白鷺の子は、死者の声を聴く

菜の花

文字の大きさ
10 / 43

第9話 闇に触れた代償

砂浜に着く頃には、すっかり日が暮れていた。
空は薄紫から群青へと沈み、
海はその色を静かに映し出している。

誰もいない浜辺で、
波の音だけが規則正しく耳に届く。

春は立ち止まり、
崖の上の別荘を仰ぎ見た。

――彼方の姿は、どこにもない。

いくつあるのか分からない窓のひとつに、
ぽつりと灯りがともっている。

なぜだか、そこに直哉と蓮がいるような気がした。
確証なんてどこにもないのに。

胸の奥が、
ひどくざわつく。

――帰ろう

そう思った、次の瞬間。

ぞくりと、肌が泡立った。

潮の匂いが、
浜の空気が、急に重くなる。

恐る恐る振り返った、その先で――
そこに“在る”はずのない黒い影が、
視界の端で、ゆらりと揺れた。

咄嗟に悲鳴を飲み込み、目を凝らす。

「……彼方?」

呼びかけた声は、小刻みに震えていた。

彼方の身体が
どす黒い靄のようなもので覆われている。

「……彼方?」

もう一度呼びかけ、一歩づつ、慎重に近づいていく。

表情が見える距離まで近づいた時、
彼方の唇がかすかに動いた。

「……なお、や……」

直哉の名前。

彼方は、焦点の合わない虚ろな目で
ぶつぶつと何かを呟き続けていた。

それは、
春が幼い頃から何度も見てきた姿。

意思を失い、
未練だけで彷徨う、死者の姿だった。

「彼方……! ダメだ!」

春は、思わず手を伸ばしていた。

指先が彼方の肩に触れた、その瞬間――
心臓が、ドクン、と異常なほど大きく跳ね上がる。

体の奥から、
得体の知れない何かが一気に抜け落ちていく感覚に眩暈がした。

「ひ……あ……」

口からは苦し気なうめき声が零れ落ち、
頭の中ではしきりに警鐘が鳴り響いている。

(……彼方から、離れないと)

(手を、離さないと)

――なのに、身体が言うことをきかない。

磁石に引き寄せられるように、
彼方から離れることができない。

視界が歪み、体から力が抜け落ちていく。

彼方の影が、
ほんのわずかに、濃くなった気がした。

「……あ、たたか……」

地の底から這い上がってくるような、
そんな声が耳に届く。

それを最後に、意識が急速に遠のいていった。

(……落ちる)
――そう思った、次の瞬間。

「――白鷺!!」

背後から伸びた腕が、
春の身体を強引に引き寄せた。

同時に
閃光のような眩い光が眼前で弾ける。

「……っ」

空気が震えた。

(れ…ん、さん…?)

重たい頭をゆっくりと持ち上げて見上げた先に、蓮がいた。
 
(…ど、して、ここに?)

「……馬鹿か、お前は」

低く、抑えた声。
だが、その奥に滲む感情は
明確な怒りだった。

「こんな事を繰り返していれば、いづれ命を落とすぞ」

はっきりと告げる、その言葉の意味がわからない。
何か言おうとしても、頭がうまく働かない。

連は、春を一度だけ見下ろすと
迷いなくその端正な顔を近づけた。

(……え?)

息が触れるほど近くまで迫る。

その距離に、逃げ場はなくて。

次の瞬間、
唇が、塞がれた。

――な……に……?

思考が追いつかない。
抵抗しようにも、身体が言うことを聞いてくれない。
何が起きているのか理解できないまま、頭が混乱をきたし出す。

唇越しに
ひやりとした感触が伝わった。

――冷たい。

まるで冷気のような息を吹き込まれて、春は体を小さく震わせた。

口の中に流れ込んできたそれは
喉を通り、胸へと落ち、
身体の奥へと染み渡っていく。

それと平行して、
失われかけていた体の感覚が指先から少しずつ戻ってきた。

心臓が、強く脈を打つ。
体に血が巡り始める。

「……っ、は……」

空気を求めるように、春の唇が開いた。

それを合図にしたかのように、
蓮がさらに深く口付けてくる。

逃げることを許さない。
強引で、容赦がなくて――
それなのに、触れ合う唇はどこか温かい。

徐々に、意識が現実へと引き戻されていく。

――瞬間、
春の全身が一気に熱を帯びた。

「ん……んぅー……」

抗議の声をあげたくても、
蓮に全て吞み込まれてしまう。

冷気が、呼吸ごと奪うように体内へと満ちていき、
やがて、蓮の唇がゆっくりと離れていった。

「……戻ったな」

何が? なんて聞く余裕すらなくて、

「ーーーーこ、の。腐れ外道がーー!!」
 
ひっぱたくつもりで、思いっきり腕を振り上げた。
なのに、意図も簡単に交わされて、
体勢を崩して前のめりに倒れそうになった体を蓮の腕に支えられる。

「ーーーーっ!」 

情けなさと悔しさと恥ずかしさで、春の目の奥が熱くなる。

それでも負けじと蓮を睨みつければ、

(……え?)

その瞳の奥に、
“赤い光”が揺らめいていた。

今度は見間違いじゃない。
ぞっとするほど綺麗で、
同時に、底知れない危うさを孕んだ色。

気づけば、春は吸い寄せられるように距離を詰め、
その瞳を至近距離で見つめてしまっていた。

「……まだ、し足りないのか?」

「え?」

「キス」

一瞬、何を言われているのか理解できなかった。

息が触れ合うほどの距離で、
瞳の奥を覗き込んでいる自分の姿に気づくまで。

理解した瞬間――

「っ!? そんなわけ、あるか――!」

春の叫びが
夜の海に響き渡った。


――少し離れた場所で、
彼方がその様子を静かに見つめていた。

その表情が
笑っているのか、泣いているのか――

春が気づいた時には、
もうそこに彼方の姿はなかった。

あなたにおすすめの小説

【完結】恋人になりたかった

ivy
BL
初めてのキスは、 すべてが始まった合図だと思っていた。 優しい大地と過ごす時間は、 律にとって特別で、 手放したくないものになっていく。 けれど……

隣の席のイケメンに懐かれた

しょうがやき
BL
隣の席のイケメンに懐かれた平凡男子の話

【完結済】俺のモノだと言わない彼氏

竹柏凪紗
BL
「俺と付き合ってみねぇ?…まぁ、俺、彼氏いるけど」彼女に罵倒されフラれるのを寮部屋が隣のイケメン&遊び人・水島大和に目撃されてしまう。それだけでもショックなのに壁ドン状態で付き合ってみないかと迫られてしまった東山和馬。「ははは。いいねぇ。お前と付き合ったら、教室中の女子に刺されそう」と軽く受け流した。…つもりだったのに、翌日からグイグイと迫られるうえ束縛まではじまってしまい──?! ■青春BLに限定した「第1回青春×BL小説カップ」最終21位まで残ることができ感謝しかありません。応援してくださった皆様、本当にありがとうございました。

バツイチ上司が、地味な僕を特別扱いしてくる

衣草 薫
BL
理性的でクールなバツイチ上司・桐原恒一は、過去の失敗から、もう誰も必要としないと決めて生きてきた。 男が好きだという事実を隠し、「期待しなければ傷つかない」と思い込んできた部下・葉山直。 すれ違いと誤解の果てに、直が職場を去ろうとしたとき、恒一は初めて“追いかける”ことを選ぶ。 選ばれないと信じてきた直と、逃げないと決めた恒一。 二人の距離が近づくことで、直は「ここにいていい」と思える場所を見つけていく。 元ノンケ上司×自己肯定感低め部下の社会人BL。※ハッピーエンド保証。

バイト先に元カレがいるんだが、どうすりゃいい?

cheeery
BL
サークルに一人暮らしと、完璧なキャンパスライフが始まった俺……広瀬 陽(ひろせ あき) ひとつ問題があるとすれば金欠であるということだけ。 「そうだ、バイトをしよう!」 一人暮らしをしている近くのカフェでバイトをすることが決まり、初めてのバイトの日。 教育係として現れたのは……なんと高二の冬に俺を振った元カレ、三上 隼人(みかみ はやと)だった! なんで元カレがここにいるんだよ! 俺の気持ちを弄んでフッた最低な元カレだったのに……。 「あんまり隙見せない方がいいよ。遠慮なくつけこむから」 「ねぇ、今どっちにドキドキしてる?」 なんか、俺……ずっと心臓が落ち着かねぇ! もう一度期待したら、また傷つく? あの時、俺たちが別れた本当の理由は──? 「そろそろ我慢の限界かも」

一度も話したことないイケメンのクラスメイトと二人組になったらめちゃくちゃ執着されてた

BL
「はい、じゃあ二人組作って」──あまり人付き合いが得意ではない夏稀(なつき)にとってそれは地獄の言葉。 けれど高校ではちがう。なぜなら新しくできた友達と『二人組』協定を結んだから。 もう二人組なんて怖くないと思っていた矢先、その友達が風邪で欠席。 ほかに組む相手が見つからず、先生と組むことも覚悟する夏稀だったが、そこで声をかけてきたのは美形の転校生──緒川聖夜(おがわ・きよや)だった。 「俺と二人組にならない?」 その一言をきっかけに聖夜は夏稀との距離を急速に縮めてきて──。 執着美形攻め×平凡受けのちょっと不穏な学園BL。 約九万字、全三十話+αの物語です。

俺は夜、社長の猫になる

衣草 薫
BL
冤罪で職を追われた葵は、若き社長・鷹宮に拾われる。 ただし条件は――夜は“猫”として過ごすこと。 言葉を話さず、ただ撫でられるだけの奇妙な同居生活。 タワマン高層階の部屋で、葵は距離を崩さない鷹宮に少しずつ惹かれていく。 けれど葵はまだ知らない。自分が拾われた本当の理由を。

孤毒の解毒薬

紫月ゆえ
BL
友人なし、家族仲悪、自分の居場所に疑問を感じてる大学生が、同大学に在籍する真逆の陽キャ学生に出会い、彼の止まっていた時が動き始める―。 中学時代の出来事から人に心を閉ざしてしまい、常に一線をひくようになってしまった西条雪。そんな彼に話しかけてきたのは、いつも周りに人がいる人気者のような、いわゆる陽キャだ。雪とは一生交わることのない人だと思っていたが、彼はどこか違うような…。 不思議にももっと話してみたいと、あわよくば友達になってみたいと思うようになるのだが―。 【登場人物】 西条雪:ぼっち学生。人と関わることに抵抗を抱いている。無自覚だが、容姿はかなり整っている。 白銀奏斗:勉学、容姿、人望を兼ね備えた人気者。柔らかく穏やかな雰囲気をまとう。