白鷺の子は、死者の声を聴く

菜の花

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第5話 彼方の願い

『僕の名前は高崎彼方たかさき かなた
 彼方って呼んでね』

あまりにも軽い口調に、
春は一瞬、言葉を失った。

『君の名前も聞いていいかな?』

……なんで僕は、
死者に自己紹介を求められているんだ。

(……普通におかしいだろ)

心の中で、思わず本音が漏れる。

「……春だよ。白鷺春」

『じゃあ——春。よろしくね!』

彼方は、屈託なく笑った。

……本当に、これが死者なのか?

いや、
透けてるし。
浮いてるし。

どう見ても、死者だ。

なのに。

(距離感が……生きてる人間すぎる……)

春は思わず、
自分の感覚を疑った。

今まで、
こんなに“よく喋る死者”を
視たことがない。

彼方は、
存在そのものが予想外だった。

「……それで」

春は、
自分を落ち着かせるように息を整え、

「彼方の“心残り”って、何なんだ?」

核心に触れた質問をした。

――瞬間、
彼方の表情から、
すっと笑みが消えた。

『…………直哉さん』

「……誰?」

『神社で、
 僕が話しかけてた人』

俯いたまま告げる声には、
はっきりとした寂しさが滲んでいた。

『直哉さんはね、
 すごい人なんだ』

春は黙って聞く。

『頭が良くて、
 仕事も出来て、
 穏やかで、優しくて……』

ぽつり、
ぽつりと、
彼方は言葉を選ぶように話す。

『周りに人が集まるのも、
 当然って思える人で』

彼方の声が小さくなる。

『将来を有望視されてる
鷹宮財閥の跡取りで……』

そこで、
彼方は一度、言葉を切った。

目を閉じ、
震える息を吸い込む。

『……僕の、恋人だった人』

「……は?」

完全に予想外で、
春の声が裏返る。

彼方は、
困ったように、
少しだけ笑った。

『おかしいよね』

春は何も言えない。

『僕みたいなのが、
 直哉さんの恋人だなんて』

「……別に、おかしくは——」

『おかしいよ』

被せるように、
彼方は言った。

『だって、
 あんなに素敵な人なんだよ?』

彼方は顔を伏せる。

『直哉さんに釣り合う人なんて、
 他にいくらでもいる』

「……それ、彼方の思い込みだろ」

春が言うと、
彼方の肩がびくりと揺れた。

『僕は、
 人づきあいも下手で……
 言いたいことも言えなくて……』

言葉が、
止まらない。

『すぐ嫉妬するし、
 感情も上手く抑えられない』

春は、
嫌な予感がしてきた。

『胸を張れるものなんて、
 一つもなくて……』

「……彼方」

呼びかけても、
彼方は止まらない。

『直哉さんの役に立つどころか、
 足を引っ張ってばかりで……』

「……待て」

『どうして僕なんかが
 あの人に選ばれたのか……』

「待てって!」

『僕が一番、
 わからないんだ……』

「彼方!!」

春は、
感情を抑えきれず叫んだ。

「自己肯定感、低すぎだろ!!」

彼方が、
はっと顔を上げる。

「直哉さんが、彼方に
 そんなこと言ったのか!?」

『……言うわけない』

声が震える。

『直哉さんは、
 絶対にそんなこと言わない。
 僕の事を、
 自分以上に大切にしてくれた!』

その一言に、
全てが詰まっていた。

春は、
はっきりと理解する。

(……ああ、
 彼方はちゃんと愛されてたんだ)

彼方は、
震える声で続けた。

『……だから、
 春にお願いがあるんだ』

言いかけたところで、
彼方が、ふと視線を遠くへ向けた。

『……ごめん』

「え?」

『もう、行かなきゃ』

彼方の輪郭が、
揺らぎ始める。

『直哉さんが移動する。
 僕は、
 あの人から
 一定の距離しか離れられないんだ』

「彼方、待って!」

ふっと、
体が空気に溶け始める。

春は反射的に、
彼方の腕へ手を伸ばした。

——触れた瞬間。

世界が、
裏返った。

突如、
断片的な“映像”が、
ダムが放流するような勢いで
脳へと流れ込んでくる。

――視界を覆うほどの激しい雨。
暗闇。

街灯の下で息を切らす、
彼方の荒い息遣い。

後方から、
誰かの叫ぶ声——
追う足音。

再び走り出した彼方のポケットから、
何かが落ちて。

彼方が振り返り、
それに手を伸ばす。

——眩い光が、
眼前に広がって。

空が見えた。

真っ暗な空。
落ちてくる冷たい雨。

次に映ったのは、
横転した車のタイヤ。

そして、
その横で立ち尽くす、
直哉の、
絶望に染まった瞳——。

そこで、
ブツリ、と映像が消えた。

春の心臓が、
狂ったように脈を打っている。

(……今の……
 彼方の“最期”……か?)

茫然と佇む春を残して、
彼方は消えゆく寸前、
静かに告げる。

『春、また明日』

「……うん。
 ……また明日」

空には、
迫る夜の闇だけが広がっていた。

それでも春は、
しばらくその場から
動くことができなかった。

胸の奥に残されたのは、
彼方の闇に触れてしまった、
その余韻だけ――

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