白鷺の子は、死者の声を聴く

菜の花

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第16話 境界を超える口づけ

再び、二の腕を掴まれ、
体ごと、背後の木へ押し付けられた。

「……れん、さん?」

見上げると、蓮が厳しい声音で言う。

「……そんな状態で帰せると思うか?
命の修復が先だ」

その言葉に、胸の奥がきゅっと締め付けられる。

(この人は……どこまで優しいんだろう)

叱責の形を取っていながら、
その奥に
自分を気遣う感情があることを、春はもう知っていた。

「……大丈夫ですよ」

へらりと笑い、
安心させるためだけに作った顔で、
蓮を押しのけようと腕を伸ばす。

「彼方に、強引に奪われたわけじゃないし……
これぐらい……放っておいても、問題ないです」

「それを決めるのは、俺だ。
生命力の見えないお前じゃない」

間髪入れずに却下され、
春は思わず、蓮の顔を見つめてしまう。

確かに、さっきからずっと体が重い。
頭の奥では、鐘を打ち鳴らすような鈍い響きが、途切れず続いている。

――けれど。

それでも、蓮にこれ以上、力を使わせたくなかった。

「……僕の生命力、そんなに削られているんですか?」

「今すぐ戻した方がいい程度にはな」

即答だった。

どれほど削られたのかが見えない春には、
蓮に委ねるしかなかった。

(嫌だな……
僕なんかのために、力を使わせたくないのに……)

それでも、
蓮が解放してくれないだろうことも、春にはわかっていた。

春は観念して、
小さく頷いた。

「……お願い、します」

削られたと言っても、前回ほどではない。
軽く手をかざし、力を注いでもらえれば、
きっと、すぐに元に戻る。

――そう、思っていた。

しかし、その考えは。

蓮の指に顎を取られ、
強制的に仰向かされた、次の瞬間

一瞬で霧散した。

端正な顔が眼前に迫ったと思った刹那、
唇が、塞がれた。

「……っ、ふ……」

そのまま、息ごと絡め取られる。
何が起こったのか、理解できなかった。

(――なんで……!?)

必死にもがく春を、
蓮は驚くほど容易く押さえ込む。

そのまま、逃げ道を塞ぐように、
さらに深く唇を重ねてきた。

舌で口をこじ開けようとされ、
反射的に唇を強く結ぶと、
今度は舌先で、試すように軽くくすぐられる。

「やめっ……」

抗議の言葉を発した、
その一瞬の隙。

そこへ、
躊躇なく舌をねじ込まれた。

舌と舌が絡み合う感触に、
ぞくりと背筋に甘い痺れが走り抜ける。

「……ん……んん……」

口づけの合間に
冷たい、冷気のような息を吹き込まれると、
体のだるさが、嘘のように消えていく。

頭痛も収まり、
思考も、次第に澄んでいくのがわかる。

「……ふ……ぁ……」

もう、十分なはずだった。

身体の内側には、確かに生命力が満ちている感覚がある。

(……元に、戻ってる……)

そう、はっきりわかるのに。

蓮は、くちづけを止めてくれない。

修復が終わっていることに、
気づいていないはずがないのに。

「……っ……ん……」

蓮は、春の腰を引き寄せると、
まるで逃がさないと告げるかのように、
角度を変えながら、唇を重ね続ける。


――もう、命を修復するための行為ではなかった。


(……どうして……?)

春は立っていられなくなり、
蓮の腕に弱々しくすがりついた。

呑みきれない唾液が口から零れ落ちて、
それを蓮の舌がすくいとり
再び唇を塞がれる。

お互いの唾液を絡ませるような激しいくちづけに、
どうにかなってしまいそうになった、その時。

ようやく唇が解放された。

「……な……ん、で……?」

春は肩を激しく上下させながら、
熱に浮かされたかのような潤んだ瞳で
蓮を見た。

至近距離で見つめる蓮の瞳の奥には、
綺麗な赤色が揺れている。

その赤に、危険な光が宿っているように見えるのは
気のせいだろうか……。

浅い呼吸を繰り返す
春の薄く開かれた唇に、
蓮の親指が押し当てられる。

「……キスされるのが嫌なら、
二度と約束を違えるな」

夜の闇に浮かぶ、その鋭い眼差しに――
春は、ぞくりと身を震わせたのだった。

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