完璧な義兄は不完全な愛に溺れる~義弟の甘い蜜~

ひなた翠

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第二十三話「大切な人だから」

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 仕事を終えてマンションに帰宅するなり、携帯が鳴った。画面には「父」の文字が表示されている。俺は鞄を床に置き、通話ボタンを押しす。

「もしもし」

『伊織! すぐに来てくれないか。ちょっと大変なことになってて、千景くんが大泣きして……キッチンで土下座して――どうしたらいいのか』

 父の声は普段の落ち着いた口調とは違い、明らかに動揺していた。電話の向こうから、泣きながら「ごめんなさい」と繰り返す千景の声が聞こえてくる。か細く震えた声が、俺の胸を締め付けた。

(キッチンで土下座って、何があったんだ?)

 何があったのか分からないが、千景が泣いている。そう思っただけで、俺の心臓が音を立てて激しく鳴り出した。

(何があったんだ?)

「わかった。すぐに行く」

 俺はスーツのまま、携帯と車のキーを掴んで玄関を飛び出した。エレベーターを待つ時間すら惜しく感じ、階段を駆け下りる。靴音が響き、息が上がる。地下の駐車場へ出ると、車に飛び乗ってエンジンをかけた。

 実家の前に到着すると車を止める。エンジンを切り、車を降りた。
 玄関のドアを開くと、脱いだ靴を並べることなくリビングへと駆け込んだ。

「伊織くん?」

 リビングに飛び込んできた俺に、お義母さんが驚いた声をあげた。

 視線を彷徨わせて千景の姿を捉えると、床に座り込んで頭を下げていた。白いシャツの襟元から覗く首筋には、俺がつけたキスマークがくっきりと残っていた。

「これは……どういう状況?」
 俺の声に、千景の身体がびくりと跳ねた。

「あのっ」
 義母さんが説明しようと口を開きかけたとき、千景が大きな声を上げた。

「ごめんなさい! 僕のせいだから……僕がいけないんです。全部、僕が……ごめんなさい。すみませんっ」
 必死に、何度も謝罪の言葉を繰り返す千景を見つめる。

(多分、そういうことなんだろうな)

 千景が必死に謝っているのは、俺らのことが両親に知られたのだろう。俺も千景の隣に正座をすると、頭を下げた。

「千景まで!」
「千景くん?」

 父と義母さんが驚きの声を上げる。隣で千景が顔を上げ、目を見開いて俺を見つめているのが分かった。

「ちがっ……兄さんは……違う、から」

 千景が少しだけ顔をあげると、俺の腕を掴んで首を横に振った。涙で頬は濡れ、目が真っ赤に腫れ上がっていた。

「情報が断片的で、状況がうまく飲み込めてないけど。千景が泣きながら謝るってこれくらいしか思いつかないから」

 俺は顔を上げ、両親の目を真っ直ぐに見た。父は困惑した表情を浮かべ、義母さんは静かに俺たちを見つめている。

「違う、違う……違うから」
 千景が俺の袖を引っ張り、必死に否定する。

「俺たち、付き合ってます」

 はっきりと告げた。リビングに静寂が落ちる。時計の秒針が時を刻む音だけが響き、息を詰める音が聞こえた。

「血の繋がりはなくとも、今は義兄弟で世の中のルール的にはよくないことは重々承知の上です。交際を認めてほしいとか許してほしいとか、そういった自分たちの望みを押し付ける気はありません」

 千景の手が俺の腕から離れ、震えているのが分かった。

「ただ千景は責めないでください。責めるなら、俺だけを――」
「ほら! 言ったじゃない! 格好いい彼氏ができてるじゃない」

 突然、義母さんの明るい声が響いた。俺は「へ?」と間抜けな声を出しながら、義母さんを見た。にこにこと笑顔を浮かべ、嬉しそうに俺たちを見つめている。その後ろでは、父も柔らかな笑みを浮かべていた。

「えっ? ええ? どういうこと……ですか?」

 俺は混乱した。怒鳴られると思っていた。勘当されると覚悟していた。なのに、義母さんは笑っている。父も怒っていない。

 状況が理解できず、ただ呆然と二人を見つめることしかできなかった。

「この前、千景の上半身を見ちゃったの。ソファでうたた寝してて、シャツがちょっと捲れててお腹が見えちゃって」

 義母さんが優しい声で語り始めた。俺は息を飲み、千景の方を見る。千景も呆然とした表情で義母さんを見つめていた。

「キスマークが見えたからちょっとだけ捲ったの。そしたらたくさんあったから――。見て見ぬふりをしようかなって思ってたんだけど、黙ってるのに我慢できなくなっちゃって」

 義母さんはまるで恋バナで盛り上がる女子大生のようなテンションで話している。

「最近の千景、すごく綺麗だし、幸せそうに笑うから。千景が伊織くんに一目惚れしたのは気づいてたし、それでしばらく苦しんでるのはわかってたけど――私たちがどうこうできることじゃないでしょう?」

 義母さんの声は優しかった。責めるような響きは一切ない。むしろ、温かな慈しみが込められている。

「キスマークを見たら、伊織くん以上の人ができたのか……それとも――って」
「『私たち』ってことは、父さんもわかってて電話した?」

 俺は父を見た。父は苦笑いを浮かべながら頷いた。

「まあ、だって千景くんが泣いちゃったし、『ごめんなさい』しか言ってくれないから、伊織を呼ぶしかないだろ?」

 父の言葉に、俺は深いため息をついた。緊張で張り詰めていた身体から一気に力が抜けた。

(何だったんだ、この緊張は)

「はああ」

 盛大なため息が口から漏れた。隣で千景が呆然とした表情で義母さんを見つめている。涙で濡れた頬が月明かりを反射し、大きく見開かれた瞳が揺れていた。

「――知って……た?」

 千景の掠れた声が震える。信じられないという表情で、義母さんと父を交互に見ている。

「だって千景はお母さんの子よ? 好みのタイプだって似るじゃない? 伊織くんを格好いいって思うのは当たり前ってことよ。私が彼を好きになったみたいに!」

 義母さんが父の腕に絡みつき、にっこりと微笑んだ。父は頬を赤く染め、照れたように視線を逸らす。その姿がまるで恋人同士のようで、俺は思わず目を逸らした。

(両親のそういうところはあまり直視したくないな)

「――怒ってないんですか?」
 千景が震える声で父に問いかける。父はゆっくりと首を横に振った。

「千明さんから聞いたときは驚いたけど……なんだろうな」
 父が言葉を選ぶように、ゆっくりと話し始めた。

「伊織が酔って『女性が抱けない』ってこぼしたときに、『ああ、そうか』って妙に納得しちゃったんだよね」

 父の言葉に、俺は息を飲んだ。あの日のことを父は覚えていたのか。正月、実家に帰ったときに酔いつぶれて、父にあんなことを言ってしまった。恥ずかしさで顔が熱くなる。

「さっき千明さんが言ったみたいに親子の好みが似るっていうなら、伊織が千景くんを好きになるのもわかるなあって」

 父と義母さんが顔を見合わせ、嬉しそうに微笑み合う。二人には全て見透かされていたのだろう。俺たちの関係も、千景の想いも、全て知っていた上で見守ってくれていたのだ。

 俺は千景の頭を撫でた。柔らかい黒髪が指の間をすり抜け、温かい感触が手のひらに伝わってくる。千景が俺を見上げ、涙で濡れた瞳が俺を捉えた。

「よかったな」

 優しく微笑むと、千景の目からまた涙が溢れた。でも今度は悲しみの涙ではない。安堵と喜びの涙だ。千景が俺の胸に顔を埋め、声を上げて泣き始めた。

「僕、怒鳴られて親子の縁を切られるかもって思って――怖かった」

 か細い声が震える。俺は千景の背中を撫で、優しく抱きしめた。細い身体が俺の腕の中で震え、温かい涙が服に染み込んでいく。

「切るわけないじゃない。千景の人生なんだから、千景が思うように生きればいいの」

 義母さんの優しい声が響いた。千景の震えが少しずつ収まっていき、呼吸が落ち着いていく。俺は千景の髪を撫で続け、背中を優しく叩いた。

「あと……あの、実は――」
 千景が顔を上げ、両親を見た。まだ目は赤く腫れているが、表情は穏やかになっている。

「バイトのこと、話してなかったんだけど」

 千景がカマバーでバイトをしていることを打ち明けた。女装をして、接客をしていること。源氏名は「ちか」で、週に何度も店に出ていること。全てを正直に話す千景を、俺は見守った。

 父は驚いて目を見開いていたが、義母さんはある程度わかっていたようで、「千景なら、絶対可愛い!」と自信を持って言った。

「千景、バイト中の写真ないの?」
 義母さんに聞かれ、千景が返答に困っている。俺は携帯を取り出し、二人で撮った写真を見せた。

「バイト中じゃないですけど、バイトが終わった後のなら」

 画面には、女装した千景と俺が並んで写っている。千景は黒いワンピースを着て、長い髪のウィッグをつけている。

「ほら! 可愛い! 千景、美人さんね」

 義母さんが嬉しそうに声を上げた。父も覗き込んできて、「千明さんの若い頃によく似てる」と微笑んだ。

「――は?」
 俺は思わず声を上げた。父が「昔ちょっと」と言葉を濁す。

「隠す必要ないじゃない。ホステスとボーイの関係だったのよ。さらには元彼――」

 義母さんがあっけらかんと告白した。職場で再会して、お互いシングル同士で、話しているうちに恋に落ちたのだという。

「そうだ。今夜、伊織くんは泊まっていく?」
 義母さんに聞かれ、俺は首を横に振った。

「いえ、帰ります。車を家の前に停めたままなので、長時間の駐車は邪魔になると思いますし」
「夕飯は?」
「食べてないです」

 俺の返答に、父が驚きの声を上げた。

「食べてないのか?」
「家に着くなり父さんに呼ばれて、急いで来たんだよ!」

「格好良かったなあ、伊織くん。状況がわからないなりに判断して、スッと千景の隣で頭をさげて、責めるなら俺を――って」

 お義母さんがうっとりとした表情で語りだす。

「いや、だって……あれは」
 俺が顔を真っ赤にさせて、ごにょごにょと意味ない言葉を繰り返した。

「伊織は俺の子だからな。格好いいのは当たり前だろ」
「そうだったわね」

 お義母さんと父の間に、甘ったるい雰囲気が漂い始めると俺は大きめな咳払いをした。
(だから、そういうのは見たくないんだって)

「そろそろ帰りますね」
「え? 夕食、食べて行かないの?」
「どうぞ、二人の時間を楽しんでください」

 微笑むと、義母さんが少し照れたように笑った。

「あ、僕――兄さんのところに泊まってきてもいい?」
 千景が立ち上がり、義母さんを見た。義母さんは優しく頷く。

「いいわよ」

 千景が嬉しそうに笑った。俺は千景に荷物を準備するよう促し、リビングで両親と向き合った。

「伊織くん――ありがとう。うちの子の気持ちを受け入れてくれて」

 義母さんが俺の手を取り、涙目で頭を下げてきた。温かい手が俺の手を包み込み、優しい温もりが伝わってくる。

「いえ、俺のほうこそ。交際を受け入れてもらえて嬉しいです。千景じゃないですけど、反対されると思っていたので」
「二人が幸せなら、それでいいわ」

 義母さんが目を細めて笑顔を見せた。その笑顔は、本当の母親のように温かかった。
 バタバタと階段を降りてくる音がして、千景がリビングに戻ってきた。大きな鞄を持ち、準備が整っている。

「じゃあ、帰ります」

 千景と一緒に玄関へと向かい、靴を履く。両親が見送ってくれる中、実家を後にした。玄関の扉が閉まる音が背中で響き、俺たちは車に乗り込んだ。
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