僕は子供は産めない。海斗に兄弟を作ってあげることもできない。

 拓海は優しいから庇ってくれるけど、もし僕が産める状態であったなら、もう一人子どもが欲しいのではないか。
拓海の言葉は僕を守るための嘘で、本心は違うのではないか。そんなことを考えてしまう。

 帰り道、拓海が運転する車の中で、僕は気が重たくなる。

「悠斗、叔母さんの言葉、気にしないで。俺、悠斗との時間を大切にしたいって思っているんだ。子育ても大事だけど、悠斗と二人で過ごす時間もちゃんとほしい。だから子どもは海斗がいればいいんだ」

 拓海が優しく言ってくれたが、その優しさが余計に胸を締め付けた。拓海は僕を傷つけないように、いつも言葉を選んでくれる。それが申し訳なくて、辛かった。

 月日が流れ、海斗が三歳になった頃、拓海の父親から食事に誘われた。高級な日本料理店の個室で、拓海の両親と四人で向かい合って座った。

「拓海、そろそろ会社の重要なプロジェクトを任せようと思っている」
 父親の言葉に、拓海が姿勢を正した。

「将来的には、お前に会社を継いでもらいたい。そのための準備を始めたい」
 重い空気が個室を包み込んだ。

「悠斗さんも、大変だと思うけど、拓海を支えてあげてほしい」

 父親が僕に向かって頭を下げた。慌てて「はい」と答えたが、胸が締め付けられた。
 大企業の社長の後継者として、いよいよ拓海が本格的に仕事を任されるようになっていく。

 その配偶者として、僕ができることはなんだろうか。

(後継者を産んであげられない僕が、それ以上の価値を提供できる?)

 海斗が五歳になった頃、拓海の仕事がさらに忙しくなった。朝は誰よりも早く家を出て、夜は日付が変わる頃に帰ってくる日が続いた。疲れ切った顔で帰ってくる拓海を見るたびに、僕は妻として何もできていないと胸が痛んだ。

「拓海、無理しないで」
「大丈夫。ただの悠斗不足だから。週末は休めそうだから、悠斗を抱かせて。そしたらすぐに元気になるよ」

 拓海は笑顔を作って冗談めいたことを言っていたが、目の下のクマが濃くなっていた。

 ある日、拓海の母親から電話があった。

「悠斗さん、拓海の様子はどう? 最近、すごく痩せたみたいで心配なの」
「はい……仕事が忙しくて、あまり食事も取れていないみたいです」
「そう……悠斗さん、拓海のこと、よろしくお願いね」

 電話を切った後、リビングで膝を抱えた。僕は拓海を支えきれていない。

(もっとしっかりしなくちゃ。もっと頑張らないと)

 鏡に映る自分を見た。疲れた顔、冴えない表情、何の華もない姿。こんな僕が、本当に拓海の隣にいていいのだろうか。

「僕が拓海の足枷になっているんじゃないだろうか」

 拓海は優しいから、何も言わない。家族も優しいから、受け入れてくれている。でも本当は、もっと相応しい人がいたのではないか。華やかで、学歴があって、子供をたくさん産める相手が。

 海斗が六歳になる頃には、僕は一つの考えに囚われていた。

『拓海には別の人が相応しい――』と。
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