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31 その視線の主は

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『ウチの両親、ミシェルの仇打ちの為に、王家をぶっ潰そうとしてるらしいんすけど、良かったら侯爵様も一枚噛みます?』

 クリストフは、領地管理の書類を整理しながら、ディオンが最後に残した言葉を何度も反芻していた。

(飄々としていて、食えない男だったな)

 帰り際に、ミシェルの頭を撫でたディオンと、一瞬だけ目が合った事を思い出す。

 あの時のヤツの勝ち誇った顔───。

「あ、」

 グシャッと音がして、クリストフは無意識に手元の書類を握り潰してしまった事に気付いた。
 クシャクシャになった書類を両手で伸ばして、深く息を吐きながら、先程脳裏に浮かんだ光景を振り払うように、軽く首を振る。

 あの義兄とやらはいけ好かないが、ミシェルとシャヴァリエ家の関係が良好そうだと分かったのは収穫だ。
 ミシェルは時折楽しそうに義実家の話をするとグレース達に聞いてはいたし、何度か貰った手紙ではミシェルを気遣っているみたいに感じたが、縁談の際に彼等が挨拶に来る事は無かったので、その実態がよく掴めずにいた。
 しかし、今日の雰囲気を見ると、ミッシェルは彼等にかなり愛されていたらしい。

 その事に何故こんなにも安堵しているのかは、クリストフ自身もよく分からないけれど。



 以前、冗談でミシェルに、『今後はシャヴァリエ家と交流を深めよう』なんて言ったけれど、本当に連絡を取り合ってみようか……。

 執務机の引き出しから白い便箋を取り出して、万年筆を握る。

(取り敢えず、あの不穏な誘いの詳細を確認しよう。
 王家の馬鹿どもに一泡吹かせてやれるなら、手を貸さない事も無い。
 両家の騎士団は国内でも最高峰の精鋭揃いだし、フィルマンは諜報も得意だ。色々と協力出来る事は多いだろう)

 そう考えたクリストフは、シャヴァリエ家に宛てて文を認めた。



~~~~~~~~~~~~~~



「はい、あと三回!! さん、に、いち、お疲れ様でしたぁ」

 稽古場で腕立て伏せをしていたジェレミーは、レオの終了の合図でゴロンと地面に転がった。
 その様子を、私はハラハラしながら見守っている。

「う゛ぅ~~……腕がパンパンだぁ……」

 弱音を吐くジェレミーに、レオはハハッと笑いながら手を差し伸べ、引っ張り起こした。

「坊っちゃまは、剣の扱いは上手くなってきましたが、まだまだ筋肉が足りませんね。
 でも良く頑張りましたから、少しだけ休憩しましょうか」

 そう言われたジェレミーは、チェルシーやシルヴィと共に見学していた私の所へフラフラと寄って来た。

「大丈夫?」

「はい、強くなる為に必要な事だと聞いたので、頑張ります。
 大きくなったら、僕が母様を守ってあげますからね」

 ニコニコしながら可愛らしい宣言をするジェレミーの頭をそっと撫でる。

「ふふっ。小さなナイトですね」

 シルヴィが微笑ましそうに呟く。

「ええ、とても頼もしいわ」

 堪らなく抱き締めたくなって、手を伸ばしたのだけれど、

「あ、ダメですよ、母様。
 汗もかいてるし、さっき地面に寝てしまったので、汚れていますから」

 と、拒絶されてしまった。

「そんなの別に気にしないのに」

「僕が気にしますからっ!」

 頑なに断りつつ、筋肉痛で痛む腕を摩っている姿を見ると、つい可哀想になってしまう。

「……奥様、強い筋肉を育てる為には、無闇に治癒をかけてはいけませんよ?」

 珍しく真剣な表情のレオの忠告に頷く。

「ええ、分かってるわ」

 分かっては、いるのだ。
 けれど……、何もしてあげられない事が、とても歯痒い。


 その時、また何処からか視線を感じて、ふと、邸の建物を見上げる。
 すると、二階にある書庫の窓辺にいた人影がフッと立ち去るのが見えた。
 その姿は一瞬だけしか見えなかったけど、多分、黒くて短い髪の……。

 ───もしかして、旦那様?





「では、父様、母様、お休みなさい」

 就寝時間になって、ダイニングを出て行くジェレミーを見送り、二人きりになった時、珍しく旦那様に話し掛けられた。

「いつもミシェルの護衛に付いている騎士だが……」

「レオの事ですか?」

「レオ……愛称で呼んでいるのか?」

「は?」

 予想外の言葉にポカンとした表情になってしまった。

「レオポルド・ラングレー。奴の名だ」

「ああ、今初めて知りました。
 初対面の時に『レオと申します』と自己紹介されましたし、皆んなも『レオ』って呼んでいたので、それが本名かと……」

「……そうか。
 まあ、騎士は有事の際に長い名前だと呼び難いから、短縮した愛称を普段から使う事が多いと聞くしな」

「そうなのですか? 旦那様は何でもご存知ですね。
 そのレオが、どうかしましたか?」

 話の先を促すと、旦那様は少し口籠った。
 何か言い難い話なのだろうか?

「……………その……、彼は、君と、仲が良いのだろうか?
 いつも楽しそうに畑仕事などをしている様だが」

「はい、普通に仲は良いです。
 ブツブツ文句を言いながらも、護衛以外の事も色々と手伝ってくれるので助かっていますが……。
 あ、もしかして専門外の仕事をさせてはいけなかったですか?」

「いや、それは構わない。そうか、普通か……」

 何か納得した様に、何度も頷いている。
 使用人の勤務態度を確認したかったのだろうか?

「旦那様は、もしかして、私達が薬草畑にいる時とか、よくご覧になってますか?」

「たまに。書庫にいると、窓からよく見えるから」

「そうですか。ジェレミーが手伝ってくれている事もありますもんね」

 そうか、あの視線はやっぱり旦那様だったのかも。
 きっとジェレミーや使用人達の様子を見守っていたのね。

 やだなぁ。
 自分が誰かに見られているのだと勘違いしていたなんて、私ったら自意識過剰だったわ。

 照れ笑いをした私に、旦那様も微かに口角を上げてくれた。



 でも、この時の私は気付いていなかった。

 視線の主が、一人とは限らないのだという事に。

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