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第1章 幼少期

4. 勃発、竜化徒競走対決!

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 太陽に強く照り付けられた芝の匂いが、春の涼しい風に運ばれて辺り一面に広がる。
 屋敷の中庭にある噴水広場で僕とミライアスは水遊びをして遊んでいた。
 水竜へと成る練習も兼ねて『水竜の印』を用いて、水の掛け合いをしていると屋敷の方から執事のカシスが、深刻な面持ちで歩いてきた。

 「ディナー様、ミライアス様、アルカディア様がお呼びです」

 執事のカシスは笑顔が素敵なお兄さんだ。だが、今日のカシスの顔色はいつになく悪い、どうやら体調が悪いようだ。

 「カシス、大丈夫? 顔色が悪いけど、お薬は飲んだ?」

 僕が心配そうに話しかけると、カシスの瞳から一粒の大きな涙が頬を伝って流れ落ちた。
 その瞬間、カシスは慌てた様子を見せ、急いで顔に手を当てながら下を向いた。

 「………………」

 誰も口を開くことが無く、沈黙の間が出来る。
 気まずい空気が辺り一帯に流れた。
 そんな中、何故カシスは泣いているのだろうと僕が疑問に思っていると、カシスはそのまま申し訳なさそうに深々と頭を下げ、その場を後にした。

 「カシス……どうしたんだろう? 大丈夫かな?」

 ミライアスは頬に手を当てて、首を傾げながら話す。
 可愛い、男の僕から見ても凄く可愛い。癒される...って言ってる場合じゃない。
 父上が僕ら二人を一緒に呼び出す事など、そうある事ではない。王族との会食などの特別な行事の時しか経験がないからだ。   
 カシスの様子も気になるし、何より父上が何の用で呼んでいるのか気になった。

 「とりあえず、父上の部屋にいこう。きっと用があるんだよ」
  
 僕はそう言って、ミライアスの腕を引っ張り、手を繋いだ。
 ミライアスは満面の笑みを見せ、力強く手を握り返す。
 父上の部屋は、屋敷の三階の中央部に位置する場所にある。
 そこまでゆっくりと、散歩気分で歩こうとしている僕に対し、ミライアスは正反対の事を考えていた。

 「お兄ちゃん、部屋まで"竜化徒競走りゅうかときょうそう"しない? 翼なしで!」

 ミライアスは僕に「竜化徒競走」を提案してきた。
 竜化徒競走とは、竜化して身体を強化した状態での一定距離を走る速さを競う競技である。
 妨害などの危害を加える行為は、固く禁止されており、破った者は強制的に退場させられる。ただ、見えない妨害については例外もある。事細かいルールを僕らは知っている。
 竜人族同士の間では、事ある行事に組み込まれている有名な競技の一つで、一般的なこの競技での竜化は、「翼を生やして飛ぶ」か「下肢全振り竜足強化」の二択である。
 その他には、「骨格・筋肉増大圧縮化」「ブレス走」など様々な特殊な竜化を取り入れる人もいる。
 
 さて、話を戻そう。
 ミライアスは目をキラキラと輝かして、足を竜足にして待機している。そんな弟を見て誘いを断る事も出来ず、渋々承諾する事にした。

 「おっし、受けて立つ。負けたら罰ゲームだ!」
 「えへへ、流石はお兄ちゃん!」

ミライアスは相当の自信があるようで、負ける気などサラサラないらしく、完全な竜へと成り全速疾走。僕も負けじと全力の竜の力を足へと集中させ、「下肢全振り竜足強化」をして追い掛けた。

 僕ら二人が屋敷を駆け抜けると、屋敷中の窓は今にも割れそうな音を響かせながら揺れ動き、床は鈍い音を立てて軋み、観葉植物などの床に置いてあった物は全て宙へと舞った。
 屋敷の使用人達は、呆れた顔をして勝敗を見送っていた。
 それをお構い無しに僕ら二人は、屋敷を全速力で駆け抜ける。
 
 先陣を切っていたミライアスを捉えた僕は、横に並んで並走し勝ちを確信した。
 竜化を上手く扱えなかった間に蓄積された『竜の力』が、体の内側から溢れ出し、僕の体を今までにない程に強化していたのだ。

 並走している僕を横目に見ているミライアスの表情は、驚きを隠せていなかった。竜化を上手く扱えないはずの僕に、完全竜化出来る自分が負けるはずない、という感じだろうか。

 眼前に父上の部屋が迫ってきた。それに合わせて二人の足も早くなる。息を切らしながら全力で走り抜ける二人にとって、これはもう遊び半分の勝負ではなくなっていた。

 そして、勝負はついた。
 最初に辿り着いたのは僕で、その僅か後ろにミライアスがいた。その差は僅か何秒かの差で、ミライアスがさぞ悔しがっているだろうと顔を見ると、その視線は僕の足の所にあった。
 
 「ミライアス、どうしたの?」

 ミライアスの様子が気になって、声を掛けると弟は予想外の事を口にした。
 
 「お兄ちゃんの足……普通の人の足だよ……?」

 ミライアスに言われて、足へと目線を落としてみると竜足化させていたはずの僕の足は、なんら人間と変わらない足に戻っていた。

 「えっ……。」

 一瞬、理解が出来なかった。竜化を解いた覚えはないし、先程となんら変わりのない足の感覚だった。
 それが意味する事は、元から人間の足で強化されていたか。
 足に竜の力を集中させた時に足を見ていないので確証する事は出来ないが、十分に考えられる説だ。

 これが問題で。人間の足というのがキーポイントである。
 それは竜人族からしてみれば、あってはならない事で、人間の血が多い者に現れる現象であり、もう一つの"とあるもの"に思想は連結される。
 
 「人竜化……おじいちゃんと同じ竜化……」

 悲しげな表情を浮かべながら、ミライアスは肩を落とした。
 
 竜騎士になるために必要な能力の一つ、人竜化。
 竜の力を極限までに引き出しつつ、人形を保って人体を強化する。普通の竜化と違うのは、そのパワーと人体に及ぼす影響の差である。
 人竜化は人の器を強化するため、人体が強化に追いつかず体が持たない可能性が生じるが、一瞬で爆発的な強靭な力を生み出す。使用後の身体疲労が著しく、鍛錬された体でないと寿命を縮めるとされている。

 僕は、人竜化などを練習した覚えはない。
 祖父から話こそは聞いていたが、コントロールの仕方などの詳しい話などは一切として耳にしていない。
 それに加えて、普通の竜化より人竜化の方が繊細な竜の力のコントロールを要されるため、僕に出来るはずがないのだ。
 この事実は自分でも驚きを隠せなかったが、僕は見栄を張って弟に偽りを伝えた。

 「えへへ、これが練習していた成果だ!」

 練習など微塵もした事がないのに得意気な顔をして話す。
 それに対し、弟は「やっぱり、そうなんだ……」と聞き取れない程の小声でボソッと言った。

 どういう意味か詳しく弟に聞き直そうとしたが、それはできなかった。

 「やはり、お前はそうなってしまったか」

 僕らの後ろから聞き慣れた威厳のある声が聞こえてきたのだ。
 カルシファス家当主、カルシファス=ミラ・アルカディアの姿が僕らの背中にはあった。

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