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第15話:深夜の病棟と、小さな手のひらの奇跡
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「……鏡先生。今日は店じまいだよ」
その日の営業終了後。私は最後の客(不動産王の愛人)を見送ると、白衣を脱ごうとしていた鏡に声をかけた。
時刻は午後九時。いつもなら、ここから善さんの反省会が始まるところだが、今日の空気は違う。
鏡の手が止まった。彼はゆっくりと振り返り、私の目をじっと見つめた。
「……まさか、今日なのか?」
彼の声が、微かに震えている。 冷静沈着なエリート医師の仮面が剥がれ落ち、妹の命を握る者にすがる、一人の兄の顔になっていた。
「ああ。善さんの特訓も一区切りついたし、あんたも顧問医師として十分に働いてくれた。……そろそろ、約束を果たそうかと思ってね」
私はパイプ椅子から立ち上がり、軽く伸びをした。
「行くよ、K大学病院へ。案内おし」
「……っ! すぐに車を回す!」
鏡が弾かれたように動き出した。その背中からは、焦燥と期待がない交ぜになった、張り詰めた空気が漂っていた。
「リオ、あんたも来な。万が一の時のガードと、私の魔力切れの時の荷物持ち要員だ」
「へいへい。夜の病院デートとはね。趣味が悪いこって」
リオが肩をすくめながらも、すぐに準備を整える。
「えっ、あ、あの……社長、僕は……?」
一人取り残されそうになった善さんが、おずおずと手を挙げる。
「あんたは留守番だよ。明日の予約の確認と、タオルの洗濯をしておきな」
「そ、そんなぁ……」
がっくりと肩を落とす中年男を放置して、私たちは夜の街へと繰り出した。
***
K大学病院は、夜になっても眠らない巨大な白い城塞のようだった。 救急車のサイレンが遠くで鳴り響き、当直の医師や看護師たちが忙しなく行き交っている。
「……こっちだ。職員用通用口から入る」
鏡の先導で、私たちは関係者以外立ち入り禁止のエリアへと足を踏み入れた。 警備員が何人かいたが、鏡の顔パスと、私がかけた【認識阻害(カモフラージュ)】の魔法のおかげで、誰にも怪しまれることなく通過できた。
私たちはエレベーターに乗り、最上階近くにある「特別長期療養棟」へと向かった。 階が上がるにつれて、人の気配が減り、消毒液の匂いと、重苦しい静寂が濃くなっていく。
「……ここだ」
鏡がある個室の前で足を止めた。 『鏡 サヤカ』というネームプレート。
鏡が深呼吸をして、震える手でドアノブを握った。 彼がどれほどの覚悟と恐怖を抱えてこのドアを開けようとしているのか、痛いほど伝わってくる。
「……大丈夫さ。私がついてる」
私が小声で声をかけると、鏡は小さく頷き、静かにドアを開けた。
病室の中は、薄暗かった。 人工呼吸器の規則的な機械音と、心電図モニターの電子音だけが響いている。
ベッドの中央に、小さな女の子が埋もれるように眠っていた。 十歳くらいだろうか。病気のせいで痩せ細り、肌は透き通るように白い。数え切れないほどの管やコードが、その小さな体に繋がれていた。
(……これは、酷いね)
私は眉をひそめた。 一目で分かる。彼女の体からは、生命力がほとんど感じられない。代わりに、どす黒く淀んだ「死」の気配が、彼女の小さな体を蝕んでいる。
「……サヤカ。起きてるか? 兄さんだ」
鏡がベッドサイドに歩み寄り、少女の細い手をそっと包み込んだ。
少女の瞼が、うっすらと開いた。
「……お兄ちゃん? どうしたの、こんな時間に……」
声が、あまりにも弱い。風前の灯火だ。
「客人を連れてきたんだ。……私の、友人でね。少し、お前を診てくれるそうだ」
鏡が私の方を振り返る。その目は「頼む」と叫んでいた。
私はベッドに近づき、少女の顔を覗き込んだ。 大きな瞳が、不思議そうに私を見つめ返してくる。
「……初めまして、サヤカちゃん。私はヒナ。ちょっとした『おまじない』が得意なお姉さんだよ」
「……お姉さん? 中学生……?」
「細かいことは気にしないの。ねえ、ちょっと手を触ってもいいかい?」
サヤカちゃんが小さく頷く。 私は彼女の、管だらけの小さな手を両手で握りしめた。氷のように冷たい。
(……さて、鑑定といこうか)
私は意識を集中した。 異世界で「聖女」と呼ばれていた頃の、本気の魔力操作だ。
(――【超・詳細鑑定(フル・アナライズ)】)
私の魔力が彼女の体内を駆け巡り、全ての情報を脳内にフィードバックする。
……なるほど。原因不明の自己免疫疾患に、多臓器不全の併発。さらに、長年の闘病による極度の体力低下。 現代医学がお手上げなのも無理はない。これはもう、肉体の限界を超えている。本来なら、とっくに死んでいてもおかしくない状態だ。
(よく頑張ったね、この子も、兄貴の方も……)
私の胸の奥で、久しぶりに「情」というものが動いた。 私は金にがめついババアだが、子供が苦しむ姿を見るのは好きじゃない。特に、こんな健気な子はね。
「……どうだ?」
鏡が、祈るような声で尋ねる。
私はゆっくりと顔を上げ、ニヤリと笑ってみせた。
「……難しいね」
鏡の顔が絶望に歪む。
「――普通の医者ならね」
私は言葉を続けた。
「だけど、あんたは運がいい。あんたが魂を売った相手は、この世で最も強欲で、最も優秀な『魔法使い』だからね」
私はサヤカちゃんの手を握り直した。
「サヤカちゃん。少し、体が熱くなるかもしれないけど、我慢できるかい?」
「……うん。お兄ちゃんのお友達なら、信じる」
良い子だ。
私は深呼吸をした。 ここからは、時間との勝負だ。中途半端な魔力じゃ、この根深い病魔は追い払えない。 八十八年分の全魔力、そして前世の「聖女」としての全盛期の記憶を、この十四歳の体に叩き込む。
(……いくよ。見てな、若造。これが、本物の奇跡だ)
私は、目を閉じた。
(――展開。聖域結界【絶対不可侵の揺り籠(アヴァロン・クレイドル)】)
まず、部屋全体を外部から遮断する強力な結界を張る。これで、これからの魔力暴走が外部に漏れることはない。
(――第一術式。病魔退散【浄化の極光(エクストリーム・クリア)】!)
私の体から、目も眩むような純白の光が奔流となって溢れ出した。 その光はサヤカちゃんの体へと雪崩れ込み、彼女を蝕んでいたどす黒い病の根源を、片っ端から焼き払っていく。
ピィィィィ――ッ!!!
心電図モニターが、異常な数値を感知してけたたましい警報音を鳴らす。人工呼吸器が暴走したようにシュゴーシュゴーと音を立てる。
「なっ!? おい、何をしている!? 心拍数が……血圧が……!?」
鏡が慌ててモニターに駆け寄ろうとするのを、リオがガシッと止めた。
「動くなインテリ! 今、ヒナが集中してる! 邪魔すんな!」
「しかし、この数値は……!」
(――うるさいね! 第二術式。肉体再構築【神の修理(ディバイン・リペア)】!)
私は雑音をシャットアウトし、さらに魔力を注ぎ込む。 破壊された細胞を、神経を、臓器を、あるべき姿へと強制的に書き換えていく。それは治療というよりは、時間を巻き戻す作業に近い。
サヤカちゃんの体が、光の中でビクンと跳ねた。 彼女の口から、黒い霧のようなものが吐き出され、光に触れて消滅していく。
(――仕上げだ! 最終術式。生命力超注入【魂の息吹(ソウル・ブレス)】!!)
私は自分の生命力そのものを削り取る勢いで、膨大な魔力を彼女の心臓部へと叩き込んだ。
ドォォォォン……ッ!!
部屋の中で、魔力の爆発が起きた。 光が炸裂し、視界が真っ白になる。
数秒後。
光が収まると、部屋の中は静寂に包まれていた。 警報音は止まっていた。
「……はぁ、はぁ、はぁ……」
私はベッドの脇にへたり込んだ。全身から汗が噴き出し、指一本動かせないほどの脱力感に襲われる。さすがに、今の体で全盛期の魔法を連発するのはキツかったか。
「……おい、大丈夫か?」
リオが駆け寄ってきて、私の体を支えてくれた。
「……ああ。ちょっと、ガス欠だね……」
私は荒い息を吐きながら、ベッドの方を見た。
鏡は、凍りついたようにベッドを見つめていた。
そこには。
「……ん……ぅ……?」
サヤカちゃんが、ゆっくりと体を起こしていた。 繋がれていた管のいくつかが、彼女の動きに合わせて外れてしまっている。だが、血は出ていない。
「……あれ? お兄ちゃん? 私、自分で……起き上がれてる?」
サヤカちゃんが、自分の両手を見つめる。 その肌は、透き通るような白さから、健康的なピンク色へと変わっていた。 呼吸器が外れているのに、彼女は苦しそうな様子もなく、深く、穏やかな呼吸をしていた。
「……馬鹿な」
鏡が、よろよろとベッドに歩み寄った。 彼は震える手でサヤカの脈を取り、聴診器を当て、モニターの数値を確認した。
心拍数、正常。血圧、正常。酸素飽和度、正常。 全ての数値が、健康な十歳の少女のそれを示していた。
あの、現代医学では絶対に治せないと断言されていた難病が。 たった数分の間に、跡形もなく消え去っていたのだ。
「……あ、ああ……」
鏡が、崩れ落ちるように膝をついた。 彼はベッドの柵を握りしめ、サヤカの手を自分の額に押し当てた。
「……よかった……本当によかった……っ!」
あの冷徹な鉄仮面の医師が。 声を上げて、子供のように泣き崩れていた。
「お兄ちゃん……? 泣かないで? 私、どこも痛くないよ? 元気になったよ?」
サヤカちゃんが、驚いて鏡の頭を撫でる。その小さな手には、以前のような弱々しさはもうなかった。
(……やれやれ。一件落着だね)
私はリオに支えられながら、その光景を見てフッと笑った。 これでもう、鏡恭介は完全に私のものだ。彼は一生、私に逆らえないだろう。
「……ヒナ。あんた、すげえな。マジで神様なんじゃねえの?」
リオが、本気で感心したように呟く。
「馬鹿お言い。ただの、商売上手のババアさ」
私はよろよろと立ち上がった。
「さあ、帰るよリオ。腹が減って死にそうだ。コンビニで一番高い弁当を買って帰るよ」
「はいはい。今日は私が奢ってやるよ。……お疲れさん、聖女様」
私たちは、抱き合って泣いている兄妹をそのままにして、静かに病室を後にした。 今夜の仕事は、完璧な成功だった。 これで株式会社『コガネ』は、最強の医師(と、その絶対的な忠誠)を手に入れたのだ。
(さて、帰ったら善さんに熱いお茶でも淹れてもらおうかね……)
私は心地よい疲労感を感じながら、夜の病院の廊下を歩いていった。
その日の営業終了後。私は最後の客(不動産王の愛人)を見送ると、白衣を脱ごうとしていた鏡に声をかけた。
時刻は午後九時。いつもなら、ここから善さんの反省会が始まるところだが、今日の空気は違う。
鏡の手が止まった。彼はゆっくりと振り返り、私の目をじっと見つめた。
「……まさか、今日なのか?」
彼の声が、微かに震えている。 冷静沈着なエリート医師の仮面が剥がれ落ち、妹の命を握る者にすがる、一人の兄の顔になっていた。
「ああ。善さんの特訓も一区切りついたし、あんたも顧問医師として十分に働いてくれた。……そろそろ、約束を果たそうかと思ってね」
私はパイプ椅子から立ち上がり、軽く伸びをした。
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「……っ! すぐに車を回す!」
鏡が弾かれたように動き出した。その背中からは、焦燥と期待がない交ぜになった、張り詰めた空気が漂っていた。
「リオ、あんたも来な。万が一の時のガードと、私の魔力切れの時の荷物持ち要員だ」
「へいへい。夜の病院デートとはね。趣味が悪いこって」
リオが肩をすくめながらも、すぐに準備を整える。
「えっ、あ、あの……社長、僕は……?」
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「あんたは留守番だよ。明日の予約の確認と、タオルの洗濯をしておきな」
「そ、そんなぁ……」
がっくりと肩を落とす中年男を放置して、私たちは夜の街へと繰り出した。
***
K大学病院は、夜になっても眠らない巨大な白い城塞のようだった。 救急車のサイレンが遠くで鳴り響き、当直の医師や看護師たちが忙しなく行き交っている。
「……こっちだ。職員用通用口から入る」
鏡の先導で、私たちは関係者以外立ち入り禁止のエリアへと足を踏み入れた。 警備員が何人かいたが、鏡の顔パスと、私がかけた【認識阻害(カモフラージュ)】の魔法のおかげで、誰にも怪しまれることなく通過できた。
私たちはエレベーターに乗り、最上階近くにある「特別長期療養棟」へと向かった。 階が上がるにつれて、人の気配が減り、消毒液の匂いと、重苦しい静寂が濃くなっていく。
「……ここだ」
鏡がある個室の前で足を止めた。 『鏡 サヤカ』というネームプレート。
鏡が深呼吸をして、震える手でドアノブを握った。 彼がどれほどの覚悟と恐怖を抱えてこのドアを開けようとしているのか、痛いほど伝わってくる。
「……大丈夫さ。私がついてる」
私が小声で声をかけると、鏡は小さく頷き、静かにドアを開けた。
病室の中は、薄暗かった。 人工呼吸器の規則的な機械音と、心電図モニターの電子音だけが響いている。
ベッドの中央に、小さな女の子が埋もれるように眠っていた。 十歳くらいだろうか。病気のせいで痩せ細り、肌は透き通るように白い。数え切れないほどの管やコードが、その小さな体に繋がれていた。
(……これは、酷いね)
私は眉をひそめた。 一目で分かる。彼女の体からは、生命力がほとんど感じられない。代わりに、どす黒く淀んだ「死」の気配が、彼女の小さな体を蝕んでいる。
「……サヤカ。起きてるか? 兄さんだ」
鏡がベッドサイドに歩み寄り、少女の細い手をそっと包み込んだ。
少女の瞼が、うっすらと開いた。
「……お兄ちゃん? どうしたの、こんな時間に……」
声が、あまりにも弱い。風前の灯火だ。
「客人を連れてきたんだ。……私の、友人でね。少し、お前を診てくれるそうだ」
鏡が私の方を振り返る。その目は「頼む」と叫んでいた。
私はベッドに近づき、少女の顔を覗き込んだ。 大きな瞳が、不思議そうに私を見つめ返してくる。
「……初めまして、サヤカちゃん。私はヒナ。ちょっとした『おまじない』が得意なお姉さんだよ」
「……お姉さん? 中学生……?」
「細かいことは気にしないの。ねえ、ちょっと手を触ってもいいかい?」
サヤカちゃんが小さく頷く。 私は彼女の、管だらけの小さな手を両手で握りしめた。氷のように冷たい。
(……さて、鑑定といこうか)
私は意識を集中した。 異世界で「聖女」と呼ばれていた頃の、本気の魔力操作だ。
(――【超・詳細鑑定(フル・アナライズ)】)
私の魔力が彼女の体内を駆け巡り、全ての情報を脳内にフィードバックする。
……なるほど。原因不明の自己免疫疾患に、多臓器不全の併発。さらに、長年の闘病による極度の体力低下。 現代医学がお手上げなのも無理はない。これはもう、肉体の限界を超えている。本来なら、とっくに死んでいてもおかしくない状態だ。
(よく頑張ったね、この子も、兄貴の方も……)
私の胸の奥で、久しぶりに「情」というものが動いた。 私は金にがめついババアだが、子供が苦しむ姿を見るのは好きじゃない。特に、こんな健気な子はね。
「……どうだ?」
鏡が、祈るような声で尋ねる。
私はゆっくりと顔を上げ、ニヤリと笑ってみせた。
「……難しいね」
鏡の顔が絶望に歪む。
「――普通の医者ならね」
私は言葉を続けた。
「だけど、あんたは運がいい。あんたが魂を売った相手は、この世で最も強欲で、最も優秀な『魔法使い』だからね」
私はサヤカちゃんの手を握り直した。
「サヤカちゃん。少し、体が熱くなるかもしれないけど、我慢できるかい?」
「……うん。お兄ちゃんのお友達なら、信じる」
良い子だ。
私は深呼吸をした。 ここからは、時間との勝負だ。中途半端な魔力じゃ、この根深い病魔は追い払えない。 八十八年分の全魔力、そして前世の「聖女」としての全盛期の記憶を、この十四歳の体に叩き込む。
(……いくよ。見てな、若造。これが、本物の奇跡だ)
私は、目を閉じた。
(――展開。聖域結界【絶対不可侵の揺り籠(アヴァロン・クレイドル)】)
まず、部屋全体を外部から遮断する強力な結界を張る。これで、これからの魔力暴走が外部に漏れることはない。
(――第一術式。病魔退散【浄化の極光(エクストリーム・クリア)】!)
私の体から、目も眩むような純白の光が奔流となって溢れ出した。 その光はサヤカちゃんの体へと雪崩れ込み、彼女を蝕んでいたどす黒い病の根源を、片っ端から焼き払っていく。
ピィィィィ――ッ!!!
心電図モニターが、異常な数値を感知してけたたましい警報音を鳴らす。人工呼吸器が暴走したようにシュゴーシュゴーと音を立てる。
「なっ!? おい、何をしている!? 心拍数が……血圧が……!?」
鏡が慌ててモニターに駆け寄ろうとするのを、リオがガシッと止めた。
「動くなインテリ! 今、ヒナが集中してる! 邪魔すんな!」
「しかし、この数値は……!」
(――うるさいね! 第二術式。肉体再構築【神の修理(ディバイン・リペア)】!)
私は雑音をシャットアウトし、さらに魔力を注ぎ込む。 破壊された細胞を、神経を、臓器を、あるべき姿へと強制的に書き換えていく。それは治療というよりは、時間を巻き戻す作業に近い。
サヤカちゃんの体が、光の中でビクンと跳ねた。 彼女の口から、黒い霧のようなものが吐き出され、光に触れて消滅していく。
(――仕上げだ! 最終術式。生命力超注入【魂の息吹(ソウル・ブレス)】!!)
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ドォォォォン……ッ!!
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数秒後。
光が収まると、部屋の中は静寂に包まれていた。 警報音は止まっていた。
「……はぁ、はぁ、はぁ……」
私はベッドの脇にへたり込んだ。全身から汗が噴き出し、指一本動かせないほどの脱力感に襲われる。さすがに、今の体で全盛期の魔法を連発するのはキツかったか。
「……おい、大丈夫か?」
リオが駆け寄ってきて、私の体を支えてくれた。
「……ああ。ちょっと、ガス欠だね……」
私は荒い息を吐きながら、ベッドの方を見た。
鏡は、凍りついたようにベッドを見つめていた。
そこには。
「……ん……ぅ……?」
サヤカちゃんが、ゆっくりと体を起こしていた。 繋がれていた管のいくつかが、彼女の動きに合わせて外れてしまっている。だが、血は出ていない。
「……あれ? お兄ちゃん? 私、自分で……起き上がれてる?」
サヤカちゃんが、自分の両手を見つめる。 その肌は、透き通るような白さから、健康的なピンク色へと変わっていた。 呼吸器が外れているのに、彼女は苦しそうな様子もなく、深く、穏やかな呼吸をしていた。
「……馬鹿な」
鏡が、よろよろとベッドに歩み寄った。 彼は震える手でサヤカの脈を取り、聴診器を当て、モニターの数値を確認した。
心拍数、正常。血圧、正常。酸素飽和度、正常。 全ての数値が、健康な十歳の少女のそれを示していた。
あの、現代医学では絶対に治せないと断言されていた難病が。 たった数分の間に、跡形もなく消え去っていたのだ。
「……あ、ああ……」
鏡が、崩れ落ちるように膝をついた。 彼はベッドの柵を握りしめ、サヤカの手を自分の額に押し当てた。
「……よかった……本当によかった……っ!」
あの冷徹な鉄仮面の医師が。 声を上げて、子供のように泣き崩れていた。
「お兄ちゃん……? 泣かないで? 私、どこも痛くないよ? 元気になったよ?」
サヤカちゃんが、驚いて鏡の頭を撫でる。その小さな手には、以前のような弱々しさはもうなかった。
(……やれやれ。一件落着だね)
私はリオに支えられながら、その光景を見てフッと笑った。 これでもう、鏡恭介は完全に私のものだ。彼は一生、私に逆らえないだろう。
「……ヒナ。あんた、すげえな。マジで神様なんじゃねえの?」
リオが、本気で感心したように呟く。
「馬鹿お言い。ただの、商売上手のババアさ」
私はよろよろと立ち上がった。
「さあ、帰るよリオ。腹が減って死にそうだ。コンビニで一番高い弁当を買って帰るよ」
「はいはい。今日は私が奢ってやるよ。……お疲れさん、聖女様」
私たちは、抱き合って泣いている兄妹をそのままにして、静かに病室を後にした。 今夜の仕事は、完璧な成功だった。 これで株式会社『コガネ』は、最強の医師(と、その絶対的な忠誠)を手に入れたのだ。
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