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第10章 ムンバイへの道(新7日目)
10ー4 日常(新7日目)
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これが三回目だ。
一度目はレイチェルを探せと車内が殺気だっていて、走っては止まり走っては止まりと長かった。二度目はあの眼鏡のお巡りさんともう一人の話し声がしたが別件のようで、少し走ってすぐに終わった。
三度目は車内の会話もないままに長く走ってそして止まった。
がたりと大きな音で荷物置きの後部ドアが開けられ、レイチェルはダンボールの中で身を固める。
「マリッカ、仕事が終わった」
(……)
「マリッカ、仕事が終わった!」
今度はもっと大きな声だった。
固まった体からまず右手を伸ばし少しダンボールの蓋を押し上げる。反応はなく今度は両手で押し開き恐る恐る身を起こす。
車のライトに例の警官の眼鏡が光った。
「長い時間よく頑張ったな」
「……ううっ……」
嗚咽が漏れ出したレイチェルに警官は隣のダンボールから白い袋を取り出した。
「これに着替えろ」
車の外、林を指差す。
「俺はここで背を向けている」
このオフィサーは信用出来る。レイチェルはためらわず袋を受け取り林に入ったが、
「オフィサー!」
下着姿のまま中に入っていたサルワールで身を隠す。
「このサルワール・カミーズ、入りません! もっとスマートな人向けだと思います」
「なら今までの服を着ろ」
「上手く畳めませんでした。済みません」
どこかの服屋の住所が印刷された白いプラスチックバックはぷっくり膨れてしまった。車の外に立つ警官に手渡すと、
「こっちこそ悪かった。マリッカ……娘の服なんだが、同じくらいの年に見えたから着られると思った。お前の方が少しお姉さんだったみたいだな」
(オフィサー違います。娘さんの方がスタイルがいいんです)
袋から出した時は自分もサイズは合っていると思った。
だがサルワールを頭から被ると途中で引っかかって下げられない。無理に着たら服を裂いてしまう。丈は丁度いいが横幅がかなり細かったのだ。
ダイエットをしようと思ってはすぐ止める繰り返しだったことを思い出した。
「このドゥパタだけは持っていけ」
くるっ!
首に巻き付けられてレイチェルはぎゅっと身を縮めた。
「ああそうじゃない」
首を絞められるのかと強ばったレイチェルに警官はすぐ手を離した。
「しっかり首に巻いて隠せ。それは目立ち過ぎる」
首輪を指す。Tシャツにジーンズの上だがレイチェルは格子柄のドゥパタを慎重に巻き付けた。
車は大きな道路と並行して走り始めた。おそらく元来た国道だ。
(空があおい……)
暑さで攻めたてる昼間の「青」ではない。もっとくすんだ、だが明らかに「黒」ではなく「群青」色よりも明るいあおさが空一面に広がっていた。
ー夜明けだ。
ああ……
このような空を見るのは一週間ぶりだろうか。
後部座席から鼻が外に出んばかりに顔を外へ寄せ見上げる。
「あまり窓に近づくな。警察の知り合いでも見つかったらまずい」
注意され、中ほどにかしこまって座り直し運転席向こうの空を見る。
四つ角の手前で車は止まった。
「あそこに見えるのがバス停だ」
少し前方の坂の上、国道に人が並んでいるのを示す。
「十分後くらいにムンバイ市内行きのバスが通る。ムンバイ警察本部へ行け」
本部までのバスの乗り換えルートを教える。
「あそこなら大丈夫だ。全部正直に話せ」
水色のふわっとした手触りのポシェットに小銭を入れてレイチェルに手渡す。
「オフィサーのことも言っていいんですか」
車の外でポシェットを受け取り細い紐を斜めがけにする。手に握るのはダンボールに入った時にもらったペットボトルの水。
「署の中のトイレの窓から逃げ出してわからないままにずっと歩いた、と言ってくれれば助かる」
(やっぱり建物の中にトイレあったんだよね)
頷いて、
「ありがとうございました」
深く頭を下げると警官は野犬でも追い払うようにシッと手を振った
バス停に並んですぐ振り返ったがもう警官の車は見当たらなかった。待つ短い間、いつ警察の人や軽トラックを襲った男たちに見つかるかと緊張した。
結局レイチェルはムンバイ警察本部には行かなかった。
もう警察はこりごりだ。市内に入れば土地勘もある。バスを乗り換えて真っ直ぐ自宅へ向かった。
よく使うバス停を降りる前、そばにいた女性のスマホから見えた時刻は八時過ぎ。この時間ここに居たら学校は遅刻だとふと思う。
見慣れた風景の街を歩くにつれてレイチェルの中にどんどん日常が戻って来た。
(あの通りの向こうが古い市場でー)
その奥にピザ屋とアイス屋が並んだ通りがある。
(……)
日が上がってくればかなり暑い。ドゥパタの端で頭の上を覆う。目眩がするのは寝不足か暑さからかわからない。ココナツ売りの屋台を準備する男の姿に父のことを思い出す。飲みきったミネラルウォーターの空きボトルを道ばたの黄色いゴミ箱にぽいと捨てた。歩く端からの土埃の匂いも新鮮だ。
アパートメントが並ぶ通りは建物の陰を歩けてありがたい。
「ナマステ」
すれ違った近所のおばさんに手を合わせて挨拶をした。
おばさんはぎょっとした顔ですっ飛ぶように道を引き返す。そうだ、自分は誘拐されていたのに普通に挨拶してしまった、と思ううちに自宅前の角に着いた。
(ダルシカ。わたし、お家に帰って来たよ)
足を踏み出せば、黒いドアの前に先ほどのおばさんと、母が立っていた。
「お母さん……」
「レイチェル!」
母は飛び出してきてレイチェルを抱き締めた。
抱きつき返した彼女はすぐに引き離された。母の手が首元を探るともどかしげにドゥパタをほどき開く。
嵌まった首輪に、
「……………!!」
母は目を見開いて悲鳴を上げた。
一度目はレイチェルを探せと車内が殺気だっていて、走っては止まり走っては止まりと長かった。二度目はあの眼鏡のお巡りさんともう一人の話し声がしたが別件のようで、少し走ってすぐに終わった。
三度目は車内の会話もないままに長く走ってそして止まった。
がたりと大きな音で荷物置きの後部ドアが開けられ、レイチェルはダンボールの中で身を固める。
「マリッカ、仕事が終わった」
(……)
「マリッカ、仕事が終わった!」
今度はもっと大きな声だった。
固まった体からまず右手を伸ばし少しダンボールの蓋を押し上げる。反応はなく今度は両手で押し開き恐る恐る身を起こす。
車のライトに例の警官の眼鏡が光った。
「長い時間よく頑張ったな」
「……ううっ……」
嗚咽が漏れ出したレイチェルに警官は隣のダンボールから白い袋を取り出した。
「これに着替えろ」
車の外、林を指差す。
「俺はここで背を向けている」
このオフィサーは信用出来る。レイチェルはためらわず袋を受け取り林に入ったが、
「オフィサー!」
下着姿のまま中に入っていたサルワールで身を隠す。
「このサルワール・カミーズ、入りません! もっとスマートな人向けだと思います」
「なら今までの服を着ろ」
「上手く畳めませんでした。済みません」
どこかの服屋の住所が印刷された白いプラスチックバックはぷっくり膨れてしまった。車の外に立つ警官に手渡すと、
「こっちこそ悪かった。マリッカ……娘の服なんだが、同じくらいの年に見えたから着られると思った。お前の方が少しお姉さんだったみたいだな」
(オフィサー違います。娘さんの方がスタイルがいいんです)
袋から出した時は自分もサイズは合っていると思った。
だがサルワールを頭から被ると途中で引っかかって下げられない。無理に着たら服を裂いてしまう。丈は丁度いいが横幅がかなり細かったのだ。
ダイエットをしようと思ってはすぐ止める繰り返しだったことを思い出した。
「このドゥパタだけは持っていけ」
くるっ!
首に巻き付けられてレイチェルはぎゅっと身を縮めた。
「ああそうじゃない」
首を絞められるのかと強ばったレイチェルに警官はすぐ手を離した。
「しっかり首に巻いて隠せ。それは目立ち過ぎる」
首輪を指す。Tシャツにジーンズの上だがレイチェルは格子柄のドゥパタを慎重に巻き付けた。
車は大きな道路と並行して走り始めた。おそらく元来た国道だ。
(空があおい……)
暑さで攻めたてる昼間の「青」ではない。もっとくすんだ、だが明らかに「黒」ではなく「群青」色よりも明るいあおさが空一面に広がっていた。
ー夜明けだ。
ああ……
このような空を見るのは一週間ぶりだろうか。
後部座席から鼻が外に出んばかりに顔を外へ寄せ見上げる。
「あまり窓に近づくな。警察の知り合いでも見つかったらまずい」
注意され、中ほどにかしこまって座り直し運転席向こうの空を見る。
四つ角の手前で車は止まった。
「あそこに見えるのがバス停だ」
少し前方の坂の上、国道に人が並んでいるのを示す。
「十分後くらいにムンバイ市内行きのバスが通る。ムンバイ警察本部へ行け」
本部までのバスの乗り換えルートを教える。
「あそこなら大丈夫だ。全部正直に話せ」
水色のふわっとした手触りのポシェットに小銭を入れてレイチェルに手渡す。
「オフィサーのことも言っていいんですか」
車の外でポシェットを受け取り細い紐を斜めがけにする。手に握るのはダンボールに入った時にもらったペットボトルの水。
「署の中のトイレの窓から逃げ出してわからないままにずっと歩いた、と言ってくれれば助かる」
(やっぱり建物の中にトイレあったんだよね)
頷いて、
「ありがとうございました」
深く頭を下げると警官は野犬でも追い払うようにシッと手を振った
バス停に並んですぐ振り返ったがもう警官の車は見当たらなかった。待つ短い間、いつ警察の人や軽トラックを襲った男たちに見つかるかと緊張した。
結局レイチェルはムンバイ警察本部には行かなかった。
もう警察はこりごりだ。市内に入れば土地勘もある。バスを乗り換えて真っ直ぐ自宅へ向かった。
よく使うバス停を降りる前、そばにいた女性のスマホから見えた時刻は八時過ぎ。この時間ここに居たら学校は遅刻だとふと思う。
見慣れた風景の街を歩くにつれてレイチェルの中にどんどん日常が戻って来た。
(あの通りの向こうが古い市場でー)
その奥にピザ屋とアイス屋が並んだ通りがある。
(……)
日が上がってくればかなり暑い。ドゥパタの端で頭の上を覆う。目眩がするのは寝不足か暑さからかわからない。ココナツ売りの屋台を準備する男の姿に父のことを思い出す。飲みきったミネラルウォーターの空きボトルを道ばたの黄色いゴミ箱にぽいと捨てた。歩く端からの土埃の匂いも新鮮だ。
アパートメントが並ぶ通りは建物の陰を歩けてありがたい。
「ナマステ」
すれ違った近所のおばさんに手を合わせて挨拶をした。
おばさんはぎょっとした顔ですっ飛ぶように道を引き返す。そうだ、自分は誘拐されていたのに普通に挨拶してしまった、と思ううちに自宅前の角に着いた。
(ダルシカ。わたし、お家に帰って来たよ)
足を踏み出せば、黒いドアの前に先ほどのおばさんと、母が立っていた。
「お母さん……」
「レイチェル!」
母は飛び出してきてレイチェルを抱き締めた。
抱きつき返した彼女はすぐに引き離された。母の手が首元を探るともどかしげにドゥパタをほどき開く。
嵌まった首輪に、
「……………!!」
母は目を見開いて悲鳴を上げた。
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