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見た目と、中身

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「……わぁ」

 そして、私は朝一番に美容院で髪を直してもらった。すると鏡の中には前下がりのショートボブになった、私がいた。思わず声が出た。

 前髪はアシンメトリーで、髪も染めてみたいと言ったらブリーチをかけられて、出来上がった色はもはや金色を通り越して、白金色だった。

 驚いたことは驚いたけれど、おまかせで、と言ったのは私なので、なんの不満もない。むしろ以前の自分と真逆で、面白いくらいだった。

「どう?」とフランクに訊いてくる美容師さんに、「この髪型、好きです」と答えた。そう言った時の鏡の中の私は、目を輝かせて笑っていた。

 笑う。笑える。大丈夫だ、と心に安堵が広がる。

 美容師さんに、おすすめの洋服屋さんも教えてもらった。ファッションにだって当然明るくない私だ、下手に自分で探すより、プロの意見を参考にするのが一番だと思った。

「また来てね」と言う美容師さんに、「はい」と頷いた。

 美容院を出たその足で、教えてもらったファッションビルへと向かい、目当てのブランドを目指す。

 ……が、実際にその店を前にして、怖気づいてしまう自分がいた。今まで着たことのない系統の洋服が、店内にはずらりと並んでいる。なんならマネキンは真っ黒で、スタイリッシュと言えばそうなのだが、今の私には威圧感さえあった。マネキンを前に、店内に入ることさえできず、途方に暮れる。

「いらっしゃいませー。わ! 髪、かっわいー!」

 と、その時だった。店員さんが、人好きのしそうな笑顔で話しかけてくる。まんまるい瞳が、小さなリスを思わせる人だった。着ている服も露出こそ多く派手だけれど、なぜだろう、色気よりも快活さを感じさせる。

 私は元来、色々と考えすぎてしまうタイプだ。考えすぎて、そして身動きが取れなくなってしまう。動く気力さえ、失ってしまう。

 けれど、たぶん、髪型のせいだ。軽くなった頭は、私の重苦しい思考ごと取っ払ってくれたのだと思う。
 私は店員さんに言う。

「この髪形に似合う服を、いくつか見繕ってもらえませんか?」
「え、それって私がコーディネートしてもいいってことですか?」
「はい。もし店員さんが良ければ、ですけど……」
「良いに決まってるじゃないですか!」

 だいぶ食い気味に言われた。なんなら肩さえ掴まれ、前のめりになってくる。大きな瞳を子どもみたいにキラキラと輝かせ、「店員冥利に尽きます!」と白い歯を覗かせてくる。

 可愛い人だな、と思った。初めて会う人に、良いものにせよ悪いものにせよ、何か感情を抱くのはいつぶりだろう。そんなことを思った。

 そうして促されるまま店内に入り、やはり促されるまま試着室で着替えをさせられる。何着試着をしたのだろう。店員さんはこれもいい、ああ、でもあっちも、と何着も商品を持ってきては、「着てみてください!」と私の胸に押し付けてくる。そして着た姿を見せてみれば、うっとりとした表情で「可愛い……」と呟くのだった。完全に、一人ファッションショーだった。

 そのファッションショーは、小一時間ほど続いただろうか。最終的に店員さんは五着に絞ってくれた。着回し次第で、ワンシーズンは十分に持ちそうな五着。私が髪に合う服を一着も持っていないと言ったせいだろう。プロってすごいな、と単純に尊敬してしまう。

 あの美容師さんもそうだけれど、私もいつか、こんな風に誰かの助けになるようなことが出来る人間になれるのだろうか。しかもこの店員さんは、さして年も変わらないように思える。自分がいつか同じようなことができる未来など、想像もつかない。

 お会計の時に、おずおずと「また、来てもいいですか?」と申し出る。店員さんはぐっと親指を突き立て、「待ってるぜ!」と言ってくれた。自分からそんなことを言ったことも、そんな返答をされたことも初めてで、新鮮な気持ちになる。

 お店の中も、美容室と同じくそこかしこに鏡がある。買ったばかりの服の中で一番しっくりきたものは、タグを切ってもらい、そのまま着ていた。新しい髪形に、新しい服装。鏡に映る、気恥ずかしそうな自分。

 そこに映っているのは間違いなく自分のはずなのに、それは見たことのない自分だった。

 新しく買った服と一緒にもともと着ていた服も一緒にショップの紙袋に入れてもらって、お店を後にする。今まで履いたこともない、短いスカートが太ももに当たると、少し不安になる。変じゃ、ないだろうか。おかしくないだろうか。でもそんなことを考える度に、目を伏せ思い出す。美容師さんと、洋服屋の店員さん。それに、鏡に映った自分。

 前を向け、前を向け、と。
 弱気になる身体を無理やり前へと押し進める。

 そして、ファッションビルを出た時だった。

「……瑞己?」
「……斗和」

 華奢で眼鏡をかけた青年が、こちらを見て私の名を呼んだ。

 月崎斗和(つきさきとわ)。
 幼馴染で、母から付き合いを許されていた数少ない友人でもある。その中でも、特に斗和は特別だ。家に晩御飯を食べに来たこともある。母の看病も手伝ってくれていたし、母の死に際に、そばにいてくれたのも斗和だった。斗和は友人の域を超え、私にとっては唯一の親友と呼べる存在だった。

 斗和も買い物の途中だったのだろうか、紙袋を片手に、私の元へと駆け寄ってくる。

「どうしたの!? 服も……それに髪まで。どうした? 何があった?」

 斗和は私の顔を覗き込むと、慌てて尋ねてくる。斗和と会うのは母の葬儀以来だ。それからも私を案じるメールは何通も届いていたけれど、返す気力がなくてスルーしてしまっていた。そんな中、こんな姿の私に会ったらそれは心配にもなるだろう。
 でも連絡を返さなかったことに怒り出したりはしないのが、斗和のいいところだ。斗和はいつも、優しい。今は驚き見開かれている眼鏡の奥の切れ長の目が、笑うと穏やかに細められることを私は知っている。

「大丈夫。……ちょっと、気分転換したかっただけなの。メールも返せなくて……ごめんね」

 言うと、斗和は首を振る。

「いいよ、そんなの。瑞己が元気ならそれでいい。格好も……うん、びっくりしたけど、似合ってるよ」
「ありがとう。斗和にそう言ってもらえると、嬉しい」
「まぁ、瑞己は美人だから何着てても似合うんだろうけどね」
「口が上手いなぁ、斗和は」
「酷いな、本心なのに」
 
 そう言って斗和は口を尖らせる。戯けたようなその顔が面白くて、思わずふふ、と笑いが漏れてしまった。それを、斗和は優しく笑って見る。

「本当に、元気そうで良かった。……その、大変だったからね」
「ありがとう。斗和には……いっぱいお世話になったね」
 
 不意に、斗和の視線から逃げるように俯き苦笑いしてしまった。斗和には、本当にお世話になったのだ。母の臨終の間際、小刻みに震え続ける私の手を斗和はずっと握ってくれていた。
 でもそれ以上に闘病中の母は酷いものだった。病魔や薬の副作用に伴う痛みももちろんあったとは思う。ただそれに加え母の性格によるものなのか、非常に、精神的に不安定な日々が続いていた。歩くこともままならなくなった母を支えて歩けば涙を流しながら感謝の言葉を述べ、しかし次の瞬間には私の身体を振り払い、罵倒した。終始そんな感じで、ヒステリックさを増した病人の母にどう接していいかわからず、私も次第に疲弊していった。

 けれど母は、そんな時でも斗和がいれば穏やかだった。ありがとう、ありがとうと何度も言葉を繰り返し、斗和の手を握りしめては瑞己のことをよろしくね、と優しげに微笑んだ。そんな母の表情なんて、私は久しく見たことがない。なんとも言えない感情が心の中で渦巻くのを感じながら、でもそれ以上に母を落ち着かせてくれるのが有り難くて、私も斗和に感謝した。疲弊している私にも気づいて、いつものオーガニックなものじゃない。上品な甘さで満たされた有名なパティスリーのお菓子を、私にだけ、特別と言って差し入れをしてくれたりもした。斗和は、気遣いの塊みたいな人だ。

「大変だったのは瑞己でしょ。俺なんか何もしてない」
 
 その言葉に、私は首を振る。本当に、斗和がいてくれたから私は最期まで母と向き合えたのだ。斗和がいなかったら、私は苦しむ母を見捨てて、今頃後悔していたかもしれない。

 母と、結局は最期まで分かり合えた気はしない。母はどこまで行っても母だったし、私も私で、それを受け止めるだけで必死だった。でも逃げずに、最期の時まで立ち会うことができたのは、斗和がいてくれたからだ。斗和が母を宥めている間は私は僅かな休息を得ることができたし、斗和が持ってきてくれたお菓子はあまりに高級な味がして気後れしてしまったけれど、美味しかった。一度だけだけれど、斗和の前でなら涙も流せた。そんな私にも、斗和はそっとハンカチで涙を拭い、ほとんど愚痴のような私の話を聞いてくれていた。

 きっと、私と母だけではとっくに崩壊していた。それを繋ぎ止めてくれていたのは、間違いなく斗和だと思う。

「あ……そうだ」

 そこまで考えて、斗和に渡したいものがあったのを思い出したのだ。斗和はずっと私と母の力になってくれていた上に、葬儀の際は香典まで多く包んでくれた。そう言う時は別にお返しをするものだ、と教えてくれたのは親戚のおじさんだったけれど、私としても、斗和にはきちんと感謝の意を、目に見える形で伝えておきたかった。だから母の葬儀が終わってすぐ、斗和がお菓子をくれたところと同じパティスリーへ行って、日持ちのするお菓子を買いに行っていたのだった。それを、ずっと渡しそびれていたことに気がついた。

「斗和。今から時間ある? ちょっと渡したいものがあって……もし暇だったら、うちまで来てくれないかな?」
「……それは、どう言う意味で?」
「え?」

 どう言うもこう言うも、そのままの意味なのだけれど。
 首を傾げる私に、斗和は吹き出したように笑い「いや、なんでもない」と言った。

「瑞己だもんね、そりゃ他意なんかないか」
「他意?」
「いいんだ、ほんと、気にしないで。……うーん、でもなぁ」

 斗和が何を言いたかったのかはわからない。相変わらず首を傾げたままの私の頭を、斗和は優しく撫でた。

「一人暮らしの女性の家に上がり込むのは、ちょっとね」

 そんなことを、幼子に言い聞かすように言ってくる。確かに斗和が遊びにくる時はいつも母がいたけれど、斗和がそんなことを気にするタイプだとは思っていなかった。意外で、目を見開いてしまう。

「でも、俺も瑞己に話があったんだ。その辺でお茶でもしない? その、瑞己が渡したいものっていうの、また今度でもいいかな?」

 少し考える。お菓子の賞味期間はまだまだだったと思うし、急ぎの用があるわけでもない。……本当は、そろそろ講義にも行かなきゃいけないのだけれど。

 大学側には母の訃報は伝えてあるし、多少の特別措置はとってくれるとのことだった。と言っても、それにも限界はある。そろそろ大学には行かなきゃいけないけれど、それが今日である必要はない。

 私は斗和の提案に頷き、彼の後をついていった。これから行くカフェはハーブティーが有名で、とても心の安らぐ味がするそうだ。

 本音を言えば、髪を切って、服も変えた私はもっとジャンキーなものを食べてみたかったけれど。

 でも人がそんな簡単に変われるわけがない。人は過去の積み重ね。見た目を変えただけで、すぐに何かが変わるわけじゃない。

 それに、ハーブティーは母が薦めてくるお茶の中でもわりと好きな部類だ。斗和がそれを知っていて、誘ってくれたのかはわからないけど。

 斗和の隣を、並んで歩く。けれど足の長さが違う分、私は小走り気味になる。
 けれど、斗和はすぐに、私の歩調に合わせて歩いてくれた。そういうことを当たり前にできてしまうのが、月崎斗和という人だった。

 私の唯一の親友。尊敬すべき人。

 だけど今になって考えれば、そんな表層ばかりに気を取られていたから私は見るべきものを見落としてきたのだろうと思う。人は見た目を変えたくらいじゃ変わらない。それと同じく、人の奥底には表層からじゃ窺い知れない感情がいくつもある。

 そんなことに、今の私は気づきすらしなかった。
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