ヒーロー

ヨージー

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 郷田は仲間と通信機で会話している。木乃美の視線は横を向いていた。床が冷たかった。攻めに出た木乃美だったが、郷田に張り合えたのは数十秒といったところだった。木乃美の攻勢による幾打かの打ち込みは、いなされ、躱された。有効打の感触はなかった。勢いを利用され投げられた。着地直後、木乃美に自分で理解できる無駄はなかった。しかし、確かに腹部に一撃を打ち込まれた。木乃美は倒れ込むまで何がされたか正確に把握できなかった。しかし、理解した。拳ではなく掌打だった。加減された。拳だったら骨が折られていたかもしれない。本気で打ち込まれていたら内臓を潰されていたかもしれない。けれど、木乃美は息ができた。立ち上がれないだけの痛みがあった。心の痛みだ。敵わない。涙をこらえる。歯を食いしばる。郷田はもう、こちらを見てもいない。立ち去ろうとする郷田を見つめることしかできなかった。
 郷田の足が止まった。木乃美は苦しい中、顔を上げた。郷田が何かをこちらに投げ飛ばした。その色を木乃美は知っている。木乃美はその色を若き日の恥として、箪笥の奥底に眠らせている。でも、この既視感はそれとは別だ。ずっと、ずっと見つめてきた人。間近で話したのは二回だけだ。彼だ。木乃美は涙がこぼれてしまう。悔しさと、ほかの何かわからない感情で、胸がいっぱいだった。
「透くん…」
 透は突き飛ばされ、痛がりながらもこちらを振り向いた。
「え」
 動揺する透は木乃美を見る。
「女子高生って、同じ高校。えと、名前。なんで、ああ。入学式」
「危ない」
 透は郷田の鋭い蹴りに数メートル飛ばされる。
「なんでこんなに子どもが」
 郷田は困惑しているようだ。ドアを蹴るような音が続く。
「くそ、…っ」
 透はむせながら痛みをこらえ、それでも立ち上がった。透は木乃美と郷田を見た。木乃美は気づく。透は後ろに逃げられる。自分が郷田を足止めできれば。視線は郷田をにらむ。木乃美が体制を起こす間際、視界にとらえた色はキミドリ。とびかかった透は、郷田に受け流される。上着を掴まれ右、左、と体を壁に打ち付けられる。壁にうずくまる透。腕が拘束されているようだ。手錠が見えた。郷田がうずくまる透の頭に蹴りを入れる。木乃美は痛みをこらえて飛び起きた。見えたのは郷田が体制を崩す様子だった。蹴りを入れられたかに見えた透はぎりぎりで躱して、郷田のあげた足を拘束されたままの腕ですくい上げたのだ。
 透は木乃美に向かって駆けた。
「逃げるよ」
 木乃美の目にはこちらに駆ける透の姿以外にも見えた影があった。郷田は素早く体制を立て直していた。木乃美は心の高ぶりを抑えられない。自分の感じた絶望を彼がいともたやすく乗り越えたのだ。突き出される郷田の拳。木乃美は透の体を片手で抱き寄せ、片腕で郷田の拳を受けた。食いしばる。痛い。でも、それでも、もう負ける気がしなかった。

 透は動揺の連続で混乱していた。須田を不意打ちで退けたまではよかった。しかし、通路に飛び出たとたんに、あの男に出くわしてしまう。おそらくこいつが郷田だろう。もうどうにでもなれ、と投げやりに突っ込んだ透だが、簡単に突き飛ばされてしまった。そこでさらに動揺したのが女子高生の出現だった。ここに紛れ込んだような話はもうろうとする意識の中で聞いていた。犯人たちが追っていたのではなかったか。しかも彼女は自分の名前を呼んだのだ。見れば見慣れた透の高校の制服。記憶を手繰り寄せる。しかし、郷田の一撃で、その作業も続けられなかった。目の前の状況が過去の別な記憶を呼び寄せる。中学二年生の自分が強盗団に襲われる情景がフラッシュバックした。今の自分はなんだ。そう呼びかける自分の声が聞こえた。自分は今キミドリじゃないか。飛び込んだところまでは覚えている。そのあと何をしたんだろう。どうして、自分は今女子高生の腕の中に。思い出した。名前のすべては思い出せない。
「…木乃美さん」
 木乃美はその声に呼応したかのように郷田の拳をいなして、肘を郷田の腹部に打ち込んだ。すれ違いざまに透は壁側に倒された。衝撃で一瞬目をつむる。目を開くとそこにはにらみ合う二人がいた。
「そこまで軽い一撃だったつもりはないぞ」
 郷田の表情には余裕さがあったものの平常心ではなさそうに見えた。
「でも、もう負けられないから」
 快活に言う木乃美の表情は強者へ立ち向かう恐怖が見て取れなかった。まるで木乃美の方が有利かのように見えた。だが透は知っている。郷田は強い。
「子どもの考えることはわからないな」
「だって、私はヒーローだから」
 その言葉の直後、木乃美は動いた。体制を低くして郷田に向かう木乃美。郷田も中腰だ。数発二人の腕が軽い当たりを見せた。透は二人の動きが止まった時に状況の変化に気づいた。木乃美が郷田の片腕を自身の片腕で関節を絞めていた。木乃美は即座にもう片腕で郷田の肘を関節の可動方向と逆方向に一打、打ち込んだ。郷田の反撃は、郷田の後ろに回り込む木乃美には届かない。郷田の膝関節に後ろから木乃美の蹴りが入る。姿勢を崩す郷田。一方でまるで初めから姿勢を整えていたかのような木乃美が拳を突き出す。正拳突き。何の知識もない透にはそうとしか言いようがなかった。木乃美の拳は郷田の背を捉えた。
郷田はつんのめるようにして姿勢を崩し、転倒した。しかし、郷田は片腕を床につき倒れた姿勢のまま、木乃美に蹴りを当てる。一発の重みが違う。木乃美は後ろ側に飛ばされた。郷田が床を滑って停止した木乃美を追う。ダメだ。殺されてしまう。透は飛び出した。腕の手錠をバスケのダンクさながら郷田の首にかけた。力の限り体重を乗せて郷田の首を引く。郷田は首の拘束を片手で抑えながら、片腕で透の腹部へひじを打ち込む。吐きそうだ。透が次に見たのは踵だった。郷田が前かがみになった。違う。前かがみになるほどの衝撃を頭から下へ受けたのだ。あまりの勢いに透は郷田の上で前転してしまう。床に転げ落ちると手が差し出されていた。
「大丈夫?」
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