学生旅行紀

ヨージー

文字の大きさ
上 下
3 / 7

調査

しおりを挟む
「へえ、じゃあ、あのホテルって殺された女の人の会社の援助で成り立ってたんだね。元々立地が運営厳しいんじゃないかな、とは思ってたんだよ」
大場は同じベンチに腰掛け横目で吉永を見ている。ここはキャンパスの最寄り駅から三駅の基幹駅で、大場の職場からそう遠くないらしい。大場がここからどの路線に乗って帰るのかは知らない。
「そうみたいです。あのホテルって夏こそ最盛期って話ですし、その繋がりがあったからあの会社の人たちも泊まれてたんじゃないですかね」
「あの会社ってそもそも何の会社なの?」
「あ、ええそれはこんな感じみたいです」
吉永は通学に使っている鞄から中身のつまった封筒を取り出した。
「友人がちょうどそこの会社の就職狙っているみたいで、資料借りてきました。なんだか海外企業と国内企業の橋渡しみたいな内容でしたね」
大場は封書を受け取り、中からパンフレットを数部抜き出し、簡単に目を通していく。
「そんな会社がなんでホテルの援助なんかしてるんだろうね」
大場は資料から目をあげない。横顔がまさに働く女といった様子で、吉永は少し見とれてしまう。
「あ、そこなんですけど、ちょうどその友人があのホテルで代表の相馬さんって方と話していたらしいんですが、国外からの来訪者を招くにあたって、相手先の知らない場所を用意したかったらしいです。あまりメジャーなところだと相手先の印象に残らない会談になるって考えがあるとか」
「確かにあそこは印象には残るだろうね。でも街中から離れすぎてない?」
吉永は自分が澤村にした質問と同じ質問を大場が自分にしていることに内心ほくそえむ。
「そこはエンターテイメントとのことです」
「エンターテイメント?」
「そうです。そこにたどり着くまでの道中が相手の期待をより膨らませるそうです」
「なるほどね。金持ちの考えることは分からないわ」
「そうですね。でも確かにいいホテルではありましたよね」
吉永は同じベンチに腰掛け談笑する自分と大場を周囲の人間はどう見るのだろうか。大場の職場の人間がもしかしたら自分たちを目撃する可能性もあるのではないか。それをわからない大場ではない。大場は自分と二人の所を知り合いに見られても問題ないということだろうか。眼中にない、という考えを頭を振って打ち消した。
「ありがとう、このパンフレット一応コピーしていい?」
「そういうと思ってコピーしてあります。大学は学生なコピー無料ですから」
吉永は口元を引き締め、大人の振る舞いを心がける。バッグからクリアファイルを取り出した。ファイルは家のなかで最も綺麗なものを見つけてきている。
「ありがたいけど、それ原本持ってこなくてもよかったんじゃない?」
「そ、そうですよね」
大場を笑わせることができた。それだけで今日という日の収穫はあった、と吉永は思った。

 須田はファイルを上書き保存し、メモリをノートパソコンから引き抜いた。パソコンの電源を落としバッグのパソコンスペースにしまい混んだ。平日の学内図書館のフリースペースは学生の集まり場所となっている。授業までの時間潰し、テスト勉強、レポート作成。須田はレポート作成に利用していた。大きなテーブルは学生グループが使うため、一人で使うことは難しいが、最近個別スペースも作られ、利用しやすくなった。今まで一人で作業する際は学校側のカフェを利用することが多かったが、仕送りだけで生活している身としてはなるべく生活費を抑えたかったし、それに学内なら印刷が無料だ。自宅で作業することはできるが、須田は何故か周りに雑音があった方が作業が捗る気がしていた。休日も家に籠ることは少ない。須田はレポートを紙で提出させることを常々無駄だと思っている。ファイルの確認だけであればメールか、学科の共有フォルダを作成すれば済む話ではないか。しかし、紙にしたうえで、無駄に保管して教授室のキャビネットを圧迫する文化はまだなくなる気配がない。教授予算の支出先を増やすためだろうか。確か、公共の道路などは、市が年度予算を使いきって翌年の予算を減らされないために年度末の工事が増える、という話を聞いたことがある。
 須田はレポートを教授室のポストに投函しに学部搭の階段を登る。この教授は授業時間を全て授業進行に使いたいらしく、レポート提出を次の授業までのこの投函方式を採用している。訂正のある者は次の授業で返されるため、週のレポートが一つ増えることになる。確かに学生の意欲を引き出すシステムか、とは思う。別に推奨はしない。事件の後の旅行はつつがなく進行したが、トラブルに見舞われたこともあり、秋口には、もう少し安価な計画をたてることになった。元々何か理由をつけてまた旅行には行くと思っていたので大差ない気もする。それにホテルで起こった事件は距離こそ近い話だったが、全く知らない人物の出来事で、他のニュースと変わらないと思っている。須田は新聞をとっていない。学生で新聞をとっている人はほとんどいないだろう。そのせいでか、学校近辺では強引な新聞の売り込みが多発している。だから須田はあの事件の続報を知らない。興味もないのだから構わないのだが、他の二人の態度が共通の友人を介して、自分に事件の話をさせようとしてくる。最近はむしろ須田が事件の新事実を知ることの方が多かった。亡くなって篠田という人は会社では、代表の相馬と関係があったのでは、と噂になっていたそうだ。それは、あの晩ホテルの宿泊した面子を思えば頷ける話だった。彼らの部屋の取り方を訪ねられたりもしたが、もちろん須田はそんなことを知らない。そういえば、事件発見時は萩谷という中年女性が部屋にいたそうだが、男女別の二部屋だったのだろうか。いや、それだと、殺された篠田さんが絶命する瞬間に萩谷夫人は隣で寝ていたことになる。しかし、就職先になるかもしれない澤村は別として、吉永が事件にここまで関心を示す理由はなんだろう。須田はレポートをポストに投函した。

 澤村はノートパソコンの画面を凝視している。メールの文面は何度見ても変わらない。第一希望の企業、かのエイチエムからだった。来月のインターンに自分が合格しているとの内容だ。もちろんあのホテルに泊まる前に応募はしていたが、そもそもインターン自体がなくなるのではないかと心配していたし、事件の関係者ということが、プラスなのかマイナスなのか図りかねていた。スーツをクリーニングにだそうと、クローゼットを開けてから、今スーツが実家にあることに気づいた。親に対してメッセージを送った。来月は特にテスト期間などではない。レポートを求められる授業もいくつかあるが、最悪須田に協力を依頼しよう。バイト代はまだ残っているから、一食くらいご馳走すれば話がまとまるだろう。そうすればこのインターンに集中して取り組むことができる。果たしてインターンが何をするものなのか澤村は知らない。準備といっても何をしたらいいのだろう。面接のようなことはあるだろうか。相馬とは多少お近づきになれた気がする。萩谷という上役にも顔は覚えられているだろう。しかし、インターンの相手ということに彼らのような上層部の人間がでてくるだろうか。きっともっと下の人間だろう。改めて考えると自分があのホテルでした行動が大胆だったと今になって震えてくる。初対面の社会人に好印象を残す方法。そう検索エンジンに入力したところで、ベッドに倒れこむ。今からこの同様具合では先が思い出される。
「あ、そうだ」
ふと、会社のパンフレットを吉永に貸していたことを思い出した。パンフレットは澤村が就活イベントの会場で入手したものだった。吉永は自分の企業選びの参考にしたいとの話だったが、一企業のパンフレットなんて見て選択の役に立つのだろうか。まさかあいつもエイチエムを受けるつもりだろうか。澤村は吉永にパンフレットの返還を催促するメッセージを送った。

 夏場の陽気は日暮れと共に落ち着くが、暑さに変化は感じられない。少なくとも吉永はそう思っている。空調の少し効きすぎた店内はそれでも薄着の若者で溢れていた。飲み始めてから一時間。飲み放題のラストオーダーまではまだ時間があるものの、コースメニューがまだ出揃わず、参加者の口々に不満がでていた。店はかなりの賑わいようで、料理が遅くなるのは仕方ないと思わなくもないが、アテになるものがないと飲みが進まない。酔いを伴い周りの態度も大きくなっているのだろう。このサークルは季節折々の星を観賞することが主題ではあるが、基本的には飲み会が活動の中心となる。学内には非公認を含めれば数百のサークルが存在するが、その実態は仲の良い学生の飲み会ということも多く、数百という分類にはなっていないと思う。吉永の入っているサークルも、ほとんど出向かない所も含めて呑んでばかりだ。
「吉永さん、事件現場で何か不審な点はありませんでしたか?」
田切はグラスをマイクのごとく吉永に向けてくる。
「特に何も気になる所はありませんでした」
吉永は最近多いこの類いの悪のりに飽きてきていた。
「本当はあなたがやったんじゃないんですか」
田切は勢いあまりグラスを傾けすぎてしまう。グラスから零れたカクテルが甘い匂いと畳にシミを広げていく。周囲にいた何人かが田切を座らせ、こぼした液体の処理にあたっている。
「そうそう、思いだした」
座り直した吉永の肩をとんとんと叩いたのは城里だった。
「吉永が関わった事件、週刊紙に記事でてたよ」
「おれは何もしてないけどな」
吉永は飽きながらもこの話題にあえてのっかっていくのは、こういった事件の新情報を得るためだった。大場との話題が尽きてきていた。大場は事件の話題こそ積極的だが、他の話題にはさっぱりのってこない。何かもう少しで大場の関心事を掴めるのではと期待しているが、今のところは事件の話しか手応えを掴めていない。
「確か、被害者の会社の人たちの当日の部屋割りがでてた」
「部屋割り?」
「そう、被害者の部屋次第で犯人がほぼ特定されるわけでしょ。まさか密室殺人なんてことはあるまいし」
「へえ、それで?」
「うん、それがさ、被害者一人部屋だったらしい。あとはそこの社長も一人部屋、そこの専務が奥さんと二人部屋だったって」
「それじゃ、密室殺人になるんじゃない?」
「いや、そこは被害者が犯人を招き入れたんでしょう?顔見知り確定」
「え、でも女の人一人部屋にそうそう人を招き入れるかな」
「私はしないけど、そういう関係ならあるんじゃない?」
「そういうって」
「自分で考えろ」
城里は目を細める。吉永はからかったことを詫びた。
「おい、田切吐きそうだぞ」
どうやら座り込んでいた田切が体調を崩したらしい。あたりが一段と騒がしくなる。
「…あれ、そういえば、朝、部屋の扉開いてたよな」

 駅近にあるこのお店は、学生相手には少し料金が高く、学生街の喧騒を逃れたい大人たちには人気だった。須田はあまり騒がしい飲み会は好きではないので、値ははってもここで少し飲むだけで満足できた。
「須田くんはいつもこんなとこで呑んでるの?」
前田は楽しそうに須田を眺めている。
「うん。だけど、一人だと一、ニ杯かな。そんなに飲まない」
須田は手前のショートグラスを軽く傾けた。
「へえ、でも須田くん結構な酒豪でしょう」
「お酒に強いのと、酒豪は違うよ」
前田は須田より体格が一回り小さい。須田自身は男のなかではそんなに身長の高い方ではないので、前田が小さい方ということになる。須田は前田が女子大生と言っても通じると思っている。
「私にはどっちもわからない」
「でも前田さんもバーでそれなりに飲んでるわけだから強いと思う」
「はい、飲み過ぎてます。気を付けます」
前田は片手を頭に持ってきて敬礼してみせた。須田は前田の仕草を見て、よく自分より若い心の持ちようをしている、と感心する。
「今日はどこに泊まるの?」
「もちろん駅近にビジネスホテルとってますよ。残念でした」
須田は何が残念なのか分からなかった。
「毎回遠くからきてもらってるのに何もできなくてごめん」
「あらたまらないでよ」
前田の住まいは須田の町から日帰りでは帰れない距離にある。会う頻度は高くないが、気兼ねしてしまう。
「あ、そうそう事件の新情報」
「え、何か分かったの?」
須田は事件に興味はないが、前田の話ならば関心のあるように振る舞っている。
「篠田さんの部屋ね、部屋のなかに鍵があったんだって」
「それは当たり前なんじゃない。部屋にその部屋の人がいたら鍵だって部屋の中でしょう」
「でも部屋の人が亡くなってるとしたら、殺した人が持ち出すでしょ」
「あれ、オートロックじゃなかったっけ?」
須田は記憶をたぐる。
「そう、そこなんだけど、当日の朝はあの部屋の扉鍵を閉めてから閉じられてて、開いてたみたい」
「それ、何の必要性があったんだろう?」
「そうよね。見つかるまでに時間がかかった方が逃げる時間が稼げるよね」
「でも、朝食に現れない段階で不審に思われるんじゃないかな。そしたらそんなに発見までの時間て変わらないよね」
「分からないわ。あ、須田くんそろそろバスなくなっちゃわない?」
「あ、うん。そうだね。そろそろ出ないと」
「はあ、事件の話なんかしないでもっと須田くんの話聞いておけばよかったよ」
「ぼくは前田さんからの話ならなんでも楽しいよ」
「うわあ、若いな」
「なにが?」

「いらっしゃいませ」
金曜日は夕方から満席になることも多い。澤村はエプロンを閉め直す。
「澤村くん、今日急遽入ってもらえて助かったよ」
店長の和田は、澤村のふた回り上だが、非常に低姿勢だ。仕事柄のためだろうか。
「いえいえ、ぼくも来月シフトほとんど入れませんし」
すると、和田は顔の前でオーバーに手を横にふる。
「インターンでしょ。それは将来かかっているもの」
和田のこの学生に対する低姿勢が、入れ替わりの激しい学生バイトを後輩に引き継ぐといったかたちで人数増減を最小限に抑える技なのかもしれない。
「テーブル四番さんオーダーお願いします」
厨房の野木さんから声がかかった。
「はい、いってきます」
「澤村くんよろしくね」
和田はにこやかに送り出してくれた。
「お待たせしました、ご注文お伺いします」
「生二つと、イカの一夜干し、あとたこわさお願い」
スーツ姿の男が二人の席だった。
「ご注文を繰り返します。生がお二つ、イカの一夜干し、たこわさが一点ずつ、以上でよろしいでしょうか?」
「うん、よろしく」
注文用の端末をエプロンのポケットにしまい席を離れた。厨房へ戻る最中、客の話が耳にはいった。
「あのホテルの事件聞いた?」
「なにそれ」
「ホテルの部屋で女の人が首潰されてた事件」
澤村はそこまで聞いて、自分が関わった事件を思い出した。遺体の印象はもうおぼろげになっているが、首の異様さだけは印象に残っていた。
「首を潰すって、どうしたらそうなるの?」
「なんでも部屋にあった電飾?を首の上で麺棒みたいに転がしたとかって」
「うわ、気持ち悪い。そんな話食事中にするなよ」
「まあまあ、んで、その電飾、部屋からなくなってたらしいんだわ。窓は飛び降り防止で開かなかったらしいから犯人が持ち出したわけよ」
「ものがないのによく凶器がわかったね」
「さあ、でも遺体の首に跡が残ってたんじゃない?それに、電飾は全ての部屋に共通のがあったらしい」
澤村はそこまで聞いて仕事中であることを思い出した。次のオーダー依頼が端末に通知されていた。
「電飾か。確かに部屋にあったな」
思い出したそれを首に押し付けられることをイメージして、少し気分が悪くなった。

「どうにもあの会社内での男女のいざこざが関係ありそうです」
「ませたことを言うのね。いっぱしの記者のつもり?」
大場の挑戦的な物言いに最初のころはいちいちたじろいでいたが、今はもう慣れた。そしてたじろぐ男は大場の好みではないだろう、と吉永は考えていた。
「おれは大人ですよ。あの社長、妻子持ちで外面は全くもって順風満帆。会社の透明性を向上させているとの評判です。ただ、社内の噂では何人か愛人がいたのでは、という話もあるそうです」
大場がため息をついた。吉永は大場の感情を読もうと目を凝らす。
「まるでどこかの週刊誌の受け売りね。調査お疲れ様」
吉永は言葉に詰まる。
「うーん、私は事件についてお互い新情報があれば交換しましょう、とは言ったけど、別にゴシップの話がしたいわけじゃないの」
吉永は大場との距離が離れていくのを感じた。
「また事件について進展があったら連絡して。今回はここまでにしましょう」
吉永はここで何か言わなければと思考を巡らせる。
「事件はまだ続きますよ」

 須田は早めの夕飯のあと、家を出て自転車を走らせた。今日はとなり駅で交通整理を行う予定だった。須田は旅行のあとも日雇いバイトの契約を解除していなかった。日々連絡の来るバイト募集の連絡に須田はできうる限り参加していた。須田は自分にしては続いている方だ、と自己評価していて、少し誇らしい気持ちもあった。須田は学生生活を営みながら、自分がこの先社会人として人並みに働いていけるだろうか、と不安になることが度々あった。学業こそそこそこの成績で納めているが、積極的とは言いがたかった。バイトや、サークルなども熱を出して取り組む意義が見いだせなかった。須田は自分が頑張れていることに充足した気持ちでいた。
 電話の着信があった。急ぐほどバイトにギリギリの時間ではなかったが、なんとなく今の気分を邪魔されたくなくて、着信を放置した。信号で停まったので、誰からの着信かだけ確認した。吉永からだった。きっと重要な要件ではないだろう。もし、前田からだったらどうしただろう?須田は自分に問いかけた。しかし、すぐ前田は今の時間仕事だと頭を切り替えた。
 バイトは立ちっぱなしであること以外快調だった。眠気もさほどこなかった。明日は足が重いかもしれない。バイトの収入は仲介してくれてる契約先から振り込まれることになっている。日雇いという点は昇給の余地がないように思われるが、同じ内容の仕事も多くあり、現場責任者の報告次第では指定金額以上の手当てがでることもあった。須田に車があればもっと割りのいい仕事も選べたが、あいにく今は自転車圏内の内容となっている。電車賃が支給されるものもあるが、割りのいいものは深夜となるものが多く、終電を考えるとあまり使える手ではなかった。
 須田は家に帰りつくと、携帯に前田からメッセージが届いていることに気づいた。時間が遅かったので少し悩んだが返事を送った。もう一件メッセージがきていたことに気づいた。吉永からだった。そういえば吉永からの着信を無視していたことを思い出した。
しおりを挟む

処理中です...