支配者の刻印〜愛を知らない獣が、借金オメガを溺愛する〜

ひなた翠

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第五章:過去の向き合い方

篤志との再会

 夏休みのある日、鉄平さんから買い出しを頼まれた。

 鉄平さんが申し訳なさそうな顔で紙を差し出してきて、そこには店の名前と買うものリストが書かれていた。コーヒー豆、紅茶のティーバッグ、クッキー、チョコレート。細かく銘柄まで指定されていて、見ているだけでため息が出る。

「ごめんね、柊くん。最近、口寂しいのか食べる量が半端なくて……ストックがもうないんだよ」
 鉄平さんが頭を下げた。

 口寂しいのか――という鉄平さんの言葉に「うっ」と胸の奥に小骨のようなものが刺さる痛みが走る。

(性欲の紛らわせ方が、女子なのやめてくんない?)

 むすっとした表情で、お菓子を貪る鷹臣さんの顔を思い出す。僕が切り出したルールを律儀に守ってくれるのはありがたい。

 だが、その分の発散の仕方を知らないのかどうかわからないが、とにかくお菓子を食べまくる。体重が増えないのが不思議なくらい、とにかく甘いものを食べていた。

「わかりました。行ってきます」
 ――ほぼ、僕のせいだし。

 いや、僕のせいって思うのがおかしくないか? 世のカップルの性事情は知らないが、鷹臣さんが異常するぎると思う。

(今までどうやって、強すぎる欲をコントロールしてんたんだか!)

 ふとホテルに呼び出されていた頃を思い出す。
 ――あ、そっか。仕事でいろんな女性を抱いてたんだっけ。

 今までは複数の人を抱いて処理。今は一人だけ――。

(そりゃ、口寂しくもなる)

 しばらく買い出しに行かなくてもいいくらいに大量に買ってきてやる――と思うと、意気込み新たに僕は大きなエコバックを手にした。

 会社を出ると、夏の日差しが容赦なく降り注いできた。アスファルトから立ち上る熱気が、足元から這い上がってくる。額に汗が滲んで、シャツが肌に張り付いた。歩き始めて三分もしないうちに、背中がじっとりと汗ばんでくる。

 指定された店は、住宅街の中にある小さな輸入食品店だった。ガラス張りの入口を押して中に入ると、冷房の冷たい空気が頬を撫でる。ホッと息をついて、店内を見回した。

 棚には海外のお菓子や調味料、コーヒー豆が並んでいた。香ばしいコーヒーの香りが漂っていて、どこか落ち着く匂いだった。リストを確認しながら、指定された銘柄を探していく。

 コーヒー豆は「エチオピア産イルガチェフェ、中煎り」。紅茶は「フォートナム・アンド・メイソンのロイヤルブレンド」。クッキーは「ウォーカーのショートブレッド」。チョコレートは「リンツのリンドール、ミルク」
「……面倒くさい男だなあ」

 商品を手にしながら、思わず独り言が漏れ出てしまう。

 会計を済ませて店を出ると、また灼熱の太陽が容赦なく照りつけてきた。エコバックを両手で抱えて、歩き始める。汗が額を伝って落ちて、気持ちが悪い。

「柊?」

 声をかけられて、僕は足を止めた。

 聞き覚えのある声に、心臓が跳ね上がる。ゆっくりと振り返ると、篤志が立っていた。白いTシャツにジーンズ姿で、少し日焼けした肌が眩しく見える。驚いたような顔で、僕を見つめていた。

「篤志……」

 名前を呼ぶと、篤志が小さく笑った。懐かしい笑顔だった。高校時代に何度も見た、優しい笑み。胸の奥がチクリと痛んで、僕は視線を逸らした。

「久しぶり。こんなところで会うなんて」

 篤志が近づいてきた。僕との距離が縮まって、心臓の音が大きくなる。どう反応していいかわからなくて、僕はただ頷くことしかできなかった。

「あ……うん、久しぶり」
 ぎこちない返事になってしまう。篤志が僕の手元を見て、エコバックに視線を落とした。

「買い物?」
「うん。バイト先の買い出し」

 当たり障りのない会話が続く。気まずい沈黙が降りてきて、僕は汗を拭うふりをして視線を逸らした。

「暑いね。どこかでお茶しながら話そうか」
 篤志が笑顔で提案してくれる。頷くと、篤志が近くのカフェを指差した。

「あそこでいい?」
「うん」

 二人でカフェに入った。冷房が効いていて、ホッと息をつく。窓際の席に座って、僕はエコバックを隣の椅子に置いた。篤志がアイスコーヒーを二つ注文して、僕の向かいに座る。

「たくさん買ったな」

 篤志が紙袋を見て、小さく笑った。僕は肩をすくめて、グラスに口をつける。冷たい液体が喉を通って、身体の熱が少しだけ冷めた。

「好みが五月蝿い奴がいて」
 愚痴のように呟くと、篤志が首を傾げた。

「五月蝿いって?」
「細かすぎて困るんだ。コーヒー豆は産地と焙煎度合いを指定してくるし、紅茶は銘柄を間違えると不機嫌になる。お菓子も気に入ったものしか食べない」

 話しているうちに、不満が溢れてきた。篤志が笑って、頷く。

「大変そうだな」
「本当に。まあ、暑い中でカフェに立ち寄れたのはラッキーかな」

 僕が笑うと、篤志も笑顔を返してくれた。少しだけ、緊張が解けた気がする。

「篤志こそ、大学は楽しんでる?」

 話題を変えると、篤志の表情が曇った。曖昧に笑って、視線を逸らす。気を使っているのだろう。僕が大学を諦めたのを知っているから。

「気にしないで」
 僕が先に告げると、篤志が顔を上げた。

「あれからいろいろあって、僕も大学に通えてるんだ」
 篤志の表情がパッと明るくなった。ホッとした様子で、肩の力が抜けているのが見える。

「そうなんだ。良かった」

 心から嬉しそうな声だった。篤志は本当に僕のことを心配してくれていたのだ。胸が温かくなって、僕は小さく頷いた。

「大学は普通かな。授業も友達も、まあまあって感じ」
 適当に答えると、篤志が少し躊躇うように口を開いた。

「卒業式に一緒にいた人って」

 言いにくそうな様子で、篤志が僕を見つめてくる。あの日、鷹臣さんが卒業式に来てくれたことを覚えているのだろう。僕は頷いて、グラスを置いた。

「ああ……まあ」
 曖昧に答えると、篤志がさらに踏み込んできた。

「借金取りの……?」

 真剣な眼差しで問いかけられて、僕は小さく笑った。篤志はちゃんと見ていたのだ。あの日、鷹臣さんが僕の隣にいたことを、しっかり覚えている。

「そう。あれからいろいろあって、今はその人と付き合ってる」

 素直に告げると、篤志の表情が強張った。驚いたような、信じられないような顔で、僕を見つめている。

「大学に行けてるのもその人のおかげ」
 付け加えると、篤志が視線を落とした。俯いて、グラスを握る手に力が込められている。

「――そう、なんだ」

 小さく呟いた声が震えていた。篤志が顔を上げると、寂しそうに微笑んでいる。無理に作った笑顔だと分かって、僕の胸が痛んだ。

「あの時は……」

 篤志が口を開きかけたところで、僕のスマホが鳴った。ポケットから取り出すと、鷹臣さんからの着信だった。出ると、低い声が響いてくる。

「何をしている」
 不機嫌そうな声だった。僕は眉を寄せて、答える。

「買い出しに行けって言ったのそっちだろ」
「その店での買い出しは言いつけていない」

「はあ?」
(その店ってなんだ?)

 意味が分からなくて、僕は窓に視線を向けた。外の歩道に、見覚えのある車が路上駐車されている。そして歩道から、腕を組んで仁王立ちで睨みつける鷹臣さんの姿が見えた。

 心臓が跳ね上がる。
 ガラス越しに鷹臣さんと目が合った。

「何をしている」
「元彼に会ってる」

 僕が答えると、鷹臣さんの頬の筋肉が痙攣するのが見えた。

(お茶しているだけでそこまで怒る?)

「すぐに出てこい」
 命令口調に、僕はムッとした。

「はあ」

 大きくため息をついて、電話を切る。篤志が不思議そうに僕を見つめていて、僕は立ち上がった。

「ごめん。ちょっと待ってて」

 エコバックを持って、店の外へと向かう。ドアを押して外に出ると、灼熱の日差しが容赦なく降り注いできた。鷹臣さんが腕を組んだまま、僕を睨みつけている。

「帰るぞ」
 低い声で告げられて、僕は首を横に振った。

「一人でね」
「ああ?」

 機嫌の悪い声が響く。僕は買い出しの荷物を鷹臣さんに押し付けた。

「見てわからない? 僕は話してる最中」
「バイト中にな」

 鷹臣さんが苛立ったように返してくる。僕は腕を組んで、鷹臣さんを見上げた。

「会ったぶんの時間は残業する。それでいい?」
「なんだ、その態度は」

 鷹臣さんの声が低くなる。普段なら怖くなる声だが、今は引く気にならなかった。

「嫉妬して怒るのは勝手だけど、僕は今、高校時代にできなかったモヤモヤと決別してる最中なの」
 真剣に告げると、鷹臣さんの眉が寄った。

「邪魔しないで」
 続けて言うと、鷹臣さんが不満そうに視線を逸らす。

「それに今更、篤志とどうこうならないから」
「あっちは違うかもしれないだろ」

 鷹臣さんが低く呟いた。不安そうな声に、僕は思わず声を荒げてしまう。

「あのね! 鷹臣と付き合ってるって言ってあるから」
 大きな声で告げると、鷹臣さんの目が見開かれた。驚いたような顔で、僕を見つめている。

「僕は、高校のときに篤志とちゃんと向き合えなかった」
 胸の内を吐き出すように、言葉が溢れてくる。

「一方的に逃げるように別れを押し付けて、連絡先をブロックした」
 鷹臣さんが黙って、僕の話を聞いている。

「僕はもう次の恋に動き出せてるけど、あんな別れ方された篤志は次に向き合えない」
 自分でも驚くほど、冷静に言葉が出てきた。

「僕も篤志も、ちゃんと折り合いをつけないと」
 そう告げると、鷹臣さんが小さく息をついた。

「……言ったのか? 付き合ってるって」
 確認するように問いかけられて、僕は頷いた。

「言ったよ。なんで」
「いや、だって……好きなんだろ。あいつのこと」

 鷹臣さんの声が弱々しかった。不安そうな顔で、僕を見つめている。普段の強気な鷹臣さんとは違う、弱った表情。僕は小さく笑って、首を横に振った。

「好きだったよ。あんたに無茶苦茶に抱かれてるとき、篤志の胸で癒されてた」
 正直に告げると、鷹臣さんの顔が強張った。

「あ?」
 低く、危険な声が響く。僕は構わずに続けた。

「聞いてた? 好きだったって過去形で言ったの」
 真剣に告げると、鷹臣さんの表情が緩んだ。安堵したような顔で、小さく息をつく。

「とにかく、会社に戻ってて。篤志と会話が終わったら、帰るから」
 僕がそう言うと、鷹臣さんが僕の名前を呼んだ。

「柊」
 振り返った瞬間、手首を掴まれた。引き寄せられて、鷹臣さんの腕の中に収まる。

「ちょっと――」

 抗議する間もなく、唇が塞がれた。鷹臣さんの熱い唇が僕の唇に触れて、舌が侵入してくる。人通りのある歩道で、堂々とキスをされている。恥ずかしさで顔が燃えるように熱くなって、僕は鷹臣さんの胸を押した。

 唇が離れると、鷹臣さんが低く囁いた。

「話が終わり次第、さっさと帰ってこい」
 命令口調だったが、少しだけ寂しそうな表情も垣間見れて僕は文句の言葉を飲み込んだ。

「待ってる」

 優しい声で告げられて、僕の心臓が大きく跳ねる。鷹臣さんが車に乗り込んで、エンジンをかけた。窓から手を振られて、僕は小さく手を振り返す。

(我が儘で、勝手な人だ)

 それでもなんでか、許してしまう自分がいる。

 僕は赤い顔のまま、カフェに戻った。ドアを開けて中に入ると、篤志が心配そうな顔で僕を見つめている。

「大丈夫?」
 優しく問いかけられて、僕は頷いた。席に座ると、グラスの水滴が指に冷たく触れる。

「ごめん。待たせて」
 謝ると、篤志が首を横に振った。

「いや、大丈夫」
 優しい笑顔だった。高校時代と変わらない、篤志の優しさ。胸が温かくなって、僕は小さく笑った。
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