ヒーロー

ヨージー

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 車両はナンバーを含めて間違いなかった。刑事たちは犯人の新しい逃走車を発見していたのだ。電柱の陰から車が停められている建物を覗く。車は学校からそう遠くないところで路上駐車されていた。大通り脇の細い路地で見つけることができた。車種はありふれたワンボックスで、見つけられたことがかなり奇跡的だった。建物は三階建てで、一階のテナントは空いている。上に犯人たちがいるのだろうか。久志も…。腕時計を見る。時間が限られている。迷っている暇はない。
 外階段を昇っていく。二階に人影はない。部屋への扉は施錠されていた。ため息をつく。足音。上だ。三階には人がいる。そちらへ注意を傾ける。足音が止まる。周防はそっと階段を上る。三階の人物は動かない。どう対応するべきだろうか。人気のない雑居ビルだ。通行人が三階まで登るのは不自然だ。そもそも人が来ないから、アジトに選ばれたのだろう。覚悟を決める。周防は階段を駆け上がる。細身の男と目が合う。
「なんだ、お前」
 細身の男がとっさに懐から見たこともない形状のピストルのようなものを取り出した。間違いない。
 バシュッ、バシュッ。
「い、たい!」
 細身の男の驚愕の表情。狙う場所はわかっていた。左手で顔を覆うように隠したことで、打ちだされた竹張りが腕に刺さる。この瞬間がチャンスだ。意表をつける今が勝機。周防は痛みをこらえて男に突進する。体格差はほとんどない。両手で男の上着を掴む。力の限り腕を振りぬく。男の体が外通路の手すりを越える。
「うあああ」
 周防は落下先を確認しない。痛みをこらえる。そのまま部屋の扉に手をかける。施錠は…、されていなかった。部屋の内側が視界に入る。複数のモニター。椅子に腰かける見覚えのある男。久志の驚いた表情。顔が腫れている。
「っつ…」
 久志の前に小柄な男がいた。こちらに突っ込んでくる。久志がイスごと前方に倒れ込む。小柄な男が巻き添えに転倒。久志の視線を感じた。周防は遠い日のサッカー経験を思い出す。効き足で小柄な男の頭部を思い切り蹴りぬいた。
 外から大きなうめき声が聞こえた。久志はイスの背もたれに腕を拘束されていた。
「騒がしいお客様だな」
 周防は思い出す。すれ違いざまに強烈な拳を打ち込んできた男だ。
「雅人、近隣の小学校が狙われている。どうにか通報してくれ」
 久志が叫んだ。周防が口を開こうとする前に、目前の男が反応した。
「そちらには彼の仲間が向かっているようだよ」
 久志が男の方を見てから、周防に視線を戻した。周防は無言でうなずいた。
「やはりモニターしていたな」
 男が口元をゆがませる。
「そこまでわかっているとは、君も開発に関わっていたのかい?」
「いや、俺は…」
周防は考える。足元の小柄な男がうめいている。念のため男の首筋を踏みつけておく。
「あれを監視と兵器の両面から軍事利用でもしようというのか」
「聞いて何になる」
 男は座ったまま余裕を残して反応する。
「認めるんだな」
 周防はなおも口調を強めるが、男は大きな反応は示さない。
「いいのか?」
「なにが」
「早く止めないとお仲間も含めて、その男の餌食になるぞ」
 男は久志を顎で指示した。久志の悔しそうな表情が視界に入る。
「お前たちがあれを危険なものにしたんだろう」
 周防は会話を引き延ばそうとしていた。男がこちらを見ている限り気づかれることはない。モニターは先ほどからノイズしか表示していなかった。
「俺たちはあれのメリットを示しただけに過ぎない。どのみち誰かがそうしていたさ」
「あれは人を助けるための道具だ」
「そんなのは印象論と大差ない。道具の使い方は使う人間が決める」
 無言のにらみ合いがあった。しかし、純粋ににらんでいるのは周防だけで、男は余裕の表情を崩さない。
 男が耳に手を触れた。男がにやつく。
「なんだ」
「無策じゃなかっただけ褒めてやる」
 男の表情に気を盗られた間に状況が動いていた。モニターが鮮明な図を表示していた。
「君の仲間より、俺の手ごまの方が優秀だったらしい」
 周防は動揺した表情を引き締める。
「どういう意味だ」
「後ろのモニターのことは知っていた。どのみちあの施設から電波妨害に使えそうなものでも取ってきたんだろう」
 周防は言葉に詰まる。
「それよりも、今もそのポケットの中の携帯電話は通話中なのかな」
 周防は驚愕する。気づかれていた。周防は殺された刑事の携帯電話を使って、警察に状況を伝えていた。証拠にでもなれば、と通話は継続している。
「ちゃんと手に持たないと、音が拾えないよ。次からはイヤホンでも使うといいワイヤレスならそんなに邪魔にはならない」
「イヤホン…」
 周防は男の耳元を見る。
「いや、君の携帯電話の通話を拾っているわけじゃない。警察無線だよ」
「…」
「もうすぐここに人が集まってくるらしいから、おれはここを離れることにする。その男はくれてやる」
 周防は久志に視線を送る。
「どうしても自分の開発品で人が殺されるところを見せたいという下世話な部下がいたものでね。運に感謝するといい」
 男は笑顔のまま立ち上がり、ゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。周防は警戒して身構える。
「こっちは私が面倒見てやる」
 男が思い切り周防の足を踏みつけた。鈍い音がした。
「う、ぐあ」
 周防はしゃがみ込む。足の痛みと、そして感触。鳥肌が立つ。男は、小柄な男の首を周防の足ごとへし折った。男は手元に小さなリモコンを持っていた。
「さようなら、もう会うことがないほうが君たちにはいいだろう」
 男は開け放たれている扉から外へ出ていきながら、顔の横でリモコンのスイッチを入れた。周防はとっさにモニターへ視線を戻す。

 木乃美は物心がついたころから、自分用の道着があったことを覚えている。最初のころはほめてもらえることがうれしくて、一生懸命練習していた。つらくなったのはいつからだろう。小学校のころ、みんなが公園で遊ぶのを、ランニングしながらうらやましく眺めたときからだろうか。周りよりも筋肉質な体つきを水泳の授業で笑われたときだろうか。お父さんはいつから自分のことを跡取りがごとく、しごくようになったのだろう。お母さんは娘に厳しく接する父をいつから見て見ぬふりをするようになったのだろう。お父さんは私に素養があるといった。運動神経はいい方だという自覚はあった。逆に勉強が苦手である自覚もあった。諦めに近い、葛藤もあった。諦めた人生、それに対して抗えないことに悔しさがあったのかもしれない。毎日のトレーニングは胸の中のもやもやを大きくしていった。体の負担はいつからか、心の負担前からすると感じられないものとなった。眠りにつけないこともあった。トレーニングは日々厳しさを増していったし、友達と過ごせる時間も減っていった。共通の話題もなくなっていった。それでも友達を優先するために、中学校の頃はノルマを最速で終わらせて、疲れ果てながらも、みんなに人気なテレビ番組を見たり、雑誌を立ち読みしたりした。でも、そのころには気づいていた。もうみんなと自分は違う。同じことに同じように熱中できない。物の見え方が変わってしまった。そんな感覚もあった。でも彼と出会ったことで、それが杞憂だったとわかった。恋心は人と変わらない。彼のことを、彼への気持ちを話すと、理解してもらえたし、反対に、みんなの恋バナも理解できた。もし、自分と彼がその立場だったら、と、胸を焦がすこともあった。彼のおかげで、友達を失わずに済んだ。そんなことを彼に伝えたら、重いだろうか。本当は彼に伝えたいことがまだまだたくさんあった。自分が彼の影響で、ヒーローに邁進したこと。そのおかげで稽古に気持ちよく臨めたこと。ヒーローとして、彼を救えたことがどれほど誇らしかったかを。彼に伝えたかった。でも、まだ言えない。彼は私がヒーローだと知らない。知れば幻滅されてしまうかもしれない。ヒーローとしての自分も、木乃美という人格も。だって、ヒーローの立場を利用して、彼の志望校を調べたりしてしまった。職権乱用だ。彼は純粋に救ってくれたヒーローが受験を励ましてくれたと思っている。それが下心だったなんて知ったら口をきいてくれなくなるかもしれない。そんなことになったら、生きていられない。私はもうあの人なしの日常を考えられない。あの人と縮まった、今の距離を失いたくない。これからもっと親しくなっていきたい。私が今、生きがいを持って、生きることができているのは彼のおかげだから。彼と話したい。彼との時間を作りたい。彼との思い出を作っていきたい。二人で人生を歩みたい。彼にとっては、知人の一人くらいの立ち位置かもしれない。でも、それでも、私は、彼を、引田透を愛している。
 木乃美は瞼を開ける。床に寝そべっていた。うつぶせになっている。ここはどこだろう。考えられない。体が動かない。眠い。瞼を開けていられない。目を覚ます前に何かを考えていた気がする。夢をみていたのだろうか。何の夢を。思い出せない。何か大切な事だったと思う。でも、考えることすらだるい。頭を働かせるのは苦手なんだ。寝てしまおう。きっとそんなに大したことじゃないはずだ。次に目が覚めたらどうでもよかったと思えるだろう。木乃美は静かに瞼を閉じる。私にとって大切な事なんて…。
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