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0 序章:乾いた村と濡れた町
0-2 誓い
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大学から郷里に戻った彼は、村にある彼女の墓にお参りをすると悔やみを言うべき家族の行方を尋ねた。村長を含め村人たちは誰も知らないと言う。都会の大きな会社にたんまりと補償金を渡されて村から引っ越したそうだ。
かろうじて死んだ娘の叔父の勤め先を覚えていた。そこも辞めていたがたどりたどってようやく彼を見つけた。雑貨屋に金具屋、スパイス屋とチャイ屋と並ぶ四軒入った三階建ての建物丸々が彼らの持ち物だそうだ。娘の叔父は雑貨屋を任され階上に住んでいた。いい顔はしなかったが来意を告げ「手土産」を広げるとみるみる顔が弛んだ。
是非遺族の自宅へ来てくれ、と案内されたのは町の中心街にある白い壁の美しい家だった。雨の降りそそぐ前庭は小さく邸宅とまでは言えないが、新しい分彼の育った家よりも立派かもしれない。村では代々工事現場の下働きだった彼らが見せたくない訳だ、と納得して目的を遂げることに頭を切り替えた。
「お嬢さんは私に手紙を送ってくれていました」
ついこの間卒業したムンバイの大学の寮に届く短い手紙は彼の楽しみだった。
「亡くなられたとのことで、ご希望ならばお渡ししようとお伺いしました」
悔やみと墓参りをしたことを述べた後に説明する。ガラステーブルの上に次々に開いた手紙にある者は眼に涙を浮かべ、震える手で取り互いに回し、流れ始める涙を白いハンカチで拭う。その間彼は顔を伏せ気味に唇を噛んでいた。
「あなたはあの子のことを可愛がってくれてたもんね。ありがとうね」
言われる度に気持ちと頭が重くなりますます首を落とす。
『とてもきれいな所であたしは働いています。
マハラニ(王妃さま)みたいです』
『お仕事は大変です。
お兄ちゃんも大変なお仕事をするために学校で頑張っているから、あたしも頑張っています』
『モニターを見ていると目が痛くなります。
お兄ちゃんはもっとコンピューターを見ていますか。目は大丈夫ですか?』
『お兄ちゃんに教えてもらったことが役に立っています。
ありがとう』
「少し読み書きを教えたことがあるだけです。私こそお嬢さんから村を飛ぶ鳥や獣のことなどたくさん教わりました」
尋ねられ無難に答える。自分には区別が付かなかった鳥の名前と鳴き声、朝に飛ぶ鳥と昼に羽ばたく鳥の違いなど小さな手で青い空を指して教えてくれた。
「お礼にと、学校ではあまり覚えられなかったという文字の書き方を少し教えました」
控えめに話す。
だからあの子から手紙がもらえたのだと手を取ってまた泣かれると胸に詰まったものが涙になりそうで辛い。両親は自分たちが受け取った何通もの手紙を奥から引っ張り出しテーブルに広げて見せてくれた。
(……)
注意して眺めたが、彼が受け取った手紙よりわずかに長く(三行が五行になっているくらい)より心配をかけない明るい内容というだけだった。
「私は皆さまの平穏な生活を壊すつもりはありません。会社からの条件に反さない範囲で彼女の最期を教えていただけますか」
「平穏な生活なんぞあるか!」
父親が怒鳴った。
「あの子が居なくなってから、わたしはもうどうして生きているのかわからない有様で…………」
「申し訳ございませんっ」
彼は茶色のソファーから降り白い毛足の長いラグからも体を滑らせて大理石の床に額を擦りつけた。
「平穏であろうと懸命に努力なさっている、と申し上げるべきでした」
失敗した。自分の未熟さに腹が立つ。
「そんな坊ちゃま、お顔を上げて」
「お兄ちゃんは悪くないです」
母親と娘ー死んだ娘の姉ーが争って言う。続けて父親も彼に言ったのではない、ただ気持ちのやり場がないのだと弁明した。言葉が途切れるや否や雨が庭土を叩く音と、綺麗に焦げ茶に塗られた梁の向こう白い天井で回る扇風機の音がカタカタと響く。
「……ご想像の通り、わたしらは娘について黙ることを条件にそれなりのものをいただきました」
噂を聞いた村人から強請られ始め、会社の紹介で転居と商売のオーナーという地位を買い取ったのだという。
「ですが坊ちゃまでしたらわたしらの暮らしを羨むことはないでしょう」
「……」
村長の次に多くの土地を持ち、ガソリンスタンドを始めとする手堅い商売を営む彼の家は村で二番目に裕福だ。
娘が世話になり、思いがけないものまで持って来てくれた。話したいのはやまやまだが、
「本当に、わたしら家族ですらよくわからんのです」
娘は外国がらみの厳しく機密を守る必要がある仕事に採用された。オフィス仕事だというが勤務内容どころか場所すら伏せられた。州都ガンディーナガルかアフマダーバードか、はたまたムンバイかデリーか。
「八階にある休憩所から足を滑らせて落ちた。事故だと言われました」
休憩中のことだから娘の過失だがよく働いてくれたので特別にと、遺骸を運んで来た会社の人間は大枚の札束を握らせた。
(手紙の消印はグルガオンだ。だけどー)
彼が貰ったのものも家族宛も全て、グルガオンの大きな郵便局の同じ午後の時間帯の消印、素直に信じるほど誰も無邪気ではない。遺族の気持ちにこれ以上波風を立てるほど愚かでもない。
約束した。
娘が出した最後の手紙を彼らに渡す気になったら、叔父を通して連絡する。
『それ以外はご連絡しません。皆さまに会ったことも、どこでどのように暮らしていらっしゃるかも誰にも言いません』
家族や村長にもと彼は誓った。
手紙のほとんどは遺族に渡したが、娘の気持ちを尊重する意味でも何通か手元に残したいと提案した。うち一通が彼女が亡くなる直前の手紙だったため母親が難色を示した。ならば今しばらく預からせてほしい、気持ちが落ち着いたら渡すと取り決めて彼は町を離れた。
ミッションのひとつを無事に成し遂げ彼は息を吐いた。
<注>
・アフマダーバード グジャラート州内の都市
・ムンバイ 旧名ボンベイ。インド有数の大都市
・デリー インドの首都
・グルガオン デリー近郊の新興都市。現在の名はグルグラムだが旧名でも通る。外資系企業が多い
かろうじて死んだ娘の叔父の勤め先を覚えていた。そこも辞めていたがたどりたどってようやく彼を見つけた。雑貨屋に金具屋、スパイス屋とチャイ屋と並ぶ四軒入った三階建ての建物丸々が彼らの持ち物だそうだ。娘の叔父は雑貨屋を任され階上に住んでいた。いい顔はしなかったが来意を告げ「手土産」を広げるとみるみる顔が弛んだ。
是非遺族の自宅へ来てくれ、と案内されたのは町の中心街にある白い壁の美しい家だった。雨の降りそそぐ前庭は小さく邸宅とまでは言えないが、新しい分彼の育った家よりも立派かもしれない。村では代々工事現場の下働きだった彼らが見せたくない訳だ、と納得して目的を遂げることに頭を切り替えた。
「お嬢さんは私に手紙を送ってくれていました」
ついこの間卒業したムンバイの大学の寮に届く短い手紙は彼の楽しみだった。
「亡くなられたとのことで、ご希望ならばお渡ししようとお伺いしました」
悔やみと墓参りをしたことを述べた後に説明する。ガラステーブルの上に次々に開いた手紙にある者は眼に涙を浮かべ、震える手で取り互いに回し、流れ始める涙を白いハンカチで拭う。その間彼は顔を伏せ気味に唇を噛んでいた。
「あなたはあの子のことを可愛がってくれてたもんね。ありがとうね」
言われる度に気持ちと頭が重くなりますます首を落とす。
『とてもきれいな所であたしは働いています。
マハラニ(王妃さま)みたいです』
『お仕事は大変です。
お兄ちゃんも大変なお仕事をするために学校で頑張っているから、あたしも頑張っています』
『モニターを見ていると目が痛くなります。
お兄ちゃんはもっとコンピューターを見ていますか。目は大丈夫ですか?』
『お兄ちゃんに教えてもらったことが役に立っています。
ありがとう』
「少し読み書きを教えたことがあるだけです。私こそお嬢さんから村を飛ぶ鳥や獣のことなどたくさん教わりました」
尋ねられ無難に答える。自分には区別が付かなかった鳥の名前と鳴き声、朝に飛ぶ鳥と昼に羽ばたく鳥の違いなど小さな手で青い空を指して教えてくれた。
「お礼にと、学校ではあまり覚えられなかったという文字の書き方を少し教えました」
控えめに話す。
だからあの子から手紙がもらえたのだと手を取ってまた泣かれると胸に詰まったものが涙になりそうで辛い。両親は自分たちが受け取った何通もの手紙を奥から引っ張り出しテーブルに広げて見せてくれた。
(……)
注意して眺めたが、彼が受け取った手紙よりわずかに長く(三行が五行になっているくらい)より心配をかけない明るい内容というだけだった。
「私は皆さまの平穏な生活を壊すつもりはありません。会社からの条件に反さない範囲で彼女の最期を教えていただけますか」
「平穏な生活なんぞあるか!」
父親が怒鳴った。
「あの子が居なくなってから、わたしはもうどうして生きているのかわからない有様で…………」
「申し訳ございませんっ」
彼は茶色のソファーから降り白い毛足の長いラグからも体を滑らせて大理石の床に額を擦りつけた。
「平穏であろうと懸命に努力なさっている、と申し上げるべきでした」
失敗した。自分の未熟さに腹が立つ。
「そんな坊ちゃま、お顔を上げて」
「お兄ちゃんは悪くないです」
母親と娘ー死んだ娘の姉ーが争って言う。続けて父親も彼に言ったのではない、ただ気持ちのやり場がないのだと弁明した。言葉が途切れるや否や雨が庭土を叩く音と、綺麗に焦げ茶に塗られた梁の向こう白い天井で回る扇風機の音がカタカタと響く。
「……ご想像の通り、わたしらは娘について黙ることを条件にそれなりのものをいただきました」
噂を聞いた村人から強請られ始め、会社の紹介で転居と商売のオーナーという地位を買い取ったのだという。
「ですが坊ちゃまでしたらわたしらの暮らしを羨むことはないでしょう」
「……」
村長の次に多くの土地を持ち、ガソリンスタンドを始めとする手堅い商売を営む彼の家は村で二番目に裕福だ。
娘が世話になり、思いがけないものまで持って来てくれた。話したいのはやまやまだが、
「本当に、わたしら家族ですらよくわからんのです」
娘は外国がらみの厳しく機密を守る必要がある仕事に採用された。オフィス仕事だというが勤務内容どころか場所すら伏せられた。州都ガンディーナガルかアフマダーバードか、はたまたムンバイかデリーか。
「八階にある休憩所から足を滑らせて落ちた。事故だと言われました」
休憩中のことだから娘の過失だがよく働いてくれたので特別にと、遺骸を運んで来た会社の人間は大枚の札束を握らせた。
(手紙の消印はグルガオンだ。だけどー)
彼が貰ったのものも家族宛も全て、グルガオンの大きな郵便局の同じ午後の時間帯の消印、素直に信じるほど誰も無邪気ではない。遺族の気持ちにこれ以上波風を立てるほど愚かでもない。
約束した。
娘が出した最後の手紙を彼らに渡す気になったら、叔父を通して連絡する。
『それ以外はご連絡しません。皆さまに会ったことも、どこでどのように暮らしていらっしゃるかも誰にも言いません』
家族や村長にもと彼は誓った。
手紙のほとんどは遺族に渡したが、娘の気持ちを尊重する意味でも何通か手元に残したいと提案した。うち一通が彼女が亡くなる直前の手紙だったため母親が難色を示した。ならば今しばらく預からせてほしい、気持ちが落ち着いたら渡すと取り決めて彼は町を離れた。
ミッションのひとつを無事に成し遂げ彼は息を吐いた。
<注>
・アフマダーバード グジャラート州内の都市
・ムンバイ 旧名ボンベイ。インド有数の大都市
・デリー インドの首都
・グルガオン デリー近郊の新興都市。現在の名はグルグラムだが旧名でも通る。外資系企業が多い
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