105 / 152
第8章 宣戦布告(新5日目)
8ー6 幕間 ムンバイ
しおりを挟む
<ムンバイ警察本部>
帰国準備を済ませ立ち寄ったふたりの男に、
「ご子息に関して新しい情報が入りました」
帰国前に直接話せればと思ったのでと警官は携帯を示す。
最初の写真は以前も見せられたオープンカフェでの姿だ。
向かいの宝飾品店監視カメラからのキャプチャーだという。
時刻は十六時十二分。調査先を出たアビマニュはスーパーマーケットで買物を済ませてこの店でお茶休憩を取った。十六時七分付けのレシートには、この時丸い木のテーブル上に並ぶチャイとパニールティッカの記載がある。
次に監視カメラがこの方向を向いた十五分後、彼の姿はなかった。
警官にレシートを提供したカフェは、人の出入りが多いのでアビマニュのことは誰も覚えていないと証言した。
アビマニュはティータイムを終え滞在先の親戚宅に向かったと思われる。
だがこれを最後に彼の足取りは途絶えた。
「足元にスーパーマーケットでの買物が入った袋が見えますね」
ジュートに紫で文字が印刷された細長い袋が椅子に寄りかからせてある。カナダの親族から頼まれた食材類を買い集めたところ持参の袋では足りず、業務用のジュート袋を頒けたとスーパーは証言した。
「この袋が今朝ほど発見されました。市内南西部街頭のゴミ箱からです」
ゴミ集積用のコンテナの中にまだきれいなジュート袋が無造作に捨ててあった。明確には語らないが情報屋の類いからの持ち込みらしい。
写真はその袋を撮ったものに変わる。
「文字の擦れ具合などからアビマニュ君のものと同一と判断されました。上部の赤い汚れは食材がこぼれたもののようです。何よりも、」
次の写真に父親は目を剥いた。
中には商品はなく買物のためのメモが一枚。
親戚宅のメモ用紙に残されたペン跡から再現したものと全く同じ、数日前母親と電話しながらのメモと思われる紙片がぱらりと出て来た。
そして写真ではなくビニール袋に入ったメモの実物がテーブル上に出される。丁寧で大きめのナーガリー文字と英語表記が併用されたそれを、
「息子の字です……」
前かがみで見つめてから父親は言い、対称的に背をピンと伸ばしていた兄も頷いて、それから労るように父の様子を窺った。
機上にて彼らは警察官の言葉を反芻した。
『残念ですが、ご子息は何らかの事件に巻き込まれたと思われます』
物取り、喧嘩、または交通事故で放置されたなど意図しないアクシデントか。
『今後も鋭意捜査を続け、判明したことがあればご連絡させていただきます』
しっかり者で要領もいい息子だ。女の子ならともかく、体力もそれなりの分別もある若い男だからとそう心配せずに送り出した。カナダ育ちには多くの葛藤も小さなトラブルも起こるだろうが、故郷の文化を理解し馴染んでくれればうれしいと父親はアビマニュが決めた調査先に喜んだ。
自分は「インド人」だったが息子はもうカナダの人間だ。
現地で育てば空気のように出来る配慮や警戒が彼には困難だったのかもしれない。
空港から妻へ電話を入れた。
娘、アビマニュからすれば姉はどうしているか尋ねると情緒不安定で手に負えないとの答えが返ってきた。
何度目かの大きなため息に隣の息子が腕をさすって慰めてくる。
アビマニュは今どこでどうしているのだろう。軽症で病院に収容されたがまだ身元がわからない、などですぐに連絡が入ればいい。どうか無事であるようにと左手首、マントラの彫られたブレスレットに触れて祈りを唱えた。
<注>
・パニールティッカ
インドチーズのフライ(日本のインド料理店ではチーズの天ぷらと表現している所もある)
帰国準備を済ませ立ち寄ったふたりの男に、
「ご子息に関して新しい情報が入りました」
帰国前に直接話せればと思ったのでと警官は携帯を示す。
最初の写真は以前も見せられたオープンカフェでの姿だ。
向かいの宝飾品店監視カメラからのキャプチャーだという。
時刻は十六時十二分。調査先を出たアビマニュはスーパーマーケットで買物を済ませてこの店でお茶休憩を取った。十六時七分付けのレシートには、この時丸い木のテーブル上に並ぶチャイとパニールティッカの記載がある。
次に監視カメラがこの方向を向いた十五分後、彼の姿はなかった。
警官にレシートを提供したカフェは、人の出入りが多いのでアビマニュのことは誰も覚えていないと証言した。
アビマニュはティータイムを終え滞在先の親戚宅に向かったと思われる。
だがこれを最後に彼の足取りは途絶えた。
「足元にスーパーマーケットでの買物が入った袋が見えますね」
ジュートに紫で文字が印刷された細長い袋が椅子に寄りかからせてある。カナダの親族から頼まれた食材類を買い集めたところ持参の袋では足りず、業務用のジュート袋を頒けたとスーパーは証言した。
「この袋が今朝ほど発見されました。市内南西部街頭のゴミ箱からです」
ゴミ集積用のコンテナの中にまだきれいなジュート袋が無造作に捨ててあった。明確には語らないが情報屋の類いからの持ち込みらしい。
写真はその袋を撮ったものに変わる。
「文字の擦れ具合などからアビマニュ君のものと同一と判断されました。上部の赤い汚れは食材がこぼれたもののようです。何よりも、」
次の写真に父親は目を剥いた。
中には商品はなく買物のためのメモが一枚。
親戚宅のメモ用紙に残されたペン跡から再現したものと全く同じ、数日前母親と電話しながらのメモと思われる紙片がぱらりと出て来た。
そして写真ではなくビニール袋に入ったメモの実物がテーブル上に出される。丁寧で大きめのナーガリー文字と英語表記が併用されたそれを、
「息子の字です……」
前かがみで見つめてから父親は言い、対称的に背をピンと伸ばしていた兄も頷いて、それから労るように父の様子を窺った。
機上にて彼らは警察官の言葉を反芻した。
『残念ですが、ご子息は何らかの事件に巻き込まれたと思われます』
物取り、喧嘩、または交通事故で放置されたなど意図しないアクシデントか。
『今後も鋭意捜査を続け、判明したことがあればご連絡させていただきます』
しっかり者で要領もいい息子だ。女の子ならともかく、体力もそれなりの分別もある若い男だからとそう心配せずに送り出した。カナダ育ちには多くの葛藤も小さなトラブルも起こるだろうが、故郷の文化を理解し馴染んでくれればうれしいと父親はアビマニュが決めた調査先に喜んだ。
自分は「インド人」だったが息子はもうカナダの人間だ。
現地で育てば空気のように出来る配慮や警戒が彼には困難だったのかもしれない。
空港から妻へ電話を入れた。
娘、アビマニュからすれば姉はどうしているか尋ねると情緒不安定で手に負えないとの答えが返ってきた。
何度目かの大きなため息に隣の息子が腕をさすって慰めてくる。
アビマニュは今どこでどうしているのだろう。軽症で病院に収容されたがまだ身元がわからない、などですぐに連絡が入ればいい。どうか無事であるようにと左手首、マントラの彫られたブレスレットに触れて祈りを唱えた。
<注>
・パニールティッカ
インドチーズのフライ(日本のインド料理店ではチーズの天ぷらと表現している所もある)
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
2
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる