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59 無邪気な願い
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それからも、ただ、額や頬にお休みのキスをして、同じ寝台に眠るだけの日々が暫く続いた。
しかし、一ヶ月程経った頃、突然変化が訪れる。
それは、麗かな日差しが窓から差し込む、ある日の午後の事だった。
旦那様の執務室のソファーに座った私は、報告書をテーブルに広げ、片っ端からそれに目を通していた。
「やっぱりどの薬も薬効が高く出ていますね」
「ああ。しかもこっちの資料を見ると、副作用が非常に少ない事が分かる」
資料の中の表を差し出しながら、旦那様が言った。
普通、効果が高い薬は副作用も強く出がちだが、私の薬草で作った薬は副作用が出にくくて使い易いと一部の医師の間で評判になりつつあるらしい。
それに伴って様々な医療機関から、実験に参加したいとか、薬を卸して欲しいとかいった問い合わせが増えている。
実験の規模をこれ以上拡大するつもりは無いが、薬草の本格的な栽培については、旦那様と相談している所だ。
上手くいけば領地の主要産業になるかも知れない。
過保護な旦那様は、『ミシェルの負担になるんじゃないか』と心配してくれていたが、土壌を浄化する為の魔力さえ注げば私はお役御免だ。
後は農夫の方々に畑の管理を任せれば良いので、私の負担はそれ程大きくは無い。
領地内の人達の雇用も確保出来て経済も回るし、良い事尽くめである。
「かなりデータが出揃って来ましたが、これを国策とするのは難しいでしょうね」
本当は、国内全体の薬不足を解消して薬価を下げ、聖女の治癒魔法を節約するには、大規模な国家プロジェクトにする必要がある。
だが、あのアホな王家とその側近達が素直に話を聞いてくれるとは思えない。
「下手にこちらからコンタクトを取れば、またミシェルに帰って来いとか言い出して面倒な事になりそうだしな。
まあ、いざとなれば武力で黙らせれば良いだけだが」
旦那様の不穏な発言にも慣れて来た私は、微かな苦笑いを漏らしただけで、それを聞き流した。
そう言えば、以前お義母様も同じ様な事を言っていたっけ。
シャヴァリエの家族と旦那様は、根本的な部分が似ている気がする。
辺境近くの貴族は皆んなこうなのだろうか?
因みに、ずっと大人しくしているので最近は存在を忘れかけているが、王家はまだ私を取り戻す事を諦めていないと思われる。
まだ大きなニュースにはなっていないが、結界の小さな綻びが次々と発見されているらしく、新聞の片隅には頻繁に警鐘を鳴らす記事が載っていた。
この近くでも魔獣侵入騒ぎはあったみたいだが、私が結界を張っているので、デュドヴァン領とシャヴァリエ領には被害は全く出ていない。
愚かな王宮の者達が、問題を解決するのに一番手っ取り早い方法を取ろうとする事は、想像に難くない。
国民の安全の為には、私が聖女に復帰するべきなのかも知れないとも思う。
だが、私は今の穏やかな幸せを手離すつもりは無いのだ。
「やはり、暫くはデュドヴァン領とシャヴァリエ領だけで計画を進めていこう」
「その方が領地は潤いますしね」
和やかに今後の方針を話し合っていると、扉をノックする音が響く。
「どうぞ」と旦那様が入室を許可すると、満面の笑みのジェレミーがヒョッコリと顔を出した。
「父様、母様、お茶にしませんか?」
ジェレミーの後ろから、スイーツとティーセットを乗せたワゴンを押しながらグレースも入って来る。
ふと壁に掛かった時計を見ると、午後三時を少し回った所だった。
「もうこんな時間だったか。
丁度良いから休憩にしよう」
テーブルの資料を片付けながら提案する旦那様に頷きを返す。
「さあ、ジェレミーもこちらにお座りなさいな」
二人掛けのソファーに座っていた私が、隣の席をポンポンと叩くと、ジェレミーはニコニコと微笑みながらそこにポスンと腰を下ろした。
最近のジェレミーは、なんだか常にご機嫌だ。
特に私と旦那様が一緒にいると、とても嬉しそう。
余所余所しい態度だった私達夫婦にジェレミーが不満を漏らした事はなかったけれど、子供なりに色々と思う所があったのかも知れない。
やはり両親の仲が良好な方が、子供の情操教育にも良いのだろう。
私と旦那様の関係性が変わった事で、邸内にも色々と良い変化が生まれた気がする。
「ジェレミーは、今日は歴史の先生がいらしてたのよね? お勉強は順調?」
「……えっ? あ、はいっ。順調です」
ティーカップの中身をいつまでもクルクルとスプーンで混ぜているジェレミーに声を掛けると、彼は弾かれた様に顔を上げた。
「どうした? 心ここに在らずって感じだな」
旦那様の言葉にジェレミーは、少しモジモジしながら、遠慮がちに口を開いた。
「あの……、今日は父様と母様にお願いしたい事があって……」
「なんだ? 何か欲しい物でもあるのか?」
「遠慮しないで、言ってごらんなさい」
普段あまり我儘を言わないジェレミーが、珍しくおねだりをするならば、是非叶えてあげたかった。
キラキラした笑顔のジェレミーから、とんでもない発言が飛び出すなんて思いもせずに……。
「僕、弟か妹が欲しいですっ!」
「ブホッ……!!」
旦那様が盛大に紅茶を吹き出した。
「あらあら、まあまあ」
グレースが駆け寄って、零れた紅茶を拭き取り、ゲホゲホと咽せている旦那様の背をニヤニヤと笑いながらさすった。
しかし、一ヶ月程経った頃、突然変化が訪れる。
それは、麗かな日差しが窓から差し込む、ある日の午後の事だった。
旦那様の執務室のソファーに座った私は、報告書をテーブルに広げ、片っ端からそれに目を通していた。
「やっぱりどの薬も薬効が高く出ていますね」
「ああ。しかもこっちの資料を見ると、副作用が非常に少ない事が分かる」
資料の中の表を差し出しながら、旦那様が言った。
普通、効果が高い薬は副作用も強く出がちだが、私の薬草で作った薬は副作用が出にくくて使い易いと一部の医師の間で評判になりつつあるらしい。
それに伴って様々な医療機関から、実験に参加したいとか、薬を卸して欲しいとかいった問い合わせが増えている。
実験の規模をこれ以上拡大するつもりは無いが、薬草の本格的な栽培については、旦那様と相談している所だ。
上手くいけば領地の主要産業になるかも知れない。
過保護な旦那様は、『ミシェルの負担になるんじゃないか』と心配してくれていたが、土壌を浄化する為の魔力さえ注げば私はお役御免だ。
後は農夫の方々に畑の管理を任せれば良いので、私の負担はそれ程大きくは無い。
領地内の人達の雇用も確保出来て経済も回るし、良い事尽くめである。
「かなりデータが出揃って来ましたが、これを国策とするのは難しいでしょうね」
本当は、国内全体の薬不足を解消して薬価を下げ、聖女の治癒魔法を節約するには、大規模な国家プロジェクトにする必要がある。
だが、あのアホな王家とその側近達が素直に話を聞いてくれるとは思えない。
「下手にこちらからコンタクトを取れば、またミシェルに帰って来いとか言い出して面倒な事になりそうだしな。
まあ、いざとなれば武力で黙らせれば良いだけだが」
旦那様の不穏な発言にも慣れて来た私は、微かな苦笑いを漏らしただけで、それを聞き流した。
そう言えば、以前お義母様も同じ様な事を言っていたっけ。
シャヴァリエの家族と旦那様は、根本的な部分が似ている気がする。
辺境近くの貴族は皆んなこうなのだろうか?
因みに、ずっと大人しくしているので最近は存在を忘れかけているが、王家はまだ私を取り戻す事を諦めていないと思われる。
まだ大きなニュースにはなっていないが、結界の小さな綻びが次々と発見されているらしく、新聞の片隅には頻繁に警鐘を鳴らす記事が載っていた。
この近くでも魔獣侵入騒ぎはあったみたいだが、私が結界を張っているので、デュドヴァン領とシャヴァリエ領には被害は全く出ていない。
愚かな王宮の者達が、問題を解決するのに一番手っ取り早い方法を取ろうとする事は、想像に難くない。
国民の安全の為には、私が聖女に復帰するべきなのかも知れないとも思う。
だが、私は今の穏やかな幸せを手離すつもりは無いのだ。
「やはり、暫くはデュドヴァン領とシャヴァリエ領だけで計画を進めていこう」
「その方が領地は潤いますしね」
和やかに今後の方針を話し合っていると、扉をノックする音が響く。
「どうぞ」と旦那様が入室を許可すると、満面の笑みのジェレミーがヒョッコリと顔を出した。
「父様、母様、お茶にしませんか?」
ジェレミーの後ろから、スイーツとティーセットを乗せたワゴンを押しながらグレースも入って来る。
ふと壁に掛かった時計を見ると、午後三時を少し回った所だった。
「もうこんな時間だったか。
丁度良いから休憩にしよう」
テーブルの資料を片付けながら提案する旦那様に頷きを返す。
「さあ、ジェレミーもこちらにお座りなさいな」
二人掛けのソファーに座っていた私が、隣の席をポンポンと叩くと、ジェレミーはニコニコと微笑みながらそこにポスンと腰を下ろした。
最近のジェレミーは、なんだか常にご機嫌だ。
特に私と旦那様が一緒にいると、とても嬉しそう。
余所余所しい態度だった私達夫婦にジェレミーが不満を漏らした事はなかったけれど、子供なりに色々と思う所があったのかも知れない。
やはり両親の仲が良好な方が、子供の情操教育にも良いのだろう。
私と旦那様の関係性が変わった事で、邸内にも色々と良い変化が生まれた気がする。
「ジェレミーは、今日は歴史の先生がいらしてたのよね? お勉強は順調?」
「……えっ? あ、はいっ。順調です」
ティーカップの中身をいつまでもクルクルとスプーンで混ぜているジェレミーに声を掛けると、彼は弾かれた様に顔を上げた。
「どうした? 心ここに在らずって感じだな」
旦那様の言葉にジェレミーは、少しモジモジしながら、遠慮がちに口を開いた。
「あの……、今日は父様と母様にお願いしたい事があって……」
「なんだ? 何か欲しい物でもあるのか?」
「遠慮しないで、言ってごらんなさい」
普段あまり我儘を言わないジェレミーが、珍しくおねだりをするならば、是非叶えてあげたかった。
キラキラした笑顔のジェレミーから、とんでもない発言が飛び出すなんて思いもせずに……。
「僕、弟か妹が欲しいですっ!」
「ブホッ……!!」
旦那様が盛大に紅茶を吹き出した。
「あらあら、まあまあ」
グレースが駆け寄って、零れた紅茶を拭き取り、ゲホゲホと咽せている旦那様の背をニヤニヤと笑いながらさすった。
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