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第8章 宣戦布告(新5日目)
8ー1 重い朝2(新5日目朝)
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トーシタはきちんとした女の子だ。だが悪い条件が重なった。
まず第一に、普段はサルワール・カミーズで寝ているのにこの日は違った。
クローゼットにあったネグリジェ型の白いパジャマーインドなのでさすがに同生地のパンツ付きだーがテレビドラマで見るもののようで可愛く、着て寝てみたのだ。
第二にトーシタの家の周りは子どもの頃から知っている親戚ばかりで、「外」に出ることにそこまでのバリアはなかった。
第三にトーシタは動揺していた。
朝になり人と話せるようになったらすぐ駆け出したかった。
第四に、最初トーシタはウルヴァシの部屋のドアを叩いた。
後からわかったところによれば彼女はシャワーの最中だった。起床すぐのこの時間は沐浴している人間が多い。
ともかく本来は女性フロアで同性に会う予定だったのだ。
ウルヴァシの反応がなく焦ったトーシタは、いつも筆記通訳をしてくれるイムラーンお兄さんに相談しようと思いつき、階段を駆け下りてしまった。
イムラーンはろくに眠れなかった。
どうすればファルハを守れたのだろうか。「狼」になったと自白して死を選んだアビマニュお兄さん、自分も非難を浴びせたけれど実は「狼」ではなかったらしい同胞クリスティーナお姉さん。頼りになる人たちがいなくなった、それは自分が正しい行動を取らなかったのも一因ではないか。では正しく動くとはー
洗面にいたイムラーンはノックの音とその向こうからのトーシタの切迫した声にすぐドアを開けた。通訳が必要な何かが起こったのかと思ったのだ。
「イムラーンお兄さん、お話したいことがあります」
英語で訴えるトーシタにイムラーンは硬直した。
明らかに夜着、それも白い上下をまとっただけの女性にどうしていいのかわからない。胸と足元だけにシンプルな刺繍が入る品の良い綿の服だがー
見ては失礼だと目を逸らすには訴えの調子が真剣過ぎる。
「上着取ってくる!」
廊下にいたマーダヴァンがこちらを見て叫び駆け出した。窮状を理解してくれたようだ。間もなく彼は紺色のカーディガンを持って戻る。
イムラーンが部屋を出るなり手首に取り縋ってきた彼女に、
「これを着て!」
マーダヴァンがカーディガンを背から被せたのに合わせて言う。とりわけロハンあたりの目にはさらしたくない。慌てて思わずタミル語が出ていた。
「Please put it on, please!」
ゆっくり英語で頼むとようやく袖を通した。
男物の大きなカーディガンはコートのように彼女のパジャマを隠した。まずほっと胸をなで下ろす。これで目の遣り場に困らない。階段を指して上へと促した。マーダヴァンも一緒に移動してくれるのがありがたい。
「お兄さん、お話がー」
「Before thatー」
その前に。まずは一度部屋に戻って服を着替えよう。
これもゆっくり丁寧に英語で伝える。
トーシタはようやく我に返った様子で俯き、身の置きどころを失ったようにおろおろし始めた。
女の人の慎み深さはマイナスに働くと厄介だ。
プージャのようなことにだけはなってはならない。
「Calm down! Calm down!」
イムラーンは声をかけつつ階段を昇らせる。
落ち着いて、とは彼女になのか自分になのかよくわからない。
失ったものは余りにも大きくて、それでも朝が来て自分は生きている。ならばアッラーからのお役目がきっとある。
踊り場で方向転換して数段昇った時、
「何をしているの!」
下からラクシュミの鋭い声が響いた。
助かった、この人に預ければと思う間もなく、
「No!」
トーシタの方が状況把握は速かった。
男に囲まれ薄物を着た女の子が困っている、と見えなくもなかったのだ。
「Imran Anna is OK! Imran Anna is a gentleman!」
いつものような貫禄でゆっくり昇ってくるラクシュミから必死でかばうーふたりの男のうちひとりだけを。
故にラクシュミはもう片方には問題があると判断し、はっと息を吸うなり技を繰り出しー
マーダヴァン、ラクシュミと続けて倒れた。
キャーーーーッ!
トーシタは遠慮なく裂くような悲鳴を上げ、イムラーンは棒立ちになる。
『警告! 警告! ルール違反です!』
張り飛ばされたマーダヴァンはその場に崩れただけだったが、ラクシュミは暴力行為への警告薬注入で倒れた拍子に踊り場まで落ち頭を打って動かなくなった。
『他人に暴力を振るってはなりません! 警告! 警告!』
アナウンスが響き女性たちが駆け下りてくる中、
「ラクシュミお姉さん!」
イムラーンは段を飛ばし下り力なく踊り場に倒れるラクシュミを介抱した。
(大丈夫だ、脈はある!)
肩も呼吸で大きく上下している。
頼りになる人たちが死んでいった。この人にまで何かあったらたまらない。
まず第一に、普段はサルワール・カミーズで寝ているのにこの日は違った。
クローゼットにあったネグリジェ型の白いパジャマーインドなのでさすがに同生地のパンツ付きだーがテレビドラマで見るもののようで可愛く、着て寝てみたのだ。
第二にトーシタの家の周りは子どもの頃から知っている親戚ばかりで、「外」に出ることにそこまでのバリアはなかった。
第三にトーシタは動揺していた。
朝になり人と話せるようになったらすぐ駆け出したかった。
第四に、最初トーシタはウルヴァシの部屋のドアを叩いた。
後からわかったところによれば彼女はシャワーの最中だった。起床すぐのこの時間は沐浴している人間が多い。
ともかく本来は女性フロアで同性に会う予定だったのだ。
ウルヴァシの反応がなく焦ったトーシタは、いつも筆記通訳をしてくれるイムラーンお兄さんに相談しようと思いつき、階段を駆け下りてしまった。
イムラーンはろくに眠れなかった。
どうすればファルハを守れたのだろうか。「狼」になったと自白して死を選んだアビマニュお兄さん、自分も非難を浴びせたけれど実は「狼」ではなかったらしい同胞クリスティーナお姉さん。頼りになる人たちがいなくなった、それは自分が正しい行動を取らなかったのも一因ではないか。では正しく動くとはー
洗面にいたイムラーンはノックの音とその向こうからのトーシタの切迫した声にすぐドアを開けた。通訳が必要な何かが起こったのかと思ったのだ。
「イムラーンお兄さん、お話したいことがあります」
英語で訴えるトーシタにイムラーンは硬直した。
明らかに夜着、それも白い上下をまとっただけの女性にどうしていいのかわからない。胸と足元だけにシンプルな刺繍が入る品の良い綿の服だがー
見ては失礼だと目を逸らすには訴えの調子が真剣過ぎる。
「上着取ってくる!」
廊下にいたマーダヴァンがこちらを見て叫び駆け出した。窮状を理解してくれたようだ。間もなく彼は紺色のカーディガンを持って戻る。
イムラーンが部屋を出るなり手首に取り縋ってきた彼女に、
「これを着て!」
マーダヴァンがカーディガンを背から被せたのに合わせて言う。とりわけロハンあたりの目にはさらしたくない。慌てて思わずタミル語が出ていた。
「Please put it on, please!」
ゆっくり英語で頼むとようやく袖を通した。
男物の大きなカーディガンはコートのように彼女のパジャマを隠した。まずほっと胸をなで下ろす。これで目の遣り場に困らない。階段を指して上へと促した。マーダヴァンも一緒に移動してくれるのがありがたい。
「お兄さん、お話がー」
「Before thatー」
その前に。まずは一度部屋に戻って服を着替えよう。
これもゆっくり丁寧に英語で伝える。
トーシタはようやく我に返った様子で俯き、身の置きどころを失ったようにおろおろし始めた。
女の人の慎み深さはマイナスに働くと厄介だ。
プージャのようなことにだけはなってはならない。
「Calm down! Calm down!」
イムラーンは声をかけつつ階段を昇らせる。
落ち着いて、とは彼女になのか自分になのかよくわからない。
失ったものは余りにも大きくて、それでも朝が来て自分は生きている。ならばアッラーからのお役目がきっとある。
踊り場で方向転換して数段昇った時、
「何をしているの!」
下からラクシュミの鋭い声が響いた。
助かった、この人に預ければと思う間もなく、
「No!」
トーシタの方が状況把握は速かった。
男に囲まれ薄物を着た女の子が困っている、と見えなくもなかったのだ。
「Imran Anna is OK! Imran Anna is a gentleman!」
いつものような貫禄でゆっくり昇ってくるラクシュミから必死でかばうーふたりの男のうちひとりだけを。
故にラクシュミはもう片方には問題があると判断し、はっと息を吸うなり技を繰り出しー
マーダヴァン、ラクシュミと続けて倒れた。
キャーーーーッ!
トーシタは遠慮なく裂くような悲鳴を上げ、イムラーンは棒立ちになる。
『警告! 警告! ルール違反です!』
張り飛ばされたマーダヴァンはその場に崩れただけだったが、ラクシュミは暴力行為への警告薬注入で倒れた拍子に踊り場まで落ち頭を打って動かなくなった。
『他人に暴力を振るってはなりません! 警告! 警告!』
アナウンスが響き女性たちが駆け下りてくる中、
「ラクシュミお姉さん!」
イムラーンは段を飛ばし下り力なく踊り場に倒れるラクシュミを介抱した。
(大丈夫だ、脈はある!)
肩も呼吸で大きく上下している。
頼りになる人たちが死んでいった。この人にまで何かあったらたまらない。
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